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0001吾輩は名無しである
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2014/10/26(日) 22:14:05.82
質問

すが秀実、という人を知っていますか?

批評家です。

あんなかっこ悪い批評家はそうはいません。

え、知らないって?

検索してください。
0201吾輩は名無しである
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2016/01/11(月) 00:38:57.20
猫飛ニャン助 @suga94491396 2時間2時間前
あしぶみいさみが「なんリベ」の明快な歴史的規定をおこなっているので、明日11日(16pm〜)新宿ベルクの太陽肛門ライブ聞きにくる人は、読んでからくるとよろし。私もちょっと顔は出す。

あしぶみいさみ @ashibumi68 14時間14時間前
「なんリベ」という言葉は、元々は「なんちゃって、リベラル」という表現の省略形で、その意味は天皇制平和主義、つまり現憲法の9条と1条の関係に依存したまま、9条を擁護しようとするとついでに天皇制まで肯定してしまい、

それどころか戦後の象徴天皇制こそが、9条護持のための最後の拠り所であると見なしてしまう陥穽のことだったんだよナ。この陥穽自体が改められない限り、いくら9条擁護と狭い一国平和主義との間の従来の結びつきを解こうと努めても、

そうした努力(たとえば、9条による国際貢献や国連改革の可能性の追求)は、まるで蟻地獄の穴に吸い込まれるように、すぐに従来からの一国平和主義の雰囲気の中に吸収されていってしまう。

なんリベという言葉を使い始めた人たちは、こうしたパターンの繰り返しに苛立ちを募らせ、そこから距離を取るためにこそそうしたのだったのだが、

けれども多くの人達は(実は自分もそうだったのだが)、この言葉に、80年代高度消費社会の浮遊感を象徴した著書のタイトル『なんとなく、クリスタル』を重ね合わせてしまい、

なんリベとは、グローバル化の弊害が顕在化した90年代後半以降急に政治づいた、80年代の高度消費社会を背景に登場してきたセンス・エリートの文化人達のことだと誤認してしまったのだった。

自分としては、この誤認自体は決して無意味なことではなく、むしろ、なんリベという言葉が捉えようとしている事態をさらに明確にしていくためのきっかけになると思っているのだが、果たしてどうなのだろうか。

元々80年代の高度消費社会は、戦後の天皇制平和主義(それは戦後民主主義、55年体制と言い換えても勿論構わないのだが)がもたらした高度成長のただのおこぼれ、
オマケみたいなようなものでしかないから、それに依拠しながら感性を磨いて、卓越したセンスエリートになろうと努めることは、
0202吾輩は名無しである
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2016/01/11(月) 00:45:22.50
あしぶみいさみ @ashibumi68 14時間14時間前
当然、天皇制平和主義の枠内に留まるふるまいでしかなく、すぐにそこに回収されてしまうことになる。
けれどもそうしていた当人達は、消費社会に依拠して感性を磨くことこそが、従来の日本社会では不十分だった個の自立や成熟を実現できる、画期的な行為であると自認していたのだったのだが・・

つまり「なんリベ」というのは、天皇制に依存したままであるという点では「なんちゃって」であるのだが、
消費社会の中でしか通用しない、感性の洗練・差別化としての個の確立の仕方を引き摺ったままであるという点では、やはり同時に「なんとなく」になるのだと思う。

これからは、この二重性をこそ指す用語として使っていけばよいのではないですかね。あと、センスの卓越化にのみ依拠して、
しかも天皇制に依存したままいくらリベラルな価値や制度の重要性を主張してもあまり信頼感は得られないから、この種の人達は別の種類のリベラル知識人を頼ることになりマス。

それが、ロスジェネ世代の心情主義的な先行世代糾弾をたしなめるかたちでヘゲモニーを握った、データのエビデンスと実効的な政策にのみ依拠しさえすれば、
多文化主義社会を実現するリベラルな価値や制度と、格差や貧困を是正するソーシャルな政策とはおのずから一致する筈だと言い立ててやまない、

やたら統計学や社会学を重視する学者さん達になるわけデス。この種の人達は統計データのエビデンスを重視するから、エビデンスリベラル、
略してエビリベと呼べるのではないでしょうか。狭義のなんリベの人達と、このエビリベの方々との間の結託(野合?)が現在顕著に見られる現象だと思いマス。

さらに言えば、こうした結託を可能にするものこそが、日本国民は平和の大切さをかみしめ、戦後ずっと平和を愛してきたという天皇の言葉に頷いてしまう、
団塊より上の世代の多くの人々が持っていた心情、つまり、戦後の日本国民は平和を愛し実現してきたという物語のような気がしてなりません。
0203吾輩は名無しである
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2016/01/11(月) 00:46:35.99
多分これこそがなんリベなるものの核心になるのでしょうが、運動の現場を傍から見てると、こうした心情や物語に運動が回収されることに対する警戒が表明される一方で、
多くの人を動員するための一番手軽な資源になるから、それにあからさまに依拠していく動きも強いみたいで、どうもよくわかりません。

また、所謂シールズ世代の画期的なところは、(ものの本によれば)今や不確かで稀なものになった、
目の前の小さな当たり前の幸福を守るためにこそ、(従来のようにそこに自足・撤退することなく)声を上げ、個を確立・主張しようとした点にあるそうなのですが、

そうした新たな個の確立・主張の試みを擁護し持ち上げるのが、高度消費社会を引き摺ったままのエリート文化人だったり、
あるいは彼/彼女達の模索を、戦後の日本人は平和を愛してきたという物語を維持・強化する動きの延長上に位置付けるだけで満足する人が多いさまは、正直言って解せません。

うーん、こんなことではリベラルな価値や制度はいつまでも日本列島(+琉球弧)の社会に根づくことはないのではないでしょうか。
本来リベラルというのは、所謂「リベラル疲れ」が最早起きない・問題にならないような社会や関係性を構築していく努力をしていかなければならないわけですが、

以上見てきたように、広狭の「なんリベ」(つまり天皇制平和主義とセンスエリート個人主義)に足を引き摺られたままでは、決してそんなことはなし得ないと思うのですが、
いかがでしょう。以上、ここ最近の運動の盛り上がり(やゴタゴタ)を傍から見ていた者の感慨というか愚痴でした

「なんリベ」という言葉の出所について訂正があります。自分が↓でツイートしたのとは異なり、「なんリベ」は元々「なんとなく、リベラル」の省略形でした。

そしてこの表現は、小谷野敦さんの小説のタイトル(「なんとなく、リベラル」、『悲望』2007年、所収)として初めて世の中に登場したとのことです。小谷野さんから直接指摘がありました。どうも失礼しました。

ちなみに「なんちゃって、リベラル」という表現の出所は、どうも桑田佳祐に対する青山繁晴の揶揄にあったみたいですね。普段TV観ないから全然知りませんでした・・http://news.livedoor.com/article/detail/9666176/
0204吾輩は名無しである
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2016/01/11(月) 01:57:26.15
井野朋也 1月9日
何かやらかしてくれそうな予感。しかも、当日のイベントには文芸評論家の絓秀実さんもからむそうだ。どうからむのか、私たちも知らされていない。ドキドキ…

太陽肛門工房 9時間9時間前
明日午後4時〜。新宿ベルク。
TALKゲストにスガ秀実さんもお呼びしていますのでぜひみなさん来てください。
30分で終わります。

太陽肛門工房 14時間14時間前
オシャレなロールキャベツ系男子女子バンドなんでカジヒデキとか好きなひとは見にきたほうがいいかもしれないよ。
元祖ロールキャベツ系文芸批評家のいかしたおじさまスガ秀実さんもTALKするよ!
0205吾輩は名無しである
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2016/01/11(月) 02:14:27.35
「アルチュセ-ル派イデオロギ-論の再検討 浅田 彰 思想 (707), p38-65, 1983-05」
↑読んで思ったが東の反体制の説明まんまアルチュセール。今頃知った。

267 :考える名無しさん:2015/11/14(土) 08:54:23.58 0
3/4「民主主義ってどれだ?」 東浩紀×奥田愛基(SEALDs)×津田大介
https://www.youtube.com/watch?v=d5lQaDLgNQI

15:10位 東による反体制とは何か。↓のスガさんに近いか。

猫飛ニャン助 @suga94491396 2月22日
いわゆる先進国の大学に比して日本の大学の、とりわけ文系への助成金が少ないとは夙に慨嘆され、それはそうなのだろうし、研究には金が必要なことも否定しないが、時として、金もらっちゃあオシマイと思うこともある。
個人的には、もはやスズメの涙しかない地方公立図書館の図書購入費の増額を、と。

スガ 生活の問題がさきほどちょっと出ましたが、日本の知識人のなかで、吉本隆明さんというのは、ぼくはお書きになっているものは苦手なんだけれども、
知識人のあり方としては基本的に乗り越え不可能な人だと思うんですね。簡単に言えば、一生大学に依らなかった。
現代詩手帖2001/7「詩の快楽のゆくえ」北川透との対談
0206吾輩は名無しである
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2016/01/11(月) 12:57:30.66
Max Kimpara
中村光夫全集第七巻を借る。スガ秀実「天皇制の隠語」第一部を想起せざるをえない。
中村→小林秀雄の影響は如何?実際、中村は出発点は完全なマルクス主義じゃないか。
蓮實・スガ対談(後者のインタヴュー)の中村論もあるのだが、「転向して転向していない」ところの「厚顔」が興味深い。

いくつかわからないところがある(私の不勉強だが)。@林房雄「青年」の評価。
A横光「純粋小説論」は人民戦線とともにスターリニズムの問題もあるか。
Bなぜこれほど中野重治に対して厳しいのか(私小説回帰の文脈を超えて)。
2016年1月10日
0207吾輩は名無しである
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2016/01/11(月) 19:06:32.14
講談社文芸文庫版 中村光夫「二葉亭四迷伝」のスガ秀実の解説は必読
0208吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 00:13:47.76
井野朋也
「なんリベ」はやっぱり「なんとなく、リベラル」だったのか!しかも出所が(禁煙ファシズムと闘っている)小谷野敦さんの小説のタイトルだったとは!

小谷野敦
知られてないんだなあ・・・。
0209吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 00:16:40.15
プリんケツナマキュア @NAMAZUrx 14 時間14 時間前
【悲報】世界で広がる「1日6時間労働」 北欧の成功を受け米ロも導入検討。なお、日本のマスコミは総スルー。

北欧の1日6時間労働制、ダラダラ働くより生産的と判明
http://www.gizmodo.jp/2015/10/16inSweden.html
0210吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 00:45:44.26
東浩紀 1月10日
東大教授は、無視されたときに東大だから無視された差別だとは叫ばず、単におれの仕事が無視されているのは許せないとだけ言うだろう。
自分はサブカル批評なので無視されているとか言った瞬間に、そのひとは負けているのだ。しかし、繰り返すが、それこそがサブカル批評の苦しさを示すものではある・・

サブカル批評だから無視されたのではなく、くだらない仕事だから無視されているのだということがわからないサブカル批評家というのは時代にかかわらずいるわけだけど、
まあ確かに、その区別がわからなくなるということこそが、サブカル批評の置かれた苦しい辺境性を示すものではある。(エアリプ)

↓に対するエアリプだろうか。

「無敵の立場」でつくられている『ゲンロン』1
エキサイトレビュー 2016年1月6日 18時01分
ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。前編に続いて批評誌『ゲンロン』1号について語り合います。
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20160106/E1451348016454.html
0211吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 02:24:59.44
絓秀実

中村光夫は図書館に行っても読まねばならない!

『別冊宝島 現代文学で遊ぶ本』所収
0213吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 03:48:12.88
柄谷 あなたが花田清輝を書いたということはよくわかりますよ。ただ僕は花田は好きじゃないですけどね(笑)

絓 それは批評ってのはべつに対象が好きだから書くわけじゃないですから。中村光夫だって僕は好きじゃないし……。
読んでみて、いいと思わなきゃいけないみたいなところで批評なんてのはやっていくものだと思うわけです。
批評とは対象への愛だ、といったロマン派的批評の構造というのはまったく間違ってるんで、いいと思わせちゃうように書いていかなきゃいけないんじゃないかという気がします。

流動1980/3「ロマン派を越えて」

絓 ぼく自身、六八年革命説を信じているかと問われれば「?」がつくところもあるわけだし、今回インタビューした相手で言えば、津村喬を除けばだれも信じていません。
むしろ「なんですか?」というぐらいのものでしょう。

早稲田文学2005/1 68年と臨界点 井土絓丹生谷鼎談
0214吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 03:54:20.66
68年とは、

「さまざまに対立・拮抗する諸理論・諸思想が、その核心を穿つことを目指しながらも重層的な「誤認」を重ねた果てに可能となった「革命」に他ならない」

『革命的な、あまりに革命的な』P217
0215吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 04:02:56.35
秋山駿 あなたには「私」というものがないんですか?

絓 ないと言っちゃったほうがいいんじゃないですか。

秋山 面白いな。だったらあなたは何者だと言われたときに、どう答えるんですか。

絓 答えられないですね。

秋山 ああ、そうですか。そんならそれでいいんだ。アメーバみたいなもんですね。

流動79/4 ”戦後文学”論争をめぐって 柄谷絓秋山駿菊田均
0216吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 07:27:38.72
マルクス/森田成也・訳『資本論第一巻草稿──直接的生産過程の諸結果』
「経済学史上もっとも革新的な理論を打ち立てたマルクスが、自らの剰余価値論を総括し、資本の再生産と蓄積、資本の生産物としての商品生産について考察する。『資本論』全体を理解するうえでの最重要論考。」

田上孝一
その通りで、これこそが最も重要なマルクスの著作。

というか、最も重要な理論内容が明示されているということだが。

これを読まずしてはマルクスを語れないという、絶対に読むべき必読文献の翻訳が絶版だったわけだな。考えてみると凄いな。

国民文庫版は二冊読み潰した。滅茶苦茶な量の線引きがしてある。
0217吾輩は名無しである
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2016/01/12(火) 08:05:54.92
絓 僕はもう少し志が低くて、アジビラを書くようにして批評を書きたいと思っていたんですね。
そして、そのような批評から最も遠いように見えたのが戦後派文学の批評だったし、戦後派は小林秀雄とそんなに変わらないんじゃないかとも思ったんです。
花田清輝の初期なんかは、いい意味でアジビラじゃないですか。
 そういう意味で、僕にとって一九三〇年代と現在は連続していますし、その意味では僕は未だに、柄谷さんにバカにされる全共闘なのです。
『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』を読むと、ああ、これはアジビラ集だと思ってしまう。
それは、たとえばベンヤミンを読んでも変わらない問題ではないかと思います。

新潮1996/5 20世紀の批評を考える 柄谷絓福田和也

本書は一冊にまとめるに際しては、全体にわたって、ある程度の加筆・訂正がなされてはいるが、「時評」集として読まれれば、これに過ぎる喜びはない。

『小説的強度』あとがきhttp://d.hatena.ne.jp/YokoiMoppo/20080411

思想家もジャーナリストも、活動家となる途上の過渡的な在りかたにほかならない。

ガタリ『闘争機械』の書評 文学界1996/4

訳者・山本光久による異様なまでに情動的な訳注や、パセティックな響きをたたえた後書き「ラポルト、または限りなく《貧しいもの》へ」からも、これは単に、
ロジェ・ラポルトという日本では余り知られてこなかった批評家(作家)の翻訳紹介の書ではないかと知られる『プルースト/バタイユ/ブランショ』を読みながら、
ラポルトの「師」ともいうべきブランショが『踏み外し』以来、一貫して、語の最もプリミティブな意味でも、「時評家」であったことを、改めて恐ろしいと思った。

JUNK的なものをめぐって『JUNKの逆襲』所収
0219吾輩は名無しである
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2016/01/14(木) 07:23:46.66
「当時の私は、天沢退二郎の詩論集『紙の鏡』を『共産党宣言』のように読み、ブランショの『文学空間』や『来るべき書物』を『資本論』のように読んでいた、観念的な小ブル急進主義的チンピラ(今でもそうだが)だったから、」

詩(それ)の未来は、彼(エス)のものである『現代詩文庫 守中高明詩集』所収

「ともかく、私は詩を読むレッスンを『紙の鏡』から受けた。」

読書ノート『アミとわたし』稲川方人 文学界1988/11

「今日、天沢退二郎さんとご一緒に講演することについては、なにか因縁めいたものを感じています。
ぼくが批評らしきものを書きたいと思った大きなきっかけのひとつが、天沢さんの最初の評論集にあるのです。
高校の三年か、浪人していたころに、田舎の本屋で天沢さんの『紙の鏡』を手にとって読み、日本文学でもこれほどおもしろい批評が書けるのかと思った。
それまで読んでいた文芸批評はどこかつまらなく、『紙の鏡』はその欠落感をはじめて埋めてくれた本のひとつだったんですね。
その天沢さんと同席させていただいて、たいへん光栄ですし、なかば緊張しております。」

現代文学と歴史 早稲田文学1993/3
0220吾輩は名無しである
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2016/01/14(木) 15:32:23.89
ISOGAI 1
杉並書友会で『現代詩手帖1978.11』と講談社少年少女日本文学全集16『北畠八穂・北川千代』を。
現代詩手帖には古賀忠昭の「差別の中の詩と現実」が載っています。セリーヌ特集記事はリアルタイムで読んでますが、古賀は全く無視してました。
http://pbs.twimg.com/media/CYQsnSoVAAAUuwF.jpg
2016年1月8日
0221吾輩は名無しである
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2016/01/15(金) 22:29:44.40
山城むつみ 《中略》ただ、もう一本の「中国の拷問」がね。あれは訳がわからなくて、僕はものすごく苦労して読んだ、それでも最後まで意味がわからなかったんだけど、「なんだこりゃあ」というものがあった。
原石なんてものじゃない。もっと荒いもっと雑な、壊れたものながら、なにかがみょうに心にひっかかる。うまいへたは別として、これは小手先では書けないと思った。

《中略》

絓 おれもね、山城さんと同じことを感じたから、さっき言い難かったんですね、「中国の拷問」の人はキテるでしょう、かなり。
別の作品の話でもうしわけないんだけれど、「変態」とか「受難」とか、へンなキーワードがでてくるでしょう。それを隠せれば、ほんとうにキテておもしろいなと思うんだけれど……。

《中略》

いとうせいこう これは狂ってるというか……。

《中略》

絓 帰国子女というよりは、やっぱりキテるんでしょう、これは……(笑)。

【選考座談会】いとう絓松浦理英子山城渡部「噴出する言葉」をもとめて 早稲田文学2003/1
0222吾輩は名無しである
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2016/01/16(土) 08:49:08.13
猫飛ニャン助 @suga94491396 12時間12時間前
漱石没後百年とかで、またぞろ漱石本が出回りつつあるが、漱石に限らず没後何年とか生誕何年とかで文学研究者がつまらん利得を得る光景はホントにくだらない。
こういう光景見ると、研究者は十分利得得ており、文学部は潰れて良いと思う。誰がこの時代に、ホンキで「漱石に学べ」と思っているのか。

姜尚中と読む 夏目漱石 (岩波ジュニア新書)2016/1/21姜 尚中
夏目漱石という生き方 (別冊宝島 2424)2016/1/16
ノボさん(上下) 小説 正岡子規と夏目漱石 (講談社文庫)2016/1/15伊集院 静
本気で作家になりたければ漱石に学べ!: 小説テクニック特訓講座中上級者編 増補決定版2015/12/18渡部直己
世界文学の中の夏目漱石 (仮): 「形式」という檻2016/2/25武・アーサー・ソーントン
漱石と鷗外2015/12/1斎藤 明雄
坊っちゃん2016 主演: 二宮和也 DVD
気楽に愉しむ漱石入門『吾輩は猫である』上下巻 2015/12/1武田 邦彦 (著)
となりの漱石 (ディスカヴァー携書)2015/10/22山口 謠司
夏目漱石、読んじゃえば? (14歳の世渡り術)2015/4/22奥泉光
0223吾輩は名無しである
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2016/01/16(土) 08:55:18.58
小谷野敦 13時間13時間前
漱石没後百年とかでわしのところにも新書執筆依頼があったが断った。

小谷野敦 12時間12時間前
私は漱石的個人主義者だが、漱石礼讃者の多くは党派心に満ちて理非がない。
0224吾輩は名無しである
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2016/01/16(土) 09:53:43.09
Masaya CHIBA 千葉雅也 @masayachiba 1月14日
ラフに文明論的な言い方になりますが、日本というのは、生活から隔絶した超越性がうまく働かない国だと思うのです。知識人の役割もそれほど超越的なものにはならない。知識人もまた大衆性を強く帯びたことを言う、下品なジョークすら言うわけですね。

ところどころで下品な本音を言うコミュニケーションは、チラ見せくらいであれば日本文化の魅力として機能するのに、とにかく下品な本音を言っていけばいいという方向に世間全体が向かっており、
そのために、ときどきに燦めく下品さということの価値がダメージを受けている。

一部の過激に大衆主義的な政治家や、IT企業経営者などが本音主義を露悪的にやっていて、それこそ本当だというイデオロギーを蔓延させつつある。
これは日本文化の総−平民性、総−下民性のような背景から出てきているわけですが、その背景から出てきていながらそれを破壊するものなのです。

西洋的近代主義者ならば、日本の、超越性が弱いなかで下品さを垣間見せるようなコミュニケーションを、だらしない本音主義と一緒くたに糾弾してしまうかもしれません。私はこれには大いに反対です。問題なのはここでも、中間でありグレーゾーンである。

公的に「正しい」コミュニケーションをしながらも、ときにそれが崩れる――比喩的に言えば、着崩しが起こったり、足を崩したり、ネクタイがゆるまったりというようなことがところどころで起こる、それが言説のエロティシズムなのだからです。

それが色気であり、そういう微細なゆるみに日本文化は多くを賭けてきた。これは緊張感と不可分のゆるみであり、ただ本音を押し出せばいいというのは野暮以外のなにものでもない。
また、公共空間ではいつでも清廉にしていろというような近代主義者もこれまた野暮以外のなにものでもない。

だいたいこんなことを書いています。そのうち『ユリイカ』に載る予定です。予告編ということで。短い原稿ですが。

ジャン=リュック・ナンシーが、思弁的な話を書く途中で、アイドルのゴシップに雑感を言ったりするだろうか? 日本の知識人はそういうことを言う。そこに強みがある。このことは、まだ世界で理解されていない。
0225吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/16(土) 10:07:43.38
いま気づいた。
スガさんの言ってる「誰がこの時代に、ホンキで「漱石に学べ」と思っているのか。 」の「漱石に学べ」は、
渡部直己「本気で作家になりたければ漱石に学べ!」の「漱石に学べ」だったか。
0226吾輩は名無しである
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2016/01/17(日) 06:14:53.10
>>216の人。この人は文献学的マルクス学者というのか。ちゃんとこういうのにも反応するのか。

田上孝一 @tagamimp 2014年11月3日
『津村喬精選評論集』これは凄い!読み応えがあった。
アジびらがそのまま本になってたりと、時代を感じさせる。
研究者ではないので専門的な議論はないが、文章のセンスに唸らされた。
西郷論が素晴らしい。西郷=右翼という図式の一面性が強調されていた。
0227吾輩は名無しである
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2016/01/17(日) 08:20:27.81
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20050222
chiki:しんどいですよねー。でも逆に、「お前は真剣に人の話を聞いてない」「ちゃんと読めば私の意図が私の思ったとおりに伝わるはずだ」とか、
ちょっとそれますが「本当の恋愛を経験してない(自分の経験しているものこそが本当の恋愛だ)」という人は、もうね、ムッ殺したいですよ。

灯:難しいですね。自己愛っていうのはもう誰にでもデフォルトであって、しかもとてつもなく強固ですから、それは大前提で「ある」と思ってないと、コミュニケーションが始まらない・・・。

chiki:疎外論は最強の思想だ、というようなことをスガ秀実さんがよく言っています。それは、例えば大衆の原像を持ったほうがえらいということとはまた別だと思いますが、シニカルな現状で発言するためには意識せざるをえないですね。
0229吾輩は名無しである
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2016/01/17(日) 09:02:53.78
>>225
でも、それ昔の本の増補版でしょうw
スガ秀実が漱石に関して割と否定的なのは渡部もよく知っているはずだし
そのことに関して「情況」で対談していたはずだが
漱石のことをマルクスやニーチェ、フロイトと同時代人だと言っている場合ではないと
スガがその対談で喋っていたと記憶しているが
0230吾輩は名無しである
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2016/01/17(日) 16:05:39.39
エロたくにゃん
昨夜のゲンロン批評再生塾で、質問タイムに手を挙げた綾門君「荒唐無稽な批評って誰を読めばいいんですか」に対して佐々木先生が回答の中で「答えにくいな。あ、丹生谷貴志」て(笑)
0231吾輩は名無しである
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2016/01/18(月) 11:07:29.55
Masaya CHIBA 千葉雅也1月17日
受験勉強は暗記ゲームだからダメで、受験が終わったらさっさとそんなものからは解放されるべきで、大人になったら「現場」での学びこそ重要? それだけでは不十分だ。
受験勉強的なものを放棄した人と、密かに多分野で「一生受験勉強」を続ける人の間に、決定的な差がつく。
0233吾輩は名無しである
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2016/01/18(月) 12:26:56.86
<台湾アイドル>「国旗」掲げ騒動…「総統選に影響」指摘も
毎日新聞 1月17日(日)21時58分配信

 【ソウル米村耕一、台北・林哲平】台湾総統選の直前、韓国のアイドルグループで活躍する台湾人歌手、周子瑜さん(16)を巡る騒動が台湾で大きな波紋を呼び、選挙結果に影響を与えた可能性が指摘されている。

 周さんは昨年秋に韓国で活動を開始した日韓台出身の9人で構成するアイドルグループのメンバー。昨年末に韓国のテレビ番組の収録中に韓国の国旗と共に「中華民国(台湾)」の旗「青天白日満地紅旗」を振った。

 これが中国大陸のインターネットなどで批判を浴び、所属事務所は今月14日、中国のファン向けに釈明文を発表。総統選投票日の前日となる15日夜、周さんが黒い服を着て「両岸(中国と台湾)は一つだ」と述べ、繰り返し謝罪する動画を公表した。
すると、今度は台湾で「中国側の圧力を受けたのではないか」と反発が広がった。

 総統選では、独立志向が強い民進党が国民党を大差で破った。国民党幹部は16日夜、騒動が「敗因の一つになった」と記者団に認めた。
0234吾輩は名無しである
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2016/01/18(月) 12:48:50.82
川本直 @kawamoto_nao 1月17日
ライター講座みたいなのは効率が良いかもしれないが、「文学は学問ではない」(吉田健一)、
「物を書くことは教えられない」(ゴア・ヴィダル)という言葉に示されるように延々読書して引き出しを増やして模倣を繰り返してあとは情熱を持って売り込めればOK。講座なんて何も意味がない。

どうやったら物書きになれるかなんて聞いたこともない。我流で企画書を書いて、20社に電話で売り込んだだけ。あと知り合いの翻訳家さんに頭を下げた。

なんで自分で自主的に学ぼうとせず、何かと他人に頼ろうとするか、そういう人がいるのか、私にとっては永遠の謎だ。
0237吾輩は名無しである
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2016/01/18(月) 13:52:27.92
僕は慎太郎ファンだ。「海の地図」を絶賛した。ところが、この本の主人公の
相手の恋人だった女性チェリストの描写で、著者の音楽知識の浅さが露呈した。
新聞記者、弁護士、小説家は気の毒だと僕は常々思っている。なぜなら、守備
範囲が広過ぎて、何かについて触れるときに、その分野にある程度の知識があ
る人物が見れば笑止千万ということになりかねないからだ。著者がヨットレー
スについて触れるときは、僕はただ素直に読むだけだ。ほかの分野でも違和感
を感じたことはあまりない。ほとんど、僕が知らない世界のことだからだ。と
ころがこの本では登場人物の一人が音楽家だけに著者は音楽について触れない
わけにいかず、音楽好きの僕から見て致命的な誤りを犯している。女性チェリ
ストがコンサートを開催する場面、188p以下に「会場は有楽町の室内楽専
用のホールで」とあるが、演目は「新日フィルとのドヴォルザークのチェロコ
ンチェルトに始まり、次いでピアノとの共演でベートーヴェンのチェロソナタ
3番、そして最後はバッハの無伴奏チェロ組曲の独演だった。」としている。
まず室内楽専用のホールでオーケストラとのコンチェルトというのは無理だ。
オーケストラの代わりにピアノ伴奏によるコンチェルト(編曲があるとして)
はあり得るのだが。次に「ピアノとの共演でベートーヴェンのチェロソナタ]
とは、言わずもがなだ。ベートーヴェンのチェロソナタはチェロとピアノの
ためのソナタだからだ。
0238吾輩は名無しである
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2016/01/18(月) 13:53:20.80
致命的なのはバッハだ。主人公に同伴した「音楽に
詳しい」愛人が、無伴奏組曲に関して「これは凄く珍しいのよ」と解説し、
「ジャクリーヌ・デユ・プレがよく弾いていたけど」と続け、主人公に「イ
ギリスの有名なチェリストよ」と説明している。バッハの無伴奏はカザルス
が発掘し、バッハが旧約、ベートーヴェンが新約と言われているのは衆知の
事実で、チェリストが上記2つの音楽を演奏しないことはあり得ない。致命
的なのは191pで「独奏の演目は小品のアンソロジー」と言っている。無
伴奏チェロ組曲が小品のアンソロジーだというのだろうか、それとも女性チ
ェリストはドボルザークとベートーヴェンとバッハを演奏した後で、アンコ
ールに応えてチェロ独奏の小品をいくつか演奏したとでもいうのであろうか。
いやはや、小説家は難しい。おそらく慎太郎はヨットと海の描写では完璧な
のだろう。しかし音楽は無理だったのだ。都知事時代、新しい銀行を設立し
た時に銀行員はみんな驚いていた。なぜならば、色々な、理由、バックグラ
ウンドはあったが、80年代末から90年にかけてのバブルは、ひとつには
銀行の資金があまりにあまって融資競争をせざるを得ない状況があったから
だというのは衆知の事実だった。過剰供給産業だったのだ。そこに石原都知
事が新たに銀行を設立したのだから破綻は目に見えていた。小説家は難しい。
弁護士も新聞記者も難しい。そして政治家も難しい。でも、僕は慎太郎が大
好きだ。
0239吾輩は名無しである
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2016/01/18(月) 14:16:16.35
http://mainichi.jp/articles/20160117/ddm/015/070/029000c
今週の本棚・この3冊
中上健次 高橋一清・選

毎日新聞2016年1月17日 東京朝刊

カルチャー
本・書評
紙面掲載記事
 <1>岬(中上健次著/文春文庫/540円)

 <2>火まつり(中上健次著/文藝春秋/品切れ)

 <3>讃歌(中上健次著/文藝春秋/品切れ)
0240吾輩は名無しである
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2016/01/18(月) 22:01:30.11
スガさんの参加した68年関係。まだ見逃してると思う。映画芸術とかでもやってそう。最後の「六八年の思想(上下)」持ってない。
『LEFT ALONE―持続するニューレフトの「68年革命」』
『ブックレット重力NO.1 LEFTALONE構想と批判』
共同討議(1)六八年革命について 井土紀州、沖 公祐、大澤信亮、大杉重男、鎌田哲哉「重力2号」
共同討議(2)六八年革命と現代詩 稲川方人、松本圭二、井土紀州、鎌田哲哉「重力2号」
座談会 「一九六八年」とは何だった/何であるのか?―一九六八年の脅迫 蓮実重彦、上野昂志「1968 (知の攻略 思想読本)」
特集討議「1968」という切断と連続 佐伯隆幸,鵜飼哲,米谷匡史「悍 第1号 特集:1968」
青年・絓秀実の1968年 芹沢一也,荻上チキ「革命待望!―1968年がくれる未来」
対談 詩の快楽のゆくえ 北川透 「現代詩手帖2001/7 特集68年 詩と革命」
鼎談 68年と臨界点 井土紀州、丹生谷貴志「早稲田文学2005/1」
「68年」問題をめぐって 高橋 順一 , 府川 充男 「情況 第三期 2003-07」
六八年の思想(上) 高橋 順一 , 府川 充男「情況 第三期 2007/07」
六八年の思想(下) 高橋 順一 , 府川 充男「情況 第三期 2007/09」
0241吾輩は名無しである
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2016/01/18(月) 23:57:31.50
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion 2012年4月21日
小泉義之、長原豊、市田良彦、すが秀美、そして浅田彰が一同に会する、ものすごい飲み会に参加し、完全に圧倒されている。
0243吾輩は名無しである
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2016/01/20(水) 19:39:24.24
【近刊】2 月上旬予定『子午線 Vol.4』書肆子午線
B5 変型判/ 288 頁/ 2,000 円+税
ISBN978-4-908568-02-2 C0095 ¥2000E
内容紹介
!気鋭の批評家による連載開始
(中島一夫(文芸評論家
連載 帝国主義の尖兵──文学・転向・擬制
第一回 復讐の文学──プロレタリア文学者としての中村光夫
。2000 年に「媒介と責任──石原吉郎のコミュニズム」で新潮新人文学賞受賞 ◎
。『2014 年の一年間『週刊読書人』にて論壇時評を執筆。著書に『収容所文学論
理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』の著者の新たな展開』
特別寄稿 吉川浩満
フロイト革命の帰趨──合理性のマトリックスとロボットの戦い
──文筆家。著書に『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』、共著に『心脳問題◎
。(脳の世紀」を生き抜く」』『問題がモンダイなのだ』(06 年、ちくまプリマー新書」
69 年 -72 年の意識を先鋭的に持続してきた詩人の具象的風景
(ロングインタビュー 稲川方人(詩人・映画評論家
古賀忠昭病床日記

中尾太一 太田 潤 薄井 灌 遺稿詩篇 安川奈緒
論考
木藤亮太 柳田國男論──柳田國男とクロポトキン
石川義正 「新国立競技場問題」をめぐる二つのフィクション
長濱一眞 「戦後 70 年」の国民
大澤 南  戦後詩にこたえる三好達治
0244吾輩は名無しである
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2016/01/20(水) 20:00:58.84
すがさんまだ2ちゃんやってるの?
0245吾輩は名無しである
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2016/01/20(水) 21:00:12.14
木藤亮太 柳田國男論──柳田國男とクロポトキン

この人はスガゼミ出身の人なのかな。副題の組み合わせからして。楽しみではある。

猫飛ニャン助 2015年11月5日
柳田国男を民俗学に導いた文学書ではハイネ(『流刑の神々』)とアナトール・フランス(『白い石の上で』)が有名だが、前者は分かりやすいが、後者は単に黄禍論(批判)の問題なのか。
むしろ、クロポトキン主義とも共鳴する、その進化論的ユートピア的社会主義ではないのか。この指摘すでにあるかな?

贅言だが、ハイネがマルクスと付き合いあるからといって柳田をマルクスと結びつける柄谷説は贔屓の引き倒しで証拠ない。
なお、私はアナキズム批判として、上記のこと言っている。『白い石』はドレフュス派フランスがもっとも左傾化した時の小説。研究者の教示請う

猫飛ニャン助 2015年10月15日
柳田国男の農政学は「近代的」と評価される。それは、柳田が民俗学に転回して以降も、農政官僚(石黒忠篤〜和田博雄)や東畑精一らによって継承された。
しかし、その「近代性」は、相対的に、天皇制とその基盤たる農村を解体する方向性を持った。このディレンマを勤皇家・柳田は自覚していただろう。

柳田は戦後天皇制の理論づけとして「新国学」を提唱したが、後に、そのネーミングは失敗と回顧しているが、それもこのディレンマと関係しているか?
0246吾輩は名無しである
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2016/01/20(水) 21:02:01.57
猫飛ニャン助 2015年9月23日
私の国民皆兵の主張は20年くらい前から、随時公言してきたが、ここにきて柳田「研究」の成果と諸情勢で押し出しているもの。
強く、「権利」としての国民皆兵である。イロモノ的な、ネタ(井上達夫)でもなくSF(ジェイムソン)でもなく、マジに論証するつもりだ。というか、準備はできている。

猫飛ニャン助 2015年9月18日
「読書人」9月18日号掲載の拙文は島田裕巳『戦後日本の宗教史』に事寄せて私の柳田國男批判の梗概半ばを記したが、「柳田は日露戦後に農政官僚」というのは誤り、戦前。
ただ、柳田農政学は日露戦後の帝国主義化への応接である。なお、私見のもう一つの柱である柳田のアナキズムについては、また。

猫飛ニャン助 2015年8月23日
吉田茂と柳田国男によって作為された戦後天皇制=安保体制は、今や自明化して疑われることさえない。安保法制は疑われても、である。柳田批判を共同研究している学生の論文草稿読む。
問題提起としては、とりあえず良い。大衆的な反響など期待しないが、これが発表されれば、考える人間は考えるだろう。

猫飛ニャン助 2015年8月2日
1945年8月の敗戦とは、フロイト的『トーテムとタブー』神話の再演だっただろう。米国に代行してもらった父殺しとは、敗戦と天皇の人間宣言、トーテム化とは一億総懺悔であり、柳田国男=吉田茂による祖先崇拝としての天皇制の再建である。
三島由紀夫の言とは違って、単純に人になったのではない。

猫飛ニャン助 2015年7月30日
1960年代の農村解体で、戦後天皇制が危機に瀕し祖先崇拝に関心持たぬ創価学会が台頭するという図式、前者のイデオローグ柳田国男と後者の創設者・牧口常三郎との密接な関係をより考慮すればどうか。
皇室の核家族化(創価学化!)で天皇制消滅しないだろう。島田裕巳『戦後日本の宗教史』読んで。

創価学化→創価学会 なお、鶴見太郎に『ある邂逅――柳田国男と牧口常三郎』(潮出版社)あり、柳田「教会」でもある鶴見家が創価学会とも深い関係にあることから書かれ、出版されたことが推測できる。
0248吾輩は名無しである
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2016/01/20(水) 21:07:30.04
猫飛ニャン助 2015年7月26日
こんなこと言っても理解されぬだろうが、SEALDs−明治学院−鶴見俊輔−柳田国男を繋ぐ、謀略史観と疑われかねぬ、mixi巨匠の戦中戦後史論議に興奮する。
天皇制護持を一義的な目標とした戦後柳田を、「思想の科学」がいち早く評価したのはなぜか。こういった論議、twitterではできぬ。

猫飛ニャン助 2015年7月14日
『石黒忠篤伝』(1969)いろいろヒント多いが余談として、石黒と猪俣津南雄(5歳下)の出生地は同じだ。互いに名前くらいは承知していたろう。
近衛内閣農相時の石黒農政を晩年の猪俣はどう見ていたのか、同じく柳田農政をリスペクトする者として。全く別途、小泉義之のブログの文章に心洗われる。

猫飛ニャン助 2015年7月10日
『デモクラシー・プロジェクト』(航思社)近刊の、オッキュパイのイデオローグたるデヴィッド・グレーバーが標榜するアナキスト人類学に準えれば、柳田国男はアナキスト一国民俗学か。
違いは、戦後の柳田が、すでに権力を握っているから世界を変えられる、と思っているところか。発想に大差ないとも。

猫飛ニャン助 2015年7月6日
船木裕の忘れられた名著『柳田国男外伝』によれば、柳田は生涯「官僚」であり戦後吉田茂政権の影の大臣だったが、それは単に天皇制存続に尽力しただけでなく、更に敷衍すれば農地改革を占領軍とともに遂行する農政の黒幕でもあった。
キーパーソンは石黒忠篤、東畑兄弟以上に、和田博雄(農林大臣)。

猫飛ニャン助 2015年7月3日
ラピュタ阿佐ヶ谷でレトロスペクティヴ開催中の映画監督・沖島勲の死を知る(密葬という)。尊敬するひとの死に接すると、何時もどう振る舞ってよいか途方に暮れるが、静かに記憶を反芻するしかない。
沖島の厖大な「日本昔話」は柳田国男批判だったんではないかと、ふと思う。これ、もう少し考える。

猫飛ニャン助 2015年6月29日
『柳田国男全集』34巻新刊出したばかりの編集委員・小田富夫氏に会い貴重なレクチャー受け、当方の暴論も聞いていただく。
「家存続の願い」などクソ食らえ、とは当方の柳田論のモチベーションだが、柳田家も国男の思惑どおり幸せに存続しているのか。家は滅びて当然であること、身を以て知るとよい。
0249吾輩は名無しである
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2016/01/21(木) 11:06:08.04
猫飛ニャン助 2015年6月15日
「女は存在しない/女はモノである」(ラカン)。村井紀『南島イデオロギーの発生』は、「日本とは何か」を問うた柳田に、サイードに倣って「日本なるものは存在しない」と執拗に告発した破壊力があったが、「日本はモノである」という面に目を向けなかった。
村井本では左翼の柳田への転向阻止できぬ。

猫飛ニャン助 2015年6月6日
柳田国男は「官吏などで無政府主義者の著述なぞを愛読してる人がある。非常な矛盾じゃないか」と発言している(1908年)。
もちろん、これはクロポトキンを愛読する自分のことを言っている。大逆事件前だが、後でも柳田はそのこと隠さない、村井紀本も、この発言を引用しているが、解釈は異なる。

猫飛ニャン助 2015年6月4日
柳田国男と折口信夫の対立要因の一つは、折口に資本主義論が欠けているところ。柳田は、多分、有賀喜左衛門ー土屋喬雄の線で、日本資本主義論争をwatchしている。
折口=マレビト説は容易に資本主義論に転用可能だろうに、折口の教養の範囲でない。まあ、さすがに天皇=商人とは言えんだろうが。

川村二郎以来の折口信夫論は、ベンヤミンを(スピリチュアリズムを、バタイユを、クロゾウスキーを、デリダを、アガンベンを)参照すること通例だが、
ベンヤミンには資本主義論(批判)があったことを忘却しており、ひいては、折口の天皇制翼賛について不問に付し、自らも肯定する仕儀となる。

猫飛ニャン助 2015年6月1日
人類学は西欧帝国主義の娘(レヴィ=ストロース)だが、柳田国男もそのこと知悉しており、対して、日本民俗学が後発帝国主義の自意識だとも誇らしげに主張する。
また、非常民(木地師)が天皇制に魅惑されていることも早くから論じて、しかもその「山の人生」の「お暗さ」に詩的に惹かれていたようだ。

猫飛ニャン助 2015年5月24日
柳田国男論の単著持つI氏、民俗学雑誌編集の経験ある0氏と歓談+バカ騒ぎ。柳田農政(→民俗学)の思想は、まず昭和研究会に吸収されたのではないか。
柳田は同会で講演しており、石黒忠篤、東畑精一もいる。だとすると戦後の柳田ルネサンスは昭和研究会の亡霊ではないか。この仮説しゃべるのを失念。
0250吾輩は名無しである
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2016/01/21(木) 11:08:39.32
猫飛ニャン助 2015年5月12日
1960年代以降の柳田国男ブームは吉本隆明的「大衆の原像」の文脈と見做されること多いが(村井紀)、花田清輝の「前近代を否定的媒介にして近代を超える」という柳田論を承けてもいた。
花田吉本論争は花田の「敗北」で終わっていたにもかかわらず、である。で、おれは花田テーゼには批判的です。

猫飛ニャン助 2015年4月22日
柳田国男は転向左翼には好意的だったが、右翼農本主義についてはその「詩人的」ラディカリズムを斥けていた。
しかし、「解党派」(水野、浅野)とは親しく交際していた。これは、単に水野がアナトール・フランスの訳者だったからではあるまい。解党派は農本主義ではないが「詩人的」でもあったろう。

猫飛ニャン助 2015年3月10日
柳田国男にはプルードンやオーエンも入っているが、明示的にはクロポトキン。クロは幸徳や啄木の占有ではなく、小谷野敦も注記していたはずだが明治期末から大正期の支配的な思潮。
「柳田とクロ」という研究は、これまでない。おれたちの「研究」発表までは時間かかるので、パクリ防止のため公開。

猫飛ニャン助 2015年3月10日
なんリベにとって小沢一郎、自民党リベラルやピケティやメルケル、ついには天皇や皇太子までがアジールになってしまうのは、転向左翼が柳田国男に行く歴史の反復だが、
それは結局、柳田がある種のアナキズムと親和的で、柳田が資本主義の枠内の思考(権力取らずに世界を変える)だったことに由来する。

猫飛ニャン助 2015年3月1日
柳田国男の『故郷七十年』再読していたら、柳田も作品寄せている民友社刊『抒情詩』の初版が千部とあり、一驚。
今の時代で、初版千部の詩集など、まずありえまい。あの時代の雰囲気が今一つピンとこない。山形閥たる柳田農政の近代主義と、山県有朋の地方改革(封建制温存)との関係など、考える、

猫飛ニャン助 2015年2月3日
友人の院生と共同研究している柳田国男に関し、『全集』編集委員の小田富英からレクチャー受ける。
小田氏とは、昔、多少の縁あり。大逆事件に接した時の柳田など示唆されること多く、われわれの研究のプライオリティーを確信する。折しも、柳田農政の「実現」であった農協が解体の途に就いている。
0251吾輩は名無しである
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2016/01/21(木) 11:09:24.56
猫飛ニャン助 2015年1月6日
今年3月で勤務校退任で残務処理ウザイが、改めて、大学教員というのが特権的で、そこに安住していたことに忸怩たる思いあり。今後も多少は物書くとして、加齢の身で、環境をどう作るか定められぬ。
先ず研究室から運ぶ本を置く場所ない。引越し業者の見積もりの落差にも驚愕。明日は葬儀で雪国へ。
0252吾輩は名無しである
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2016/01/21(木) 12:45:52.38
絓 《中略》 共感しなくてもね。なぜかと言うと、これまでの文脈で言えば、現実界を塞ぐ言葉、ニヒリズムを塞ぐ言葉を福田さんは全然信じてないわけでしょう。

福田和也 まあ、折口の域まではいかないんで、本当は神様が耳でしゃべってくれるところまで行ければいちばんいいんですけどね。それでも、自分が、「やまと歌」の持続の中にいるとは思っていますよ。それを否定するか肯定するかは別として。
それが「日本」ということだし、自分の発する言葉がその持続の中から出ていることをふまえなければ、批評も何も始まらないと思います。

絓 それはわかるんだけれでも、ぼくには詐術だっていう気がする。嘘だとわかっているくせに、何でそんな言葉で塞いでしまうのかという感じは、常にしているんですけどね。

福田 別に信じてないわけじゃないですよ。

絓 信じようと思ってる?

福田 いやいや、そうはしない。

絓 少なくとも、読者はおそらく信じられないと思う。福田さんだって信じてないわけだから。そのあたりが福田さんの新しさであると同時に、ずるさでもある。
福田さんを右翼と言っていいかは別として、これまでの右翼はルサンチマンでやっていたわけですよ。そう思っていれば、表象しえぬ現実界をあえて表象して塞ぐ言葉を信じられる。ただルサンチマンを全然もってないからね、福田さんは。

柄谷 いや、それはどうかわからんよ(笑)。

共同討議「《戦前》の思考」小林康夫絓西谷修福田山城むつね浅田彰柄谷 批評空間第二期第一号1994

>>217を踏まえればスガさんにとって「現実界を塞ぐ言葉、ニヒリズムを塞ぐ言葉」は、スガさんもリツィートしていた↓「活動家の言説」(の近傍)といえるかもしれない。
猫飛ニャン助さんがリツイート
Axiomatique @TinyPunks 8月13日
たぶん「分析家の言説」を含むラカンの所謂「四つの言説」ではヘイトスピーチを解消できない それができるのはおそらく第五の言説――私は具体的にはバディウの言説とバディウの活動家としての本質を見抜いた外山亘一氏を念頭に置いている――「活動家の言説」ではないか
0253吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/21(木) 13:06:00.84
左翼だってルサンチマンでやってる奴ら沢山いるじゃない。極左はほとんどそうだよ。
0254吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/21(木) 13:07:15.98
極左の定義は官邸前や国会前のシングルイシューの大抗議に団体旗を下ろして参加できない奴ら。
0255吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/22(金) 12:35:43.65
http://www.jimmin.com/htmldoc/157001.htm
2016新年対談
いよいよ 面白くなってきた 
アンダークラスの視座から撃て

廣瀬 純 (龍谷大教授)×小泉 義之 (立命大教授)

(小泉義之)「安倍政権は、反資本であり反貧困であり反排除です。まさしく国家社会主義者として、「軍需産業で労働者の雇用を守る」とも主張しているのです。
そういう安倍政権と戦うからには、新たな戦線を開かなければならないに決まっています。」
0258吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/22(金) 22:20:08.95
定期的に書き込みがあるのに全く会話が存在しないのがこのスレの特徴だね。
0259吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/23(土) 20:31:19.35
「現代文学芸術運動の基礎的研究――大西巨人を中心に」
公開ワークショップ「大西巨人の現在――変革の精神の系譜」

日時:2016年2月27日(土)13時〜17時
場所:二松學舍大学九段キャンパス1号館401教室

プログラム

研究発表(13時〜14時30分)
 石橋正孝(立教大学観光学部助教)「ネットワークとしての大西巨人蔵書」
 田中正樹(二松学舎大学文学部教授)「大西巨人と漢詩文」

講座(10時〜12時)
 川光俊哉氏(脚本家)「舞台『神聖喜劇』を上演するために」
+ラジオ・ドラマ『神聖喜劇』鑑賞

※特別展示:大西巨人が墨書した作品を、会場に展示します。

聴講無料・事前予約不要
問い合わせ先 二松學舍大学東アジア学術総合研究所
   〒102-0074 東京都千代田区九段南2−4−14 4号館
        TEL 03-3261-3535
       FAX 03-3261-3536
0262吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/26(火) 07:05:27.51
番組後半に保守系ネットアイドル獅子座なお。こんなのにもアイドルがいるとは。知らなかった。
0263吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/26(火) 08:34:03.98
獅子座なおってアイドルなの?だいぶ歳とってるけど。関西で相当昔からヘイトデモを多数開催している筋金入りのレイシスト。
こいつのデモには大阪市議会に先日カラーボール投げ込んだレイシストも参加していた。獅子座なおはそいつが映る映像を削除。
0264吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/28(木) 21:41:38.48
小笠原晋也 1月27日
日本会議に関しては,神道的な祖霊崇拝が日本会議を可能にしているのであって,逆ではありません.もし仮に日本会議を非合法化し得たとしても,日本における下司の言説の解体は実現しません.
日本が本当に罪から解放されるためには,神道的な「父の名」崇拝そのものを閉出する必要があります.

猫飛ニャン助
主に戦後の柳田国男の祖先崇拝論と戦後天皇制については、どうお考えですか。私は1945年において父の名Aにスラッシュが引かれた(一億総懺悔=トーテム化)と考えているわけですが。

小笠原晋也 3 時間3 時間前
Bonsoir, mes amis !「柳田国男の祖先崇拝論と戦後天皇制についてどう考えるか」という御質問をいただきましたが,柳田国男は全く関心範囲外ですので,お答えしようもありません.
確実に言えるのはこれだけです:日本の歴史において YHWH が直接己れを啓示したことは無い.

Lacan の mathèmes の使用に関しては,皆さんそれぞれ独自の解釈をお持ちでしょうから,お好きなうようにしてください.Lacan は学素 Ⱥ を「不可能な Autre-de-l'Autre」と定義します.Ⱥutre は,他の欲望として,精神分析の基礎です.

なぜ YHWH が日本の歴史において己れを啓示することはなかったのか?それこそ「神のみぞ知る」ですが,思いつける理由はこうです:
日本では人間は自然の豊かな恵みに満たされてしまっており,また,日本の支配階級全体が壊滅することはなかった.つまり,本当に死と滅びに出会うことはなかった.

勿論,局所的には地震を始めとする自然災害や,それに起因する飢饉により,多くの人々が亡くなることは幾度も起きましたが,日本全体が黙示録的状況に陥ったことはありませんでした.
1945年の敗戦直前でさえ,破壊されたのは主要な大都市と軍事施設であり,田舎には戦禍は及びませんでした.
0265吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/28(木) 21:42:23.46
小笠原晋也
ついでながら,第二次世界大戦終結直前でも比較的無事であった田舎は,死と滅びに直面することがなかったがゆえに,歴史の真理を否認する日本会議の温床となることになります.

沖縄は例外です.沖縄は,米軍にとって日本本土侵攻の中継地としての軍事的意義の故に,過剰な戦禍を被りました.
一般市民の生命の尊重を考慮しない現代の軍事テクノロジーは,第二次世界大戦から今に至るまで変わりません.沖縄でもシリアでも同じことが繰り返されています.

YHWH が歴史的に己れを啓示した地域には,全体として見れば,日本のように恵み深い自然はありません.
水は乏しく,荒れ野が広がっています.荒廃と死は常に身近です.また,ユダヤ人は,バビロン捕囚と呼ばれる支配階級の壊滅も経験しています.

そのような終末論的な破局においてこそ,YHWH は己れを啓示します.そのような事態こそが,YHWH との出会いを可能にします.日本では,そのような全体的な破局が起きたことは,歴史上一度もありません.

破れ,穴,裂け目,そのようなものを本当に経験したことがない.それをとおして実在と出会ったこともない.
つまり,絶対的な他 Ⱥutre が己れを啓示したことがない.そのような事態が,Kojève の言うところの「純粋状態におけるスノビズム」を日本において可能にしています.

猫飛ニャン助
ありがとうございました。私見は(「今上帝」夫妻についても含め)やや異なるのですが、長くなりますので割愛いたします。ご意見も参考にしながら、そのうちに何らかのかたちで公にする心算でおります。失礼いたしました。
0266吾輩は名無しである
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2016/01/28(木) 21:47:09.13
「LEFT ALONE」の話しようよ。
0267吾輩は名無しである
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2016/01/28(木) 21:47:40.65
小笠原晋也 3 時間3 時間前
戦後の天皇制についてもわたしは全く非専門家です.ただ,今上天皇に関しては,父の罪を敢然と引き受け,贖罪のために戦争被災地訪問を高齢にもかかわらず続けていらっしゃることに,彼の真摯さを見ずにはいられません.
全くの憶測ですが,今上天皇は美智子皇后をつうじてキリスト教に触れています.

周知のように,美智子皇后はカトリックの学校で初等教育も中等教育も高等教育も受けています.
天皇御夫妻の謙虚で真摯な贖罪の姿勢には,神道の日本会議の者たちには無縁の「罪を全面的に引き受けることによる罪の赦し,罪からの解放」というキリスト教の教えに従っていることが見てとれます.

皇太子御夫妻にも是非,天皇御夫妻の「隠れキリシタン」的な実践を継続していただきたい,と思います.
0269吾輩は名無しである
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2016/01/28(木) 22:05:09.97
柳田國男関係

猫飛ニャン助 2014年12月19日
「読書人」2014年回顧号(12月19日号)で宇野派で吉本隆明リスペクトのの新田滋が拙著『天皇制の隠語』を「独断と創見」と評してくれ嬉しいが、柄谷行人を「信奉する」というのは、拙著に即して違うし、中国論、柳田論についても、おれは批判的。
柳田については、そのうち異論披瀝しようかな。

猫飛ニャン助 2014年9月17日
大学院のゼミに出ている女子学生(反天皇制歌人?)が椎葉村の出身だと知り、橋浦泰雄に倣い原始共産制の原型見に行こうと皆でバカ盛り上がり。確かに彼女、山人風w。
柳田國男の発想の原型なすと思われるエッセイを院生とともに見出したが(とりあえずヒミツ)、はてさて、それをどう展開できるか。

猫飛ニャン助 2014年8月31日
重さ厚さに堪え1.8k本『柳田國男伝』(三一書房)通読。いろいろインフォーマティヴではあった。柳田國男の「容共」リベラリズムは、民俗学研究所末期、下部研究員の労組結成に激怒する程のものだった。
リベラルなら厭でも許容しないとね。柳田の天皇敬愛は、今のなんリベの先駆者のように見える。

猫飛ニャン助 2014年8月15日
祖先信仰皆無にて、8.15は柳田國男を「小ブル的農本主義」と批判した赤松啓介の本を少し捲る。島木健作が柳田に行かなかったのは、水野・浅野ら解党派に対する反発からか。
五十(六十)肩再発恐れ積ん読の1.8k1200頁本とは『柳田國男伝』で、著者たちはおれの周りにあったマジメな人々。

猫飛ニャン助 2014年8月9日
すんなり(そのこと自体が期待外れだったが)800頁1.2kの本を読んだ後、ちょっと必要あって1200頁の本を読もうと思って量ったら1.8k。
机に本置いて読書の習慣ない者には辛く、肩凝りになること必至で、読むこと躊躇。重くて厚い本はスゴイ、と見なす風潮いつからか。やめて欲しい。

猫飛ニャン助 2014年8月2日
あの小笠原晋也センセーが村上春樹ファンらしきこと知りガクッ。昔、丸山圭三郎センセーが遠藤周作を絶賛しているの見てウンザリしたことを想起。
ドストエフスキーだカフカだと言っている分にはバレないが、自称「思想家」が日本の作家に言及し始めると何かがバクロされる。これも後進国の宿命か。
0271吾輩は名無しである
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2016/01/28(木) 22:27:19.60
浅田彰:ファム・ファタールとラカニアンの敗北

ジャック・ラカンの影響を受けた(直接精神分析を受けたわけではないに せよ)人物が妻を殺してしまう。 ルイ・アルチュセールではなく小笠
原晋也のことである。 今でこそ日本でもラカンに関するかなり良質な解説が出揃っているけれど、 私が『構造と力』(勁草書房、1983年)を書
いた頃は翻訳も解説もほとん ど意味不明に近かった。 それだけに、私よりひとつ上の1956年生まれで、ラカンの後継者である ジャック=アラ
ン・ミレールに師事した小笠原晋也が、ラカンの八つの論文 をできるだけ論理的に解読してみせた『ジャック・ラカンの書』(金剛出版、 1989
年)を出版したときは、日本でもやっとまともなラカン派の書物が 出たという印象をもったものだ。 その内容は古びておらず、つい最近も、ラ
カンを読みたいという学生に、 参考書のひとつとし薦したくらいである。
0272吾輩は名無しである
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2016/01/28(木) 22:45:20.19
小笠原晋也 2015年3月9日
Bonsoir, mes amis ! わたしの旧著『ジャック・ラカンの書』に関して御質問をいただきました.
あれを書いたのは今から27年前,1988年の復活祭のころで,大部分が Jacques-Alain Miller の受け売りです.

小笠原晋也 2015年3月9日
したがって,『ジャック・ラカンの書』で書いたことを今も全部肯定することはできません.版元でも絶版にしているはずです.つまり,賞味期限切れです.あの体裁のまま改訂するつもりもありません.

小笠原晋也 2015年8月15日
『ジャック・ラカンの書』がとんでもない値段で売られていると今日聞きました.この本は今はもう読む価値はありません.東京ラカン塾精神分析セミネールにいらっしゃるか,この精神分析 Tweeting Seminar をお読みください.
0273吾輩は名無しである
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2016/01/28(木) 22:54:40.38
なあ「LEFT ALONE」の話しようよ。
0274吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/29(金) 22:10:23.92
hyperyon-gon
落語とかお笑いとかビジュアル系とかまで含めて儒教なんだろう。お笑い番組を面白いと思ったことがない。
藤幡正樹氏がお笑いが唯一まともといっていたが、文脈がある。権力もお笑いも同じ穴のむじなだよ。
批評性は、彼が抽出できるということはあるのだろう。孤独だなぁ。

儒教、儒教、儒教。どこまでいっても儒教。大衆すら疑問に思ってない。
批判意識の萌芽を期待できるのはマルクス主義だけだが、彼らが宗教批判としての儒教批判に取り組むだろうか?藤田省三?橋川文三?

脱構築するというのなら儒教=天皇制を脱構築してほしいものだ。それをやらないのはポモ哲学者が儒教を信じていないからだ。
デリダがいうとおり、脱構築は信じているものに対してしか通用しない。

「私の個人主義」なんて通用するのか?すべてを儒教に作り替える力

森喜朗首相の「天皇の支配する神の国」発言は注目されなければならない。
無視されているかことが逆説的に彼の言葉こそが日本の政治原理であることを示している。儒教、即ち個人崇拝の国なのだ。

それは9条は無意識の要請という柄谷行人の分析に対する
「いや、昭和天皇が命令したから守っているだけで、土俗的で弱い精神が拠り所の命令に従っているだけでプレモダンなものだ」
というすが秀実氏の批判とも合致する。
2016年1月29日
0276吾輩は名無しである
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2016/01/30(土) 01:30:16.72
有名かもしれないが渡部直己書誌http://carolkari.exblog.jp/i17/2/

●1983(昭和58)年
[インタビュー]村上春樹 アナログで書かれた「物語」 『日本読書新聞』1月31日号

村上春樹に渡部直己がインタビュー読みたい。
0277吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/30(土) 01:52:35.05
杼 第1号 特集;批評・読むための詭計
杼 第2号 特集;「柄谷行人」考える機械 発行年月:1983.12/139p
杼 第3号 特集;伎・技・欺・擬.戯れる小説 発行年月:1984.7/143p
杼 第4号 特集;政治の言語.言語の政治 発行年月:1985.4/149p
杼 第5号 特集;記号のポルノグラフィー 発行年月:1986.2/139p
杼 第6号 特集;恋している批評の姿態 発行年月:1987.7/149p
0278吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/30(土) 07:52:37.51
>>276
へーこれは知らんかった
0279吾輩は名無しである
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2016/01/30(土) 08:31:06.95
渡部直己は村上春樹をバカにしてるっていうイメージがあったな。インタビューなんてしてるのか。
0280吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/30(土) 08:52:52.62
渡部の筒井康隆本て誉めてんの貶してんの?

断筆宣言のころボロクソ貶してた記憶あるけど。
0281吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/31(日) 14:45:40.00
猫飛ニャン助
偶々読んだ『文芸思潮』(アジア文化社)掲載の、高橋三千綱(芥川賞作家である!)の短篇連作小説「居酒屋よっちゃん」が、
近松秋江ばりのぐだぐだ私小説で、思いのほか良いのに一驚。ただ、こういう作家を「熟成」させていく環境は、今の「文壇」にはあるまい。
2013年4月26日

ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病
高橋 三千綱 (著)
出版社: 幻冬舎 (2016/1/27)
0282吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/31(日) 17:52:53.02
猫飛ニャン助 7時間7時間前
すでに模索舎など都内一部書店には置かれている「子午線」vol.4入手、読み始める。同人の長濱一眞「『戦後70年』の国民」は反安保法制運動をルソー的民主主義=全体主義の論理に照らしての批判的検証で、この種の試みのなかでも出色。
しかし、長濱の特異な「文体」、保田与重郎とも違うなぁ。

「子午線」vol.4長濱論文の読み処の一つは、SEALDs等への杜撰な「市民運動」規定斥け、「市民社会」縮減下での、ルソー的「自然人」の一般意志形成運動と捉えている点。
ポスト「ドブネズミ」が「自然人」というべきか。SNS上で行われている野間易通×外山恒一論争への介入ともなろう。

誤解ないよう付言するが、これは昨今のナイーヴな、高橋源一郎などに見られるルソー主義礼賛への批判である。長濱の博論(未見)はベンヤミンとシュミットの対質を追ったものというが、おそらく、その観点が此の論文にも生かされているのかと思う。

長濱 一真
非常事態/例外状態をめぐって : ベンヤミンとシュミット
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/handle/10466/11490

啓示と星座 : ベンヤミン「認識批判序説」について
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/handle/10466/12847

ヴァルター・ベンヤミンの初期言語論断片と「言語一般及び人間の言語について」 : ベンヤミンのラッセル記述理論への応接から
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/handle/10466/10689
0286吾輩は名無しである
垢版 |
2016/01/31(日) 18:48:02.02
これ貼ってる人は話し掛けても反応しない。会話してボロが出たら怒られるからじゃないかと思う。
0290吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/04(木) 03:04:49.52
編:アンダークラスの側に立ちきるというお2人の姿勢は何に由来しているのでしょう。

小泉:ぼくは北海道の国鉄労働者の息子でして、福祉も医療もない時代の貧困者を身近に知っていました。当時の国労はいわばプロレタリアートのエリートですけど、周りは貧困地帯でしたから。
ぼくは、貧困者のプライドというか、貧困者は自力でやっていくっていうことがわかる。
そういう感覚をずっと持っています。そういう観点は失いたくない。それが出発点ですから、政治経済の領域では、端的に大学人やインテリが嫌いなんです。

あと、昔のプロレタリアートの気風、左翼の作風、悪口の言い方、暴力への対応の仕方、あの程度で暴力って言うなよ、とかね。そういうことをキチンと伝えたいと、ある時期から思っています。

廣瀬:ぼくは勉強によってですね。勉強すればひとは必ず左翼になる。右翼とか保守の学者というのが世界中どこにでも存在していますが、彼らは端的に言って勉強が足りないからそうなっているだけです。
0291吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/04(木) 21:36:25.64
小谷野敦

若い頃の私は小林にかぶていて小林流の文章を書いていたが、三十五を過ぎるころから意識的にそれをやめた。

「『こころ』は本当に名作か」P163新潮新書

小谷野敦は1962年生だから1997年頃まで小林秀雄的なパラダイムで教養形成していたのかもしれない。
0293吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/04(木) 23:16:31.89
http://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20160205_2.html
2016年3月号
特別鼎談「死を擬態し、生を超える」横尾忠則+瀬戸内寂聴+浅田彰

浅田 そういえば、二〇一五年十二月九日に亡くなった野坂昭如さんの『真夜中のマリア』(一九六八年雑誌連載、六九年刊行)に、三島に憧れて三島そっくりになった男と、
横尾に憧れて横尾そっくりになった男が、銭湯で「横尾風壁画」をバックに愛を交わすのを見るシーンがある(笑)。
ただ、あれは野坂さんの同性愛に対する認識不足を露呈するシーンで、「そっくり三島」は筋骨隆々たる体に憧れる女役、「そっくり横尾」はその逆だから、本物とあべこべになるというけれど、そもそも三島さん自身が明らかに女役でしょう。
いずれにせよ、寂聴さんの断言された通り、横尾さんにはまったくそういう指向はなかったわけですね。
0294吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/05(金) 22:11:41.67
子午線vol4の中島一夫の中村光夫論読了。風俗小説論ほか薄いの数冊およびスガさんの中村光夫論しか読んでいなかったが楽しめた。
引用されてる蓮實スガ対談「中村光夫の転向」以前読んだが知識なさすぎて何もわからなかったが、この中島論文でかなり中村光夫像がクッキリしてスリリングだった。
読みやすいと思う。お勧め。

「リアリズムとは、現実を模写することではない。言葉が、本質的に抽象的な記号である以上、現実をそのまま写すことなど不可能だからだ。
にもかかわらず、現実が模写されているかのような、現実と言葉が等価交換されているかのような擬制が働いているのである。
だから、リアリズムとは本質的に、言葉が仮構的なものでしかないことに対する「抵抗」としてしかあり得ない。
今であれば誰でも言語の物質性などと、(しかし政治を本気で思考することなく)語るだろうが、中村光夫の批評が初めからそこに照準を当てていたことには、やはり驚く。」P12
0295吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/05(金) 23:21:26.65
【美の世界・国のかたち】桶谷秀昭、「昭和精神史」と「戦争の昭和史」[桜H28/2/5]
https://www.youtube.com/watch?v=3y4ms5yLHgM

チャンネル桜に桶谷秀昭が登場。

福田和也の九〇年代の「収穫」
小島信夫『原石鼎』(河出書房新社)
桶谷秀昭『昭和精神史』(文春文庫)
柄谷行人『坂口安吾と中上健次』(講談社文芸文庫)
絓秀実『詩的モダニティの舞台』(論創社)
椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社)
山城むつみ『文学のプログラム』(講談社文芸文庫)
http://d.hatena.ne.jp/YokoiMoppo/20120324/1332609101
0296吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/06(土) 00:16:18.34
↑次回小林秀雄保田與重郎が話のメインらしい。

有名なんだろうが桶谷秀昭の小林多喜二解釈、小林多喜二=修身meetマルクス主義がおもしろい。

一方以前スガさんはどこかで、大西巨人の掌編「走る男」http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/21th-01.htm
は現実化すると小林多喜二になるみたいなことをいってた。
つまり小林多喜二=「走る男」meetマルクス主義ということだと思う。
また確かうろ覚えだが「走る男」をエスとか欲動だったかに喩えていた。

桶谷秀昭 小林多喜二=修身meetマルクス主義
スガ秀実 小林多喜二=「走る男」meetマルクス主義
0297吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/06(土) 19:16:54.57
子午線vol4木藤亮太『柳田國男とクロポトキン(上)』読了。
説得力ある神話破壊。柳田のイメージが変わる。
膨大な研究のある人なのに誰も気づかなかったのは不思議といえば不思議。
読んで良かった。
0298吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/07(日) 00:06:28.20
渡部直己 カミュ、サルトル。さっきの富岡さんの埴谷じゃないけどね。構造主義に関しては非常に似たような関係があって、そんなに早くから知っているわけじゃないですよね。
で、いつどこにでもいる文学青年をやっていて、それで面白いのは一番最初に魅了されたのが詩だったのね。ことばそのもの。

三田誠広 それはフランスの詩?

渡部 いえいえ、萩原朔太郎とかね。その前は立原道造を読んで泣いたとかね。非常に軟弱な……。

富岡幸一カ いつぐらい?

渡部 高校ぐらい。そのあと一番影響されたと思うのは、やはり小林秀雄と坂口安吾かな。十八ぐらいのとき。「HELLO GOODBYE」にも書いたけど、高校三年の時に学園紛争だったのね。
その時ちょうど小林と坂口を夢中になって読んだ頃だったから、そこでノンポリきめこんじゃった。
高校ってのは小さな共同体だから、ノンポリきめこむこと自体にも割とリアクションがあって面白かったのね。それで、小林のセンで仏文に行ったという感じがあります。

三田 正統的にフランス文学を勉強したわけですね(笑)。

渡部 そうかもしれない、それは。だから大学の四年間を通しては、まあいろいろあるんだけど、卒業論文はカミュです。

三田 大学院もいったんじゃないですか(笑)。

渡部 そう、その他ドストエフスキーとかね、いわゆる小林のパラダイムの中にいましたね、まだ。
で、大学院の一年目くらいまでそうだと思うんだけども、まあその頃に紆余曲折の末、平岡(篤頼)さんのゼミをとってしまったという(笑)。これがわりと決定的でね。

「若手批評家」の現在-3- 富岡渡部三田 早稲田文学1985/3

小谷野敦>>291と同じく渡部直己も若年期に小林秀雄パラダイムで教養形成。スガさんはどうなんだろう。
0299吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/07(日) 00:41:04.53
小林は頭いいと思うけど文体というか語り口が受けつけなくてハマったことないなあ。
0300吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/07(日) 12:11:42.09
つーか、小林秀雄のパラダイムから育ってきた批評家じゃないと「文学」ではないんじゃないの。
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