とにかく吉行淳之介 [転載禁止]©2ch.net
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http://www16.ocn.ne.jp/ ~yoshiyk/ 語れ。 『暗室』『不意の出来事』『手品師』 >>125 に「エッセイ」と書いてあるだろう? 頭大丈夫か? いやあ、私生活を知る編集人大久保房雄はエッセイ形式の小説だと証言してるし・・・ 虚実皮膜なところなんだろう 駆け出し時代、新人の溜り場だった吉行の市ヶ谷宅には三浦朱門も時折おとずれた。 なんでも「新思潮」同人の知壽子さんという女性にゾッコンで、玄関を入るなり「うわー、今日もバズーカにやられた」と叫びながらバタンと倒れてみせるのがお決まりだった。 知壽子さんとは、婚約を目前にした新思潮仲間のことであった。 ところが三浦は知壽子さんを吉行に一度も紹介しなかった。それどころか吉行がなにげなく「新思潮」参加をいいだすと慌てて全員から却下されたなどと退けた。吉行は、自分が品のない発言などをして令嬢との縁談がピンチになるのをおそれたのだろうと推察した。 そんな折、知壽子さんの母親からの頼みごとが吉行のもと(手紙だったか)に届いた。なんと、娘の文学の家庭教師になってほしいという依頼だった。吉行はあぜんとした。そもそも文学の家庭教師という発想が突拍子もないのでことわった。 吉行は良家の子女とか生意気なブンガク少女には厳しかった。頭からコップの水をおもむろに浴びせた逸話もある。 いっそのこと引きうけて徹底的に教育(ベルトでひっぱたくとか)してやれば・・・曽野綾子のその後の醜態をすこしは軽減できたかもしれない。。。 >>133 >頭からコップの水をおもむろに浴びせた逸話 これ知らないわ。詳細か出典か教えていただけるかしら? >>136 昨日のビールも今日のションベン、みんな変わっちまうのさ、 という言葉が浮かんだ >>136 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」 >>133 曽野綾子の母親と吉行淳之介とは知人だったの? そうじゃないけど吉行の文章力、描写力が圧倒的だったからじゃない? それにしても昔の曽野綾子の写真、清楚で凛として使える・・・ハアハア いくら新進とはいえ、面識のない作家に娘の家庭教師の依頼か。 厚かましいにも程があるね。 キチ○イ読者からの手紙に悩まされる、なんてのは吉行に限らず、 多くの作家がエッセイに書いてるだろ 胡桃沢耕史だっけ? 花束もって家に訪ねてきたキチ○イ読者に刺されたのは >>133 「おもむろに」の使い方、まちがってない? 「徐に」とでも書けばよかったのかなあ。吉行がわざとゆっくりかけたと言ってるからね。 女のほうはシュンとなったそうだ。 あ、ぼくがぶっかけてあげるときの作法も「徐に」だよ。 この年だと必然的にそうなるしね。 >>145 >吉行がわざとゆっくりかけたと言ってる さすが吉行先生、やること言うこと凡俗とはちがいますな >>142 この程度のゴシップ・エピソード類はエッセイ等を読めばいくらでも書いてあること。 こんなのを本気で褒めるバカがいるから全体の内容レベルがさがるんだよ。 こんなのが読みたいならパソコンに座るより書店へ、図書館へどうぞ。 当事者たちが直に語ってるのを読んだほうが百倍面白いさ。 わるいとすれば語順がわるいんだろ。 おもむろにコップの水を女の頭からかけた。 まあ、そういうことは凡俗と違うというより一種の芝居っ気みたいなもので、 相手への深い軽蔑と、じぶんが上の人間であるという自信が前提になるだろうから、 (いきなりぶっ掛けるのは同じ土俵での敵対行為にすぎないから)、 見ようによってはいやらしい行為だね。 吉行は意識的にスマートを演じようとしてた人なので時にいやらしさがのぞく。 そういうところ、色川武大や田中小実昌とはちがう。 色川も、対人関係で、なにか必死なところはある。 その辺は、気遣いの人、吉行と共通している。 小実昌は知らん。 あれは、一種の天才なんじゃないか? 連作短編『ポロポロ』とか読むと、そう思う。 >>149 >時にいやらしさがのぞく。 吉行自身反省の魔だぞ。おまえに見極める資格あんのかよ臭えネット弁慶が 若いころの自分のやったことはすべてナメクジの這った跡だと語る苦労人相手に威勢張んなよバカ丸出しで おまえこそ頭からバケツの水ぶっかけてやりたいんだよ、 小実昌や武大とくらべてどうとか作家をなんだと思ってんだクズ野郎 俺は二人とも大好きで読破してるが吉行とは全然違うだろこの半可通アホタレが おまえの文体チェックした。ひきつづき叩くぞ >>152 おまえも俺の尻馬に乗ってんじゃねえクズ野郎 ひきつづき叩くから覚悟しとけアホタレが 豆知識を二、三 吉行の恩師岡田弘は、数学者岡潔の妹泰子と結婚し 泰子の郷里静岡の旧制高校で仏文学を吉行におしえた。 当時、岡潔は岡田家で療養していた。 診断書 静岡市大岩宮下町四八 岡田弘方 岡 潔 明治三十四年三月十九日生 一 病名 脳神経衰弱症 附記 頭書ノ疾患重症ナルニヨリ向後数ヶ年間安静加療ヲ要スルモノト認ム 右之通診断候也 静岡市田町七丁目六十八番地 静岡脳病院長 理学博士 木村俊雄 昭和十三年四月一日 吉行の仏語成績は独語同様中クラス。 そのかわり英語は静校でもトップ級だった(同級生の証言) ローレンス・スターン「センチメンタル・ジャーニー」の翻訳をこころみる。(スターンはむかし辻潤がレクチャーした) 日本語タイトル「感情旅行」と命名、後年、安岡がアメリカ旅行記の題名にこれをパクって以後「感情旅行」は人口に膾炙する。 仏文翻訳者の生田耕作は吉行のミラー翻訳を畑違いながら激賞していた。二人の生没年 生田・・・1924年(大正13年)7月7日 - 1994年(平成6年)10月21日 吉行・・・1924年(大正13年)4月13日 - 1994年(平成6年)7月26日 >>154 この程度のゴシップ・エピソード類は、エッセイ等を読めばいくらでも書いてあるだろバカ こんなのが読みたいならパソコンに座るより書店へ、図書館へ行けヒッキー野郎 吉行自身反省の魔だぞ。おまえに見極める資格あんのかよ臭えネット弁慶が 若いころの自分のやったことはすべてナメクジの這った跡だと語る苦労人相手に威勢張んなよバカ丸出しで おまえこそ頭からバケツの水ぶっかけてやりたいんだよ、 安岡や生田とくらべてどうとか作家をなんだと思ってんだクズ野郎 俺は二人とも大好きで読破してるが吉行とは全然違うだろこの半可通アホタレが おまえの文体チェックした。ひきつづき叩くぞ 生田に褒められたって別に・・・ それに吉行は翻訳は田村あたりと違ってキチンとじぶんでやっていたようだけど、 語学的なアドバイスをうけながらやったので、翻訳家に褒められてもねえ。 まして生田では。 豆知識のうち「感情旅行」以外は吉行本にないぞ 俺のレスをリライトまでしてくれてありがとよw >>156 いや、生田の件のポイントはそこじゃない 俺の見解だが例えば『Insomnia, or, the devil at large』を 「不眠症あるいは飛び跳ねる悪魔」と訳すのはベタのようでいて完璧なんだ 本文もひかえめながら吉行らしいレトリックがそつなく随所に光っている 生田の称賛は過不足のなさと吉行の日本語感覚の鋭さに向けられていると思った 吉行上野毛宅の居間に飾られたクレーの絵はミラーが贈ったものじゃなかったかな。 これ、吉行自身は明らかにしてないよね。 多分ホキ徳田が吉行の名訳を読みクレー好きと知ってミラーとずこばこしながらプレゼントを勧めたのでは? >吉行上野毛宅の居間に飾られたクレーの絵 なんで、そんなことを知ってるの? 吉行のクレー好きは有名だが 所有していたとは初耳だわい >>159 たしか編集者に同行した絵描きが居間をスケッチして、そんなかにミラーからもらったクレーの絵と注釈があったかと・・・ 間違ってたらシラソw 『北回帰線』(大久保康雄訳)読んだけど、つかれたナア フォークナーと並べて本棚飾ったのが懐かしい。 あとは或るブログからのコピペ パリで発表された当時、『北回帰線』は米英では発禁処分になっていたので、『北回帰線』出版後も、パリから渡英する際にミラーが係官に自分の身分を証明するのに苦労して、「自分にはTropic of Cancer(北回帰線)という著書がある」と言ったところ 癌(Cancer)に関する医学書と間違われたという話が、『愛と笑いの夜』(吉行淳之介訳)所収の「ディエップ=ニューヘイヴン経由」という短編の中にありました。 ミラーのパリ入場のころ、金子光晴がそこで乞食してたのをフト思い出した。 吉行訳の『マドモアゼル・クロード』は、 吉行の思い入れは理解するが、 なんか、吉行作の短篇と比べて、 距離感が近くて、ちょっと引いた ミラー作だからだろうが 吉行の本作に話を戻したい。 『食卓の光景』 登場人物Yである安岡が自著で詳細に解説し「名作」と称えたが、社会評論にかぶれていた当時の安岡らしく学生を過激派になぞらえ世相を反映しているとの解釈を提示した。なるほど、と思う反面、なにかしら腑に落ちなかった。 吉行は古井由吉との対談でこの作のあれこれを議論した。その中で「主人公はほんとうは学生にとって敵なのだ」「学生は敵を間違えてはいない」と吉行はいった。それが本意なのだとも(「拒絶反応について」)。すると、安岡の大人びた解釈は根本から崩れてしまう。 では、本作の「敵」とはいったい何者なのか。多くのアンソロジーにえらばれた作品なのに、編者(中村光夫、色川武大、石川淳etc.…)の誰も「敵」の正体について解説に及ばなかった。また『感覚の鏡』の川村も話題にしただけで究明はなおざりにした。 「おいおい、俺は君の味方じゃないか」 「敵を間違えてはいけないぞ」 これが本作の大まかなラストである。読み手の誰もが「敵」という表現の唐突さに戸惑い、謎を残す。 ・・・そろそろおれの解釈を述べる。吉行にかぎらず未成熟な過去の自分というのは厄介な敵なのだ。いくら社会に順応し世智に長けたところで、軽んじ置き去りにしたイノセントな自己はひそかに生きながらえ、 世の慣習に屈服した自己を過去からつめたく観察しつづける。その視点をひきずるか否かは人其々だが、吉行は終生成熟した心の裏側で若い未成熟な感性をひそやかに保ち、時に対峙しておびえることも辞さなかった。 その代償として奥深いナイーヴさをひめた文学が結実し、その内実をときあかす手掛かりとしてこの作品がある。 だいたい川村二郎がシャンとしなかったから俺がいまごろになって補てんするハメになった。 なんたって手塚富雄の弟子だもの、出自がわるすぎる(西尾幹二もだし) 『感覚の鏡』はのっけから「トニオ・クレーゲル」が登場したんでいやな予感がした。 はたして吉行へのこの作品の射程など見極めていなかった。三島とこの作との関係を述べた某教授の評論のほうがよほどイケてた。そして最後の『夕暮まで』のところは自信のなさがスケスケだった。あの仕事は磯田光一にやらせたかったね。 あまり有名でないため某としました 大谷女子大学の林進氏です マン、ニーチェの研究者 著書に「三島由紀夫とトーマス・マン」など >>166 早速どうもありがとう。 『三島由紀夫とトーマス・マン』、多分10年以上前だと思いますが、読んだことがあります。 (>>167 の続きです。途中送信してすみません。) 読んだはずなのにすっかり忘れていて、書名を教えて貰ってハッとなりました。 ふがいなさに恥入ります。 >>167 三島の話がしたいなら他所でやれクズ野郎 俺の相手に糞レスすんな 三島でなく「トニオ・クレーゲル」が主旨だろ ちゃんと読んでからレスしろチンコ出し徘徊野郎 吉行と『トニオ・クレーゲル』 シカマルじゃないが、なんかめんどくせーことになった。 これもヘボ川村のせいだ ちょうどコピペ元を見つけたからいただきます。手打ちはつかれるんで 《トマス・マンの「トニオ・クレーゲル」の中に出てくるものの考え方は、今の時代ではもはや時代遅れと見做されているムキがあるようだ。自分はトニオ・クレーゲルを卒業した、と昂然として言う作家もあるようだ。 ところが私はそうは考えないし、初心を取戻すために、時折この書物を読み返す。引用した文章は作家ムキのものだが、作家としての初心ばかりでなく、人間としての初心を取戻そうとして読み返し、その企みはいつもかなりの程度達成される。 したがって、「忘れ得ぬ断章」は、この書物のあちこちにあり、引用したのはそのうちの一つにすぎない。そして、これは「感じすぎる」人間の言葉であることに注意しなくてはなるまい。 この作品を最初に読んだのは、旧制高校の二年生のときだったとおもう。冷たい残酷なところのある、そのくせ人間的な、トマス・マンの短篇が好きで読みあさっているうち、この作品に突当った。 一見、理屈がやたらに多いので閉口しかかったが、結局その難しい言いまわしを舐めるように読んでしまったのだから、よほど身に沁みたわけだ。ほとんどの書物で、私は理屈と風景描写が出てくると、そこは飛ばして読むことにしている。》 (吉行淳之介『私の文学放浪』) 続き 「ところが私はそうは考えない」理由がかかれていないと川村は面食らい騒ぎたてた。「わかる者にはわかる」式にナゾめいた核心があるなどとも。そのあげく「芸術家と市民」の対立概念を信じすぎてるとの批判にたいして 「ガラスの心とダイヤモンドの心」を対比させた吉行の説明、とりわけ「ダイヤモンドの心」は原典にないオリジナルナルなキーワードだから対立図式を超えた独自性の証明になるなどと書いてしまう。前にも紹介したが、これは実は澁澤「大股開き」の引用だったのだ。 そんなことよりも吉行は「人間としての初心を取戻そうとして読み返し」たと書いてるではないか。これは三島や北杜夫たちとちがう、彼らの読みにその観点はない。 つまり「トニオ・・・」は「感じすぎる」人間にはたらきかける書物という最大の特徴を最初から把握し、他の作家たちのように感傷的にならず、まして「芸術家と市民」の観念にくるまれたりなどしなかったことをあらわしている。 「そして、これは「感じすぎる」人間の言葉であることに注意しなくてはなるまい。」 わざわざ注意してくれてんのにねえ。 若いときには興奮しながら結構読んだ。 でも、今となっては読みたいとは思えない。 そこが、谷崎との決定的な差だな。 吉行の場合は、エロしか書けなかったんだな。 谷崎の引き出しはかなりの量だった。 吉行を、谷崎と比べる、とは、ナンセンスだろ。 谷崎は、大通りを堂々と行く文豪。 一方、吉行は、理解者の少ないマイナーポエット MMのことや、夕暮族のせいで、世間に名は知れ渡っていたが、 書くものは、読者を選ぶんだよ。 おまえは、選ばれなかったっつーことだな。 第6回(1970年)谷崎賞受賞作 吉行淳之介『暗室』 選評 三島由紀夫 吉行淳之介氏の「暗室」は、閃光のやうなすばらしいディテールに充ちた、性的惑溺と嫌悪との物語で、われわれは肉の感覚とインディフェレンスとの、永久に解決のつかない隠微な闘争の場へ連れ込まれる。 田舎の花嫁の厚化粧の、白目の黄いろつぽさを見抜く残酷な精神が、「愛」なしに、肉欲の只中へ落ちてゆかうとするときに、日常の部屋は「暗室」になり、苛酷さはそのまま自滅のスリルになり、性的快楽は無限に快楽から遠ざかったものになる。 当代稀な小説巧者の手に成るこの作品は、同じ主題を(もつと数学的にではあるが)、極限的に扱った谷崎氏の「卍」と、遠く相呼応するものであらう。 三島だって吉行と谷崎を比べてるじゃないかといいたいわけね(苦笑) たしかに「数学的」とか無理矢理解釈しないとわからんな 吉行は自分の文学のわかる読者は三千人と大江との対談でいったことがある 三島はその中に入らなかったかもね、小林秀雄評もわけわからんかったし まあ「決行」の一週間ぐらい前に書いた選評だから許そうよ(笑) 動く吉行 ttps://www.youtube.com/watch?v=NwxnoQKbaYk >>179 吉行の映像は他にもそれなりに残ってそうだね。 遠藤周作との対談をTVで観たような記憶があるんだが、夢か?? 「赤とんぼ騒動」 ttp://v.youku.com/v_show/id_XMzM4MDk1MjY0.html >>56 童謡は、授業中に別のページやってるときに隠れ読みしてた。 授業でやってくれる日を楽しみにしてたら、見事に飛ばされた。 吉行少年は、戦時中に流行った「荒鷲の歌」という軍歌が嫌いだった。 しかし今聴くと、なかなかよい曲である。 https://www.youtube.com/watch?v=B3a4XUPX7SU 吉行は、自分を、植物質の人間であると言ってるね。 好きな絵はクレー、音楽はドビュッシー。 両者とも、植物質だよね。 もっとくだけた印象批評でいうと 若い吉行は典型的「お醤油」系の好男子であったのが 中年期を境に多少の「ソース」系がまじり、色気の芳香を放つようになった (安岡「嫋嫋たるムード」) もともと脂けがなく色気にとぼしかったが「ウスターソース」の要素をとり込んだことで 我しらずゾクッとする艶っぽさを獲得し所謂男ぶりが上がったのだ 今だと福山雅治が(見かけだけだが)このタイプといえよう 大半の男子は成長期の「ソース」化になやまされて中年期には「お味噌」の臭さをいかんなく発揮するにいたり自己嫌悪のとりこになってしまう そして吉行を羨望のまなざしでながめてしまうんである 「お味噌」臭えオッサンほど吉行にあこがれ崇敬してやまない秘密はコレなんである オレのなかで吉行淳之介は「鉄板」の作家だ。http://ameblo.jp/tn2009/ 中村剣のお笑い祭り >>188 は、良い批評だな。 おれは、旅行代理店の添乗員だったからよく判るが、 日本人は総じて味噌くさい、味噌民族といえる。 添乗の仕事で、10日ほど、日本を離れて、帰国すると、成田空港が味噌くさい、と感じたものだった。 ちなみに、中国の空港は、八角くさいし、韓国の空港はニンニクくさい。 アメリカの空港は、砂糖の焦げたような甘いにおいがする。 >>188 を読んで、そんなことを思い出した。 カキコできるほど吉行を読んでいない。だけどこれから読んでいきたい。 一日一回はROMってます。頑張ってください。 謎というほどでもないが、吉行の対談を思い出すと、コメディアンとの対談は多いが、落語家との対談は読んだ記憶がない、寄席の色物芸人とも対談しているのに。対談があったら落語関係の本なり雑誌に再収録されていそうだが、そういうのも見たことがない。 柳家三亀松、立川談志・・・あとは失念。 たしかにすくないけど噺家相手は楽チンなんで配慮したのかな。 三亀松のは面白かったな。三斗樽説とか。 談志との対談はあったな アダチ龍光との対談もあったような 圓生や志ん朝との対談なんかはあっても不思議じゃないと思うんですけどね 三平とかも 文楽や志ん生ともあってもいいような、というか、読んでみたい 志ん生と百閧フ対談はいくつかの本に採録されてるけど… 圓生とか志ん生、文楽なんてのは趣味じゃないんだろう。 もっと怪しげというか胡散臭さにより興味をもったので色物の師匠たちとの 付き合いのほうを好んだ。アダチ龍光も怪しい人物で吉行は手品好きということも あるけど、龍光を好きだったんだね。 木久扇との対談はあったような記憶 振り返るとたしかに色物寄りの人選だね なるほど。アダチ龍光のことは談志がよく語っていた。 初席で酔っぱらって、ネタ用の生卵を高座で落として割っちゃったとか、 たしかに奇人の類だったらしいね。 百闡S集の「監修」な。河盛好蔵・安岡章太郎と一緒に。 百閧ノは弟子を自認するモノマニアックな連中が多かったし、 実質的には推薦文を書いた程度なんだろう。 (百閧好きだったのは間違いないと思うが。) >実質的には推薦文を書いた程度なんだろう。 なんの根拠もない推測を言うはかんぐりというもの、ブタのすることなり。 吉行こそモノマニアックな男なんだよ、ブタが。 敬愛する文学者の全集の仕事に手を抜くわけがないだろうが。 推測で語ってんじゃねえ、キチガイブタが。 俺が推測で>>202 を書いたのは間違いない。 (ちなみに>>204 は俺じゃないw) ガキの喧嘩の水掛け論になるから気が引けるが、 吉行が百闡S集の「監修」としてどんな仕事をしたのか、 俺もあんたも「推測」するしかないわな。 少なくとも俺は、 吉行が百闡S集の仕事に大きな労力を費やしているところは想像できない。 これは吉行を貶める意味では全くない。 >>204 うん、カンタンにわかったよ、臭うもの。 >>207 池澤の文学全集スレでも「ブタ」を「ゲス」に変えただけで同じことやってるな(笑 >>206 >俺もあんたも「推測」するしかないわな。 おまえね、百闡S集のぞいたことある?(笑 >>209 >>210 おい、成り済ましでジエンしてんじゃねえよ、クソブタが。 >>209 百闡S集をのぞくことで判明するのは何? >>212 お前もハッタリブタのクソカキコに釣られてんじゃねえ。 吉行の貢献は、どこそこの何ページに書いてある、なんて底の浅いもんじゃねえよ。 >>213 あはは、底の浅い想像をしてるのは君だよ。 ののしり合うのは構わないが、もう少し客観性を保ってやってくれ。 第三者にとっては荒らしコピペと変わらない。 吉行は全集でも10巻しかないんだね。 安岡も10巻。 この連中はあんまり仕事しなかったんだ。 >>218 おまえね、吉行全集のぞいたことある? 全集だから全作品を網羅してる、なんて小学生以下の発想なんだよ、キチガイブタが まあまあ、ここは吉行スレだぜ。 クールに行こうじゃないか。 わかる人がいたら教えてもらいたいのだが 「暗室」の書き出しの例の慈姑の料理の件 ある女流作家の随筆にあったというのは本当なのか 虚構なのか 本当なら誰のなんという随筆の中に出てくるのか だれか詳しい人 おしえてくらはい 「慈姑(くわい)を擦りおろしたものを、焼海苔でくるんで、油で揚げる。昔それを食べて美味しいとおもい、もう一度食べたいとおもっているうちに、五十年経ってしまった……。」 たいした名文だ。 俺の消去法からだと、幸田文。 そのあと五味康祐や椿実とおぼしき人物がでてくるが、椿と文枝さんが姦通するわけないし(笑) 書出しだけに虚構というのも十分ありうる。 案外あぐちゃまの言葉だったりして・・・ >>223 これを名文であるとするゆえんを聞かせてもらえまいか? 名文じゃなけりゃ力作の冒頭に相応しくないでしょ 五十年という歳月の空白をサラッと語るには文章にそれなりの力がないと陳腐のおそれが伴うけど それに耐えているのがすごい、引用か虚構かしらんけど 『暗室』の冒頭は、人の世の無常を予感させる名文である。 おれは、あの一文で、よし! 読もう! という気になった。 ファースト吉行が「暗室」だった人間は多いのでは? いや、ま、このスレには衝動的に噛み付きたがる人がたまにいるので、一応言っておくと、 俺自身と、知り合い二人がそうだった、というだけで、根拠はないんだけど。 『暗室』を読んでピンと来るものがなければ、残念だが吉行淳之介とは縁がない、 と判断していいのかもしれない。 唯一無二の傑作とは言わないが(他にも良い作品があるから)、 代表作であることは間違いないだろう。 ちなみに自分の「ファースト吉行」は「原色の街」「驟雨」。 図書館で借りた筑摩の文学大系に入っていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる