一冊を繰り返し読んでいても、自分で補って難読箇所を通り過ぎてしまうから結局読めるようにはならない。
やっぱり多読は必要で、よくわからない構文や言い回しはその都度時間をかけることでしか身にはつかない。
洋書を読み始めるには「自分は読めるという自信」が必要だと思うんだけれど、だれも日本語に移したこともない、筋も知らない、評論もない、けれど傑作という小説を読み切ると自信になる。
どうしても作家には時代特有の言い回しや作家個人の言い回しってのがあって一人の作家の一冊の本を読んでもほかの作家の小説を読めないことはどうしようもない事実。
振り返ると、邦訳で読んでいるのが4割、邦訳が出る前に読んだのが5割、邦訳出そうにないのが1割くらいかな。
最後の一割が一番時間がかかって当たりはずれも大きいけど大きなあたりも多いな。