文学板の連中って外国のは原文で読んでんの? [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
それから、余程時間と金が有り余った暇人でない限り、フランス語は薦めない
フランス語にブランド価値(上流階級はフランス語ができる、などの)なんて今はもう無いんだよ
どうせその方面でやるならギリシャ語かラテン語だけど習ったところで文献が限られているのでおおかた既に研究され尽しているので、趣味の範囲を超えるものにはならないよ >原書を読むコツはまず読む本をしっかり選ぶことだ
>自分が興味の持てることが書いてあるものなのか
しっかり選ぶと失敗するということもある。自分の場合は嘗て選んでいたものは
すべて面白くなかった。推薦する人が古典的で有名な本を推奨するのでそういう
ものを選んでいた。
ひょいっとブックオフで100円で買った本が無茶苦茶面白かった。
フォークナーとか全然面白くない。俺の勘だけど。WWW >>201
そうか。語学をマスターするには、研究というスタンスとビジネスというスタンス
があるんだね。 俺は多読100万語とかを実際に100万語はやったのだが、読めるようにはならなくて、
目的の大人向けペーパーバックとかはさっぱり歯が立たなくて嫌になってしまった。
多読で評判のいいダールの子供向けとかエロ本とかは読めたけど、それは多読しなくても読めた気がするし、
>>198に言われているようにとにかく退屈で、翻訳でも一番面白かったフォークナーなら
代表作以外翻訳が手に入りにくいので調度いいのかと。ただ翻訳でもややこしい文なので躊躇もしている。 100万語じゃ無理かも。読んでも復讐しないとかたっぱしから忘れていくからな。
俺も多読はじめたとこだが、無暗に読み進むのはやめて一冊を丁寧に読むように
方向転換している。
まず
語彙は100%記憶するまで繰り返して読む。
1ページに一か所は最低暗唱する。
という読み方だ。
あとは10冊に1冊はリスニング用にCDを買う。
やり方としては不明単語はすべて黄色でマークする。暗唱箇所は緑色でマークする。
これを翻訳と原書の両方にマークする。
暗唱は翻訳をさっと見て英語で暗唱できるレベルでOKとする。
1章単位で繰り返し読みながら完全に理解して単語もすべて記憶するまで先に進まない。 書き込む板を選ぶ時も、語学の勉強をしたいのか好きな文学作品を原語で楽しみたいのか、
目的をはっきりさせてからにしたほうがいいんじゃないかと
ここは語学学習スレじゃないよ、と示唆したんだけどな・・・ 語学学習板はすべてのスレで桜井ってキチガイがコピペを張り付けてあらしまくって
るんだよな。 Anne of Green gables のハードカバーが手に入った。凄く綺麗に製本してあって
ワクワクする。これに線を引くのは何とも気が引ける。 >>202
文学なんて趣味・楽しみで読むものだからブランド価値なんて関係ないでしょ。
プルーストの最初の方を読むと、ブルジョワ階級・貴族階級、人間関係なんて
日本と同じようなところがあるなぁと思うし、
「レ・ミゼラブル」は歴史小説だからフランスの過酷な歴史も分かるし
原文だと韻を踏んでいて、そういう面白さもある。
他人に誇るために文学書を読む人って変じゃない? ちょっとスレの趣旨からずれるけれど、ジュール・ヴェルヌの80日間世界一周を英語で読んでいる
当時の(1872年の)鉄道や船旅の事情や大英帝国内の警察事情(直轄地とそうでない植民地の裁判権)なんかをどういう単語で言うのかが面白い
銀行の経営事情なんかも分かる普通に楽しい読書 >>212
俺もそう思う。多少は「他人に誇る」というその気持ちもわかるが、、、
>>213
ワクワクして楽しめるというのが凄く大事だと思う。今まで教養として読むこと
のほうが多くて本当の楽しさを知らなかった。
連ドラを見る感じで15分だけ読むというんがいいな。読みすぎないと面白い。
そうするとかなりむつかしい本でも楽に読める。 音楽は若い頃はロックやポップスが好きだった。
(ウィーン少年合唱団のレコードがあって、それも大好きだったけどw)
最近はほとんどクラシックばかり、それも古楽に固まってきた。
好みはどんどん変わるものだと思う。変わらない人もいるが。
文学でも、その時に夢中になれるものを読めば良いと思う。
自分の場合は、時間を経て、結局、古典ばかりになったが
そんなの個人ごとの問題だと思う。 >>215
何だかトンチンカンなことを書いてごめんなさい。
ポップスが好きで耳から入ったので、子供の頃から英語は聞き慣れていた。
母がフレンチ・ポップス好きだったので仏語の歌も聞きなれていた。
独語は音楽で聞きなれていたし・・・
伊語まで手を伸ばす気はないが、オペラとかオラトリオくらいの伊語は
おおおそ見当が付いているつもり。音的に好きじゃないけど。
言語は耳から。アリストテレスが聴覚の視覚に対する優位性を主張したでしょ。 原著というか、海外文学を日本語翻訳以外で読むなら英語までだな
それ以外だと文学的情緒まで楽しむ余裕はなくなる
目的は文学を楽しむことで、語学学習ではないから 原著を楽しみながら語学もマスターするのが普通だと思うが、、、 翻訳を読んだだけで卒業論文書いたら、かなり嫌味を言われたものな。WWW 当たり前だ
というのが非常識になりつつあるのか・・・ 流れをみていると「原著で読みたいからみんなで英語(なり他言語なり)を勉強しませんか/教えてください」という書き込みを散見する
文学作品を原語で読んだ人同士で作品の解釈や作者について話し合おう、ではなくなっている
これでははっきり言って時間の無駄
まがりなりにもある程度専門的なところまで文学作品について論じ合いたいのなら、最低限原語で読んでおくところまではあらかじめ各自でマスターしておかないと話にならない
一人でも原語で読めない/読んでいないのが混ざると話が低レベルになる >>221
原語で読めないのに粘着しているお前みたいなやつもね 誰も最初は低レベルだからな。しかし低レベルを馬鹿にするのはダメだと思う。
むしろ低レベルの時の心構えが最も重要だ。例えばロジックの世界なら
AND、OR,NOTですべてのロジックの組み合わせを表現できる。さらにこれに
FF(ラッチ)が加われば、どんな複雑なシステムでも表現できる。たったこれだけ
でどんな複雑なコンピュータでも設計可能だ。
低レベルとは基礎だ。この段階で何をとらえているかを見ればその人がどのくらい
伸びるかというは直ぐわかる。それは文学でも同じだと思う。 児童書って低レベルだが、低レベルでも非常にしっかりしている本があると
おもわない? 低レベルしか書けない作家もいるけれども、低レベルをしっかり
と書ける作家は素晴らしいと思う。
まだ読んでいないけども、例えば Never Let Me Go なんかは見た感じ非常に
低レベルで語学レベルとしては高卒レベルで十分読めると思うが、内容は深い
気がする。 >>221
スレタイからすると
ほぼ何でもいいんじゃないの 一つ文学作品を読む度にいちいちその原語を一から学んでいたら、いつまでたっても作品を楽しむ段階に進まない
挨拶・ビジネス・学術専門用語の語学力では文学作品の堪能は無理で、良質な邦訳で読んだ方が理解も深まる
ただでさえ読みたい本は多く、時間は限られているからね
日本人ならよほど特殊な成育環境でもない限り日本語と英語
外国語として英語が第一に上がるのはそれが国際共通原語であって、文芸評論なども国際的には英語で行われるからだよ
特に日本は明治期にガンガン西洋に学者を派遣している上に南米移民が多く出た時期があるので、
たいていの言語はすでに翻訳水準を満たした邦訳が出ているのだよ Oxford Owlの絵本が好きで読み上げ機能onにして聞きながら読んでるが、
作品の質はそう悪くはない。
ただ著名な文学作品のジュニア向けリライトは紙ベースの方がまだ充実してるきがす。
ジュニア向け読みまくって全体の流れと長文を読む力を付けてから原文というのはありだと思う。 何となく思い立ってJenny ErpenbeckのAller Tage Abend読み始めた
英語とドイツ語で10時間位で読むつもり Aller Tage Abend Jenny Erpenbeck
すべての日々の黄昏 ジェニー・エルペンベック著
浅井晶子評
http://paprikaschoten.jp/Paprikaschoten/Blog/entries/2013/5/1_Aller_Tage_Abend.html
Knaus出版 2012年 ミュンヘン 285ページ
ひとりの女性の「生きたかもしれない」人生が、20世紀ヨーロッパを背景に5通り描かれるという奇抜な趣向の小説。 >ジュニア向け読みまくって全体の流れと長文を読む力を付けてから原文というのはありだと思う。
俺も賛成。結構おもしろいよな。日本語で読むとチャチイ感じがするところもあるが
英語で読むと面白いな。やっぱり語学力がそのレベルで丁度くらいだからだろうな。 >>230
おうそれ
とりあえず1/4位読んだ
今日あと少し読んで明日読み終わるか微妙なくらいかな 一ページに1、2箇所わからない部分があってもいちいち辞書をひいたりせず(付箋などをつけておく)、まずは最後まで読みとおして話の流れを楽しむ
話が好みでなかったらそこでやめる
好みだったら改めて印しをつけた部分を調べたり、細かい部分の読み間違いなどを確認する
というかしたくなるんだよ コツはまず、一度本を読み始めたら流し読みでもいいからともかく最後まで読み終えて全体のストーリーを把握する
この癖がつかないと面白い本や好みの作家もみわけられず、したがって原著を読む癖がつかず、細かい部分を調べる気もおきなくなる
邦訳をアンチョコにするのも一つの手だが、あくまで原文を読み終えてから
これは章や部ごとでもかまわないが、区切りはあくまでもストーリー単位にする
1行1ページ辞書を片手に読むのだけは避ける 「邦訳をアンチョコ」を優先したほうが絶対にいい。一度邦訳を読んでおくと
ものすごく読みやすいい。 Aller Tage Abends舞台の時代や地理とか調べたりしながら読んでいたら半分までしかいかなかった
読み終わるの来週かな
この作者の別の小説が読みたくて先に読み始めたんだけど、評判どおりに力量のある作家で本命小説も楽しめそうだ 邦訳を先に読んだら>>233に書いた通読の意味がなくなる
邦訳はあくまでも、自分の理解や解釈が間違っていないかどうかを確認するための奥の手
文学には辞書がないからね >>237
その通読に重きをおくことの意味がよくわからない。それこそが文学を楽しむ
醍醐味ということだろうか?
自分の場合は邦訳を読むことも楽しみの一つだから、まず邦訳を読む。
このとき気持が抑えられないなら全部読むけども、普通は2,3章を読んで
辞める。それから原書を読む。原書を読むことで邦訳を読んでいた時には
見落としていたことに気が付く。読みの質が深まると同時に英語力が身につく。
邦訳はアンチョコ、「アンチョコはよくない」というイメージが先行していない
だろうか? 自分も無意識にそういうことが入っているけれども敢えて
アンチョコ読みをする。この方が効率がいい。
アンチョコ読みには欠点があるとは思う。例えばアンチョコなしでも明らかに
読める本なのに、アンチョコがないと何となく落ち着かない。安易にアンチョコが
ほしくなる。このあたりの欠点は実力がついてから回避していけばよいと思う。 通読でストーリーの大意を楽しめない本は自分の語学レベルに合っていないということ
一つ二つ意味のわからない単語ぐらい、それこそ大学教授が読んでも「ある」
それでも普通は最後まで読んであらすじやその作家の特徴をつかみ、楽しむことはできる
上にも書いたけど、学術書や専門書と違って、文学小説には用語辞典なんて無い
細かい部分にこだわりすぎていちいち立ち止まると「読む」ことができなくなる 古本の洋書を買うと、やたらとごちゃごちゃ書き込みや線引きされた本にあたる
ところがたいていの場合、こうした書き込みや線引きがあるのは最初の数ページだけで、あとはまっさらなことが多い
要するに、はなから変に細かい部分やたいして重要でもない部分まですべてにこだわりすぎて、結局三日坊主で放置になる人が多いのだと思う
これでは外国語の本を読む=めんどうくさい、重荷、になり、肝心の読書癖がつかない
原語で本を読めるようになりたいなら、まず何はなくとも辞書を使わず通読して物語全体の祖筋をつかめるようになること 上記は当然、一定水準以上の高校(首都圏進学校)で上位に入れるレベルの英語読解力がある、というのが前提条件
中卒だの名前さえ書けば誰でも入れるド田舎の高校卒だのは問題外だし、底辺の事情は知らん
そもそもそんなのは学生時代、日本語でもエンタメやマンガしか読んでいないだろう 読書癖というのは一つの習慣なので、小さい頃から多少難しい本でも読む癖がついていなければ、読めるようにはならない
外国語でも同じこと
難しいから、分からないから
そんな理由で幼稚園児向けの絵本なんて読んでも、絵だけ楽しんで読んだ気になっているだけ
読む力は何も変わらない
キツい言い方だけど、本を読める人というのは、ごく幼いうちからずっと下積みの努力をしてきている
これは現実 >>242
本を読む努力とか、外国語を勉強する努力って・・・
根っから読書好き、外国語の勉強好きって人、いますよ。
そういう人は学校の成績も当然、良いけど・・・
だから世間的に高い地位を狙うかと言うと、そういうのには無関心だったりする。 「努力」というのを否定的に捉える必要はない
でも、わざわざ「努力」と書かないとわからないのがいる
楽しむと言おうが努力と言おうが、通読が苦にならない人が過去にやってきたことはどちらも変わらない
やるべき時期に土台をつくらなかったらもう手遅れ
これが現実であり、また事実でもある 根っからじゃなくて、やりつづけているうちに好きになっていく人のほうが圧倒的に
多いのではないかな?
外国語に興味を持つ場合には何かしら実利的な要求があってという場合が多いけれども
それを、「好き」なことに変えてしまったほうがいい。
自分は英語を勉強するために小説を読み始めて、それまで全く読まなかった小説が急激に
好きになってきた。だから好きになる方法というか感覚がよくわかる。何かツボに嵌ると
どんどん好きになる。 >楽しむと言おうが努力と言おうが、通読が苦にならない人が過去にやってきたことはどちらも変わらない
楽しむのと努力はまるで逆だと思う。楽しみがわかるためには努力は必要だが
楽しみに変わらないような努力は効率がわるいし、徒労に終わる。
>やるべき時期に土台をつくらなかったらもう手遅れ
>これが現実であり、また事実でもある
土台が何を意味するのかだが、国語力があれば英語なんて簡単だと思う。
手遅れなんてないと思う。
一番手っ取り早いのは、自分が読める最高レベルの本と同じレベルの英語の原書を
噛り付いて消化してしまうことだろうと思う。
自分は4冊読んだだけで十分自身がついてきた。 >古本の洋書を買うと、やたらとごちゃごちゃ書き込みや線引きされた本にあたる
「アンチョコはよくない」というイメージを植え付けられた為の被害者だ。
辞書を必死で引いたのだが、途中で討ち死にしたのだと思う。
数学ならともかく語学はわからないところをいくら考えてもわからない。
このことに早く気が付くべきだ。最低限でも字面を読めなければならない。
其のうえで鑑賞が成り立つ。
だからアンチョコ読みをするのが正解だ。この方がはるかに効率がいい。
辞書だけで読めれば苦労はない。しかし語彙がわかっても読めない本はある。
例えばNever Let Me Goのような本。語彙は簡単でも表現力は豊かだから
そういうのはアンチョコを使わないと初心者では読めない。 英語しか読めない上に 満足に読めてもいないやつらがどうでもいい違いで喧嘩してるのか
「翻訳はアンチョコ」クンと「私を離さないで」読んだ人探してマルチしてたやつか
好きなように読めばいいものを 語学はマラソンだと思う。かなりしぶとく練習しないと上達しない。
しかしマラソンの楽しみは記録が伸びることだけじゃない。練習が楽しい。
練習方法を研究するのが楽しい。汗をかいてビールを飲む。風呂に入る。レースに出かける
ついでに観光をする。走る仲間ができる。
こういうことのすべてが楽しいのだ。それの一つ一つが楽しさの発見でもある。
レースの面白さなどはとても語りつくせないほど楽しい。しかしそれを説明
するのは難しい。外見的にはただ走るだけだから。
マラソンよりもかなり実利があるが、語学も似ている。苦しいがその中に喜び
を発見する。一見単調な語学学習の中に多様な遊びを発見することだと思う。 >>248
君には文学は読めていない。文学を味わえる人はそういう反応はしない。
自分が作中人物のどれだろうか? と考えてみるといい。もちろん主役にはなれ
ないキャラだとわかるはずだ。 英語の勉強もかねて原文通読マラソン参加者募集!
課題図書はアメリカのロストジェネレーション
フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、フォークナー
上記3作家の作品の中から選ぶ 翻訳の出てないもので The Portable Faulkner はどうですかね?
ご存じの通り絶版作家にノーベル賞をもたらした本として有名ですし、
来年やっと翻訳が出るそうで、それもまた楽しくないですかね。
688ページと長いのですが、細かく分かれていると思うので良いと思うのですが。 オースターや村上春樹の英訳からはじめるといいらしい フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、フォークナーの三者では
いまのところフォークナーが人気ということか
>オースターや村上春樹の英訳
も面白いとは思うけど
どのくらい読みた人がいるのだろうか 他になければハリポタでもいいけどね
>翻訳の出てないもので The Portable Faulkner
これに収録されてるのは全部翻訳されてるはずだけど ヘミングウェイはマッチョすぎる気がする
フランス文学の多くが日本人には肉欲的すぎるのと同じで
合う人には合うのだろうけど、日本で一般受けするかどうか・・・ >>259
あらそうなの
短編とか長編の一部とか
あとはMalcolm Cowleyの序文とかかな
もう買ってしまって明日来るけど… 黒人文学に興味なしw低能クズな小説の掃きだめ>>フォークナーww 原文原文と言うけれど、ほとんどの外国文学は原文で読む価値がない!
フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、フォークナーもハリポタ同様に
たいした原文じゃない
翻訳で読む価値すらないゴミクズ小説シリーズですね >>266
まぁほっとこう
外国語関係のスレに必ず現れる、wつけて無意味な書き込みする人だから >>260
高校の英語の教師が「老人と海」を暗記したって言っていたが
好きなんだろうけど、どうかな?と個人的には思った。
高校で1年上の人も影響を受けてだか「老人と海」を英語で読んだって。
同じおサカナ物なら「白鯨」を読むのが○大に行ったのなら常道だと思うけどな。 東大文系の話なら、あそこは共産マッチョも多いよ
京大はさらに多い
基本、国立大学は戦時中に強烈なアカのたまり場を作り出した場所でもある 質にそんなにこだわらなくても一定レベル以上の作家なら問題ないと思うよ。
ハリポタは翻訳が悪いらしくてかなり批判されている。でも原文はかなり
いいんだろうと思う。
質よりも自分にとっての面白さを重視したほうがいいとおもう。
でも英語が正確に読めるわけでもないのに、その作品の質ってなんとなく
わかるんだよね。 >>272
二人くらいフォークナー読みたい人いたみたいじゃない >>273
ポータブル買ったとかいう人がいたけどその後とくに反応なしだね フォークナーのThe Sound and The Fury積ん読状態だけどなかなかモチベ湧かなくて手に取れないでいる
今読んでるのはリチャードパワーズの未訳の小説 >>275
すごいね
自分もパワーズとフォークナーはいずれ、という状態だなあ
なんだか突然モチベーション湧くことありますよね >>274
昨日来たんだけどすごいのが来てね
単品での落下じゃなく、10冊ぐらいまとめといたのが落下して
その重量が1か所に集中したみたいな変形のある奴で返品になりました。
アマで、いやネット全体でもこんなの初めてだなあ ふと クロネコヤマトのブックサービスなんてもんがあった時代
いや それしかなかった時代を思い出した Jenny ErpenbeckのAller Tage Abend
3/4まで読み終わった
ヨーゼフ・ロートとほぼ同じ時代に、同じ街(ガリツィアのBrody)に生まれたユダヤ人女性の生涯を通して20世紀を書こうとする小説。
ポグロム、非ユダヤ人との結婚、当時のアメリカの入国制度、ポーランド・ウクライナ戦争、第一次世界大戦、ウィーンのインフレ、革命、ナチスの強制収容所とソ連での粛清や自己批判、スターリニズム、冷戦・・・
生後八ヶ月でガリツィアで死に、17歳でモダンガールとなりウィーンで親友の恋人に失恋して自殺願望のある男に殺され、共産党員となりモスクワでマイナス63℃の労働キャンプ送りで39歳で死ぬ。
戦後東ドイツで作家として成功し階段から落ちて死に、ドイツ統一後に施設で老衰で死ぬ。
あり得たかもしれない運命の分岐点に遡りさまざまな手法を用いながら五つの物語が紡がれていく。
20時間くらいで読み終わるかな 昨日、フォークナーを買おうと思って紀伊国屋書店の洋書コーナーに行ったの
だが、どうも場違いのようで気おくれして探し切れなかった。サラピンの洋書
ってペーパーバックでも綺麗だなー。手に取るだけでドキドキしてしまった。
普段はブックオフばかりなので新鮮な感じだった。
最近ブックオフは洋書コーナーを削減してるね。洋書は売れないんだろうな。
といって洋書コーナーを削るとほかのコーナーもますます売れなくなるという
原理がわからんだろうな。WWW 洋書はアマゾンの方が良いよ
当然品ぞろえが良いから好きな形式とか値段のを選べるし
日本の本と違って本屋より相当安く買えるし アマゾンの洋書、英語のは大きさが色々なのがあるけど、仏語・独語のは小型ばかり。
老眼になった時に備えて(そう遠い将来でもない)大型の原文が欲しいのだが
仏語・独語を読む人って老眼にならないのかな? 日常的に洋書を買って読む人は小型のを好むから
事情は邦書と同じ
自宅に図書室のある人なんてほとんどいないからね
昔の年寄りみたいに読みもしない大型装丁本を飾り並べるような不経済なことは、いまどき田舎っぺいでさえやらない 洋書購入についてだけど、
AbeBooksがアマゾンより安いよ。
しかし、問題は少し時間がかかる場合がある。
英文メールを書いて催促したり返金を求めるトラブルが発生する場合もある。
でも洋書のヘビーユーザーじゃなければ余りトラブルは起こらないと思う。
いつも洋書を買うときにアマゾンとAbeBooksとを比較検討している >>283
ハードカバーは普通にでかい
Alexievichの最新作の英訳が出てたんで買ってしまったよ
少年ジャンプサイズといえば小さい気もするが 俺はハードカバーが好き。なんといっても装丁が美しい。ほれぼれする。
でも蛍光ペンで線を引いて読む。
あまりの美しさに線を引くのは躊躇われるが、線を引かないと読んだ気がしない
ので泣く泣く線を引く。 本が多いし読み始めると手放せないから、持ち歩ける小型ペーパーバックでないと無理 気に入った本は単行本でほしいと思う
古いの苦手だから初版本とかはいらないが
復刻版とか買ってしまう 気に入るのは何度も読んで手になじみ、表紙をみただけで
昔むさぼるように持ち歩いて読んだ時の情緒などを感じられるものだから、
やっぱり文庫やペーパーバックだなあ 繰り返し読む洋書はハードカバー、気に入ったベストスリーの3冊はハードカバー
ペーパーバックは基本的にノート同様で書き込みして使う場合でアンダーラインやメモを記入するのにいい
もちろん外出用携帯本はペーパーバックだろうな 本に馬鹿げた書き込みしないな
ノートかレポート用紙にページと行を書いて必要な事をメモすればいいだけ
ハードカヴァーは大学や図書館所蔵でない限り見栄張りやオサレカヘーの飾り物、
古書店をながく経営している人はみな知っている
マメな >>291
ペーパーバックよりハードカバーの方が半年くらい早く出る関係上、好きな作家はほとんどハードカバーなんてのもいるのよ
あと別にハードカバーってそんなたいそうなものじゃない気がする あと耐久性の問題がある
文庫本は10年ぐらいでかなり変色し20年たったらもう読む気がしない
ペーパーバックはそれよりもっと紙質が悪い
単行本は30年たっても保存の仕方で新品に近い状態も可能
ハードカバーは単行本と違って、中には表紙が固いだけで中身はペーパーバックの紙でがっかりすることがある Jenny ErpenbeckのAller Tage Abend読了
2015年のドイツの文学賞を取り、話題になった「Gehen,Ging,Gegangen」にようやく取り組み始める
ドイツ難民問題をテーマにした小説
ベルリン・アレクサンダー広場に現れた「私たちは透明ではない」というプラカードを持ち、名前を明かすことを拒むアフリカ出身者たち。
退職した文献学教授が、オデュッセイアやアリストファネスのようなギリシア神話と重ね合わせながら、気に留めることもなかった難民に主体的にボランティアとしてかかわっていくさまを描く
著者自身も難民を受け入れており、その経験や彼らの経歴をインタビューして成立している。
ドイツの、難民を受け入れるボランティアたちの物語はまだまだ少ない
メルケルも、この主人公も、作者も、旧東独出身なのだ シラバス集(2016年度) > 文学部 > 日本語授業 > 3351019_ドイツ語学ドイツ文学(講読)
http://ocw.kyoto-u.ac.jp/syllabuses/101/2/3351019
川島 隆(文学研究科)
ドイツは現在、中東からの難民受け入れの是非に揺れている。
もとより戦後の経済高度成長をトルコ系の外国人労働者(ガストアルバイター)が支えたドイツにおいて移民の社会統合は大きな問題になっていたが、
そこに近年の難民急増の問題が追い討ちをかけた格好である。
1967年生まれの作家ジェニー・エルペンベックが書いた小説“Gehen, ging, gegangen”は、
定年退職後にふとしたことがきっかけで難民支援の活動を始める老人を描いたもの。2015年夏に刊行されて大きな反響を呼んだ。
この小説を読むことを通じ、日本のメディアの報道とは異なる視点からドイツの難民受け入れ問題を見ることを試みたい。
川島 隆(1976年 - )は、ドイツ文学研究者。京都大学文学部准教授。プロボクサー・医師の川島実は実兄。 Aller Tage Abendの時もコピペ貼り付けてた人かな?
なんだか不気味なんだけど、何がしたいの? ここ読んでAller Tage Abendに興味持ったけど積ん読本多すぎて10年以内に手をつけられる気がしない >>297
そのうち日本語にはなると思うので、それを待ってその時に興味がわいてモチベーションがあれば読めばいいのでは
自分は19世紀末のウィーンに移住したガリチアのユダヤ人たち(ロート、デーブリーン、ムージル、カール・クラウス)の背景、一世代違うだけで同化したユダヤ人と同化しないユダヤ人に興味を持った
1917年から1920年代の敗戦国の「モダンガール」が大正時代のエログロと共時性を持つこと
1938年と言う年のソ連におけるスパイ裁判の特殊性(偶然性の裁判と呼ばれ、アレクシエービッチの作品にもよく出てくる)
いくつかの主題が年代を超えて現れ、その時代ごとに変貌していくさまは非常によい小説だと思った
そのあたりを面白く読んだし、ラデツキー行進曲やデーブリーンの「ポーランド紀行」、「特性のない男」、「人類最後の日々」なんかを読み始めている >>ハードカバーは単行本と違って、中には表紙が固いだけで中身はペーパーバックの紙でがっかりすることがあ
オレも2回ほど引っかかったな
価格で分かるけど、新品ハードカバーだけど安いなぁというときは固い表紙を付けた単なるペーパーバックだな
これは買うと損だな
今は、ハードカバーを買わなくなったから特にそんな感じのが増えたかもしれん >>103
読書大国じゃねーかwwwwwwwwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています