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絶対、グロじゃないよ。安心して開いて!
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これで見れるよ。
下から上に読んでいくのがポイント。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) 今週もまったくエッセイは進まなかった。
でも今週くらいからようやく散歩に出かけても
全然汗をかかなくなるくらい涼しくなったのはいいことだ。
睡眠も細切れだけどけっこう多めにとれている。
来週からは図書館に行ってエッセイの構想を練ろうと思う。 やっとスランプから少し抜け出せた。
でも、大恐慌は来そうでなかなか来ない。
今週は軽い肉離れをふくらはぎに起こした。
自分では気づかなかったが、医者が言うには
体ががちがちに緊張しているそうだ。
心にゆとりを持ちたいが持とうと思って持てないのが
もどかしいところだ。 インフレ期、需要過剰期においては個人が利己的に自分の利を追求し、稼いだお金を貯金し
ていても、金融機関が全体の利にもなる様々なインフラを作ることに長期投資することに
よって世の中はうまく回ったが、デフレ期、供給過剰期においては個人が利己的にふるまい、
金融機関も利ばかりを追求すると確実に高い利を得られる社会全体の利になる長期投資先
がないので(なぜなら供給過剰だから)個人の貯金した金は株式市場にギャンブルするため
に使われるか、軍拡競争に参加するために自国の軍事力を強化する投資に使われるか、富裕
層だけが享受できる高額医療のさらなる発展のための投資に使われたりすることになる。
デフレ期、供給過剰期においては個人はインフレ期とちがい、ある程度利他心をもって、ち
ゃんと確実に社会のためになる仕事をする必要があるし、金融機関は中庸に配慮し、社会の
ためにもなり、金融機関自身のためにもなる投資、例えば福祉関連の企業に投資をし、利は
あまり得られないかもしれないが、それが社会のためになり、間接的に個人のためにもなる
投資であることをきちんと個人に納得できるように説明しなければならないのであろう。 だんだん頭が回転してきた。このくらいの回転数だとオーバーヒートも
気にしなくていいのでちょうどいい感じ。
5つめのテーマはそれなりにいい感じの出来栄えになりそうな
予感。 >>537
お前の言う良い出来栄えのエッセイなんて何処でも聞いたことないが。 Amazonの電子書籍、どれくらい収益ありますか? 電子書籍は3冊くらい売れた。収益は2100円くらい。
紙の本は5冊くらい売れた。収益は5000円くらい。
自費出版って予想以上に売れないね。
でも俺はまだ奇跡が起こることを信じている。www なんか、Yahooで検索数が多いワードで電子書籍出せば儲かるような気がしてきた。 でも知り合いでもない人が書いてなければ有名な出版社から出てない本を買わないか普通は 雑務に追われて一週間を過ごした。
なかなかペースに乗れない。
来週も雑務に追われそう。 >>548
あー、片っ端からレスつけてんの?「内容がない」けど(笑) >>549
お前が内容があることを言ったためしがないわな。
俺は中上や蓮實のスレで決定的なことを言ってきたが。 あからさまな宣伝スレだけど、見たところ悪意がないから保守する。 ありがとう、Pさん。
なんか味方になってくれる人が一人でもいるのは
本当にうれしいよ。 >>556
なぜ俺が趣味をやめなきゃならないんだ
そしておまえが俺をたたけば
俺が趣味をやめるのか?
あきらめろよおまえ何度でも言うからな 今週も雑務に追われて一週間が終わった。
株は大暴落しそうでしない。
次のエッセイのテーマはデフレ克服法なんだけど、
株が大暴落するまでは別に完成させる必要もないので
エッセイはちょっと遅らせてもいいような情勢になってきた。
体の調子のほうはぼちぼちといったところだ。
来週は暇を見つけて紅葉狩りでも行こうと思う。 ものすごい援軍が来た。
https://www.youtube.com/watch?v=gR28L7ZIeek&list=RDMMgR28L7ZIeek&start_radio=1 なかなかいい風が吹いてこない。
エッセイは今メモを読み込んでいるんだけど、
全然はかどらない。
町ではいよいよ最低気温が一桁になってきて
冬がやってきた。
まだまだやらなくてはいけない雑務がたまっていて
来週も匍匐前進って感じになりそうだ。 今日は野川公園と神代植物園に紅葉狩りに行った。
武蔵野の晩秋を満喫できた。
秋の弱弱しいけど、清らかな陽の光を浴びてやわらかな落ち葉を
踏みしめて歩きながら、黄色に色づいたいちょうの木を見ていると
秋の良さ、というものがはじめて言語化できた。
秋っていうのは、自分の人生に対する達成感と満足感を感じながら
春や幼年期の自分が持っていた心のゆとりをまた取り戻す季節なんだね、
ってつまりそういうことを発見した。
まぁ、ともかく武蔵野の秋は美しかった。 今週は順調にいった。
そういえば図書館で百済観音が上野の国立博物館に
3月13日から来るっていうポスターが貼ってあった。
来年はいい年になりそうだ。 日曜日の朝、父が死んだ。
父に自分が成功する姿を見せられなかったのは残念だが、
まぁこれも時の運なのだろう。
父に対しては愛憎半ばする感情が父が生きていた時には
あったが、死んだとたんに清らかな大慈悲変わった。
死には周囲の人々の自らに対する感情を浄化させる作用
があるんだな、と47年生きて初めて知った。
人が必ず死ぬのはいい面もあるんだなぁ、と悟った。
なにはともあれ、今は少し悲しいけど、業が一つ減って体が
軽く感じていい気分だ。
井伏鱒二の気持ちにやっと共感できる年になったのかもしれない。
花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。
そんな感じだ。 昨日が父の葬式だったのだけど、葬式自体は和やかに終わって
よかったと思ったら、家に帰って遺産の問題でいきなり兄弟間でけんかになった。
大事にならなければいいけど大事になりそうな予感。
あーあ、って感じだ。 一月、二月と相続関係の手続きでいっぱいでエッセイについては
まるで進まなそう。よって「デフレ克服法」ははやくても8月下旬
以降となりそう。
相続争いはどうやら9割がた避けられそうな気配になってきた。
なにはともあれ明日はなにもやることがなくやっと一日ゆっくり休めそう。
やっとドストエフスキーの小説の中の主人公みたいなせわしない
日々からはすこし解放されそう。 うーむ。いろいろ悩んでいる。
夏までには大きな人生の選択がある。
右に行くべきか、左の道に行くべきか、それが問題だ。 相続の問題はよくよく考えてみたら、絶対丸く収めることはできないことが分かってきた。
まぁ、実生活では相手が一方で一族の団結、一族の長期的利の最大化というきれいごとをい
い、自らの長期的利の最大化を図りながら、かつ一方で公正さを主張して自らの短期的利の
最大化を同時に図ろうとするので、全面衝突、つぶしあいは避けられない情勢になってきつ
つあるが、ちょっと公正さと短期的利について、共同体感覚(連帯、和)と長期的利につい
て、そして公正さと連帯との間にある徳について考えてみたのでメモしておく。
まず大体実力が対等な二人のうち一人が経済的公正さを主張するとき、その公正さとは必
ず透明性を意味する。つまり俺はできるだけお前を信用したくないから、信用しなくてもい
いようにお互いの経済指標をできるかぎり限界まで開示しようと主張する。この場合、透明
性という公正さを追求することにより、相手の足元を見ることによって有利な立場に立て
る推定が働き、かつ自分の足元が相手から見られないか、自分の足元が汚れていないことに
自信、確信があることが必要である。
このことから言っても透明性という経済的公正さの追求が強者の自分だけの短期的利の最
大化を目的とすることはあきらかである。(また俺はお前を信用したくないと意思表示して
いるからお互いを信頼して作る長期的利は追求できない)
一方、現代資本主義では現在は平時なので長期的利を追求できなければ必ず負けることに
なる。長期的利の追求、国民国家的努力は国民が連帯感を持ち、お互いを思いやり、信頼し
あわなければできない。なぜなら国民間にお互いへのおもいやり、信頼感のない国では各自
がみんな自分の短期的利の最大化を追求しようとするからである。 長期的利を追求するために具体的に何が必要となってくるのかといえば談合である。談合
とはお互いになごやかに話し合うこと、お互いの立場、利益をできるだけ尊重しあい、察し
あいながら妥協点を見つけることである。談合とは討論し、誰かが論戦に勝ち、その者の言
うことに全面的に従うことではない。
談合するためにみんなが持っていなければならないものは共同体感覚、仲間意識である。
経済的公正さの対義語は共同体感覚、連帯、和(柔和)となる。
公正さがみんなが納得できる、透明性のある、実力主義の社会、つまり弱肉強食の監視社会
を目指すように共同体感覚、連帯、和は他人にやさしく、調和のある、みんなができるだけ
幸せでなごやか社会を目指す。
共同体感覚、連帯、和の目指す社会は理想的だが、必ずフリーライダーがでてきて、その社
会を維持することが極めて困難なことが最大の問題である。(フリーライダーの問題は8月
末以降の「デフレ克服法」で書く) 公正さを盾に自分の利益を最大化しようとする者は、社会全体の長期的利を必ず毀損する。
しかしここで一つ注意しておかなければならないのは、死の恐怖が生物が生きるためには
絶対必要な感情であるのと同じように、公正さという徳も一見絶対悪のように見えるが、人
間が納得感のある人生を送り、また秩序ある社会を築いていくためには絶対必要な徳で
あるということである。
共同体感覚、連帯、和と公正さとの間には日本語では無名称の中庸の徳があると推察される。
この無名称の徳が世の中を支配すると、人はほどほどに納得感のある人生を送ることがで
き、ほどほどに幸せになれるし、ほどほどに切磋琢磨し、かつほどほど助け合う社会を築く
ことができるのである。
もうすこしこの無名称の徳について具体的に語ろうと思う。とりあえず私はこの無名称の
徳をドンマイ主義と名付けようと思う。
「一生懸命努力して、切磋琢磨して、人生と戦ったなら負けてもドンマイ。お互い様。」と
いうことがこの徳の本質である。
一生懸命努力して、切磋琢磨して、戦って負けた人に屈辱的に自己責任を追及させる社会を
作ると必ず人はリスクのあるチャレンジをしなくなる。切磋琢磨しなくなる。その社会では
みんな学歴競争に夢中になり、つぶしあいに夢中になる。つまり現在の新自由主義的な日本
みたいな国になる。だからドンマイ主義は大切なのである。
これで橘謙信経済学の草稿は完成した。完成してないと思う人は過去レスをよく読むよう
に。笑
以上 公正さにはフリーライダーを抑制し、社会を維持する機能があり、
正義には悪党を打倒し、社会を浄化させる機能がある。
ドンマイ主義、寛厚には社会にゆとり(人々を幸せにし、社会を豊かにする)
をもたらす機能がある。
どれも重要だ。 相続手続きの中の単純事務手続きは9割がた終わった。
来週からは少しずつ自分の時間が取れそう。
とりあえず来週はたまっているメモを図書館でターミナルノートに
書き写しながらちょっとリラックスした時間を過すつもり。
49日では相手の様子をうかがい、4月に入ってから相続は
完全な衝突モードになるので、それまでの間すこしでも
リラックスして心身の回復を図りたいところだ。 今週は一日だけエッセイについて考える時間が取れた。
2月からは週に一日はエッセイについて考える時間が
取れそう。
相続の問題は予想外にいい結果になりそう。この相続で
兄弟間にひびが入るのは避けられないが、金銭的には
とりあえず自分の資産を毀損する可能性がかなり高い
可能性でなくなったのはめでたいことだ。 とりあえず確定申告と父の準確定申告が終わり、今週は
すこし緊張の糸がゆるんだ一週間だった。明日は49日。
来るなら来いって感じだ。
5つ目のエッセイのほうは考え自体はまとまってきているし、面白い
ものになりそうだが、いつ完成するのかはまったく今は
見通しがたたない。
ここでの遅延が吉と出るか凶と出るかは全く俺には分からないので
楽なほうを選んでゆっくりいこうと思う。 全面衝突した。今はさっぱりとした気分だ。
せいせいしたね。
相続問題の最大の山場は超えた。あとは
感情が平たんになるのを待って日常に戻れる。
3月には元の生活というわけじゃないけど、
表面的には元の生活に近い生活に戻れそう。 相続問題は中立だと思っていた母が敵側に寝返り、弟が俺の味方に多分なった。
うーむって感じだ。
相続問題は母が敵側に寝返ったことにより、3月中旬までいろいろと動かなければ
いけないことになった。
エッセイの完成は遅れるが、この相続でいろいろ俺も成長した。もう今がピークだろう
と思っていたのでラッキーと言えばラッキーだが、生活基盤が崩されているので
まぁ喜んでもいられないのが少し残念だ。 やっぱり弟は敵だった。
父が死んで、今初めて父が俺を母やほかの兄弟から
守ってくれていたことが分かった。
そうだったのか。俺は根本的なところで勘違いしていた。
四面楚歌って感じだが、脱出口の光はわずかながらある。
エッセイはもう無期限延期になりそう。
もしかして期待していた人たちがいるなら、ゴメン。
あとコロナウィルスは本当にやばいみたいだ。
中国を叩き潰すために英米のアングロサクソンのくずどもが
やった説がネットでは有力。
ここでも俺はトランプが味方だと思っていたので
根本的に間違っていた。
今まで騙されっぱなしだったことに気づいた一週間だった。
コロナウィルスで死んでいった中国人たちの仇をとってやりたいのは
山々だが、今の俺にはどうしょうもできない。すまん。 脱出口の前では公務員のカポーたちが行く手をさえぎっている。
なかなか脱出するのには時間がかかりそう。 意外と簡単に第一関門をクリアした。
この調子でバンバン扉をけ破っていきたいね。 第一関門はクリアしたと思ったら、また戻されていた。
公務員のカポーどもがいかに責任を取らずに、なんとか
こちらを騙して丸く収めようとしているのが手に取るように
分かる。
まぁ、フリーライダー、国家の寄生虫、卑怯者の思考と
行動を目前で見ていることはそれなりに勉強になるといえばなる。
株はやっと暴落してきた。これから半年後くらいが最安値と
推定される。この暴落で儲けた金で今の相続トラブルから抜け出せるかも
しれない。
今週は復讐に燃えた一週間だった。ちょっと前までは全部
水に流してやろうかと思っていたけど、やっぱり悪党は地獄へ
突き落とすのが世のため人のためだと気づいた一週間だった。
みんなの幸せを考え、中庸を愛するためには、
裏切者には死を! という中庸の裏側のルールはやっぱり
どうしても外せないものだ。 第二ルートから脱出口が見つかった。
俺が考えていたルートの脱出口よりいい出口だった。
完全に脱出できるのは2・3か月かかりそうだけど、
もうほとんど脱出できているので明日からゆっくりと
エッセイの構想を練り直そうと思う。
今日は快晴で、空気がキラキラと輝いていて、春だー、
って感じのいい日だった。
父が死んでから初めて幸せを感じた日だった。 だんだんコロナが広まってきて、行動が自然にセーブされたせいか
心が落ち着いてきた。今日は一日読書していた。
やっと心に余裕がでてきた。
コロナは俺を守っていてくれているのかもしれない。
最近、土俵際まで追い込まれていたが、今日一日で
いろいろ態勢を立て直せる心の余裕をでてきた。 株が大暴落しているのは朗報だが、俺の資産の源泉である
カクヤスの株もちょうどいま仕手戦に巻き込まれて、ものすごく
大暴落している。6月の株主総会までに株がさらに大暴落して
それで稼いだ金でカクヤスの株を買うべきなのかどうなのか、
いろいろまだまだ悩みが尽きない。
これを読んでいる人で株に興味がある人がいたら、カクヤスは
今ものすごく割安な株だからちょっとだけでも買ってあげてね。
内需株だし、宅配業だし、去年の12月に上場したばかりだし、
コロナも金融崩壊もカクヤスには影響ないはずだから。
酒は不況だろうがなんだろうが飲むやつは飲むよ。 修正資本主義により長期的利を追求する国家においてはある程度の福祉政策は絶対必要で
あることについてちょっとひらめいたのでメモしておく。
国家が全体の利、長期的利を最大化しようとするときは必ずその国民の大多数の協力が必
要である。その時病気になったり、障害を負ったりして新たに弱者となった人を公正さに至高
の価値を置きその人を自己責任として助けずに、見捨てることは一見損得勘定の面から
言ったらよさそうに見える。しかしそうするとその弱者とその家族はもう国家への協力を
しなくなり、自分の短期的利を最大化しようとする。
そのことにより国家はもはや全体の利を、大局観に基づいた長期的利を追求できなくなる
のである。(例えば家族が経営している鉄筋コンクリートのマンションを想像してみると分
かりやすい。土地と建物あわせて5億円で買って、一年間に2500万円の賃料収入が確
実に入る(つまり利回り5%)とすると、20年で元が取れ、それから40年間みんなに利
がいきわたる。最後に建物が古くなりすぎたら、取り壊して土地を売り、その代金をみんな
で分ける。一見するとこれはいいように見えるがこういう計算のマンション経営は往々に
して失敗する。なぜ失敗するかというとマンションが建っている60年の間に相続が2回く
らいおこる。それにより共同経営者が増え、その中で必ず病気になったり、障碍者になった
りする共同経営者が出る。それを自己責任として助けないとその病気もちや障碍者の共同
経営者は自分の持分を第三者に売るか生活保護を受けるためにどこかに寄付する。そのこ
とにより赤の他人が共同経営者になる。そこでその赤の他人の共同経営者はほかの共同経
営者なんて全く信用していないし、全体の利なんかにも興味がなく、ただ自分の利を最大化
しようとする。つまり共同経営をひたすら妨害して、少しでも早くにマンションを売り換金
化しようとする。そのことによりもはや共同経営はできなくなり、長期的利、全体の利の最
大化はできなくなるのである。)
ゆえに助け合い、福祉というものは一見無駄なように見えるが、全体の利を、大局観に基づ
く長期的利を追求するための隠れた必要条件なのである。 今日は多磨霊園に花見に行った。広大な園内の中を縦横に
張り巡らされた満開の桜並木の下をぶらぶらと歩いていると、
ゆったりとした気分になった。
小鳥のさえずりを聞きながら春の気持ちのいい日の光を浴びて
いると久しぶりに心の奥のほうまで照らされているような気分に
なった。
生活の上でも、人生の上でもいろいろな問題が山積みになって
いるがとりあえず春ののどかな一日を何もせずに楽しめたことは
いいことだった。 正宗白鳥って名前だけは知っているけど、
絶対読んだほうがいいような面白い作家なの? 援軍が少しだけ来ていた。
おっ、というところからだけにちょっとうれしい。
だが、コロナショックの後、世界情勢がどうなるか、
悪が勝利するのか、中庸が勝利するのかは
全く分からなくなってきた。
まぁ、考えてもデータが少なすぎてどうしょうもないから
やれることからやっていこうと思う。 仮に悪が勝利するのならその勝者内でも棲み分けが生じる
そうすると中の価値が支配的になるだろうね >>599 卓見だね。俺の不安が一つ解決した。ありがとう。 中央銀行が紙幣を発行するとき金利を取ることはまちがっているか否かということについ
てふと考えてみたのでメモしておく。
中央銀行は紙幣を発行するとき金利を取る代わりに、基本的に信用創造される以上の紙幣
を市場に供給し、社会を2・3%のマイルドなインフレ状態にすることを目指す。
つまり紙幣を供給するという債権が2・3%の金利でも、世の中が2・3%のインフレなら中
央銀行はプラマイゼロとなる。そもそも2・3%のインフレは社会にとっていいものである。
なぜならそうすることにより長期的にお金を持っていても価値が減っていくから、お金持
ちは長期的、定期的に収入を得られるものに投資しようとする気持ちになるし、そのことに
より理論的にはみんなが豊かになる。逆に考えて、もし中央銀行が利子を0%でお金を発行
して、かつ基本的にお金の総量を変えないとすると、世の中はゼロサムゲームのつぶしあい
の競争が起こる。そういう意味で中央銀行が悪の化身であるという意見について私は否定
的な見解を持っている。 それはともかくとしてインフレというものは基本的に3種類の要因によって起こる。一つ
は需要が供給を上回るときで、この場合モノの値段はどんどん上がっていってインフレに
なる。(これは基本的に乱世の後7・80年間に起こり、それ以上平和状態が続くと供給過剰
になりこの種のインフレは起きなくなる)2つ目は上記に書いたように中央銀行が紙幣を
信用創造以上に供給する場合である。3つ目は市中の銀行が信用創造することによりお金
を増やすことによって起こる。現在、日本以外の世界は基本的にインフレなのだが、それは
3つめの理由、デリバティブに代表される金融資本主義で信用創造を極大化させたことによ
って起こっている。
つまり現在の社会のゆがみは金融資本主義が経済を信用経済から公正経済に変えようと
していることによって起こっているのであり、信用経済が間違っているから、中央銀行や
市中銀行が金利をとるから起こっているのではないのである。
たしかに金利が低くなればなるほど信用創造がしやすくなり、社会が発展するという理論も
なりたつが、そもそも金利が0%になれば銀行はつぶれてしまい、誰もお金を貸す人がいな
くなり、社会が崩壊するという推測もまた成り立つ。
また金利が2・3%の常識的な金利だと人々が責任感をもってきちんと社会貢献しようと思う
という理論もまた成り立つのである。 今日はちょっと用事で田園調布まで行ったついでに、多摩川の河原を
2時間ほど散策した。多摩川の河原は菜の花が満開で、菜の花の周りを
モンシロチョウがのどかに舞っていた。
今年は湘南でも行って、一日春のキラキラした海を眺める予定だったのだけど
コロナで行けなくなったので、代わりに多摩川の川面をしばらく眺めていた。
多摩川の川面はあんまりキラキラしていなかったけど、少しは心地よい
気分になった。
エッセイの構想の方は徐々に練れてきている。 需要過剰の時、インフレ時は自由競争しても神の見えざる手が
働き、自然に切磋琢磨が基本的には起こる。
供給過剰時、デフレ時に無制限の自由競争をすると神の見えざる手は働かず
つぶしあいになる。
基本的にデフレ時は企業間の談合をしてかつ中央銀行が2・3%の
インフレ誘導政策を取り、双方が神の見えざる手の代わりとなって、世の中に
切磋琢磨が起こるようにするのが望ましい。
企業も中央銀行もちゃんと全体の利を考える共同体感覚を持てるか
持てないかが供給過剰時に社会を天国にするか、地獄にするかの
境目なのである。 今日は多磨霊園にお墓参りに行った後、となりの浅間山を
散策した。雑木林の丘の中の小道は春の光できらきらとして
とても気持ちよかった。近くにこんなビューティースポットが
あるとは思わなかった。コロナで美術館や植物公園には
行けないため今年の春の休日はずっと浅間山をぶらぶらして
過ごすことになりそう。 中央銀行が紙幣を発行して政府から金利を得ることに批判的な人でも、政府が国債を発行
してその国債を買い受けて金利を得る銀行家や大商人を否定する人はいない。中央銀行も
市中銀行、大商人も政府から金利を受けているのは同じだが、両者のちがいは何かというと
中央銀行が政府に紙幣を発行すると理論的には中央銀行の株主、つまりこの世の供給側、生
産者側、お金を稼ぐ側がマネー政策を考えるのに対して、政府が政府紙幣を発行するという
ことは民主主義国では需要側、消費者側、お金を使う側がマネー政策を考えることにある。
どちらがより責任感をもってマネー政策を考えるかというと、常識的に考えて供給側、お金
を稼ぐ側だろうし、また現実問題として実務的には日銀の株主の51%は日本国政府になっ
ていて、供給側と需要側双方の意見を聞きながら、つまり談合してマネー政策を考えている
のであるから現状を特に変える必要はないはずであるし、民主主義国で政府紙幣を発行す
ることは多分下策ではあるだろう。 マネー政策は政府が考えるべきか中央銀行が考えるべきかということについてふとひらめ
いたのでメモしておく。
政府が考えるべきという主張の最大の根拠は政府の頂点には国民の代表である国会議員が
いることであり、そのことによって全体の利を真剣に考えているという主張である。
それに反論することはいろいろとできる。まずそもそも内閣も総理大臣も国会の多数派党
から選ばれており、よって国民の多数派の利益の代表者であり、基本的には多数派の利の最
大化を目指そうとしていて必ずしも全体の利を最大化しようとはしていないこと。また衆
議院議員は長くても4年に一回行われる選挙で選ばれているため仮に全体の利を考えてい
るとしても全体の短期的利の最大化を図ろうとすること。(そうしなければ次の選挙で落と
されるから)短期的全体の利の最大化とは端的に言えばストックをできるだけ早くみんな
に分配しようということである。短期的全体の利の最大化をするためには基本的に共同体
感覚は必要としない。 また国会議員の日ごろの言動から見ても国家の長期的利を最大化する責任感も能力もとて
も持っているとは思えないことがあげられる。要するに私人の集合の代表が必ず公共心を
持つとは限らないということである。
中央銀行がマネー政策を考えるべきという理由もいくつかあげるとまず銀行員には銀行は
公共機関であるという教育が徹底的にされていることがあげられる。(銀行員は利を追求す
ることよりもまずお客様のお金を守ることを優先することが徹底的に教育されているとい
うことである。)また銀行員には選挙はないので共同体感覚をもって長期的全体の利を考え
るゆとりがあることも理由としてあげられる。長期的全体の利とは計画的に投資をして富
を増やそうとすることである。 また中央銀行がマネー政策を考えるということは、つまり中央銀行の株主である供給側、お
金持ちの意向を反映して考えるということである。また日本にとって現在、長期的全体の利
の最大化とは何を意味するかというともちろんこのまま国家総力戦をせずに平和に暮らし
ていくというとことである。アメリカに代表されるアングロサクソン諸国にとっては少な
くとも第二次世界大戦は長期的全体の利の最大化に資するものであったのでお金持ち、中
央銀行がこの先戦争を望むということはありうるが、基本的に日本は国家総力戦をすると
必ず負ける立場なので平和の継続はすべての日本のお金持ちの望むことである。(国家総力
戦に負けて一番損するのはお金持ちだから)
上記の理由によりマネー政策は中央銀行が考えることのほうが理論的には正しいのである。 今日は何も仕事をせず、どこにも行く用事もなく
ただ家にいてぼーとしたり、洗濯とかしていた。
落ち着いてぼーとできる状況は久しぶりだけど、
なんかいい気分だ。
暦のうえではもう夏だけど、今年の夏は多分
プールは営業していないので、ただ単に暑くて
寝苦しいだけのいやな夏になりそうな予感がする。 今週は特になにもない一週間だった。
天気もいいし、気分良くは過ごせたような気はするけど、
これといった記憶もなく一週間が過ぎ去ってしまった。
まぁ、こういう週もあるよね。 全体のパイを大きくするためには市中銀行の存在が欠かせないことについてちょっとひら
めいたのでメモしておく。
まず分かりやすく説明するためにはじめに世の中に市中銀行がなくその代替として投資家
だけがいる場合、つまり公正経済の場合について説明する。
公正経済では投資家が会社に金を投資し、会社が客に商品を売るということで成り立つ。こ
れだけ書いただけでも客と投資家の間を結ぶ金の流れがないのだから、お金が循環せず持
続不可能な経済であることは明白だが、その問題はとりあえず置いといて投資家、会社、客
の詳細な心理について考えてみる。現在の株式市場を見ても分かる通り投資家は100%利己
的に少しでも多く利益を得るために投資行動をする。会社は投資家に配当金を多く払おう
とするため利己的に一円でも多く利益を上げようとして従業員の給料をできるかぎり低く
抑えようとする。客は商品の品質は良く分からないので利己的に一円でも安い商品を買お
うとする。このことにより公正経済では投資家が富を独占していきどんどん全体フローの
パイは減っていく。 次に信用経済、市中銀行があり場合について考えてみる。市中銀行は会社にお金を貸しそこ
から金利を取ろうとする。ただ銀行は中庸を愛する公的機関なので犯罪的に利己的な悪徳
企業には金を貸さず、ちゃんと社会貢献しようとする企業にお金を貸すものとする。会社は
社会貢献を考え、いい商品を作り、従業員に適切な給料を払いながらお金儲けをしようとす
る。客は適正価格で商品を買うことに知足をもって満足し、労働者として稼いだ賃金の残り
を銀行に預ける。この循環経済のポイントは銀行が会社にお金を貸すとき短期的に利益を
得ようとするのではなく長期的視点をもって会社に稼いで大きくなってもらい、結果、より
多くのお金を借りてもらい、より多くの金利を得ようとしているところである。(会社に貸
す資金は信用創造で作るので貸した金を会社が有効に使うならいくらでも貸せる)また銀
行が長期的に全体の利を考えてくれるため会社も長期的に事業を考えられ、会社同士が切
磋琢磨できることも連鎖的にあげられる。
このようにして信用経済、市中銀行がある場合は全体のフローのパイをどんどん大きくす
ることができるのである。。 5月は結構順調に本業も雑務も進んでいる。
父が死んでから、ちょっと道に迷って
途方にくれていたが、目の前にかかっていた霧が晴れてきて、
だんだん足元の道が見えるようになってきた。
四面楚歌っていう状況は変わりはないが、なんとかなりそう
な気配がする。 今日は小さいけれどラッキーなことが3つもあった。
だんだん運が向いてきたかも。
この調子で6月7月と一気にのぼりつめられたらいいな。 今日はドジョウを食べに浅草に行った。コロナの影響で
浅草はガラガラでなんか得した気分になった。
帰り道、麦茶を飲みながら初夏の南風に吹かれて
気持ちよかった。
エッセイはやっと構想を練り終わって来週から書き出す
予定。
今、急激な円安になっているのが、ちょっと不安だけれど
基本的には「システムオールグリーン」って感じだ。 エッセイはとりあえず少し書けた。
まぁ、そのうち波に乗るだろう。
昨日はやっと久しぶりにプラネタリウムに行った。
美術館とかもそろそろ開いてきて、休日を休日らしく
過ごせそうだ。
でもやっぱりこの夏はプールは開かなそうな感じ。
一昨年、去年とはちがい今年の6月は全般的に
静かに過ごせそうな予感。 昨日は高圧洗浄機でマンションの清掃をやっていたら、
急に汗が噴き出してきて眩暈がしたと思ったら、
エレベーターの中で失神して倒れてしまった。多分、
気を失っていた時間は2・3分なんだろうけど、失神する
なんて初めての経験だったのでものすごくびっくりした。
家に帰って2時間ほど寝たら治ったんだけど、今日は
大事を取って一日中家にいようと思う。
今は、全身に力が入らず強制的にリラックスしている
状態だけどこれがさらなる回復のサインだったらいいな。 >>620 また一段上の高みに登った。
6つ目のエッセーのテーマは幸福論なんだけど、
今回失神したことにより、幸福には解放感(心地よさ)と
満足感(充実感、楽しさ)2種類があることが分かった。
まだ先になるけど6つ目のエッセイも期待しててくれ。 7月の都知事選は山本太郎と桜井誠と宇都宮、
誰に投票しようか迷っていたんだけど、ネットで
とりあえず山本太郎の出馬会見を見てみて、って
いろいろなところで言われていたので見たら、
これは山本太郎しかいない、って分かった。
https://www.youtube.com/watch?v=xK9UUzXUO8o
桜井誠はきまぐれオレンジラジオってユーチューブの
チャンネルを持っていて、無茶苦茶俺的には好感度
自体は上がっていたが、裏切り御免。www 今年の6月はたいした思想的発展もせずに終わるのかと
思っていたら、全然違った。去年よりも一昨年よりも
今年のほうがずっと哲学的発展があった。
やっとフリーライダー問題を完全攻略した。
5つ目のエッセイは期待しといてくれ。 あとそういえば相続問題で経済的に追いつめられていたけど
今週の火曜日にやっと第二ルートの脱出口を完全に確保できた。
ここまで来るのに4か月かかった。予想よりも時間はかかったけど、
まぁやっと最大の憂いが消えた。
なめたマネしやがって、いつか100倍返しして必ず全員地獄へ送ってやる!
って独り言を言えるほどには心に余裕ができた。 5つ目のエッセイのポイントをまとめたノートがなくなってしまった。
3日くらい探して出てこなかったらまたまとめ直すつもり。
でも今日はユーチューブでラッキーデーっていっていたので、5つめのエッセイを
未完だけどアップしてみる。それなりに面白いので暇だったら読んでね。
https://kensintachibana.blogspot.com/2020/06/blog-post.html 今年は夏の市民プールは休みかと思っていたら、
7月おわりごろから9月上旬までやることが分かった。
夏の楽しみが一つ増えた。やっほー。
あとノートは結局出てこなかったので、来週から
8月終わりくらいまでかけてまたまとめノートを作る予定。
もう夏至も終わっているけど、7月5日の満月までは
大事を取って一応だらだらと過ごそうと思う。
今年の6月もいろいろ収穫があったいい月だった。 今日は浅間山にヤマユリを見に行った。
ヤマユリはまだ一輪しか咲いていなかったけど、
いたるところにヤマユリの蕾はあり、来週行ったら
多分浅間山はヤマユリだらけになっていそう。
去年の今頃はもうプールで涼んでいたころだったけど、
まぁ今年は今年で浅間山で来週は美しい夏の一日を
過ごせそう。 浅間山に行ってきた。山の中は山百合の花が満開だったけど、
思ってたほどきれいではなかった。でも野生の山百合の花なんて
みるのは久しぶりだからちょっとラッキーだった。
帰りに多磨霊園によったら、うちのお墓の近くの区画にはところどころに
3年前に種を空中にばら蒔いて忘れていた新鉄砲ユリの茎が生えていた。
父の初盆はけっこういい感じで迎えれそう。 今日は国立西洋美術館のロンドンナショナルギャラリー展に行ってきた。
モネの「睡蓮の池」とゴッホの「ひまわり」が最後にとりとして飾ってあって
そこが一番見どころなんだけど、不運は人生を送ったゴッホの方が、
芸術的には高いのは分かるけど、成功したモネの絵のほうが見ていて
心地よい気分になった。
37歳で死んだゴッホの絵を見ているとちょっと青春時代を思い出して、
やっぱりなんか居心地の悪い感情を思い出してしまうよね。 午前中ちょっとエッセイを書いた後、午後は新宿の
sompo美術館にゴッホのひまわりを見に行った。
上野のひまわりはゴッホがゴーギャンとの共同生活
に期待を膨らませて理想の生活っていうテーマ
で丁寧に描かれた傑作で、新宿のひまわりは
ゴーギャンとの切磋琢磨する理想の共同生活に2か月で破れ、
現実を知った後に投げやりに描かれたひまわりなんだけど、
なんか新宿のひまわりの方がぐっと来た。
現実はやっぱりうまくいかないよね、っていうのを
しみじみと思った。 なんかいまいち体が重くて気分が良くない。
エッセイも雑務も匍匐前進って感じだ。 今朝一番で今年初めてのプールに行ってきた。
体の中にたまっていた熱がぬけて久しぶりに快適な気分。
今日は俺の夏休みとして一日何もしないつもり。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています