日本文明の精華、見てみませんか。 [転載禁止]©2ch.net
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絶対、グロじゃないよ。安心して開いて!
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これで見れるよ。
下から上に読んでいくのがポイント。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) 意外と簡単に第一関門をクリアした。
この調子でバンバン扉をけ破っていきたいね。 第一関門はクリアしたと思ったら、また戻されていた。
公務員のカポーどもがいかに責任を取らずに、なんとか
こちらを騙して丸く収めようとしているのが手に取るように
分かる。
まぁ、フリーライダー、国家の寄生虫、卑怯者の思考と
行動を目前で見ていることはそれなりに勉強になるといえばなる。
株はやっと暴落してきた。これから半年後くらいが最安値と
推定される。この暴落で儲けた金で今の相続トラブルから抜け出せるかも
しれない。
今週は復讐に燃えた一週間だった。ちょっと前までは全部
水に流してやろうかと思っていたけど、やっぱり悪党は地獄へ
突き落とすのが世のため人のためだと気づいた一週間だった。
みんなの幸せを考え、中庸を愛するためには、
裏切者には死を! という中庸の裏側のルールはやっぱり
どうしても外せないものだ。 第二ルートから脱出口が見つかった。
俺が考えていたルートの脱出口よりいい出口だった。
完全に脱出できるのは2・3か月かかりそうだけど、
もうほとんど脱出できているので明日からゆっくりと
エッセイの構想を練り直そうと思う。
今日は快晴で、空気がキラキラと輝いていて、春だー、
って感じのいい日だった。
父が死んでから初めて幸せを感じた日だった。 だんだんコロナが広まってきて、行動が自然にセーブされたせいか
心が落ち着いてきた。今日は一日読書していた。
やっと心に余裕がでてきた。
コロナは俺を守っていてくれているのかもしれない。
最近、土俵際まで追い込まれていたが、今日一日で
いろいろ態勢を立て直せる心の余裕をでてきた。 株が大暴落しているのは朗報だが、俺の資産の源泉である
カクヤスの株もちょうどいま仕手戦に巻き込まれて、ものすごく
大暴落している。6月の株主総会までに株がさらに大暴落して
それで稼いだ金でカクヤスの株を買うべきなのかどうなのか、
いろいろまだまだ悩みが尽きない。
これを読んでいる人で株に興味がある人がいたら、カクヤスは
今ものすごく割安な株だからちょっとだけでも買ってあげてね。
内需株だし、宅配業だし、去年の12月に上場したばかりだし、
コロナも金融崩壊もカクヤスには影響ないはずだから。
酒は不況だろうがなんだろうが飲むやつは飲むよ。 修正資本主義により長期的利を追求する国家においてはある程度の福祉政策は絶対必要で
あることについてちょっとひらめいたのでメモしておく。
国家が全体の利、長期的利を最大化しようとするときは必ずその国民の大多数の協力が必
要である。その時病気になったり、障害を負ったりして新たに弱者となった人を公正さに至高
の価値を置きその人を自己責任として助けずに、見捨てることは一見損得勘定の面から
言ったらよさそうに見える。しかしそうするとその弱者とその家族はもう国家への協力を
しなくなり、自分の短期的利を最大化しようとする。
そのことにより国家はもはや全体の利を、大局観に基づいた長期的利を追求できなくなる
のである。(例えば家族が経営している鉄筋コンクリートのマンションを想像してみると分
かりやすい。土地と建物あわせて5億円で買って、一年間に2500万円の賃料収入が確
実に入る(つまり利回り5%)とすると、20年で元が取れ、それから40年間みんなに利
がいきわたる。最後に建物が古くなりすぎたら、取り壊して土地を売り、その代金をみんな
で分ける。一見するとこれはいいように見えるがこういう計算のマンション経営は往々に
して失敗する。なぜ失敗するかというとマンションが建っている60年の間に相続が2回く
らいおこる。それにより共同経営者が増え、その中で必ず病気になったり、障碍者になった
りする共同経営者が出る。それを自己責任として助けないとその病気もちや障碍者の共同
経営者は自分の持分を第三者に売るか生活保護を受けるためにどこかに寄付する。そのこ
とにより赤の他人が共同経営者になる。そこでその赤の他人の共同経営者はほかの共同経
営者なんて全く信用していないし、全体の利なんかにも興味がなく、ただ自分の利を最大化
しようとする。つまり共同経営をひたすら妨害して、少しでも早くにマンションを売り換金
化しようとする。そのことによりもはや共同経営はできなくなり、長期的利、全体の利の最
大化はできなくなるのである。)
ゆえに助け合い、福祉というものは一見無駄なように見えるが、全体の利を、大局観に基づ
く長期的利を追求するための隠れた必要条件なのである。 今日は多磨霊園に花見に行った。広大な園内の中を縦横に
張り巡らされた満開の桜並木の下をぶらぶらと歩いていると、
ゆったりとした気分になった。
小鳥のさえずりを聞きながら春の気持ちのいい日の光を浴びて
いると久しぶりに心の奥のほうまで照らされているような気分に
なった。
生活の上でも、人生の上でもいろいろな問題が山積みになって
いるがとりあえず春ののどかな一日を何もせずに楽しめたことは
いいことだった。 正宗白鳥って名前だけは知っているけど、
絶対読んだほうがいいような面白い作家なの? 援軍が少しだけ来ていた。
おっ、というところからだけにちょっとうれしい。
だが、コロナショックの後、世界情勢がどうなるか、
悪が勝利するのか、中庸が勝利するのかは
全く分からなくなってきた。
まぁ、考えてもデータが少なすぎてどうしょうもないから
やれることからやっていこうと思う。 仮に悪が勝利するのならその勝者内でも棲み分けが生じる
そうすると中の価値が支配的になるだろうね >>599 卓見だね。俺の不安が一つ解決した。ありがとう。 中央銀行が紙幣を発行するとき金利を取ることはまちがっているか否かということについ
てふと考えてみたのでメモしておく。
中央銀行は紙幣を発行するとき金利を取る代わりに、基本的に信用創造される以上の紙幣
を市場に供給し、社会を2・3%のマイルドなインフレ状態にすることを目指す。
つまり紙幣を供給するという債権が2・3%の金利でも、世の中が2・3%のインフレなら中
央銀行はプラマイゼロとなる。そもそも2・3%のインフレは社会にとっていいものである。
なぜならそうすることにより長期的にお金を持っていても価値が減っていくから、お金持
ちは長期的、定期的に収入を得られるものに投資しようとする気持ちになるし、そのことに
より理論的にはみんなが豊かになる。逆に考えて、もし中央銀行が利子を0%でお金を発行
して、かつ基本的にお金の総量を変えないとすると、世の中はゼロサムゲームのつぶしあい
の競争が起こる。そういう意味で中央銀行が悪の化身であるという意見について私は否定
的な見解を持っている。 それはともかくとしてインフレというものは基本的に3種類の要因によって起こる。一つ
は需要が供給を上回るときで、この場合モノの値段はどんどん上がっていってインフレに
なる。(これは基本的に乱世の後7・80年間に起こり、それ以上平和状態が続くと供給過剰
になりこの種のインフレは起きなくなる)2つ目は上記に書いたように中央銀行が紙幣を
信用創造以上に供給する場合である。3つ目は市中の銀行が信用創造することによりお金
を増やすことによって起こる。現在、日本以外の世界は基本的にインフレなのだが、それは
3つめの理由、デリバティブに代表される金融資本主義で信用創造を極大化させたことによ
って起こっている。
つまり現在の社会のゆがみは金融資本主義が経済を信用経済から公正経済に変えようと
していることによって起こっているのであり、信用経済が間違っているから、中央銀行や
市中銀行が金利をとるから起こっているのではないのである。
たしかに金利が低くなればなるほど信用創造がしやすくなり、社会が発展するという理論も
なりたつが、そもそも金利が0%になれば銀行はつぶれてしまい、誰もお金を貸す人がいな
くなり、社会が崩壊するという推測もまた成り立つ。
また金利が2・3%の常識的な金利だと人々が責任感をもってきちんと社会貢献しようと思う
という理論もまた成り立つのである。 今日はちょっと用事で田園調布まで行ったついでに、多摩川の河原を
2時間ほど散策した。多摩川の河原は菜の花が満開で、菜の花の周りを
モンシロチョウがのどかに舞っていた。
今年は湘南でも行って、一日春のキラキラした海を眺める予定だったのだけど
コロナで行けなくなったので、代わりに多摩川の川面をしばらく眺めていた。
多摩川の川面はあんまりキラキラしていなかったけど、少しは心地よい
気分になった。
エッセイの構想の方は徐々に練れてきている。 需要過剰の時、インフレ時は自由競争しても神の見えざる手が
働き、自然に切磋琢磨が基本的には起こる。
供給過剰時、デフレ時に無制限の自由競争をすると神の見えざる手は働かず
つぶしあいになる。
基本的にデフレ時は企業間の談合をしてかつ中央銀行が2・3%の
インフレ誘導政策を取り、双方が神の見えざる手の代わりとなって、世の中に
切磋琢磨が起こるようにするのが望ましい。
企業も中央銀行もちゃんと全体の利を考える共同体感覚を持てるか
持てないかが供給過剰時に社会を天国にするか、地獄にするかの
境目なのである。 今日は多磨霊園にお墓参りに行った後、となりの浅間山を
散策した。雑木林の丘の中の小道は春の光できらきらとして
とても気持ちよかった。近くにこんなビューティースポットが
あるとは思わなかった。コロナで美術館や植物公園には
行けないため今年の春の休日はずっと浅間山をぶらぶらして
過ごすことになりそう。 中央銀行が紙幣を発行して政府から金利を得ることに批判的な人でも、政府が国債を発行
してその国債を買い受けて金利を得る銀行家や大商人を否定する人はいない。中央銀行も
市中銀行、大商人も政府から金利を受けているのは同じだが、両者のちがいは何かというと
中央銀行が政府に紙幣を発行すると理論的には中央銀行の株主、つまりこの世の供給側、生
産者側、お金を稼ぐ側がマネー政策を考えるのに対して、政府が政府紙幣を発行するという
ことは民主主義国では需要側、消費者側、お金を使う側がマネー政策を考えることにある。
どちらがより責任感をもってマネー政策を考えるかというと、常識的に考えて供給側、お金
を稼ぐ側だろうし、また現実問題として実務的には日銀の株主の51%は日本国政府になっ
ていて、供給側と需要側双方の意見を聞きながら、つまり談合してマネー政策を考えている
のであるから現状を特に変える必要はないはずであるし、民主主義国で政府紙幣を発行す
ることは多分下策ではあるだろう。 マネー政策は政府が考えるべきか中央銀行が考えるべきかということについてふとひらめ
いたのでメモしておく。
政府が考えるべきという主張の最大の根拠は政府の頂点には国民の代表である国会議員が
いることであり、そのことによって全体の利を真剣に考えているという主張である。
それに反論することはいろいろとできる。まずそもそも内閣も総理大臣も国会の多数派党
から選ばれており、よって国民の多数派の利益の代表者であり、基本的には多数派の利の最
大化を目指そうとしていて必ずしも全体の利を最大化しようとはしていないこと。また衆
議院議員は長くても4年に一回行われる選挙で選ばれているため仮に全体の利を考えてい
るとしても全体の短期的利の最大化を図ろうとすること。(そうしなければ次の選挙で落と
されるから)短期的全体の利の最大化とは端的に言えばストックをできるだけ早くみんな
に分配しようということである。短期的全体の利の最大化をするためには基本的に共同体
感覚は必要としない。 また国会議員の日ごろの言動から見ても国家の長期的利を最大化する責任感も能力もとて
も持っているとは思えないことがあげられる。要するに私人の集合の代表が必ず公共心を
持つとは限らないということである。
中央銀行がマネー政策を考えるべきという理由もいくつかあげるとまず銀行員には銀行は
公共機関であるという教育が徹底的にされていることがあげられる。(銀行員は利を追求す
ることよりもまずお客様のお金を守ることを優先することが徹底的に教育されているとい
うことである。)また銀行員には選挙はないので共同体感覚をもって長期的全体の利を考え
るゆとりがあることも理由としてあげられる。長期的全体の利とは計画的に投資をして富
を増やそうとすることである。 また中央銀行がマネー政策を考えるということは、つまり中央銀行の株主である供給側、お
金持ちの意向を反映して考えるということである。また日本にとって現在、長期的全体の利
の最大化とは何を意味するかというともちろんこのまま国家総力戦をせずに平和に暮らし
ていくというとことである。アメリカに代表されるアングロサクソン諸国にとっては少な
くとも第二次世界大戦は長期的全体の利の最大化に資するものであったのでお金持ち、中
央銀行がこの先戦争を望むということはありうるが、基本的に日本は国家総力戦をすると
必ず負ける立場なので平和の継続はすべての日本のお金持ちの望むことである。(国家総力
戦に負けて一番損するのはお金持ちだから)
上記の理由によりマネー政策は中央銀行が考えることのほうが理論的には正しいのである。 今日は何も仕事をせず、どこにも行く用事もなく
ただ家にいてぼーとしたり、洗濯とかしていた。
落ち着いてぼーとできる状況は久しぶりだけど、
なんかいい気分だ。
暦のうえではもう夏だけど、今年の夏は多分
プールは営業していないので、ただ単に暑くて
寝苦しいだけのいやな夏になりそうな予感がする。 今週は特になにもない一週間だった。
天気もいいし、気分良くは過ごせたような気はするけど、
これといった記憶もなく一週間が過ぎ去ってしまった。
まぁ、こういう週もあるよね。 全体のパイを大きくするためには市中銀行の存在が欠かせないことについてちょっとひら
めいたのでメモしておく。
まず分かりやすく説明するためにはじめに世の中に市中銀行がなくその代替として投資家
だけがいる場合、つまり公正経済の場合について説明する。
公正経済では投資家が会社に金を投資し、会社が客に商品を売るということで成り立つ。こ
れだけ書いただけでも客と投資家の間を結ぶ金の流れがないのだから、お金が循環せず持
続不可能な経済であることは明白だが、その問題はとりあえず置いといて投資家、会社、客
の詳細な心理について考えてみる。現在の株式市場を見ても分かる通り投資家は100%利己
的に少しでも多く利益を得るために投資行動をする。会社は投資家に配当金を多く払おう
とするため利己的に一円でも多く利益を上げようとして従業員の給料をできるかぎり低く
抑えようとする。客は商品の品質は良く分からないので利己的に一円でも安い商品を買お
うとする。このことにより公正経済では投資家が富を独占していきどんどん全体フローの
パイは減っていく。 次に信用経済、市中銀行があり場合について考えてみる。市中銀行は会社にお金を貸しそこ
から金利を取ろうとする。ただ銀行は中庸を愛する公的機関なので犯罪的に利己的な悪徳
企業には金を貸さず、ちゃんと社会貢献しようとする企業にお金を貸すものとする。会社は
社会貢献を考え、いい商品を作り、従業員に適切な給料を払いながらお金儲けをしようとす
る。客は適正価格で商品を買うことに知足をもって満足し、労働者として稼いだ賃金の残り
を銀行に預ける。この循環経済のポイントは銀行が会社にお金を貸すとき短期的に利益を
得ようとするのではなく長期的視点をもって会社に稼いで大きくなってもらい、結果、より
多くのお金を借りてもらい、より多くの金利を得ようとしているところである。(会社に貸
す資金は信用創造で作るので貸した金を会社が有効に使うならいくらでも貸せる)また銀
行が長期的に全体の利を考えてくれるため会社も長期的に事業を考えられ、会社同士が切
磋琢磨できることも連鎖的にあげられる。
このようにして信用経済、市中銀行がある場合は全体のフローのパイをどんどん大きくす
ることができるのである。。 5月は結構順調に本業も雑務も進んでいる。
父が死んでから、ちょっと道に迷って
途方にくれていたが、目の前にかかっていた霧が晴れてきて、
だんだん足元の道が見えるようになってきた。
四面楚歌っていう状況は変わりはないが、なんとかなりそう
な気配がする。 今日は小さいけれどラッキーなことが3つもあった。
だんだん運が向いてきたかも。
この調子で6月7月と一気にのぼりつめられたらいいな。 今日はドジョウを食べに浅草に行った。コロナの影響で
浅草はガラガラでなんか得した気分になった。
帰り道、麦茶を飲みながら初夏の南風に吹かれて
気持ちよかった。
エッセイはやっと構想を練り終わって来週から書き出す
予定。
今、急激な円安になっているのが、ちょっと不安だけれど
基本的には「システムオールグリーン」って感じだ。 エッセイはとりあえず少し書けた。
まぁ、そのうち波に乗るだろう。
昨日はやっと久しぶりにプラネタリウムに行った。
美術館とかもそろそろ開いてきて、休日を休日らしく
過ごせそうだ。
でもやっぱりこの夏はプールは開かなそうな感じ。
一昨年、去年とはちがい今年の6月は全般的に
静かに過ごせそうな予感。 昨日は高圧洗浄機でマンションの清掃をやっていたら、
急に汗が噴き出してきて眩暈がしたと思ったら、
エレベーターの中で失神して倒れてしまった。多分、
気を失っていた時間は2・3分なんだろうけど、失神する
なんて初めての経験だったのでものすごくびっくりした。
家に帰って2時間ほど寝たら治ったんだけど、今日は
大事を取って一日中家にいようと思う。
今は、全身に力が入らず強制的にリラックスしている
状態だけどこれがさらなる回復のサインだったらいいな。 >>620 また一段上の高みに登った。
6つ目のエッセーのテーマは幸福論なんだけど、
今回失神したことにより、幸福には解放感(心地よさ)と
満足感(充実感、楽しさ)2種類があることが分かった。
まだ先になるけど6つ目のエッセイも期待しててくれ。 7月の都知事選は山本太郎と桜井誠と宇都宮、
誰に投票しようか迷っていたんだけど、ネットで
とりあえず山本太郎の出馬会見を見てみて、って
いろいろなところで言われていたので見たら、
これは山本太郎しかいない、って分かった。
https://www.youtube.com/watch?v=xK9UUzXUO8o
桜井誠はきまぐれオレンジラジオってユーチューブの
チャンネルを持っていて、無茶苦茶俺的には好感度
自体は上がっていたが、裏切り御免。www 今年の6月はたいした思想的発展もせずに終わるのかと
思っていたら、全然違った。去年よりも一昨年よりも
今年のほうがずっと哲学的発展があった。
やっとフリーライダー問題を完全攻略した。
5つ目のエッセイは期待しといてくれ。 あとそういえば相続問題で経済的に追いつめられていたけど
今週の火曜日にやっと第二ルートの脱出口を完全に確保できた。
ここまで来るのに4か月かかった。予想よりも時間はかかったけど、
まぁやっと最大の憂いが消えた。
なめたマネしやがって、いつか100倍返しして必ず全員地獄へ送ってやる!
って独り言を言えるほどには心に余裕ができた。 5つ目のエッセイのポイントをまとめたノートがなくなってしまった。
3日くらい探して出てこなかったらまたまとめ直すつもり。
でも今日はユーチューブでラッキーデーっていっていたので、5つめのエッセイを
未完だけどアップしてみる。それなりに面白いので暇だったら読んでね。
https://kensintachibana.blogspot.com/2020/06/blog-post.html 今年は夏の市民プールは休みかと思っていたら、
7月おわりごろから9月上旬までやることが分かった。
夏の楽しみが一つ増えた。やっほー。
あとノートは結局出てこなかったので、来週から
8月終わりくらいまでかけてまたまとめノートを作る予定。
もう夏至も終わっているけど、7月5日の満月までは
大事を取って一応だらだらと過ごそうと思う。
今年の6月もいろいろ収穫があったいい月だった。 今日は浅間山にヤマユリを見に行った。
ヤマユリはまだ一輪しか咲いていなかったけど、
いたるところにヤマユリの蕾はあり、来週行ったら
多分浅間山はヤマユリだらけになっていそう。
去年の今頃はもうプールで涼んでいたころだったけど、
まぁ今年は今年で浅間山で来週は美しい夏の一日を
過ごせそう。 浅間山に行ってきた。山の中は山百合の花が満開だったけど、
思ってたほどきれいではなかった。でも野生の山百合の花なんて
みるのは久しぶりだからちょっとラッキーだった。
帰りに多磨霊園によったら、うちのお墓の近くの区画にはところどころに
3年前に種を空中にばら蒔いて忘れていた新鉄砲ユリの茎が生えていた。
父の初盆はけっこういい感じで迎えれそう。 今日は国立西洋美術館のロンドンナショナルギャラリー展に行ってきた。
モネの「睡蓮の池」とゴッホの「ひまわり」が最後にとりとして飾ってあって
そこが一番見どころなんだけど、不運は人生を送ったゴッホの方が、
芸術的には高いのは分かるけど、成功したモネの絵のほうが見ていて
心地よい気分になった。
37歳で死んだゴッホの絵を見ているとちょっと青春時代を思い出して、
やっぱりなんか居心地の悪い感情を思い出してしまうよね。 午前中ちょっとエッセイを書いた後、午後は新宿の
sompo美術館にゴッホのひまわりを見に行った。
上野のひまわりはゴッホがゴーギャンとの共同生活
に期待を膨らませて理想の生活っていうテーマ
で丁寧に描かれた傑作で、新宿のひまわりは
ゴーギャンとの切磋琢磨する理想の共同生活に2か月で破れ、
現実を知った後に投げやりに描かれたひまわりなんだけど、
なんか新宿のひまわりの方がぐっと来た。
現実はやっぱりうまくいかないよね、っていうのを
しみじみと思った。 なんかいまいち体が重くて気分が良くない。
エッセイも雑務も匍匐前進って感じだ。 今朝一番で今年初めてのプールに行ってきた。
体の中にたまっていた熱がぬけて久しぶりに快適な気分。
今日は俺の夏休みとして一日何もしないつもり。 今日は朝4時に起きて去年友達に教えてもらったカブトムシの集まる木に
カブトムシを見に行った。野生のカブトムシが雄雌あわせて12匹も見れた。ラッキーな感じ
がしないわけでもないが、ちょっといっぱいいすぎてなんだか気持ち悪かった。www
帰りに多磨霊園に行き野生のユリの花を見てきた。まだほとんど咲いていなかったけど
雑草でいっぱいの荒れたお墓の中に咲いているユリの花は無茶苦茶綺麗に見えた。
ユリの花を見た後多磨霊園の横の浅間山のふもとを一周した。朝早くて気温が
まだ低かったせいかひぐらしが鳴いていた。
今朝はもし子供だったら、理想的な幸せを感じそうな夏の朝だった。 父の初盆が終わった。
まぁ、何事もなく無事に終わってよかった。 昼間は暑くてほとんど外に出れなかったけれど、
今週も何事もなくだらだらと一週間が過ぎた。
エッセイの方はやっともつれてこんがらがっていた
構想が整った。来週いっぱいかけて、文章を整える
つもり。 ダボス会議のグレートリセットが半年遅れて来年の夏になった。
ラッキーだった。
エッセイは9月の終わりには80%完成版をネットにアップする予定。
基本的に9月末にアップするエッセイで本質的には完成している
はずだが、12月末くらいまで残り20%の飾りつけをするつもり。
ジオングには足も必要なんですよ。www
今年の夏はものすごく暑かった。今までの人生で一番蝉の鳴き声
が雑木林の中に充満していた夏だった。 お金の性質と信用創造に基づく現在の銀行システムについてちょっと考えてみたのでメモしておく。
まずお金には二種類あるということを押させておきたい。
一つは生活必需品としてのお金で、なければ死んでしまう、どうしても必要なお金。
もう一つは余分なお金でこのお金は贅沢したり、金貸しをしたりするために使う。
またお金には他の商品と違って代替品がない。
このことから金貸しは基本的には需要と供給の関係にかかわらず、相手が生活必需品としてのお金
を貸してほしいと言ってきた場合、どこまでも相手の足元を見れるので金利をどこまでも高く設定する
ことができることが分かる。
悪徳金貸しをはびこらせないために現代では銀行は公共的機関となり低利でお金を貸すことに
なっている。また低利でお金を貸すかわりに銀行は信用創造という特権を持っている。
また現在の金融システムは中央銀行が配当を大口株主に払っているから、お金持ち有利のいかさま
システムだという批判がネットではある。これに対する反論は現在の金融システムは信用創造がベース
になっていて、かつ現在の貨幣は不換紙幣であることから、現在のお金は基本的にインフレになるのが
デフォルトでお金持ちに不利であるということであろう。
またビットコインなど未来の貨幣と噂される暗号通貨は通貨量の上限が決まっている。その通貨に信用
さえあれば基本的に暗号通貨はインフレになりにくい金持ちに有利な貨幣ということができるであろう。
以上のことからおそらく現在の信用創造する金融システムと中央銀行が諸悪の根源で暗号通貨にそれ
に代われば世の中が良くなるという説は一見大衆の側から出てきた説のように見えるがほぼ確実に支配
者層が流したプロパガンダということが分かる。 今週は今年の夏の最後の雰囲気を楽しむことを
最優先した一週間だった。今日はひぐらしの鳴き声を
聴こうと浅間山に行ったのだけれど、気温が高すぎたのか
ひぐらしは鳴いていなかった。
でも雑木林の隙間から見える雨上がりの青空と白い入道雲は
ちょっと夏らしくてよかった。
そういえばコロナはもう世界中で集団免疫を獲得して普通に
外出できるみたいだ。 今日は今年最後のプールに行ってきた。
プールから帰ってきて昼飯を食べてからちょっと昼寝して、
今は体力が100%になっている。
今週の土日からやっとコロナでずっと休みになっていたバイトが
再開されて日常に戻れる。 5つ目のエッセイ「デフレ克服法」の80%完成版を一応アップしてみる。
ちょっとまだ文章に流暢性がないが12月末までには
なんとかするつもり。
https://kensintachibana.blogspot.com/2020/09/blog-post.html 今日は久しぶりにジブリ美術館に行った。
スマホの電子チケットでしか入れなくなったせいか、
若い日本人のカップルばかりでちょっと雰囲気が悪かった。
中国人観光客ばかりいて、誰でも入れるようなコロナ前の
方がよかったと思うが、今日はコロナで入場者をいつもの
半分くらいにしていたためいつもは入れない美術館のカフェで
ホットドッグをつまみに風の谷のビールをはじめて飲めた。
風の谷のビールは普通のビールだった。
今週からやっと冷房なしで快適に過ごせる季節になりほっとは
しているが、いまいち体が重いのとまた雑務がたまってきているので
どうもエッセイの方は調子に乗れないでいる。 近くの公園で酒を飲みながら、中秋の名月を見てきた。
虫の音を聴きながら久しぶりに秋の宵闇を味わった。
明日は満月。
年を取っていろいろなことが完成に近づくのを感じながら
たたずむ穏やかな秋の夜っていうものはいいものだ。 今日は休日なんだけど、外は冷たい雨が降っているので
近所を散歩するとき以外は基本的に部屋にいることにした。
エッセイの構想はけっこう進んだんだけど、進化しすぎて
結局12月には実力を完全に100%出し切った完成版を
アップすることは無理になりそう。
こうどんどん思想が進化していくことはうれしいことではあるんだけど、
どんどん先に進んでいつまでたっても完成しないっていうのも
なんだかなぁって感じだ。
1カ月前に予定していた完成版よりもいいものにはなりそうなんで
まぁこれでとりあえずいいとしよう。 水曜日から土曜日まで熊本に旅行に行っていた。
阿蘇の空気と水は無茶苦茶おいしかった。
まぁ、いい旅行だった。 今週は運転免許の更新に行ったり、いろいろな雑務に追われている。
運転免許の写真は五年前の時より明らかに目の輝きが強くなっていた。
回復したんだなぁとしみじみと思った。
まさかあの地獄から脱出できて、こんなに解放感を再び感じることができるとは
五年前には思ってもみなかった。
とりあえず今週は秋の解放感を感じて適当に過ごそうと思う。 今日はさわやかな秋の日だったので、バイクで
井之頭公園まで行った。井之頭公園の雑木林は
少し色づいていて陽の光を黄金色にきらめかせていた。
井の頭公園にはジブリ美術館に行くために行ったんだけど
ジブリ美術館ではまだ俺が本調子でなかったころにみた
短編映画をまた見ることになった。
パン種とタマゴ姫っていう映画なんだけど、前回見たときは
全然面白くなかった思い出があったが、今回見たらものすごく
面白かった。調子の良しあしでこうもちがうものかと
新鮮な発見だった。 昨日は友達と神代植物園でバラ園を見た後ひなたぼっこしながら2時間くらい
他愛もない話をしていた。ゆっくりひなたぼっこするなんて
子供の時以来でバイクで家に帰る帰り道は眠くて眠くてしょうが
なかった。ここまでリラックスできたのは物心ついてからはじめてってくらい
リラックスした。
成功したらその友達にはお礼をしたい。 今日は新宿御苑にグラウンディングをしに行った。
気温は12℃くらいでちょっと冷たかったが、ひんやりとした
芝生もそれなりに気持ちよかった。
今はすっきりした気分で自分の部屋で寛いでいる。
年末にかけてまた雑務がたまってきたが、エッセイは
とりあえず年内には完成しそう。 グラウンディングっていうのは自然の地面を素足で歩くこと。
人間の足の裏っていうのは手のひらと同じくらい神経が集中している。
素足で新宿御苑の芝生を歩くと足の裏に芝生の快い弾力感や
地面のデコボコ感、芝生の上に落ちている落ち葉の感触など
いろいろな日常生活では感じられない感覚を感じる。
それらが脳をリフレッシュさせてすっきりさせることを楽しむことを
グラウンディングっていうの。
なぜ新宿御苑かというと新宿御苑はペットは入れないため、犬や
猫の糞を気にせずにゆっくりと歩けるから。 おお!LSD食いながらやると地面と肉体が一体化するやつだ 今朝は浅間山を2時間ほど散歩していた。
秋の黄色に色づいた雑木林が大人の成熟した幸せを
感じさせた。
中庸と公正さについて考えるともなく考えていると、ふと
自分が幸せになりたいという気持ちが心のゆとりを奪い
公正さを愛させ、秋のさわやかな豊かな雑木林のように、次世代のため
子孫を幸せにしたいという気持ちが、心のゆとりが生み生命に中庸を
愛させるのだということが分かった。
今日はいい一日だった。 今週は雑務に追われた一週間だった。
来週からエッセイを書く時間が少し取れそう。
日経平均は26500.円まで暴騰している。
なかなか思うようにはいかないものだ。 今日は椿の花の匂いをかぎに神代植物園に行ってきた。
椿のかぐわしい匂いを胸いっぱいに吸い込んでちょっと
幸せになった。
エッセイは来週には完成できると思う。ショウペンハウアー
を真似てねちねちした長文で書いていたんだけど、だんだん長文過ぎて
自分でも文法的に正しいのか否かよく分からなくなってしまった。
でも内容の方はまぁ合格点はいっているので期待しといてね。 今日はネットサーフィンをしていたら横浜銀行の来年のカレンダーは
東山魁夷の「残照」だということに気づいて、急いで下北沢の横浜銀行
までバイクで言って、カレンダーを3枚貰ってきた。超ラッキー。
何の根拠もないけど横浜銀行はこの世界大恐慌の勝ち組になると
少なくとも横浜銀行自身は思っていそうだ。www 5つめのエッセイ「デフレ克服法」は一応完成した。
https://kensintachibana.blogspot.com/2020/12/1.html
長かった。www
6つ目のエッセイ「幸福論」は2・3年かけて何回か同じような
エッセイをアップしようと思っている。とりあえず来年の7月か
8月に一度目のエッセイをアップするつもり。
とりあえず今は哲学のマクロ道徳(社会道徳)面をクリアして
やっとまたミクロ道徳(個人的道徳)面に戻れてほっとしている。
世界大恐慌の最中に思いっきりカウンターを打ちたくもあったが、
まぁ、世界大恐慌前にすべての橘謙信流マクロ経済学、マクロ道徳
をアウトプットできたのはよいことなのだろう。 今日は井之頭公園まで散歩をしに行った。
井の頭公園は紅葉がピークだった。
昨日、横山大観の霊峰飛鶴のポストカードを買って
今部屋に飾ってあるんだけど、東山魁夷の残照と
比較してみると横山大観が緊張の美、志とかをテーマに
した儒教的な画家で東山魁夷がゆとりの美、解放感、
安らぎをテーマにした仏教的な悟りを描いた画家なのが
よく分かった。
気合の入っている横山大観の絵を見ていると自分の若い
頃の初志を思い出し、すこしなつかしい気分になった。 今週は部屋の大掃除をしたり、お墓の掃除をしに行ったり、近所のお地蔵さんを
たわしで洗いに行ったりと年末恒例の用事をこなした。
4年前、近所のお地蔵さんを洗う夢を見て、お地蔵さんを洗いに行ったら認知障害が
完全に治った縁起のいいお地蔵さんを今洗ってきたところなんだけど、体の中に
清々しい感情が満ちているのが分かる。
今日はいい一日だった。 今週はいろいろ遊んだ一週間だった。
今日は東京近代美術館に行った。
遊びながらもいろいろ次から次へとアイデアが浮かび
一週間有意義に過ごせた。
5つ目のエッセイ「デフレ克服法」はあと3・4行付け足さなければ
いけなくなった。とりあえず年末はゆっくり休み一月中に
3・4行付け足すつもり。 今週はいろいろ雑用をしていたら終わってしまった。
今年も吉報は来なかった。ガックシ。
来年こそは吉報が来ますように。
良いお年を。 緊急事態宣言が出て副業がしばらく休みになった。
エッセイを書く時間が12月中旬から全く取れなかったが、
やっとこれで書くことができる。
コロナは俺にとってはやっぱり味方なのかもしれない。 デフレ克服法 付け足し部分
ここまで書いてきて今、はたと気づいたのだが、基本的に今まで書いてきたことに間違いはないのだが、
ミクロの個人道徳とマクロの社会道徳を明確に分けずに混同しながら説明しようとしてきたのでここまで
ややこしい文章になってしまったともいえるので、ここでミクロ道徳とマクロ道徳(社会道徳)とを明確に
分けてその関係性について述べたいと思う。
個々人を剛強な魂を持つ個人主義者(よく言えば強さと独立を愛する男らしい人、悪く言えば自分の権
利、利を最大化しようとする自分勝手な人)と規定して、社会は彼ら個人主義者の集合体だとみなすと、
個人主義者同士がお互いの正義、権利を主張し争う社会が生まれ、必然的にそれらを調停するために
公正さがマクロの至上道徳となり、その公正さが学歴社会を作り、個人のミクロ道徳でも公正さを至上
価値と置かせるようになる。
個々人が柔弱な魂(よく言えば自我と共同体との境目があいまいなしなやかな優しい魂、悪く言えば意
志薄弱な弱い魂)でそれなりに隣人愛を持つ存在だと規定して、社会は彼ら柔弱な魂を持つ集合体だと
みなすと彼らは全体の利に配慮した安心感のある互恵的な社会に作ろうとする。マクロ道徳はお互い
様、寛厚、おかげさまといったような中庸を至上価値とする。
具体的に言えばミクロ道徳の思いやりがマクロ道徳のお互い様になり、ミクロ道徳の無償の利他行為が
マクロ道徳の全体の利を最大化するための寛厚に変わり、ミクロ道徳の知足がマクロ道徳のおかげ様
に変わるのである。
なぜそうなるのかというと個人はそれなりに無限の隣人愛というものを感情として表現することは可能だ
が、社会は資源が有限であるために人類は無限には増加できないし、微視的に言えば国家予算は有限
であるので行為としては隣人愛を優先順位をつけて限定的にしか表現することはできないからである。
つまりミクロの中庸を空虚なマクロの偽善に変えず実のある美徳のまま保つためには、他人の利、社会
全体の利を尊重することが必要不可欠なのである。 雑務がやっと9割がた片付いた。
来週からやっとエッセイの構想を練り始めれそう。
今日は倉式珈琲っていう喫茶店でコーヒーを飲んだ後
野川公園にひなたぼっこしに行った。
いまいちうまくくつろげなかったが、まぁこんな休日も
たまにはあるだろう。 もともと辺鄙なところにあるからほとんど人はいないけど、
コロナだからって全く人がいなくなったわけではない。
でもひとりでゆっくり人の目をあまり気にせずに日向ぼっこする
スペースはあるよ。 今週は順調に仕事が進んだ。
最近、やたら眠くて一日9時間くらい寝ているけど、
この睡眠で一段とまた病気が回復すればいいなぁ。 一昨日、ふと思い立ってバラの花とカスミソウを買った。
今、部屋の机の上でバラは花開いている。
ただ単に部屋を飾るために花を買うなんて初めてだが、
けっこう想像以上に心が和んでいる。いい金の使い方を発見した。
薬を張り薬から飲み薬に変えたせいか時々頭痛がする。
睡眠は十分とれているし、一応表面的にはあまり追いつめられても
いないので再発の心配はあまりしていないが、できれば
頭痛は治まってほしいものだ。 俺も昨日豚のバラ肉でネギ塩豚丼を作ったよ。うまかった。 食い物がうまいと味わえるのは健康な証拠。
珈琲とか飲み物の微妙な味を味わえるのは健康で
かつ心にゆとりがある証拠。 確かに精神的に追い詰められると味とかよくわからなくなるな 今週は3日間くらいかけて手紙を一通書いたのが最大の仕事だった。
吉と出るか凶とでるか、けっこうドキドキだ。
頭痛はけっこう治まってきたが、まだ安全圏にいるわけではないので
もう一週間くらいゆっくりと仕事をしようと思う。 今週はちょっとだけ仕事が進んだ。
体はすこし調子が良くなっている。
近くの公園では梅が8分咲きくらいになっている。
来週は友達と梅を見に行くので今年の2月は
去年よりもちょっと楽しい感じになりそう。 友達と梅を見に行ってきた。公園の梅は満開だった。
今日はよく眠れそうだ。 エッセイは幸福論の総論を書くのをいったんやめて
7月終わりくらいまで3つ目のエッセイの改訂版を
書くことにした。3つ目のエッセイが一番読まれているので
やっぱり早めに改訂版を書くことを優先させたほうが
読者にとって親切だし、改訂版を書くことで少し
思想を進化させてから幸福論を書いた方がうまく
書けそうな気がしたからだ。
ちょっとばたばたしているが、多分これはいい結果につながる
だろう。 今日は井の頭公園に行って、トトロのシュークリームを2個
買って食べてから、ボートに乗った。トトロのシュークリームは
1個440円するんだけど、値段の割には大したことはなかった。
井の頭公園では早咲きの桜がもう満開になっていた。ちょっと
見れてラッキーだったかも。
エッセイの方はいろいろとバタバタしている。基本的に急ぐ必要の
あるエッセイはもう書いてしまっているので、そのことが逆に
何から先に手を付けるべきかということを分からなくさせている。
多分あっちを手に付けてこっちを手につけてという風に1・2年
バタバタすることになるのだと思う。 金利とインフレ率についてちょっと考えてみたのでメモしておく。
インフレ率2%、金利2%の世界とインフレ率0%、金利0%の世界を比べてみよう。
一見するとどちらも同じような世界じゃないのかと思う人もいるかもしれないが、二つの世界は根本的に違う。
インフレ率2%、金利2%の世界は動いているのは分かるだろう。動いているとはどうい
うことかというとその中で住む人が常に新しくリスクのあることにチャレンジして結果を
出さなければ現状維持ができない世界という意味である。つまりインフレ率2%、金利2%
の世界は切磋琢磨が起きやすい。
インフレ率0%、金利0%の世界は静止して見える。だがよく見ればゼロサムゲームのつ
ぶしあいが行われている世界である。どういうことかというとその世界では常に金持ち
によるトップダウンのリスクのない効率化、つまりリストラが行われていて、そのことに
より金持ちはより金持ちになり、貧乏人はより貧乏人になる。
そればかりでなくその社会では新しくリスクのあるチャレンジをする人、ボトムアップ
の効率化をしようとする人を徹底的に金持ちがつぶそうとする社会でもある。なぜなら
そうしなければ金持ちがより金持ちになるための必勝パターンが崩れてしますからである。
今、世界的に金利が上昇してきた。なにはともあれこれは世界にとっては良いことなのだ
ろう。 今日は春のキラキラする海を見に江の島に行った。
砂浜で打ち寄せる波音に耳を澄ませながら見る青い
海はものすごく心を穏やかにさせた。
思えば江の島に来るのは高校生の時以来だったが
江の島はわりといい所だということに今日気づいた。
来年から毎年江の島に春の海を見に来ることを恒例
行事にしたいものだ。
春の海 終日 のたりのたり哉 蕪村
っていうような一日だった。 今週は久しぶりに順調に物事が進んだ一週間だった。
来週の火曜日から4日間は花見をしにあちこち行く予定。
もう少しで今年もまた満開の桜が見られそう。 今日は久しぶりに靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に
花見に行ってきた。桜は8分咲きって感じだったが
靖国と千鳥ヶ淵でお祈りしていると身が引き締まった。
家に帰ってきたら注文していた鉄アレイが届いていた。
これで一年後にはムキムキになる予定。笑 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています