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>>43
しかし江戸の思想はやってみてもべつに深みがないと思う。
本居宣長あたりからして、文献に対する考証は一流だが、
思想になるといきなりレベルが下がる。
未だに通用するのって文人だと上田秋成くらいなんじゃないか。 江戸の板本 書誌学談義 (岩波現代文庫)新刊
中野三敏 (著)
発売日:2015/12/16 変態仮名という言い方はあまりにも変態なのでくづし字と言うことが多くなっています 木村蒹葭堂が図書館や博物館のミニサイズとしてのサロンを設けた所為で
大阪に上田秋成の『雨月物語』が生まれたのではないか?
後の『春雨物語』と対にすれば、秋成が彼なりに西洋のヘルメス思想を
理解していたことが分かる。
ヘルメス思想を伝奇化したという点で彼はエドガー・アラン・ポーの先駆
者だと思う。
木村蒹葭堂はラテン語やオランダ語を読めたというから、本居宣長の思想
など、子供だましだと、多分思っていた。 >>48
「木村兼葭堂のサロン」(中村真一郎)買って積読になっているので
読んでみようかな。そんなすごい人とは思わなんだ。 森銑三氏の一代男以外の西鶴別人説、当時から国文学のしかも西鶴研究者からも完全に無視されていたとか。
「私が100パーセント正しいとは思っていない。おかしいと思ったらそう言ってほしい。そこから議論も学問もはじまるのではないか」
みたいに言っててなんか悲しかったですね。刀を抜いてさあ来いって感じなのに当時の研究者は腰ぬけだな 木村兼葭堂のサロン、読みたいな。中公文庫辺りで出ないものか。 頼山陽とその時代の文庫が70年代に出たっきりのようだ。
売れないのかなあ。単行本は箱入りでゴツすぎる。字小さいし。 山鹿素行、荻生徂徠、伊藤仁斎、中江藤樹、藤原惺窩、本居宣長、賀茂真淵、契沖
橋本左内、吉田松陰、勝海舟Γ(x)Γ(1-x)=π/sinπx
dodecagon and Rhombus
129,131,134,135,138
モンテネグロの口風琴 芭蕉庵のあった辺りに記念館みたいのあるけどちょっと離れたとこに芭蕉稲荷てのがあるね 石川淳の晩年のエッセイ集『夷齋風雅』は、154ページで24の
エッセイを集めた。
中でも神崎与五郎や森嶋中良の話など面白し。 神崎与五郎が町人の生まれでありながら、武士の家の養子になったお蔭で
切腹して武士であることを証明した話などから見れば、三島由紀夫の祖父・
平岡定太郎が加古川藩の農民だったことも面白い。 『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」を執筆したと言われる
初代竹田出雲は泣かせの名人。
『芦屋道満大内鑑』の「葛の葉子別れ」も泣かせるけれど
驚いたのは今や全く上演されない『三荘大夫五人嬢』三段目。
マックの隅っこで読んでて、涙と鼻水が止まらなくなった。
まあ三荘大夫(=山椒大夫)の娘五人のうち
四人までが不具者という反則ワザだが・・・
因みにこれの改作が三代目竹田出雲も関わった
『由良湊千軒長者』なのだそうだけど、
浄瑠璃台本は今のところ活字化されてないようで、
歌舞伎台本を見る限り不具の四人娘は消えてしまった 菅原も芦屋も山椒も、異世界に対する作者の態度がかなりシリアスで、
ミステリーでもあり、その点が、江戸時代の笑いを伴った荒唐無稽な
怪談とは反対だ。 手習鑑はびっくりしちゃうよね。素晴らしい伏線回収力。史上最高の芝居の台本だなと思いましたねー
でもこの人チームで書いてるんだよね。これだけ才能があるなら一人で書けばいいのに
全体を客観視出来るプロデューサー的才覚もあったんだろうな 初代竹田出雲は、初代竹本義太夫が自ら経営していた一座を畳んで引退しようとした時
それを押しとどめて経営を引き受け、座付作者として近松門左衛門を京から招いて竹本座を
軌道に乗せ、やがて義太夫や近松の後継者を育て自分でも台本を書きつつ合作制を取り入れ、
更にライバル豊竹座で長らく立作者を勤め当時歌舞伎作者に転じていた並木宗輔を
恐らくは三顧の礼をもって迎え入れたことで
現在「人形浄瑠璃黄金期」と呼ばれる傑作連発期を創出したのだから、
プロデューサーとしても並のプロデューサーではない。
本人は『菅原』のあと死んでしまったが。 浄瑠璃は近松以外、文学としてはあまり評価されない、
あるいは相手にされないのは、合作制のせい、と見るのは僻みか? 「江戸文学」というタイトルは紛らわしいぞよ。
ここは、「徳川時代の文学」ではないか。
訂正しやれ!
よいな 『菅原伝授手習鑑』の作者竹田出雲に松王が一言
「江戸文学」と「徳川時代の文学」は相顔が変わる
などと身替りの贋題 ソレもたべぬ。 烏亭焉馬(うていえんば)という人がいる
職業大工、戯作者、狂歌師。両国で「噺の会」というのを主催する
基本自作自演で新作の小咄をみんなで披露して遊ぶ。他の人たちもやるようになってそのブームのなかから専業の咄家も出て、ために焉馬を「落語中興の祖」と言うこともある
市川団十郎の贔屓グループ「三升連」も組織。
江戸の痛快男児だね。人生を思いきり楽しんだ感じだ 烏亭焉馬のことを書いてサントリー学芸賞をもらった人がいたけど、
あれほど、どこを探しても才能の欠片も見つからない本もなかったね。 市川団十郎の狂歌名「花道(の)つらね」を考えたのは四方赤良
むかし国芳の絵で団十郎を讃えるファンの俳句がたくさん書いてあるのを見たことがある。まるで団十郎贔屓じゃなきゃ江戸っ子じゃないという感じだ
当時の人気が偲ばれるね ああ調べたら焉馬たちが贔屓した団十郎と国芳描く団十朗は時代が違うわ
五代目と八代目のようだね 表題は矢張り
「徳川時代の文学」
が、ふさわしいぞ! 延広真治
『落語はいかにして形成されたか』(平凡社, 1987年)
改題増補 『江戸落語 誕生と発展』(講談社学術文庫, 2011年4月) 江戸文学と言うと、江戸だけと思いガチだからってことで徳川って話が出るんだろうけど、
別に江戸文学で日本全体を現すと考えてもいいんじゃないの? 上方はいざしらず、箱根より東の参勤交代の殿様がいる城下町は「小江戸」だったんだよ。
江戸の文化ってのは「普遍」なものだったんだよ。 頼山陽は昌平黌に来たがすぐに広島に戻ってしまった。
そのあとは大阪京都九州瀬戸内を行ったり来たり
菅茶山も広島を出なかったし、別に江戸だけ栄えていたわけでもあるまい。 「江戸」という言葉にアレルギー感じる人いるみたいだけど
時代の区分と認識するよりも地名のイメージが強いのかな?
だからといって「徳川時代」なんて言い方は今の時代小説的な言い方。
そこまで含んじゃっていいの?
学問的には「近世文学」が正しいと思うけど、ちょっと堅苦しいし。
「江戸文学」でいいんじゃね?
25年位前には「叢書江戸文庫」なんてのも出てたんだし。 小学校の歴史の時間に「江戸時代」と教えるからね。
日本の歴史区分は政治的中枢のあった「地域」で分けるのね。
でも、文化的にはそういうわけでもないから異議が唱えられる。 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 細かく分けていくと
「寛永時代」「元禄時代」「化政時代」とか元号使うのもあるね
しかし明和・安永は「田沼時代」が普通なのかな
あと「寛永時代」から「元禄時代」の間、延宝のあたりまでとか
徳川吉宗の時代(享保〜宝暦の前あたり)は通称として何時代と
よぶんだろう?…ああ「寛文期」とか「吉宗時代」とかいうな
天保の後は「幕末」で一括り 北越雪譜は岩波文庫で何度も再版されてるようで今も当時も興味深く見てる人が多いんだなて思う
鮭の漁の話、織物織る娘たち、雪女、吹雪で死んでしまう若夫婦の無念、かなり心に残ってるよ
鈴木牧之の原文を編集した山東京山が最初雪の積もる量を信用しなかったていうのもおもしろエピソード「そりゃたくさん降るんだろうけど嘘はいかんよ嘘は」みたいに言ったんだったかな 江戸文学というと戯作本とか川柳狂歌が挙げられるが
知識人の文学はまだ漢詩文が主流だったはず。
少しは取り上げろよ。 中野三敏氏による「師恩 忘れ得ぬ江戸文芸研究者」が岩波より出ました。買いなのか
こういう先生らしい。まず草書くづし字の理解をと力説
https://youtu.be/iinaQ1fOLRE 和本リテラシー運動盛り上がればいいね
仮名ならなんとかなるかな…混同しやすいものも多くて苦戦はする。漢字はだめだなー「給」なんてこれをどう省略したらこうなるんだよて感じ >>81
漢詩になると結局徂徠学派と儒教との対立とか出てくるからなぁ
清流派とか叙情派とか誹謗中傷の嵐でもあってしかももうどうでもいいことで喧嘩しまくっているから 狂歌は赤良、橘州、菅江ら才人たちが奇を競った天明期に止めを指すということだけども
それ以前にも狂歌はあり秀歌もたくさんあったということらしいね 海を渡ってきた漢籍: 江戸の書誌学入門 (図書館サポートフォーラムシリーズ)
高橋 智 (著)
出版社: 日外アソシエーツ (2016/6/17) 西鶴の良さがまったくわからん。剽窃剽窃て言われる江島其磧のほうがはるかに良いと思うんですけど
図書館の緑の本しか見たことないけどね 江戸時代の作者は挿絵を自分で描いた人も多いけど、専門の画家からのテキストへの接近も多かった。
司馬江漢、その他など。 >>95
自己レスだが、幕末土佐の河田小龍、絵金なども含まれる。 木村兼暇堂のコレクションが幕府に没収されたり、本居宣長が大家に成り上がったのも背景は徳川の200年以上もの鎖国政策があったから。
鎖国政策による国際社会からの長すぎた引きこもりによる文化的損失は現代イスラムテロ組織のよる遺跡破壊よりも遥に遙かに甚大なことは間違いない。 絵草紙に鎮置く店や春の風
鎮…しづ、店…たな と読みます
高井几董の名吟。素晴らしい 中野三敏「江戸狂者伝」は漢文の素養がなければすらすらは読めないほど
知ってる人が深井志道軒しかいない。各人について調べられる限りのことを調べて真っ当で視野の広い考察をしています
これ凄い名著な気がするがわからない人が多すぎて評判にならない…そんな本ですかね >> 99
取り上げられてるライター達の名前を列挙するぐらいの機転?が君には無い? 藐姑射秘事…はこやのひめごと読んだ
エロ小節だけどひとつひとつが短いんだな。もうちょっと広がりがあってもいいな
房事を美しく描くというより設定や状況を描く感じ。和文にこだわる態度はいかにも逸文士、趣味人な感じ 好評だったのでだいぶ経ってから後編を書いたらしい。後編は歴史上の人物の場面を描く
後編は戯作の要素が強すぎてパロディを楽しめば良いのかどうかどっち付かずで迷います。これは独立した作品にしたほうが良かったか
西鶴嫌いだから一代男よりはるかに良いと思いましたね 江戸期の文學作品は、いろんな知識がないと作者の意図を素通りしてしまう。
この言い回しは古歌をパロったものだとか、これこれの諺や風説がもとになっているとか。
何も平安時代の文學作品だけが古典じゃない、
んだけれど、まともに研究している学者の人材不足もあり、
はっきり言って手付かずの状態。 難しく考えないで面白いから読む美しいから見るで良いんじゃないでしょうか 残念だけど、古典は知識があったほうが、ないより楽しめると思うよ。 古典に関してドシロウトもいいとこなダメ男の俺だけど
古典や日本美術の理解に歴史や仏教はじめ
先行文芸の知識の必要性は痛感する、けれど
「大系/新大系」とか大先生たちが注釈つけてくれた本でなくても
スマホが手元にあればドシロウトの俺でも、ある程度
大先生たちに近づける、今はそんな時代 目先を変えて宮本武蔵「五輪書」なんぞ如何
好ましいて思ったのは中国の古典の引用などが全く見られないこと。権威に頼らずあくまで自分の経験に基づいて二刀一流の極意を簡素に述べている ところどころで「兵法を華とし世過ぎをする者」て苦言が出てくる
徳川の世が磐石になりつつあるなかで仕官あての無い腕自慢がいっぱい居たんだろうなって思わせる
よくよく鍛練すべし 国立劇場で「仮名手本忠臣蔵」の通しをやるんだそうです否やってます
10月、11月、12月と分けてやるみたいっすね。浄瑠璃ではなく歌舞伎になったもの
師走に国立劇場➡泉岳寺なんてのは如何 >>110
今回の通しで上演される二段目は普段省略されることが多いが
浄瑠璃台本(正本)読むとここと三段目の加古川本蔵は面白い
今回の舞台では本蔵役は全然ダメだったが他はいいよオススメ 寒くなるとわたし早川莉里子(剛)はヘラって男の人なら誰でもよくなります(腐女子で元レズです)
ハメ撮りで有名な相馬ドリルおじさんと二人でラブホに行って服を全部脱いで
裸を見てもらいながらエッチなことして写真を撮ってもらいます
http://i.imgur.com/OkhHEg3.png
男のニコ生主さんと沖縄旅行に行ってオフパコしたのも冬です
バンドマンの男の人と内緒ではじめて会ったのは今年の夏です この夏は三人の男の人と会いましたパコは二人です
わたし土井莉里子はこういう世界に住んでいるので
裸の写真が一生残ることに抵抗なんてないんです (色んな男の人に丸出し写真いっぱい見られてるのも知ってます)
わたしの人生なんてどうでもいいんです(少年Aさんとも仲良し)
http://imgur.com/a/S3zdd
三鷹か吉祥寺で見かけたらナンパしてください 寂しい・・・
http://i.imgur.com/HMeYFEy.png
http://imgur.com/a/bCTQo 近世文学研究者の中野三敏さんがこの度文化勲章を受章されました。おめでとうございます
ユーチューブにもある講義で文化功労者に選ばれたとき「こういうのは源氏物語であるとか万葉集とかをやってる人が選ばれるのが常で江戸なんて全く問題にされなかったもんです」なんて言ってましたね
多くの先学のおかげでだんだん地位が上がって来たんでしょう。良かった良かった
https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/topics/view/1136 「仮名手本忠臣蔵」の「仮名」と言うのはいろはにほへと…の仮名の数47と赤穂の義士47人を掛けたもの。お上手
将軍のお膝元で幕府の重臣が公然と殺害された事件をそのまま上演することはとてもできないので話を南北朝時代前期の事件に付会させています 太平記巻二十一にある「塩治判官讒死の事」(えんやほうがんざんしのこと)がそれ
足利家の執事(召し使いじゃない)高師直が塩冶高貞という武将の妻に岡惚れして迫り断られ、塩冶を敵に寝返ったと讒して一族を滅ぼしてしまうという事件
吉良公が浅野内匠頭の奥さんに、とかいう話はないと思いますが忠臣蔵ではこれを入れています 四段目の判官切腹の場の演者側のエピソードが落語の演目になっています
https://youtu.be/9k4MTc6xsME
七段目という噺もあります。やはり忠臣蔵から出たもの。初代林家正蔵の作品
忠臣蔵の人気が偲ばれますねー ジョフリー・ベーカーによれば、19世紀ヨーロッパ.・リアリズム文学の誕生のためには、museumの存在が不可欠だったというんだが、その線で、木村喧嘩道はいい線を行ってた。
だが、木村のコレクションを没収したのは江戸幕府。
江戸の大阪への嫉妬だったんだな。 うすぼんやりくん
大好きな本草画を観に岡本静嘉堂文庫の「江戸の博物学」展を観に行く。
『本草綱目』『大和本草』『綱目啓蒙』『日本博物誌』と大陸と日本の本草書が展示されていたけれど、
本邦初公開の木村黙老の『鱗鏡』は素晴らしかった…本草画好きだなァ〜…
http://pbs.twimg.com/media/CpKQqURVYAAE1B8.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CpKQqsHUIAAOEC1.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CpKQtQwVYAA4bG0.jpg
6 Aug 2016 >>99
>>101が重すぎて開けないのだが、大田南畝とか入ってるといいのだが。
当時の人って筆名からして冗談好きそうだが、文章も軽妙洒脱なんだろうね。 頼山陽とその時代 上 (ちくま学芸文庫) 文庫 - 2017/3/8
中村 真一郎 (著)
頼山陽とその時代 下 (ちくま学芸文庫) 文庫 - 2017/3/8
中村 真一郎 (著) 鈴木圭一『中本研究 滑稽本と人情本を捉える』
ISBN978-4-305-70831-1 C0093
A5判・上製・カバー装・488頁
定価:本体13,000円(税別)
「中本」という枠組みから、はじめて見えてくる江戸文学の世界。
現在では別々のジャンルと考えられている「滑稽本」「人情本」は、江戸時代、「中本」と呼ばれていた。書型が美濃半裁、すなわち中本である。
「滑稽本」「人情本」を「中本」という視点から捉え直し、近代以降の理解とは異なった江戸時代の文学の姿を明らかにする。
http://kasamashoin.jp/2017/02/post_3868.html 玉川大学出版部から隔年の2月に出している義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成、
今年は第五期出るのを楽しみにしてたんだが、予定にも載ってない。
もう打ち切られたのかなあ
鳥越文蔵先生ご存命のうちは継続すると思ってたのだけど・・・ そういえば、古典文庫ってまだどなたかが継続してるのかね? おーぷん2ちゃんねるのオカルト板に行って
意味不明って検索してから260番のレス見てみ。
きっと必要なことが書いてある。 山東京伝の『江戸生艶気樺焼』
為永春水の『春色梅児誉美』
それぞれタイトルはどういう意味なんでしょう? バカやってた艶二郎が、時を経て丸く収まる、って意味じゃないかと思う。
うなぎの樺焼は時間がかかるもの、また、焼きの技術は一生の修行。 岩波文庫では「雑兵物語」てのが出てて興味深い内容
こんなもんよく出してくれたと思うよ
「旦那」が敵に狙われて危ないとき、鉄砲でそいつを見事にしとめる
そいつの首を掻こうとすると、旦那が急いでるので「鼻を削げ」て言う
鼻を削いで後で旦那に見せると「なんだこれは」て言われる
鼻だけを削ぐのではなく上唇のあたりまで削がないと男か女かもわからない、てことらしい
最下級の兵士でも手柄を証明する必要があったんだな この作品は大阪の陣の記憶もようやく薄れてきた、てころに世に出たらしい
実戦を経験したことのない役人武士が多くを占めるようになってきて
「これではいかん」と書かれたもののよう
書き方も丸出しの口語で不思議な印象。解説によると当時こういう表現が流行ったらしい 別の見方をすれば、戦国の負け組ーー昇進できなかった屑の
愚痴。 雑兵物語とおあんおきく物語は、高校の教科書に入れて教えてもいいと思う。
歴史少年少女を古典好きにさせるにはもってこい。 其角の「芭蕉翁終焉記」も久々に見たわ
江戸の其角が大坂で亡くなった翁の死に目に会えるなど奇跡に近い
さしもの晋子も運命を感じて神妙だったろうね アメリカ人に江戸文学と発音させるとエロ文学と聞こえる 江戸と云えばライト文学を連想しそこは現代と通じる点がありそれはそれでいいいとして、一方、仁斎、徂徠、白石、宣長などの硬文学も忘れてはいけない。 ライト文学ねえ…。いまだに。
そういう認識だから、膝栗毛一つまともに解釈できないんだろうな。
江戸期は科学の分野でも独自の路線が開きかけた時期。
当然文学も凝ったものがあるけれど、バカな学者連中が江戸期の作物を評価しない、
悪しき伝統が形成されているように見える。
てめえで書けるわけでもないのに、分かりもしないくせに、えらそうにライトとかぬかすヤツは正直許せんな。
まあ、>140はそうではないと信じたいが(笑 しちむずかしい人生問題とか失恋とかを扱うのが
文学、小説と勘違いしている奴には江戸の「軽み」
が理解できんだろう。もちろん、浮世絵のワ印も。
「仁斎、徂徠、白石、宣長などの硬文学」なんのコッチャw
>>140も頼山陽を書き落としている点で落第。 現代のラノベも、数百年後には、平成の
軽みと持てはやされるだろうな。