日本の文学が世界で通用しない理由 [転載禁止]©2ch.net
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/ / パカッ
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/ .|<丶`∀´> 呼んだニカ?
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" ̄ ̄ ̄"∪ ★金沢で韓国人船員が25歳OLに殴る蹴るの暴行、口封じのため女性の顎を砕く
金沢市内の路上で女性を殴り、現金を奪ったとして強盗致傷の罪に
問われている韓国人の船員に対し、金沢地方裁判所は、懲役7年の
実刑判決を言い渡しました。
判決を受けたのは、韓国人の船員イム・セヒョン被告です。
判決によりますと、イム被告は、去年9月船員仲間とともに、金沢市内で
自転車に乗っていた当時25歳の女性を襲い顔面骨折の重傷を負わせ、
現金5万円を奪ったとされています。金沢地方裁判所で開かれた判決
公判で、堀内満裁判長は、「犯行直前に仲間が飲食店にカメラを忘れ、
その穴埋めに金を手に入れようとした身勝手な犯行だ。」と非難しました。
さらに、「被害者を執拗に追いかけて暴行し、被害者には後遺症が残る
可能性がある」として、イム被告に懲役7年の実刑判決を言い渡しました。
北陸朝日放送 (18日)(15:41)
http://www.hab.co.jp/headline/news0000051389.html 言うまでもなく、日本文学の普及研究は日本が一番進んでいるだろう。
外国人でも、中には一般の日本人よりも日本文学に詳しいやつも存在しているが。
外国人には日本文学を日本語で読ませなければ、真に理解に近づけないのは、
日本人が翻訳で原書の理解が真にできないのと同じ。
そう思わないやつは、単なる取り説読んでいるだけの阿呆。 こいつ色んなところに書き込んでは無視されてる原文厨だから
好きなフレーズは「取り説」 いや 原文読まずにその作品について完璧に語れるわけないだろ そして語る上において完璧を目指すのは義務だと思うけど まあそうだな。
しかし、通用する、って意味を考えて見ると、ちょっとバカな問いではあるな。 正確に語るはごもっともだけどさ、人をバカにしてまでやたら原文にこだわる人って説教やテーマがある小説なら原文どころか母国語の粗筋でいいし類似したエッセイでも取説でも代用できるとは言わないよね
それはそれで無学の現れだと思うけどな、作品のキリスト教的な背景や仏教的な背景なんかは原文だけではつかめないし
絵葉書としての川端康成みたいなもんでも愛でてんのかねこいつは 下手な飜訳のために誤読される危険もあるだろうが、肝心な所で間違ってなきゃ良い?
プルーストの井上訳は不正確で読みにくくてと、かなり不評だが。
飜訳本を楽しく読んでる人にけちを付ける必要もない? >>22
原文派が訳者の批判や読み比べの勧めより翻訳派をけなすのは文学板の永遠の謎 正直、原文で読むにしても
辞書引きながらでしか読めないような語学力(或いは読解力)しかないなら
専門家が日本語に翻訳してくれたものを読んだほうがまだマシだと思うぞ
仮にその翻訳者がクソで自分のほうがその言語に精通しているとすれば自分で訳したほうが正確だろうけどな 日本の中での外国という概念での日本の文学や
海外での中の日本という意味での日本の文学通用しないかもしれないが
海外では多くが余裕で通用してるんじゃ。評価が高いのもあるはず。
たとえ日本で無名でも。 >>27
どの国の文学も世界文学だと思ったけど、それについて批判意見が聞きたい 例えば世界といっても昔は兵站地がなきゃ世界に文学が届かなかった
時代があるとしたら、だからどの国もじゃないとはいえる。 >>33
ありがとう
まだ大体先進国って目星しか立ってない状態なんだけど、村上春樹作品の歓迎される範囲について興味があって、祖父の世代にはすでに世界文学が流通してた国なのかもしれないってちょっと希望が出てきた 事実として、日本は翻訳天国。
文学は原文に当たらなければ、研究してる、なんてことは言えない。
洗濯機や冷蔵庫の取説読んで、使える気になったりするのは馬鹿だ。
現物≠取説
それなのに、翻訳読んで原文を理解した気でいる神経がわからん。言葉が違うものを同じものだとか、
バカですか?(笑
まあ、単なる娯楽だ、ってんならそれはそれで否定しているわけではない。
ただし、原典とそれが翻訳されたものは、別のものだ、って認識していないとね。 原文を読んでいないと文学作品の理解はできないということ?なんで? 日本の、或る文化が海外で人気を集めたかどうなのかを正確に報道する姿勢すら日本のジャーナリズムには全くないことが証明されたのが、今回の「宇多田ヒカルが全米で3位!」だろ。
文学の場合も、村上春樹の作品がアメリカで大人気とか、嘘の報道がされてきた。
何故そこまでして、「俺はモテテル」ポーズを取ろうとするのか。
これは日韓共通の国民性では?
余りにも醜く滑稽で幼稚すぎる。 飜訳本を読んだ者が、原文を読んだ研究者達の誰一人分からなかったことを、鋭く指摘できる可能性は大いにある。
そのためにも飜訳の意義はある。 >>36
「理解」が概念的でいいなら、そりゃ構わんさ。
取説を読めば洗濯機の概念は理解できるだろう。
文学なら、それ、つまり概念的な理解、は「あらすじを知る」で置き換えられるだろう。
さらに、娯楽で読むんなら、原典だろうが翻訳だろうが、一向にかまわない。
だが、偉そうな講釋を垂れるんなら、専門家レベルを自任するなら、原典を読まなきゃ話にならない。
>>38
翻訳の意義はないなんて、言った覚えはないぞ。
それに、原文を読まないで、どうやって指摘するんだよ?
具体的に言ってみろ。
Aと言う単語の翻訳はBなんだけど、それはCです、って言うのか?(笑
その主張は、非論理的だ。 洗濯機を現実だということにしたらテーマのある小説なんかは概念のための道具だよ
体験的に書かれた部分や埋め草としての風景描写はパンフレットのイメージ写真やキャッチコピーみたいにいくらでも削ぎ落とせる
翻訳された語句の指摘は原典がいるけど、原典読まないとテーマがわからないのが大前提ならストーブの売れる日は全て冬だと言い切ってるのと同じだぞ >>40
議論する気がないならROMってることだな。アタマが悪い癖に偉ぶるのはクズだしな(嘲
>>41
おまえさんは、論理ってものがわかってないな。
誰が原典の「テーマ」の話をしてるんだ?(笑
ストーブうんぬんも飛躍のしすぎ。さらにそれを断定までしている。つまり、反論になっていない。
「翻訳された語句の指摘は原典がいる」
まあ、正しいのはここだけ(笑 ついでにもいちど言っておくと、翻訳は取説、ってのは単なる一面の事実として認めるべき、至極当然のこと。
それは事実に属することだから、別に翻訳を否定しているわけではない。
明治時代におびただしい外国の、文学に限らない、書物を、和製漢語を量産して、翻訳したから、
今の日本、大学で日本語で講義ができる文化水準、ができたことも事実として認識すべき。 >>42
指摘の矛先がお前と>>40で違うってことだよ
お前は訳語の指摘の話をしてて、>>40は>>40で訳語だとは一言も言ってない。テーマやらの指摘の話をしてる。
あと、ストーブの比喩自体は飛躍でもなんでもない。お前がスレの流れを誤読(指摘の矛先)してるのを指摘しなかった俺の適用ミスだ。
これも誤読なんだが、俺たちはお前が>>43のようなことを知らない原典至上主義者に見えてたんだよ。だから、>>43を見たとき認識してないどころか認識すべきつってる!って笑ってしまったよ。
お互いが間違った前提で論理的思考をしてたんだから、そりゃお互いが非論理的なバカに見えるわけだわ 俺たちは、元々共有されていたことを、書かれていないという理由だけで存在しないものと見なして、不備を指摘しあっていたんだ
バカバカしい話だわ、、、 もっと翻訳体制を整えれば
外国人の目に留まるんじゃないかな 英語俳句のルールと日本の俳句の英訳の関係ってどうなってるんだろ >>49
自分で間違った例を挙げて非論理的って言われても困るよな
あんまり意地になりなさんな でも原文でないと理解できないというからにはなにかしら根拠があるのだろう、だからそれは聞きたい 翻訳の仕事の意味もちゃんとある。
素人にはそんな作業は特に若いころはできないしというのもあるし。
テクストに備わった力を翻訳を翻訳でつないでいくような文学の渡り方。
ただやはり原文読むと楽しいよな。原文ベースでいいと思う。
ただやはり原文が辞書訳の日本語のようになるようではよくないので、
多少の定期的な海外経験は必要だろうな
。原文は多読できないしなくていいけど
ふしぎと翻訳は多読できた。 ベンヤミンの翻訳者の課題等、翻訳論もいろいろあるけど、
翻訳ではさすがに韻文、韻詩を楽しめないよな。
リリックを聞いたり読んだりするのもいいだろう。
海外コミックを読むとか。 小林秀雄はロシア語が出来なかったにもかかわらず、彼のドストエフスキー論は未だに読まれている。
同様の例は世界中にある。
さらには、古代文学の場合はtranscriptionから始めねばならない。
translationから内容の芸術的価値の判断まで分業が成立してる場合も多い。
語学は出来ても、とんでもない解釈しかできない一流大学教授も一杯いる。 >>56
小林は取説を読んだ範囲の論を書いた。それはそれで面白い、と言うだけの話。
ロシア文学の専門家が論文を書くときに、小林の引用を、ここが大切だが、学問的に引用するか、
それが問題だな。
小林は名の売れた人物だから、と言うだけで引用するとしたら、その学者は三流だな。
外国語を知らないでなんだかんだ言えるのは、日本が翻訳天国だから、ってだけの話。
我が輩は猫である、私は猫だ、猫です私は、とまあ、日本語をならべて、これらを同じだ、
と強弁するなら、まあしょうがないと言うしかないな。取説読みすれば、要するに同じことだし。
翻訳者も問題がないわけじゃない。野崎先生のスタンダールの新譯がこっぴどく指摘されていた
けれど、ありゃ指摘が正しい。原作に極力忠実で、しかも原作が持つ雰囲気を、たとえ独善的な
解釈であっても、近づけようとするのが、まともな翻訳だろう。
限度を超えたデフォルメは、原作に対して無礼だし、そんなことをするくらいなら、赤と黒に
触発された創作物、とでも書けばよかったんだよ。 >>57
馬鹿のお前には付ける薬がない。
もう俺にレスするな。 「原文でないと理解できない」の根拠が分からないのだが
「何がどうして理解できないのか」ってところを細かく考えていけばおもしろい議論になると思うから具体的に説明してほしい 例えば科学に置きかえて「相対性理論を理解する」ってことでいえば
当然、論文を原文で読むかどうかなんて本質的理解とはあまり関係がない
この議論というのは突きつめていくと「文学を理解するとはどういうことか?」ってところに繋がるんだよ
だから>>61の質問に答えてほしいんだよな 読みまわし繋いでないと文化の壁を越えられないが、
原文をあたらないと、言語の仕組みを理解できない。
だから、古典を読んで、(アーカイヴして、)咀嚼する。 言語の仕組みあるいはテキストそのものが文学の本質って理解なのかね? 本質とは技量を使って技量を読み取る勝負で発現する
なにものか という感じ。 そんなに難しい話ではない。たとえば、
文学作品A=物語B+固有言語Cの妙
文学作品D=物語B+固有言語Eの妙
ってところだな。
仮に物語が全く同じものを表現できたとしても、日本語と外国語の意味で、固有言語の差は自明。
厳密には、第二式の物語Bは物語B’とでも表現すべきものだろう。
本質的理解の点では、>62 の言うとおりだが、
科学的な論文でも、文学的な香りを持つと感じられるようなものもある。
翻訳と言うものは、むしろ翻訳者の「擬似創作」作品とでも言うべきものだろう。
擬似、という言葉に、似非、のような誹謗の意味は含まれてはいない、とことわるべきかな。 >>66
いや……例えば「言語の仕組みこそがその文学作品の本質なんだよ」みたいにいうこともできるからな
というか「原文でないと理解できない」と言うからにはそっちのタイプなのかとおもったんだわ(それはそれで面白いから)
具体例を挙げるなら文体論的批評みたいに「言語の仕組みから文学作品を理解」ってこともありえるしそういう人達もいる
ただこれはもうネイティヴを凌ぐ語学力と専門知識ががないとほとんど無理かもしれないけど 文学=テキストという思いこみがあるようにおもえるけど
文学というのはテキストにより表現される”なにか”のことだからな
テキストというのは冷蔵庫と取説でいうところの取説だとおもうぞ
取説が日本語から英語に変化しても冷蔵庫は冷蔵庫なんだわ(意地悪なことをいうとなw) 外国語方言の受容がないと文学は成立しないから、
より多く取り入れた方が成功とは、あながち簡単だけど、
ある意味 あるんじゃないのかな。 意外にこれはスレチでもないよ
何故なら文学=テキストみたいな思いこみこそが日本文学が世界文学になりにくい理由のひとつだから
取説(テキスト)の日本語表現ばかりを細かく変えても冷蔵庫が冷蔵庫のままなら大きな進歩ではないだろ?
テキストを機械部品と言いかえてもいいけどそのテキストを洗練させたり変えてみても作るものが冷蔵庫なら冷蔵庫
>>66みたいな考えかたの人達・作家は取説又は機械部品が変われば異なる文学とおもうかもしれない(厳密にいえばそうだが)
でもそんなものは文学の本丸本質ではないし幾ら進化洗練させても翻訳されたらどれも似たようなものとして見做されるわけ
個人的結論を言わせてもらえば
翻訳されても読みかえられても、尚、損なわれない”なにか”こそがその文学作品の本質であり
その”なにか”がある文学作品が国境さえも越えて何百年も読み継がれるものだとおもうわけよ
少なくとも日本文学が世界文学になるためにはその”なにか”の獲得が絶対に必要不可欠で
そのためにも「文学=テキスト」という支配的な思いこみからも脱却するべきだとおもう 純文学とか曖昧だからだよ
ストーリー性のないものは世界文学にはなりえないんだよ なるほどね
文学=テクストを媒介した
でもそんなに多くないしね。 春樹なんかはプロットとストーリーをすっきりさせているけど
大江なんかはプロットのごった煮にすぎないでしょ
世界の人々はストーリーを求めているんだよ
映画もそうだけど >>67
言語の仕組みから文学作品を理解、ねえ…。
ちょっと極端だな(笑
まあ、フィネガンズみたいな作品もあることだから、そういう観点は否定できないけど。 世界で通用しないのは作品の完成度もそうだけど相手方の翻訳レベルにもよるから
こちらで作品を受け取る時も言語の仕組みを高度に構造的に分解してから理解する
ことは大事だと思う。 日本は先進国に追いつけ追い越せで中国や欧米の文化風俗を積極的に学んで、
誤解も多いだろうけど、基礎くらいは知っている気にはなれているが、
諸外国は日本の文化風俗なんてあんまり知らんだろう。
日本の小説を翻訳したって単語単語で注釈入りそう。 文学が通用?聞き慣れない感じだけど
知られていない売れてない存在感が薄い感じですかね
確かに漫画やアニメや映画ほどには知名度は無さそう
ただ村上春樹とか評判は良いのでは? 浅田彰達は村上が海外で受けてる云々は嘘だと言ってる訳で、確かにデータもソースもない? 浅田彰はちょっと見苦しすぎる
あれ典型的な老害じゃん、小学校から漱石や鴎外教えろとか言ってるし
理解出来る訳ねえだろと いや「現代のレベル低い小説を排除して漱石鴎外を教えろ」って感じの話だからそれは微妙に的外れだな
山椒大夫や坊ちゃんは例外みたいなもんでしょ 例外と言われてもね
それに芥川の鼻や菊池寛の恩讐の彼方に
だって教えていたけどね 正確に言うと「現代のレベル低い小説を排除して漱石鴎外を中心に国語教育を行え」ってこと
山椒大夫や坊ちゃんや鼻は漱石鴎外芥川の中でも簡単な方であってそればかりではない
小学生にいきなりこころとか明暗、行人を読ませても理解出来ないだろ クラムボンがかぷかぷ笑ったよよりよほど理解できそうだ >>85
>小学生にいきなりこころとか明暗、行人を読ませても理解出来ないだろ
浅田はそこまでは言ってないとおもうけど?
小学生なら小学生向けの
中学生なら中学生むけの
漱石・鷗外(とそれに準ずる作家の)作品を教材として使えば良いだけ 日教組教育の弊害ってのは、しかしすさまじいな(笑
赤ん坊ってのは、意味がわかって発語してたと思うか?
とにかく発声発語する。意味なんぞはずっとあと。
昔はまず素読。つまり、意味なんぞはわかんなくてもいいから、とにかく音読してみろ!
ってところから始めたもんだ。
理解できるかどうか、なんてのは他人にはわからんもんだ。
100点とれたから理解してる、と思ったら大間違い。
よく考えてみろよ。これはとっても良いチャンス。
哲学的な思索の領域へ踏み込む、ってことだぞ。 ムラカミ ハルキ 教科書にどうかな。遠藤周作とか。 戦争評価の問題がある。日本の歴史で早合点して勝ったと思わないで。
海外の人にとっての日本史で評価してもらったら、
それを素直に認めて、国のイメージ
が上がるのを待てば、成功する作家が出ると思う。
海外の出版社から出せばいいし。
というか海外人だと文才を競ってなくても文学書いたり
成功する人いるし。
日本のイメージってことのほか世界の文学の世界で悪いんじゃないかな。
人を殺すことを正当化したり。 横山秀夫や東野圭吾などの大衆文学の評価の高さを見ると文壇政治の濃淡に影響されていると思うな 海外進出(特に欧米)すると純文学・大衆文学、別け隔てなく評価される
文学賞にしても日本で分けられていた作家が同様の土俵で戦うことになるわけだが
実際のところ純文学出身のほうが活躍している作家や成功例は多いようなきがする
因みにこれは単純に実力不足だからとかそういう問題でもないきがする
例えば「純文学作家のほうが書けるから〜」ということでもないというか
というのは、日本の流行作家は制作期間が短すぎるんだわ
それがハンデになるから数年間かけて長編書いてくる海外作家と比較されるとキツイ
純文作家はまだ(それでもあまり時間かけれられるわけではないが)時間かけて書ける
だから日本の大衆文学或いは流行作家って労働環境の部分からして結構不利なんだわ 東野圭吾もそうだけど実力ありそうな人気作家ほど質より量をひたすら求められる
だから出版数増やすことで部数は伸びるが才能は潰されてしまうようカンジがある
正直、宮部みゆきとか東野圭吾とか初期作品のほうがいいからな
完全に憶測でしかないけど
作家を潰すような売りかたや遣りかたや雰囲気が業界にあるようにおもう
例えば質にかぎらず多作のほうが重宝されて宣伝もしてもらえるとか…… >>97
最高のブルーカラーに最低のホワイトカラーの作家出版社版か。読んでて面白かった
ありがとう まきむぅ(牧村朝子)
望まぬ水着にされ、ひどい時は性暴力を受けても「干されるのが怖いから」と泣き寝入り。
稽古の回数ではなく、業界人(笑)にお酌をした回数の多い女優が主演を射止める。
結果、できた映画がつまらない。そして日本産コンテンツが世界で戦えない。
2017年2月15日