日本の文学が世界で通用しない理由 [転載禁止]©2ch.net
>>102の意見を見て思ったんだけどさ、日本式の泣き寝入りを描いた作品
例えばブラック企業ブラック部活を題材にした小説があったとしてもさ
向こうじゃ訴えたら済む話だから議論にすらならないと思うんだよね
かと思ったらギャングも貧困も向こうの方が悲惨だし
だから、欧米みたく自ら勝ち取った民主主義じゃないが故に愛国者がリベラルになれず、首相もアメリカ向けの工場長の胴元になってしまうという
歴史のメインテラーから外された国の有り様とか、敗戦国の歪んだアイデンティティを描けばいいと思うんだけど、どうかな
三島と大江が変な信条やプライドに邪魔されて書けなかった部分を排した徹底的にドライなやつ
まああの出版社の愚かさを見たら絶対英訳はおろか国内デビューもできないだろうけどね 102だけどさ
死後60年以上たった作品を適度に母体とした小説を
作ればいいと思う
当の外国人だってそういうことをやっている
シラーだってシェークスピアのまねだしね
日本はまだいける口だけどもほかのアジア諸国の文学を
みてみるともっと遅れがあるよ
中南米文学はダイレクトに西洋文学の流れをくんでいるから
水準は高い
でも東南アジアや韓国の文学は日本よりも後塵だね >>104
逆にみたらこれからの東南アジア文学も面白そうだね
政治にも問題があって農村というものが残っててネット時代なのに経済としては日本の70年代だから
都会派のメロドラマにしても土着物にしても当時の日本文学と比較できそうだし
先ずは差異よりも共通点にフォーカスしたら悲しい事実が見つかりそう 東南アジア文学は結構面白いよ
スレッドはたっていないけど一品も多いよ
インドネシアのプラムディヤとかベトナムのバオニンとか
すぐれた作品も見受けられる
プラムディヤはノーベル賞とってもおかしくないような作家だった
でもそのうちに世界的な評価を受けるようになるだろう
韓国にもファンソギョンみたいな作家がいるね 常識的にでも非常識にでも、通用している層に入りましょうね。 たまにはアジアの文学と日本のものとを比較しても
いいのではないか
インドやペルシアの作品はゲーテにも影響を与えているし
このインド文学のほうが日本文学よりも知名度は高いかもしれない ペルシアか。オマールハイアームは好きだけど。ルバイヤートとかね。
書体がやばい。 日本はガラパゴス化が酷いから外国人から受け入れてくれない
この傾向は文学ばかりではない
音楽や美術の世界にも同じことが言える
日本人の歌手が世界的名声を得ることもない
日本人の画家で世界に通用している人もいない
日本のアイドルなんて日本を離れればどこにも知名度はない
そういうレベルの文化水準だから世界を相手にできない 黒澤明の隠し砦の三悪人
三船敏郎が演じる武士がニートの2ちゃんねらーのお前
C3POみたいなデカい百姓がお前の父親
R2D2みたいな小さい百姓がお前の母親
隠し砦の三悪人ほど普遍性を持った作品は世界に無い しかし、文学を届ける方法がない島国だって決して文学が苦手なわけじゃない。 確かコンビニ人間はいろんな国、いろんな言語に翻訳されたんではなかったか ガラパゴスだから駄目なんじゃなくて
ガラパゴスじゃないから駄目なんだよ 日本の作家に建設的議論できるのがいない
海外の作家が勝てる喧嘩のためにハリーポッターをけなしてるとこみたことある? これからニューエイジ・スピリチュアルのカテゴリーで
書いてもらいたい内容を箇条書きにしてゆく。
・〜自分はいない〜というフレーズが浸透しているのは、支配者が霊界での支配を続けてゆく為のものである。
・幾世代にも渡って宗教の説教が求められるように前世の記憶を失くして「注意することができない人」にされている。
・2番目の補足ではあるが、記憶を失わせて説教が必要な人間に仕立て上げる為、彼らは地縛霊を雇い入れ転ばせている。
・人を上手に転ばせることが出来る地縛霊だけは、生まれ変わることができない。(一緒に仕事をするため。) 高価な希少価値の高い価値の本を書けばいいんじゃないか。
発表はする必要ないし。 ドイツ語の 筆記体 、アルファベット 詩律 文字律 で書くといいと思うぞ。 誰か言葉の占有の歴史を書くべきかもね
神官文字、祝詞、立法府、歴史観、キャッチコピー、将来ここにプログラム言語が加わる気がする 俳句は世界に広がっている日本発の文学
後はラノベだな
マンガ・アニメがあるからいいんじゃ 谷崎潤一郎の「春琴抄」はかなりの傑作だと思うけど外国語に訳すのは至難の技
だと思う。評価されるのは難しいと思う。 例えば他にブルガリアの文学とかエクアドルの文学は世界に通用しているわけですか? 世界文学の定義は単に世界で読者が多いというだけだよね?
世界に読者が多いからと言って文学者として優れているとは言えないのではないのかな。 >>103
まあ要するに面白い本が見つからないということなんだよ。ところが面白い本は探せばあるんだよ。
でも見つけるのが難しい。名作は簡単に見つけられるが誰にとっても名作が面白いわけじゃない。
寧ろ面白くない。まだ精神的にも読書人としても成熟していない人の場合はそれなりのレベルの
小説でないと読んでも面白くない。
その人にあった「それなりのレベルの小説」を簡単に見つけることができれば読書人工は爆発的に増える。
爆発的に増えれば作家の質も上がる。作家の質が上がれば世界的に通用するようになる。
問題点としては
1.最大の問題はYAが少ない。
2.図書の検索機能が世界最低
これに尽きる。
子どもの本は充実している。しかし中学から高校性がよんで面白い本がすくない。英米はYAが充実している。
検索については、「セックス、暴力」を除外できる機能をつけろよと思う。 漱石とか太宰を紹介するのはやめろよな。あんなものを最初に読むと読書嫌いになる。 >作家を潰すような売りかたや遣りかたや雰囲気が業界にあるようにおもう
>例えば質にかぎらず多作のほうが重宝されて宣伝もしてもらえるとか……
売れないからやむえない。売れて作家も出版も儲かるようにしないといけない。USJが急激に売れ出したように
ちゃんとした経営をすれば売れる。売れないと質は上がらない。どうしたら売れるか? どうしたら読むように
なるか?
https://www.youtube.com/watch?v=FUChXoQ0-OA
アメリカの読書人口はこういうのを見ると解る。こういう若い子が山のようにいる。
統計に出てくる読書人口はあまり当てにならない。こういうのを見ると完全にアメリカが世界一だろ。 理解出来るかどうかより文章に触れさせるのが大事。理想は漢籍の素読だが… 日本文学何て海外では評判いいけど、日本人に受けないから、
海外で評価されていないと錯誤してしまうんじゃないかな、
200世界の国があれば二百作に一度は世界トップとれるんだから、
といっても本当に評価が高い文学何て希少でしょうか? 日本でも名作と呼ばれるようなもの以外海外文学なんて一般人は読まない
しかも読んでピンと来るのは物語として面白いものだけ
ピンと来ないやつの原因は、描写されてる風景を実際体験してない
キリスト教などの知識がない
特定の地域でしか関心のたい社会問題
などなど、要するに文化の違い
だから結局物語として面白い小説しか海外では通用しない 各国の空港や街の書店に普通に置いてあるし通用してると思うけど 空港に置いてあるのはダン・ブラウンとかのでしょう
日本なら村上春樹とかと同じようなものであって
トルストイ、ドストエフスキー、トーマス・マンクラス、ヘミングウェイ
あたりが文学と言えるのだろうけど
我が国でこのあたりにに該当するのはミシマ、カワバタ、タニザキあたりだろうね
まあ通用してるんじゃないの
安部公房や大江健三郎は微妙だけど 日本でも、外国文学はマニアックな趣味だと思うがな
世間の知名度は、一部の超有名作家に限られている
アマゾン・ドットコムがなかった頃は、さぞかし手に入りにくかったことだろう 外国といってもいろいろある。韓国は特別だ
>日本書、とりわけ日本の小説のめざましい進出ぶりは「出版統計」を見ても確認できる。韓国では2010年(1〜12月)に、
約4万点の新刊書が刊行された。このうち「文学」は8192点(全体の20.3%)だった。
つまり新刊書の5冊に1冊は文学書である。さらに翻訳された文学書は2323点で、文学書全体の28.3%を占めていた。日本の場合は8%にも満たないというから、韓国では翻訳書の比重が高いのが特徴なのだ。
興味深いのは、韓国における翻訳文学書の国別順位である。日本は832点(35.8%)で断然トップを占め、アメリカ(21.4%)、イギリス(12.5%)、フランスなどを大きく引き離している。
文学書全体に対する比率をみても、日本書は10.2%と際立っている。これは文学の新刊書が10冊あったとすれば、そのうちの1冊は日本文学の翻訳書であることを意味する。
・・・それにしても日本文学のこの人気は驚異的というしかない。
https://www.wochikochi.jp/special/2011/05/tateno.php 中国も韓国化しつつあるようだ
>「いま、中国で日本文学ブームが起きています」(鎌倉千秋キャスター)
近年、中国で出版される文学作品は年々、増加し、年間2000タイトルにも上るという。
「村上春樹さんのほかに、『失楽園』の渡辺淳一さん。東野圭吾さんや京極夏彦さんら、特定のジャンルに限らず、幅広く人気を集めている」(日本文学の中国語翻訳などを手がける毛丹青・神戸国際大学教授)
こうした日本文学をよく読んでいるのが「90后(ジョウリンホウ)」と呼ばれる1990年代生まれの10代、20代の若者だという。
そして芸人で作家の又吉直樹さんもいま、中国の若者に熱狂的な支持を受けているそうだ。不器用で社会になじめない芸人志望の若者たちを描いた小説「火花」は今月初旬、
中国でも発売されたという。外国文学は通常、初版5000部程度のところ、「火花」は2万部、発行。すでに増刷も検討されているという。 まあ、文学もそうだし、音楽もそうだけど、欧米はちょっと違いすぎる
アジアに目を向けるしかない アジア諸国も日本の文学は全く評価していない
根本的に世界観、人生観が違い過ぎるのが日本の文化 文学とは何か的なアプローチは意味がないと思う。テクスト以外の「何か」が含まれていることが文学の
価値だとしてもそのテクストに興味があって読む人もいる。だから読む側の視点にたって、読書人とな何か?
という問いかけの方が正しい。
それは「面白い本を探すことができる人」だと思う。彼にとって面白い本を発見したら確実に読書人になる。
本が売れないと嘆く人がその回答を見つけられないのは、文学に問題点を見つけようとするからだ。
文学ではなくて検索システムに問題がある。例えば「面白い本」で検索すると「漱石」がでてくる
みたいな検索システムがいまだに稼働している。面白い本を検索できるのは文学的権威ではなくて私の
嗜好なのだ。私の嗜好によりそうような検索システムがないから売れないのだ。 日本文学の英語訳は山のようにあるがな。本当に人気ないのか?
俺は日本文学で面白い本にであうことがあまりないので日本文学は最近は全く読まないが洋書を
検索すると、日本文学の翻訳は山のようにある。だからかなり読まれてるんじゃないか?
文学なんて読むものじゃなくて聴くものと思ってる。日本文学はAudibleが少なすぎる。amazonの
Audibleは全部聴いた。あとは面白いのがない。英語のAudibleは山のよにある。
なので英語を聴くことにした。ところが英語だとAudibleは聞き取れない。聞き取れるんは子供向け
くらいだから面白くない。読める本は聞き取れる。だから仕方なく読む練習をしている。
1年くらい読み続けて最近やっと普通の小説が面白く読めるようになってきた。ある程度辞書に頼る
必要はあるがかなり読めるという実感がある。しかしまだAudibleでは無理だな。一回読んだ本だと
聞き取れるが聞き取れる本を聞いていてもそれで英語力が上がったりはしないし面白くもないから無意味。 自分のような読書人もいる。中身には関係なしにAudibleでまず検索をかける。これで日本の文学は全滅だ。
Audibleの絶対量がない。だから1年間も苦労して英語を勉強してまで面白い本を探そうとしている。
なぜこの読書人の要求にこたえられないのか?
Audibleじゃなくて紙で読む人には検索システムが全く機能していない。amazonなら★の数であたりをつける
ことができるのに図書館でも紀伊国屋でも★や読者コメントがなにもない。amazonの検索システムはよくできて
いるが日本文学の検索に関してはまだまだ全く幼稚なレベルだ。そこに何故気が付かないのか?それが
不思議だ。それに気が付けばAmazonにすぐにでも勝てるのに。 有名に売れたがるから通用してないと錯覚するんだよ。世界標準より上の国民層は
常態通用してますよ。 日本の古典の価値の高いものがバカ売れしていることを考えると古典に残る
お墨付きの作家はすでに高い評価を得ているといえる。ざらにいるわけだ。 アルファベットで書く方が流通するが
。詩でも書いてみればまず。 世界文学の中で日本文学の役割だけきっちり責任もってはたせればいいわけだ。 ひらがなカタカナがある日本語の書体を翻訳する専門家がいれば
西洋東洋どこでもコミュニケーションは取れるが、ラブレターの熱心さよりは
文学は人気のないジャンルだ。アラビヤに売り込むのが穴。ユーカラなんかはアフリカにいいだろう
口承だから。 しかし文学の本質は本にして出版することでもないわけ、だからセールスベースの
価値観をやめて、一冊一冊丹念に文学の効果が成り立っている出版をすれば、人気もでるわけ。 たとえばwhy don't you〜?は 〜してはいかがですか?と訳されるというが
厚切りジェイソンはwhy don't youはなぜ〜しないの!?って感じがあるとかいう。
このように日本語で書いといて翻訳する時妙な訳になっていることが多々あるのかもしれない してもいいかなとも訳せるな。訳には韻がないから本文と参照できるテクストを
作成するといい。韻も翻訳感に出すとか。 みたくないものは見えない。見えないものは無いと同じ。
国民が読まないものは無いと同じ。価値をつけようにも、はなから対象外だ。読まれてこそ意味がある。
売れてこそ意味がある。 文学は戦うファルスそのもので僕にとっては戦う相手が繰り出すもの。 >日本の古典の価値の高いものがバカ売れしていることを考えると古典に残る
>お墨付きの作家はすでに高い評価を得ているといえる。ざらにいるわけだ。
検索にそれがかかるから一定量は売れる。それだけの話だ。読みたいものではない。読まなくてはならない
ものとして読んでいる。聖書がバカ売れするのと同じだ。誰も読まないが売れるだけは売れる。それは聖書が
検索システムにかかるからだ。「持っておくべき本の一つ」=聖書。
古典は消極的にだけ売れ続けている。逆に言うと読みたい本がないからそういうものが売れる。 旧約女神転生のようなゲームの中の文学コンテンツなら世界にジャパニメより認められているものも少ないがあるよ。 「通用する」「通用しない」という以前に、出版されないと
何ごとも始まらない。
世界(欧米のこと)では、出版業界を握っている連中が一部の特有の
グループに集中している。
彼らの意思で「世界の文学」が決められてしまう。 日本は世界でもガラパゴス、独自文化。世界のメインが西洋文化ならばその対極に位置する、極東文化であり
世界でも稀な文化であるため、西洋文化圏内の人々には理解困難であるため。
しかし西洋文明が優れていることを思うと日本文明はそれに及ばないためとも言えるか >>169
西洋文明ってのはギリシャ文明 X キリスト教文明ということですよね
骨格がしっかりしているからね、 日本海側の方が独自な文化がみられると思う。太平洋側は和洋折衷かな。 中曽根康弘元首相の死去について
立憲民主党の枝野幸男代表は11月29日の記者会見で、
「立場、意見は違うが、後輩として学ぶべき点がたくさんあった。
私の立場からは良かった点、悪かった点、いろいろあるが、日本の歴史に
大きな足跡を残した。大きな功績もあった」
と語った。
中曽根氏の功績として電電公社、専売公社、国鉄の「3公社」の民営化を
挙げた。 翻訳した際にストーリーやアイデアは伝わっても語感とか文体みたいなものは、どの程度外国語に反映できるのか?
もちろんその外国語と日本語との翻訳時の親和性もあるんだろうけど、
基本的に文学は異文化のものを楽しむのに厳しい限界がある JPAは、こんなんだからw
ルビンの壺が割れた|宿野かほる ※ネタバレ感想・レビュー
水谷一馬がFacebookで修正済みの画像から未帆子を突き止める
水谷→未帆子にFacebookでメッセージを送るが、水谷は未帆子を「死んでいる」と強調する
2年で3回メッセージを送る(水谷は途中でアカウントを変える)
未帆子から水谷に返信がある
メッセージの往復で大学演劇部時代のエピソードが語られる
水谷には未帆子の前に婚約者の優子がおり、優子との馴れ初めや、優子が父親(養父)と寝ていたこと、未帆子と出会って婚約破棄したことなどを暴露する
未帆子は自分が結婚式から逃げたのには正当性があるかのように語り、「あなただけが傷ついたわけではない」と言う
水谷は未帆子がソープ嬢だったこと、演劇部の仲間などと寝ていたことを知っていたと告白
実は未帆子は実家が倒産し、学費を稼ぐ為にソープ嬢で生計を立てていた
未帆子は水谷を「それを知っていたら別れていた」「気味が悪い」と罵倒する
水谷は優子と未帆子のせいで女性不信になり、メンタルが弱ったと言う
未帆子はついに結婚式に行かなかった理由を語る!
その理由とは、水谷が幼女殺人事件の犯人である証拠を突き止めてしまい、警察に届けて失踪したからである
実は水谷は約28年の服役を終えて仮出所し、Facebookを使って未帆子にメッセージを送っていた
未帆子は「水谷がアカウントを変えた頃から優子が行方不明になっていることも知っている、これから今までのやりとりを持って警察に行く」と語り、最後に水谷に「とっとと死にやがれ変態野郎!」と言って終わる
ふかわりょうさんも「凄い!私はハマりました(要約)」と言っていました。 >>1
それはな日本って中国や韓国が押さえつけておかないと、すぐに軍拡して戦争準備を始めてしまうだろ。
日本が70何年間か戦争をせずにいられたのは、素晴らしい平和憲法もあるけど中国や韓国のおかげでもあるんだよ。
確かに日本から見れば多少理不尽なこともあるかもしれないけど、
まあ優秀な兄たちが出来の悪い三男坊をしつけてると思えばいいんじゃね? ピーター・J・マクミラン
1959年、アイルランド生まれ。
中田:‖
「万葉集は世界に誇るべき高水準の文学作品なのに、ハーバードなど世界
の名門大学で学ぶ名作集に入っていません。過去の翻訳では、表現力や英
語力の点で魅力が伝わっていないように思えます。昨年に全訳プロジェク
トを始動し、全4500余首の英訳に挑戦しています」
すぎょい
2023年6月27日 文化を見る時の目盛りが日本人は小さくて、かつ、セコイんだよ。
その典型が邪馬台国論争で、九州支持者と畿内支持者が争ってるが、邪馬台国当時の日本の文化レベルは非常に未熟で
国家を名乗るには微妙過ぎる文化レベルだが、日本人同士でマジで争ってる。
邪馬台国なんて、大陸や東南アジアからの渡来人達のただのチッポケな植民地だよ。
逆に言えば、日本人はそれだけ国家形成や言語統一への志向が強いと思う。
バベルの塔を壊す意思が文学への機関車ではないか?