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日記を付けながら 書き込みながら
自由に語りましょう。 国会図書館はたまに行くよ。でも国会図書館行ったら調べる資料のタスクが山のように溜まっているから、それには手が回らないな。 ま、東大落ちでもいいなら、気に留めておいて。
もっといいのもあるさ。 北朝鮮には中国から行けるよ。俺は行ったことないけど。 料理人って、藤本健二か。コンビニの週刊誌か何かに「私が金正恩から話を聞いた三時間」
という特集記事が並んでいるのを今日見かけたな。雨で帰りを急いでたから読んでないが、
どういう内容なのか気になるので明日チェックしようかしらん。 俺は昔バスケットボールで試合したことあるらしい。
友達が気付いた。勝ったがな。ほんとかどうか俺は知らない。
息子さんにも会ったことがある。お兄さんも。講師か准教授科教授
ぐらいだったかな。
家族ぐるみとはいわないけど。 このおっさんのためのチラ裏みたいなもんだ
気にすんな 狂人日記2×××
人類が肉を食いつくしもはや食う肉がなくなった時、
串揚げ屋でひざのぼんくらが飛ぶように売れるだろう。 地震とかそういう時にできた子は祝福されるだろうな。 いかなる状況でも、祝福される子とされない子はいますよ そうかもしれませんね。
最近平凡だけどニュースを見たり新聞を見たり、世情のことを考えるようになった。 しかし、祝福されるのは運や 時間の前後のためでしょうか。
全ての子供が祝福されるのが理想だとしたらそう思います。 今日のパラフレーズ
ベーグルで検索して女つった。
最近の新現代思想
ヘビーローテンションと ヘビーハイテンション エーグルのカバン持ってたっけ
ヘビーローションつけて日焼けしたいな。
ベビー(玄孫の次)はハイテンションで。 東洋経済に母校の特集があったが文学部卒の記事は一個のみ。
文学部卒の活躍ぶりがあると思うのでもうちょっと記事になればよかったがスリムで良かった
面も。 医療少年院のVTRを見たが決して逃げるわけじゃないのに
建築物や行動に最大限の自由がない。遊びにも行けんのか。
人権思想に反している。
刑務所や少年院は高度文明立国のためには出来るだけ早くつぶして
拘束のないほかの制度に移行すべきと思います。センターに通うとか。
危険性のないように。早く。 裁判制度のせいで懲役や死刑で苦しめたいという感情世論
があるならそういう裁判をやめたり検事の訴えをぼぼ退けるのも手。
人権を侵す刑法や刑事罰がいらない。 復讐心を国家や公共が代替するのではなく、法律の範囲内で
当事者同士で行えばいいと思う。 刑務所 精神病院の 強制入院 当事者側の自由意思でない入院
を廃棄するのがいい。 犯罪は野性によっておこるならなぜ罰したのでしょう。
武器による犯罪は武器により起こったのです。 もともと人は人を殺すようにできてないし
捕まえるようにもできていない。
洗脳や訓練によりそうさせる面もあるのだろう。 久しぶりに体育館で汗を流した。バスケットボールで。大怪我以来初。
何とか納得いくような。バスケットの小説なんかあるけど
文学はあるのかな。 詩と死について
死とは旅に出る前に書くものだ
旅は何度も繰り返し激しくも静かでもある
旅は理想の世界の絶えまざる混乱の
一寸暇に確かに存在する空間だ
その時間時空が全ていつまでも続くように自分は死に去るだろう。
死について
人が死のうと思うのは というか死を感じるのは、想起するのは
世界が実現していなかったからだろう。
死の前に涙がやってきて 人は感動することができない
ただ有 の無 すら享受できないでいる。
存在 テクストは開くことができなかった。芸術も存在しえただろうか。 これぐらいの年になると書き残すことさえ若い女性や少女にセクハラになりそうで
文の力で年代層書き分けておかねばならないな。 文学をアーカイヴするときに メディアは必要か。
パソコンはどうか。
まだいるという人もいればいらんという人もいるだろうな。
新しいメディア コンピューティングシステムなどはどうか。 幻術を使えるようになったが案の定すぐに能力は奪われてしまった・・・。
なかなかうまくいかないことも多い。
またいつか幻術が使えるように修行を欠かさず。 光源氏も幻術師をたのんだそうな。その幻術師はとんでいって
死後の人間と出会えたそうです。とんでもないことですね。 非−武器文学なんかがいいよな。時代遅れ、時間遅れの武器。
抑止を必ず忘れず武器自身が役目を正しく撤退していくと思う。これ以上一兵も失わないで。
武器による戦争は歴史上何回も否定されていたし。 武器化によっても死的傷的ならない文学が価値が高いでしょうね。
永遠に。恒久に。 サイドカーに犬から 酒飲み系の
(先輩の指示)パーク・ライフだったっけ。アパレル系の。 文芸人的に オチ(落語でない)研の男の心理的オチのあるはなし
と女の心理的オチのないはなし不−定期でやります。 死の有限性の無さ 死の無限性のあること
死は死でいつかはと思う前に既に死んでいる
無限があること自体が意味表象不可能不明だが
不無というネガティブなイメージ表象より
あることのポジティブさこそが死ぬこと生きること(死んでいること)
であり真実だろう。 清ひつな初夏 クラシックロックを聞いて
我想う 故に我有りか
教育実習を思い出すと 彼女の自殺の理由はわからないが
自分の日記だけにしばられる無-時間の感覚が
既に社会での有能さを保証してる感じもしたこともなくはない
教育が大事なのではなく、教 まで それが自分の残していったものだろう。 大学の回想
東東京で自由を得たことはよかったことだろう。
ただ一人己がいて単独で行動する自由。
しばられずフリースタイルで。
その時の風景、時間の暮 四季は、かけがえないものとなった。
無頼派とタバコで眺める心象は東京のリアルな妄想空間を
その心象により濃く侵入させた。 日記というより旧記と記述する方が面白いかもしれないな。
言葉を使い 文化を知り アーカイヴコンテンツを造っていく。
過去を目指すことで次元を超えて過去の人と出会う。それが自分にとっての
未来で、他者にとっての本当の未来というのは、今までの自分の絶望や
いずれの自分の死をもって隠すことになるだろう。
そして子供たちに全部取っておく。希望を。過去をも。 太古の記憶による詩と狂人音楽
による舞踏というテーマで やってみよっかな。 学術氏の書き込みは一貫して詩的な響きを持つ印象がある。
学問も究めれば詩の領域に入るのだろうか。なんて。 どうも。 Mayさん。
詩がお好きなんですか?
僕は、詩を書くのは好きだけど、文学の方が知られてます。
詩のほうも論評してもらえてよかった。
学問か。しないにこしたことはない。それで身を立てるのが夢でした。 いや、詩にはまったく詳しくないのですが、文体から何だかその様な
気配を感じて。いずれ詩を読んでみようかなとも思っています。 おっぱいの数が奇数あるのですが、
外科的切除という選択肢を外科がおいとくもんだから、
同じような境遇の赤ちゃんたちが心配になります。
それで得したかというと全く損、生涯恋愛、結婚を断り続けていましたが
ある日ネットで似たような奇数の形位地が違う人を見つけて
いやされました。数も一緒。偶然ですが、人生の意味を感じました。
一生独身のつもりですが会うことはなくても生まれてきてよかったと
死ぬ前に思えたのは運がいいし、神様にも感謝したい。
さっき奇形児画像を見たけどみんなかっこよくセクシー。 アイゼンハウアーの光体を見たのは記憶に新しい。
東条英機の戦場も霊視。ナポレオンを超えていた。 自分が書きこんだら
掲示板が四十億ヒットして掲示板が大蛇になり宙を舞った。
というデイドゥリームロマンをリアル見たことがある。
そのあとパラノイアニュースが流れ、
未来から飛んでる女達が現れ、パラノイアは
パラノイアソングを歌いその時に既に
僕は過去に入っていくことに気付いた。
ちなみに紫式部にも絵画を通して実際にあったことがある。 文学は走ることに近い。尋常でない真空の夜をの色覚の精神状態で
落ち着いてスムーズに高速で走る。
文学は踊ることに近い。尋常でないテンションの恍惚の精神状態で
気取らずに跳躍して踊る。 文学とは歩くことに近い 尋常でなく美しい紫の夜空でポートタワーを見ながら
うきうきして シブくあるく。 ノートに日記をつけていると研究もそこそこすすんできたのでそろそろしばらく休みを
とろうと思う。またインターネットにたまにでも日記をつけると、だれのためにとか、
誰に向けてとか、発表を目的としていたのかとか、そういう学生時代の
研究に答えが出つつある。人生あけて。それはよかったことだ。
インターネットにつないでいると不思議と一人のナルシシズムになりにくい、
公共的文学空間の日記という、問題提起が現実味を帯びていた。
いつでも初対面が期待できるため、私事の領域は減っていった。
不思議なことだ。 夏休みはどこへ行こうかな。だいぶ遠出がしたい。
その時にハンズの手帳にでも旅日記をつけよう。
日記研究の読書も怠らずに。
あとはバスケットボールのトレーニングだ。練習メニューを日記で作ろうと思う。
日記を書くというこの行為はロスがあって無駄があるが、なぜか人を軍隊的規律
のなかで、それを守らせ、何がしか人生を感動的にもし、
笑の世界にいざない、詩を誘い、自我は不思議なアウラや魅力をはっきする。
パラドキシカルであるが。 学生時代の夏休みは永く明日を待つのが楽しみだった。今になったら明日が恐ろしく布団の中で悶える一日は1時間より早く感じて己の存在意義を失う。
マイブームは知人のsnsを日々傍観して己も知人達と山や海に行ったと妄想に耽る事。 まだ日記をつけている。世界/日本の古典もんの日記をやろうかな。
日記といっても日記と題されたものだけが日記の質の文献じゃないし
重なる範囲は広い。掲示板にしてももっとそうだ。 使わないっぽいのでたまに独りごとでも書くかね。
と書きつつ腹が減るので何か買いに行こう。 ペンパトラ。文学上のパラノイア。ぺラパラ。
いいよ。だって自分で料理してるから
。三分の一ぐらい独り暮らしで。 基本的にロケットやらミサイルというのは日本の町工場の親父のテクがないと上手く飛ばないんだよ。
そういう親父の作った部品がないと飛んだとしてもちょっとだけだったり的に的中しない以前に空中分解する。
まあそうなっても環境に良くないからそうなる前にパッと消してるけどな。
そんぐらいの兵器は俺たちだけじゃなくてセカンドチームにもある。
当然町工場の親父どもは川崎あたりにいるってことになってるけどこっちにいる。 こっちにもマレーシアやらタイやらベトナムフィリピンにもミサイルが飛んだりはしない。
やりたきゃ何度でもやれ。
やってもやらなくても俺が損をしたりはしない。 まあそうだ。ニュートリノみたいなもんだが観測はその一億万倍以上難しい。
というか俺たち以外に観測は出来ない。
ついでに言うと時間の粒理論は俺が考えた。
ところで宇宙最先端の研究所は発表出来る範囲ではyrpだ。
真の最先端は俺たちで、yrpと俺たちとのあいだにもいくつかあるんだけどな。
そのせいで野比海岸のあたり不審な潜水艦とかすげえいたんだよ。
最近は大丈夫だけどさ。 エネルギー、俺は単にエネルギーと呼んでいる、俺たちの存在の動力源であるからエネルギーに違いない、
には、俺たちを正しい方向へ導こうとする性質があって、その性質が持つ世界観とは結果的に西部劇のように見える。
これはまともな人間にとって戦いが重要な要素であるからだろう。
生まれたての子馬はまずファイターのように立ち上がり、次に愛情の結晶としてのミルクを飲む。
俺は生命にとって第一に大事なのは戦いであり二番目に愛情だと考えているが、この考えは結果的にエネルギーの持つ性質と同一だ。 戦わない人間はどうなるか、キチガイとの戦いを忌避し続ける者はどうなるかというとキチガイになって死ぬ。
キチガイになめた真似をされたらその復讐は果たさなければならない。
復讐が果たせない場合、aはbに復讐しなければならなかったのにcがbを倒してしまったというような場合でも、
aはキチガイになってしまう。復讐を後回しにし続けたりはなから復讐する気がない場合も同じだ。
誰でも身の回りに思いあたるふしがあるだろう。
何度も書いておくがこれは俺が決めたルールではなくエネルギーが持つ性質だ。 俺たちトップチームは戦闘的でありトップチームに入る条件でもあるのですでに各々の復讐を果たしている。
だから俺が戦争をはじめたいと言うときそれは俺やトップチームために戦争しろということではなく、
日本の利益のために戦争をしろということでもない。自分たちがまともでいるために戦争をしろということだ。
戦争するにしても色々準備は必要だが、戦うという意志を持つだけでもキチガイから遠ざかるようだ。
敵は中国共産党だけではない。
頭は中国共産党だが悪魔教は世界全土に幅広く分布している。
一軍二軍vs悪魔教ではなく、二軍vs悪魔教だ。
仕事を終えている俺たちはアドバイザーとして比較的のんびりするだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています