【ナラタージュ】島本理生の作品を語ろう【レッド】 [無断転載禁止]©2ch.net
島本理生の作品には必ずと言っていいほど
雨の場面と涙が出てきます。全編を通して湿度が高いのに、
それが決してじとっとした不快さでなく、潤いのようなものに
つながっているのが特徴だと感じます。 代表作と最新の人気作をスレタイに入れたまでで
もちろん二作限定ではありません。
「あられもない祈り」も「クローバー」も「君が降る日」もいいよねー 1作品ずつ個人的な感想を書いていきたいと思います。
まずは18歳で群像新人賞優秀作となった「シルエット」。
テーマを象徴しているのが次の台詞だと思います。
「言葉で語りつくせないもっと多くのものを一瞬で伝える方法が
この世にはあったから。」
人とどうつながったらいいのか、体の交わりで心のつながりが確かなものになるのか、
そういった青春期の葛藤に真正面から挑んだ作品だと思います。 直木賞候補作の「アンダスタンド・メイビー」。
幼くして不条理な心の傷を負わされ、そこから負の連鎖のように
自らを袋小路に追い込みつづけながら、何とか生きようとする黒江。
文庫版解説で村山由佳が書いているとおり「読み手を選ぶ作品」です。
普通の生い立ちの人間にとっては、黒江の1つひとつの選択が理解しがたいものに映ります。
ハラハラ・イライラしながら、最後まで主人公を応援せずにはいられません。 「アンダスタンド・メイビー」は、読みながら何度も
「そっち行ったらだめ!」「なんでそんなことするの!」
「そんなこと言うな!」とツッコミを入れたくなります。
そうした不可解で身勝手な言動も、すべてどこか自覚的で、
それでもそうせずにはいられないんだと、読み進めるうちに気づきます。 「よだかの片想い」は、顔にアザのある24歳の女子大学院生・アイコの初恋を描いています。
タイトルは言うまでもなく、宮沢賢治の童話「よだかの星」にちなんだものです。
この作品では顔のアザが、心の傷のメタファーであるとともに、
自分と他人の心を隔てる壁のメタファーとしても捉えられているように感じます。
重い素材を扱いながらもじんわり・ほんのりと温かい読後感を与えてくれる作品です。 「波打ち際の蛍」は、恋人からのDVで精神を病んだ「私」(麻由)が
蛍という男性に出会って、もがきながら少しずつ自分を取り戻していく
物語です。もう一人、さとる君という麻由のいとこの存在も、
彼女の再生に重要な役割を果たします。
タイトルは、どこまでも流されてしまいそうな自分を波打ち際で
かすかな光を灯して守ってくれる存在を意味しているのだと感じました。 「クローバー」はいくつかの点で島本理生の作品としては異色の存在です。
1つめは男性(僕)が語り手であること。2つめはコメディタッチであること。
3つめはヒロイン(華子)があまり面倒くさい性格ではないことです。
まあ、雪村さんという、別の意味で面倒くさい女性は登場しますが。
個人的には熊野さんのキャラクターが大好きです。作者は文庫版あとがきで、
「多少の代償はあっても、この先もきっと何とかできるということを伝えたかった」と
記しています。 日本語が何を意味するのか不明瞭だから書き直しますが、このスレに書かれた感想を↑のツイッターで発表してもよろしいでしょうか? 「あられもない祈り」は、暴力と束縛でしか気持ちを表せない男と同棲する「私」と
他の女性と結婚しながらも「私」への思いを断ち切れない「あなた」との物語。
島本理生の数々の恋愛小説の中でも、最も緻密かつ丁寧に女性の心の襞を見つめ描いた作品と言えます。
「私」の一見屈折した言葉と行動は、すべてたった1つの単純で純粋なものを
求めているのだと思います。それは、一歩間違えば死に近づくような危ういもので、
「あられもない祈り」とはその危うい一線からこちら側に導いてほしいという祈りなのかも知れません。 >>15を更新しました。メンションツリーで一つでもクリックすると全部読めるようになってるはずです。 「ナラタージュ」は島本理生の作品の中で最も有名ではないでしょうか。
内容もそれにふさわしく、日本を代表する恋愛小説の1つだと自信を持って言えます。
葉山先生への思いを、できる限り内面描写を排して、その代わり米粒に絵を描くような繊細さで
1つひとつのしぐさや言葉を丁寧に紡ぎながら表現していきます。
最後まで読むと、葉山先生という他者の魂が今の「私」を支えてくれていること、
物理的には別れてしまっても今なお進行し続ける、こんな愛もあることを気づかされます。
タイトルにもなっているナラタージュという手法は、そのことを伝えるのに不可欠だったのだと思います。 「生まれる森」は、作者のあとがきで「人が恋を失った直後の生々しい感情を
ラフスケッチのように素早く書きとめ、そこから出たいと願う人のために
なればいいという思いだけで」書いたと記している作品です。
「生まれる森」とはもちろん、深い森に落とされたような「私」が再生へと向かう
今の状態を表しているのですが、恋を失って深い森に沈んだのではなく、
40過ぎの離婚したばかりの予備校講師・サイトウさんと付き合うことそのものが
深い森をさまようことであったと「私」はわかっています。でもきっとその森は
たくさんの雨や落ち葉を受け止めて豊かな土に変えてくれる場所だったのだと思います。 『七緒のために』は、表題作(2010年発表)と「水の花火」(2001年発表)が収録されています。
いずれも女同士の友情をテーマにしていますが、2作品の間には10年の歳月が横たわっています。
「七緒のために」は、「何かの代償のように」いつも触れ合っているような女の子同士の
関係になじめない「私」(雪子)が、転校先で同級生の七緒と友達になります。
しかし七緒の奔放な言動や虚言癖に振り回され、彼女の身代わりのようにして自分を傷つけてしまいます。
いちばん近くにいるはずの友達さえ信じられない苛立ちと、そんな自分への苛立ちが
説明を極力控えた行間から伝わってきて、切なくなります。 『一千一秒の日々』は、昔別れた2人だったり、友達以上恋人未満だったり、
彼氏・彼女の友達だったり、微妙な距離感にある男女のちょっとしたできごとを
軽いタッチで描いた短編集です。淡々とした中にも彼女ならではの繊細な感情の機微が
表現されていて、さわやかな読後感があります。
ただ、最初の6編は互いに登場人物もストーリーも関連し合う連作になっているのに、
最後の「夏めく日」だけまったく関係のない1編です。無理にくっつけたような感じで
やや興趣をそがれます。 『大きな熊が来る前に、おやすみ。』は、タイトルに動物の名前が入った3作品からなる短編集。
表題作は、暴力的な衝動を抑えきれない幼稚さをもった男たち(父と彼氏)と「私」の関係が描かれます。
そんな男たちに心も体も傷つけられ、熊がやってきて殺してしまえばいいのにと思いながら
どこかで許そうとする「私」。熊とは偉大で神聖な力の象徴であり、母性のことかも知れません。
「クロコダイルの午睡」は、何不自由なく暮らす無神経な同級生・都築と、
彼とは正反対の境遇を生きてきた「私」の、ちょっと怖くてやるせない物語です。
「猫と君のとなり」は、数年ぶりに再会した中学時代の後輩と「私」の恋。
猫が2人の間に細い糸をつなぎ、再会後はその糸を太く強くする役割を果たします。 「リトル・バイ・リトル」は、20歳のときに著された野間文芸新人賞受賞作です。
高校を卒業してバイト暮らしの主人公・ふみとキックボクシングに打ち込む周との
初々しい恋を中心に、2人をめぐる人間関係とその日常を描きます。
ふみは母、異父妹との3人暮らしで、幼いころ暴力を振るわれた父とは何年も会っておらず
ときどき家族で食事をする2番目の父親とも打ち解けることができません。
そんなふみが、周との出会いをきっかけに文字通り「少しずつ」自分の存在意義を確かめていきます。
複雑な人間模様を描いてもじめっと陰湿にならず、それでいていつもしっとり潤っているような
作者ならではの空気感がこの作品ですでに確立されているように感じます。 「あなたの呼吸が止まるまで」は、作家を夢見る小学6年生の野宮朔が主人公です。
信頼していた大人に性的暴行を受け、精神的に深い傷を負いますが、同級生たちとの
日常の中で少しずつ自分を取り戻し、彼女ならではの復讐の方法を見つけます。
両親が離婚し、舞踏家の父と2人暮らしの朔は、父の知り合いとの付き合いも多く
同級生より大人びた雰囲気のためもあって、クラスで浮いた存在でした。
でも、大人の男として憧れていた人が突然子供のように自制心をなくし、
子どものはずの同級生がきちんと朔の気持ちに寄り添おうとしてくれました。
誰もが二度と巻き戻せない時間を背負って一度きりの人生を生きているという
当たり前だけどいちばん大切なことを思い出させてくれる作品です。 「匿名者のためのスピカ」は、「著者が初めて挑む究極の恋愛サスペンス」と帯にあるとおり
サスペンスドラマ仕立ての恋愛小説。ただメインのモチーフは、島本さんが追求し続ける
「自らを傷つけずにはいられない恋」です。探偵のような役回りの七澤が、
事件の真相に迫ると同時に景織子の複雑な心理をひも解いてみせます。 島本さんの作品では「そういえば」という言い回しがよく出てくる。
その8割がたはそういってない(前後の脈絡がない)。 >信頼していた大人に性的暴行を受け、精神的に深い傷を負いますが、同級生たちとの
日常の中で少しずつ自分を取り戻し、彼女ならではの復讐の方法を見つけます。
作者の実体験なのかね? 子どもの頃のことはわからないけど、
十代後半から二十代前半にかけてはかなり辛い恋愛を
経験したようなことがどこかに書いてあったので、
DVのようなことはあったのかもね。 「真綿荘の住人たち」は、タイトルどおり真綿荘という下宿に住む5人を中心とする物語です。
最初の章だけ読むと「めぞん一刻」のような明るく切ないラブコメデイーかと油断しますが
読み進めるうちに「やっぱり島本さんの作品だ」と思い直すことになります。
特に大家の綿貫さんとその「内縁の夫」真島さんの関係性の描写は、彼女の真骨頂です。 『君が降る日』には、表題作のほか「冬の動物園」「野ばら」という2つの短編が収録されています。
「君が降る日」は、恋人の降ちゃんを交通事故で亡くした志保が主人公。
志保は降ちゃんの死後、彼の実家のお店を手伝うことで悲しみを紛らわせます。
事故のとき運転していたのは降ちゃんの親友・五十嵐で、罪滅ぼしの気持ちから
彼もそのお店で「無給でいいから」と働くようになります。志保と五十嵐の距離が
降ちゃんをいつもそばに置きながら近くなったり遠ざかったり。
終わってしまったことなのに、どうしても降ちゃんの死から逃れられない2人が切なすぎます。
志保は 「Red」の主人公は、有名企業に勤める夫と可愛い娘、優しい義父母と暮らす塔子。
ふとしたきっかけで、10年前に愛人関係だった鞍田と再会し、彼の伝手でまた働き始めるとともに
鞍田との関係も再燃してしまいます。著者初の官能小説とうたう通り、かなり踏み込んだ
性描写が見られます。とはいえ、心と体が引き裂かれたような塔子の情念を
あえて心の襞を1つずつ押し分けるようにして描写していくことで、この作品を
単なる官能小説、不倫小説にとどまらない、温かな余韻を残すもものにしています。 red途中だけど主人公が常に何かされる側で低年齢層向けの少女漫画みたいにご都合主義で腹立ってきた 原作の雰囲気ぶち壊しっていうのが映画化、ドラマ化のパターン。