芥川龍之介part16 [無断転載禁止]©2ch.net
>>197
歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞ふさいでしまう、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じはじめる
という部分のことか
しかし丸写しでこういう文章にはならないし要は典型的な症状だったというだけでは 木村荘八の随筆で望遠鏡覗いたら川向こうの縁台で久保田や小穴たちが
寿司食ったりしてて後日その時の絵をはがきで送ったら河童忌の集まりだったって知れた
って話が面白い >>209
読んでみたいので、良ければタイトルを教えてもらえないだろうか >>210
新編 東京繁昌記 (岩波文庫)
今手元に無いからちょっと間違ってるな
花火を見るため昇ったミツワビルだかいう昭和29年頃隅田川沿いで一番高いビルの屋上から双眼鏡で色々眺めてたら
「差し渡し一町くらい離れた屋根上の涼み台のところに久保田万太郎、佐藤春夫、小穴隆一、大仏大人(次郎のこと?)らがいてびっくりした」
口を開けてすしをほおばるのが手に取るように見えたと大人に絵葉書を送ったら返書が洒落てて
「そんなところに世の介がいたとは気付かなかった」だって
河童忌だと知れたのは返書にそういう集まりだったと書かれてあったのかあるいは木村が面々を見て即座に気付いたか
それについては書いていないがとにかくこの時代の絵師の教養は半端ない
(考えてみればそれがなければ挿絵など到底務まらないんだから当たり前だ)
それから東武鉄道の鉄橋がダサいことに触れていて、大震災以降の復興の煽りで架け替えの橋もみんな鋼鉄製になるんだけど
木村が「ひとつでいいから、木製の、こじんまりとしたやつを…」って提案したらみんなに苦笑されて却下されたが
澄江堂芥川君だけが賛成してくれたとあって
が、逆説的なものだったかもと書いていて
「もしそれが実現したら僕が批評するよ」と言われたらしい
事業者名を忘れたが、橋のデザインについて所謂有識者会議的なものが肝いりで計画され
それに芥川も呼ばれていたが数回の会合で中絶してしまったとある
この辺の話と照らし合わせると「本所両国」でどんどん景色が変わっていってしまってることを寂しく書いているので本音だろうと思う 偸盗を読んだけどすごく面白かった。芥川は失敗作認定してるようだけど 誰の文だったか忘れた 谷崎だったか?
慈眼寺について書かれたもので、龍之介の墓に月命日にいつもやってくる女性がいたらしい
比翼塚があるんだけどタバコやめたいとか酒やめたいとかそういう願掛けするのもいて
二人にとってはえらい迷惑な話であるとか 会員限定有料記事 毎日新聞2018年6月6日 18時17分
東京都北区は6日、芥川龍之介(1892〜1927年)が亡くなるまで暮らした田端1の旧居跡地の一部(約332平方メートル)を購入し
「芥川龍之介記念館」(仮称)を整備すると発表した。書斎を再現して自筆原稿など関連資料を展示する予定で、2023年の開館を目指す。
芥川の業績を単独で顕彰する施設は全国で初めてという。
あの辺り狭いから土地の一部といってもかなり窮屈になりそう ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。
それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。
「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」
ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟し、真剣になつて怒らせてしまつた。
あの小心で、羞かみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へて烈しく言つた。
「著作? 名声? そんなものが何になる!」 ネットサーフィン中に歯車と出会って読んだ
芥川龍之介作品自体初めてだけど異質な文だった 異質でもなんでもないよ芥川の文章は
異質ってのは宮沢賢治みたいな文章だよ ラノベは西尾維新くらいしか読んだことないな
作中で芥川の侏儒の言葉や漱石の作品などから文章を引用したりしてるから西尾維新もそこそこ文学好きみたいね 歯車の内容は異質だろ
文体は異質というほどでもないな 芥川龍之介の初期の作品と比べて「歯車」は読みやすくまた気狂いの気持ちが理解できる 気狂の気持ちを理解、とはまた可笑しなことを言いますねえ 芥川は別に気狂とかではないよ
それとはまた違う話だが、芥川の親類に気狂がいて、周りも散々手を焼いていたらしい
ある日、芥川が知り合いの医師にそれを相談したところ、気狂には気狂が効くと教えられた
芥川は気狂のように横暴な態度でその気狂に説教し、以来その気狂もおとなしくなったとか 468 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2018/09/16(日) 01:54:17.21 ID:iqXRGs5S
俺は一人でいる時にやたら独り言を話す
それも全て英語で
延々と英語で独り言を話す
何故だか分かるか
つまり、そう言う事だ >>222
むしろきわめて普通の文体
なぜなら日本の私小説の文体はここから始まったから 東京に関係ない人まで釣るな。東京帝大の代表的作家であることは疑いないのか?
発表してないモノや、売れ残りないモノだってある。 日本文学に芥川がいなかったらほんましょぼいもんになってた ★ お楽しみタイム
2020年東京オリンピックの泣ける歌
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス
(新宿、渋谷、上野、浅草、下北沢、池袋、銀座、原宿)
↑
以上8ヶ所の東京都内の地名が、歌の歌詞に登場します お茶の水当たりの方へ行くと、東京に東大志願者がいないとわかるが。 >>105
宇治拾遺物語なら、町田康先生の訳があるではないか >>227
おかーちゃんが精神病だったらしいね
自分もいずれは発狂するのではって言う恐怖が常に付きまとっていたらしい >>227
キグルイにはキグルイが効くという医者
それを実行する芥川
ワロス 桃太郎がキチガイじみてて笑うわ
まんまシグルイとか衛府の七忍の小説版 歯車は、レインコートの男が出没するシーンが好きだ。 あれちょっと話盛り過ぎだよね
実際はレインコートの男なんか最初の駅で見かけたかそれくらいだと思う あくまで作家の書いた作品なわけだからそういうつっこみは野暮 まあ歯車は結婚式出席したこととか最後の階段の音のシーンとか芥川死後に文夫人が語ったものと一致する所がいくつもあるから実際の出来事を元にしてることは確かだろうけどね
その中の局面局面でその時の精神状態から感じた心象を重ねたりして物語を作ってると思われる 芥川の後期作品は後世で研究者や評論家などに分析されることを意識して書いているから至る所にトリックを散りばめられている
或阿呆〜なども実際の女性関係を際どい所で意図的に錯誤させて藪の中に引きずり込む仕掛けが施されている
自分はそこまで芥川に興味ないからそれ以上深入りする気にはなれないけど いや、そこは"分析されること意識して"の芥川視点に掛かっているから"書いている"が正しいんだよ 芥川は→書いている
芥川の後期作品は→書かれている 分析されることを意識して"書いている"
まあ"書かれている"でも同じ意味で通るが、この場合は芥川の意思視点だから"書いている"でよい 医者も驚くほどの巨根だったそうだ。それは子孫には伝わったのだろうか?
「鼻」という作品はそういうのが下敷きになって婉曲な表現で書かれたの
かなぁ? 書いている
ならば
散りばめている
となる
違和に気づいてくれたかな? >>252
息子の芥川比呂志が徴兵検査で裸になったとき、散々巨根であることをからかわれたそうな (芥川的に)分析されることを意識して"書いている"故に、(第三者的に)トリックが散りばめられている(ように見える)
まあ少し省きすぎたかもしれないがこれくらいはふつうに察してほしいな 男は黙って歯車。会社の歯車、社会の歯車、そしておいらは天国へ。 今年の命日も文士村で企画あるね チラシ置いてあった
ヒロシとヤスシの娘さん二人呼ぶらしい kitabunka.or.jp/wp/wp-content/uploads/kappa_190426.pdf
芥川耿子(比呂志三女)X芥川麻実子(也寸志長女)による対談 夢に芥川出てきたわ
丘の上の公園のベンチで芥川と話してたらカミキリムシの大群に襲われて
いっしょに繁みに隠れたんだけど息遣いとか着物の匂いとか妙にリアルだった ちくまの文庫全集は素晴らしいのだが、小品と呼ばれる作品集が収録されてないのが残念だ。 幼い頃にアニメでみた杜子春が衝撃だった。
杜子春映画化希望 165 名前:吾輩は名無しである :2019/10/07(月) 10:21:29.93 ID:lh+7nGa2
この人は起承転結を否定してた人ですよね
某作家とその件で戦ってた記憶があります 黄粱夢が収録されてる文庫って岩波の「蜜柑・尾生の信」しかないのかな? オチが無かったらほんとにただの迷惑な田舎娘で終わった話だよな スペシャルドラマ 〜ストレンジャー上海の芥川龍之介〜 ★1 気分が鬱ぐような黒々とした雲を読者の頭上に覆い被せて、不安感や不快感や恐怖感などを煽ってから
最後にそれらすべてを爽快に一掃する手法は漱石作品にもいくつかあるが、例えば漱石の
「琴のそら音」と芥川の「蜜柑」を比較してみても芥川のは何か腰の軽い印象を受けてしまうんだよなぁ
いや、簡潔でキレもあるしもちろん蜜柑も好い作品ではあるんだけどね まあでもこれは難癖か
独立した短篇ではなく、子規の随筆の病牀六尺にある小提灯的な一片とか、漱石の随筆作品などにあるささやかな一小説みたいな感じで出していたら微塵も文句つけようないんだけどね
独立した短篇としてはちょいとささやかすぎるというかw 芥川は最後まで朝日入社する前の漱石みたいな根無し草で生け花的な仕事ばかりだったから仕方ないわな
漱石も初期はいくつかの雑誌社にささやかな短篇を掲載してお小遣い稼ぎしてただけだし
芥川は最後までそのお小遣い稼ぎ程度の仕事ばかりであまりに不遇すぎでかわいそうだった そのへんの金銭事情があり、芥川は何か菊池寛に助けを求めたそうではあったけどプライドが許さなくて言い出せなかった感じかね
菊池寛も菊池寛で芥川が困窮してることは耳にしていたがむやみに自分から手助けすることは逆に芥川に対して失礼だから放置せざるを得なかった感じか
芥川の死後に菊池は何も力になれなかったことを後悔したのか困窮にある文士に対してむやみに金をばら撒くようになったし
芥川賞を設立して懸賞金をかけて金銭での援助をしたり
芥川の死に関して菊池寛には何も罪はないんだがね >>281
いや難癖じゃなくて、その通りだと思うよ。その吹っ切りきれない「さわやかさ」が芥川の限界を表していて、
逆に「蜜柑」が好きな理由かな。 「僕は何か精神的に未熟のようで、カエルのようにぴょんぴょんと跳ねることだけしかできず、何か物事を継続して押し進めるということができない」というようなことを随筆で書いてるし自覚はあったみたいだね
故に"ボードレールの一行"に懸けた で、芥川が海軍の臨時教師してたときに確か鷗外と初対面してる 芥川は裕福でも無かっただろうが、貧しいとか生活に困っていたというイメージはなかったが
芥川は長編を書きたいという意欲は持っていたのかな いや、晩年は相当貧困だったよ
そこに姉の夫が鉄道飛び込み自殺したりで芥川がそっちも金銭的に手助けせざるを得なくなり、いよいよ困窮極まった
死んだ時の芥川名義の貯蓄は現在の価値で20万円とか
芥川の死後に残された家族を援助したのは菊池寛 17 名前:吾輩は名無しである :2019/12/31(火) 01:20:32.10 ID:uwzCvtfA
とにかく何が言いたいのか不明な作品
村上春樹に通じるからニューヨークでもいま若者に受けてる 18 名前:吾輩は名無しである :2019/12/31(火) 12:58:52.19 ID:uwzCvtfA
因みに、ニューヨークでは村上春樹に似た新人作家だと思われていた 19 名前:吾輩は名無しである :2019/12/31(火) 13:02:06.33 ID:uwzCvtfA
もちろん、知識層では芥川龍之介は認知されていたのでそんな誤りはなかった >>290
めっちゃ詳しいようだけど専門家とか研究家の方ですか? いやいや、単に暇なダケのふつうの一般人だよ
敬愛する遠藤周作さんが「読書をするなら広く浅くではなく、できるだけそのそれぞれの作家の著作物をとことん読み漁りなさい」みたいなことを言っていて、なるほどと思ったから一作家の書物を読み始めると全作品を読まざるを得なくなるw
さすがにすべての作家の著作を読破することは不可能だから漱石、子規、芥川、宮澤賢治といった自分の好きな作家のものは
作品から書簡に至るまで大抵すべて読んでる感じです >>295
芥川のどの辺が好きなのですか?
松本清張の「昭和史発掘」に書かれた芥川像についてはどう思いますか?
質問ばっかりですまん。 どのへんと言われると困るけど、強いていえばフィーリング的な?w
中高生時代に羅生門や歯車などいくつかの有名どころの作品を読んでいて、多少気にかかる作家ではあったけど以降はほぼ忘れかけて
大学を経てふつうに就職をして生活が一段落してから学生時代に読んで気になってた作家の作品を読み始めて
その経路で芥川の或阿呆の一生で謎めいた黒いものを感じ取って、すぐに全集を買って、その謎めいたものの正体を
自分なりに追跡していくうちにどっぷりハマってた感じかな
松本清張の芥川に関するものも少し読んではみたけど自分で読み自分で考え推察していくほうが楽しかったからそういった専門書などは芥川に限らずあまり読んでいない、 ただ、書簡に関するものや芥川の女関係等では松本清張の研究書から知ることは多かった 特に芥川晩年の女関係についての松本清張の推察は面白く読めたかな
芥川が自殺の際に使用した毒物(青酸カリ)の出所について、或阿呆の一生で演出されているものは
芥川が自身の死後に調査されることを予測して意図的にトリックを仕掛けて捜査の目くらましを施したなどの推理はすごく興味深く読めた 連投スマン
それとは別に芥川の弟子・・というか親友かな?の画家である小穴隆一が描いた芥川のデスマスクはちょっと衝撃的に心を揺さぶられた
ーーその枕元よね。…… 296です(294さんではありません)
ご丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。或阿呆の一生で感じた「謎めいた黒いもの」の正体は見つかりましたか。
また時間があるときにでも教えて下さい。
よいお年をお迎え下さい。 うん、ありがとう
あなたも良いお年を
謎めいたものは久米正雄くんへの冒頭もそうだし、センセイキトクの電報の"よろこびに近い苦しみ"もそうだし、前述したプラトニックスーサイドな女性もそうだし、どこというより全体的にかな
これから自分はふと思い出した芥川の「年末の一日」を再読します
これは絶望の淵でも創作意欲を失わずにあらゆる可能性に懸けた芥川のがむしゃらさが表れていて不思議に好きな作品の一つです >>302
「年末の一日」は未読だったので、早速読んでみました。小品ですが、とてもいいお話でした。
一年が終わろうとする大晦日のこの日に、いい作品を紹介していただき、ありがとうございました。 >>290
サンクス
そうだったのか
菊池寛は芥川リスペクトだよな 書簡集なんかは読んでなかったので、最晩年の鉄道自殺云々以外にも
仲人した知人が一年で離婚、その調停役みたいなことまでやるはめになって
「もう(仲人は)こりごりだ」って事もあったのを知った
あと菊池が書いてた「芥川の事ども」での文学集の印税の話とか
ただでさえ健康がすぐれないところへもってきてこういう外部の問題に苛まれやりきれなかったに違いない 新年おめでとう御座います
ついでに>>288は記憶違いだったので一応訂正しておきます
鷗外との初めての対面は漱石告別式の時でした
芥川は参列者の受付係をしていて、その時に鷗外と対面して名刺を渡されてる
それで海軍の軍艦で二度目の対面をし、鷗外との交流がはじまって以降、芥川は何度か鷗外宅を訪ねて文学の話などをしている 芥川は鷗外の立派な人格や翻訳などでの貢献に敬意を抱いていたようだけど
「余りに文芸的な」では結構手厳しく鷗外の句などを評してる
怖いもの知らずというか何というか、大胆すぎるw 芥川の場合、そういった大胆な攻撃性によって周りからの猛烈な反発や反論を招いてしまって
しかもその評論などが芥川の勘違いや誤読や見当違いな解釈だった場合も少なくなくて
島崎藤村の件のように何度か雑記などで謝罪文を書いたり自らの過ちを認めたりしてる
そういったところも晩年の芥川自身の"ぼんやりとした不安"を形成する一要因になっていたと思う
芥川は何か漱石の態度や人間性を多少疑問視していたようだけど、漱石は特定の作家の作物を
むやみに批判したり、わかったような評論を書いたりはしなかった
自分の記憶では漱石が公に苦言を呈したのはモーパッサンの作風についてくらいだと記憶してる しかし最後に芥川は自身の妻へ向けた遺書で「やっぱり僕は夏目先生が好きだから、先生と出版社を同じくしたい。
よって僕の新潮社との契約はすべて破棄し、岩波文庫から僕の全集を出すこと(もしも僕の全集が出版されるならば)」と命じている
この「やっぱり」という意味がすべてを表しているかと思う
芥川は漱石に「鼻」で見出されてから本格的に自身の文士への道を決心した故、漱石の死後に常にその責任を感じていた
その責任が以降の芥川の背中に大きくのしかかることとなったように思うが、漱石から芥川へ向けた手紙でのアドバイス的なものは
「文士を押すのでなく、人を押しなさい」というような至極曖昧な表現であった
前述した「年末の一日」での最後に書かれている箱車を押す芥川の図には、そんな漱石のアドバイスに対する皮肉的な意味も多少は混じっているような気がしないでもない
漱石のお墓が見つからなかったことなども、次第に芥川が漱石の影から逃げるように無意識に遠ざけていった心境を表しているものとの見方もできるのではないだろうか 『或阿呆の一生』の「先生」に書かれている「センセイキトク」の電報に対する"歓びに近い苦しみ“もそういった芥川の複雑な心境を表しているものかと思う そういえば、漱石と芥川の関係について宮崎駿監督が興味を示していて、いつか何か描きたいみたいなことを言ってた気がするがどうなんだろう
ポニョがそのつもりなのかな?少年の名前がたしか宗助だったよね というか、新潮社との契約破棄云々なんか妻に頼まず自分でカタをつけてから去れって話だよね
こういうところはほんと卑怯としか言いようがない >>306
ミステリー小説だけど北村薫の「六の宮の姫君」(円紫師匠と私シリーズの4作目)は読まれました?
浅学な私にはどこまでが事実でどこまでが作者の想像かよく分かりませんが、芥川と菊池の話は面白かったです。 私も「年末の一日」読んでみました。
途中まで読んで、以前にも読んだことがある事を思い出した。
20年くらい前に被差別部落に興味を持った時に、「胞衣」を処理する「○△衛生」という会社がある事を知って検索して調べているうちに出てきたのがこの小説だった。
芥川は下町の生まれですし、胞衣の処理が部落産業である事は分かっていたでしょう。
「穢い」という言葉も出てきます。
話の発端や夏目先生の墓がなかなか見つからない、という辺りは完全に忘れていました。
確かにここの辺りは夏目先生へのアンビバレンスな気持ちを感じさせるものがありますね。それだけ大きな存在だったとも言えるでしょうね。
今回感じたのは、「トロッコ」の大人バージョンではないかという事です。
精神の沼の中で、まだこれからも、という創作にかける思いを感じますね。 また今回は地図で地理を確かめながら読みました。田端の家や護国寺、雑司が谷、富士前、動坂、八幡坂など。
「雑司が谷」で「K君」、しかも漱石とくるとやはり『こころ』を想起せずにはいられないでしょう。
そう思って読むと、先生の墓がなかなか見つからないことから「K」に言われた言葉(「聞いて見る人もなし、………困りましたね」 )に彼の冷笑まで感じざるを得ず、精神の圧迫を受ける辺りに、やはり何か『こころ』と関連がある気がしてくる。
漱石の影響圏に否応なく絡め取られる感じを受けます。
さらに「八幡坂」があります。
この坂をネット上の写真で見るとかなり長い上に、途中で90度折れ曲がってその先が見えない。
この坂を「薄暗がり」の中、「胞衣」の入った手押し車を押すのを手伝う、その薄気味悪さ、物凄さを感じます。 文中に出てくる坂は田端八幡の方の坂のことかと思うけど
当時も切通しに橋が掛かってたかどうか不明(ちっちゃい橋を渡るとちょうど龍之介の宅のすぐそばに出る)
もう一方の八幡は大龍寺の隣でちなみにその寺には正岡子規の墓がある >>318
実際に歩いてみたくなりますね。作家がまだ生きていた時代の名残や痕跡に実際に触れることができるのは幸せです。
「大川の水」に描かれた情景も両国橋周辺を歩けば、感じることが出来ます。 芥川の通っていた小学校(回向院の横だったとか)の面影は今ではもう全然ないの? 自分の勘違いで回向院の横にあったのは、芥川が通った「幼稚園」だったか。
「本所両国」に描かれている表忠碑は今も両国橋の袂たもとにあるが、これは芥川が見たもののままなのかな。それとも建て替えたものなのかな。 鼠小僧の墓くらいかな
何年か前に浮世絵見に行った際に境内まわったけど
あんまり古いもの残ってなかったような気がする 確かに回向院の中となるとなにもないかもしれない。結局変わらないのは、大川の流れだけか。 その大川も木村荘八の東京繁盛記で護岸工事の影響でヘドロ浮きまくりものすごい臭さで窒息するって書いてるね
今はもう少し改善したと思うけど
もし龍之介が井伏鱒二くらい長生きしてたらさらに悲惨な未来見てたかも
田端の谷田川も暗渠になっちゃって風情ゼロ 数日前に両国橋を歩いて渡ったけど、臭いは感じなかったよ。まあ風は寒かったけど。しかし「両国」とはよく言ったもので、今でも大川を挟むと街の風景、雰囲気が全然違うね。 書物に出てくる場所とかお店などをなーんにもやることのない休日とかにぶらりと探してみるのも楽しいね
まあその場所は遠くても電車で1時間以内くらいの近場でないと厳しいけど
で、正岡子規が頻繁に出入りしていた大宮公園近くの万葉亭という料理屋にいつか漱石が呼ばれて
二人で鶉などを食べたと漱石が雑記で書いていて、現在もあるのかなと何故か変に気になって
調べてみたけどネット上には多分まったく無関係の同名の和菓子屋しか出てこず、
グーグルアースでも現在の大宮公園周辺を探してみたけどそれらしき店は見当たらず
数年前のGWに暇を見つけて大宮公園へ一人で行って自力で探してみたけど当たり前に見つからず
大宮公園参道にあった団子屋で、みたらし団子を食べながら店員の上品なおば様に聞いてみたけど知るはずもなく、
やたら大きな公園内を隈なく散歩して、これまた大きな氷川神社にも参拝して帰宅したけど、なんかすごく楽しかったな 最初から大宮の役所に電話して問い合わせたら店の有無はわかっただろうけど
なんかそれだと味気ない気がしたし、あまりに個人的な趣味で役員さんをこき使うのも申しわけなかったからやめたw 駒込に川端康成が贔屓にしてたフランス菓子屋があったけど何年か前に閉店してる
そういえば万惣フルーツパーラーでホットケーキ食べた事もあったな
龍之介は確かアキバの万世橋あたりにあったレストランが贔屓だったっけ 鷗外の「雁」に出てくる蕎麦屋がまだ不忍池の近くにあるな 都内の老舗で土地を売っぱらわずに店を続けてるのは感心するね
蕎麦屋とか料理屋なんて儲けもたかが知れてるだろうし
ちなみに漱石の「彼岸過迄」の須永の話だったか、柴又の川甚って鰻屋が出てくるけど、これもまだ営業してる
まあ作中では「甘ったるくて食えない」から、すぐに店を出てるがw
川甚は「男はつらいよ」シリーズの夕焼け小焼けでもやたら高いぼったくり店みたいな感じで出てくるが、
そのシーンが面白くて視聴者の印象に残るから今も客足が絶えないみたい
たまたまグルメ番組みてたときにこの店が出てきたけど店主は成金野郎みたいな胡散臭いやつで笑ったw 芥川の「歯車」で最後の銀貨を投げて飲んだBlack &Whiteというスコッチもやまやで今も売ってる
980円くらいで安かったから飲んでみたけどふつうに美味いw
歯車ではソーダ割りで飲んでたけどあの頃すでに所謂ハイボールがあったんだね
まあ国産ビールは明治初期にはすでにあったから驚きはしないけど >>332
芥川は食にはほとんど興味なかったみたいだから珍しいねそういうの 今回の新型コロナの買い占め騒動で芥川の蜘蛛の糸みたいだなと思ったのですが、
調べたら書かれたのもスペインかぜの最中なんですよね
もしかして似たようなことが当時もあったのかしら? >>332
いまはいろんなところで売っているが、やっぱり亀戸天神横の本店がいいね。両国からも楽に歩くことができる。 決して天才などではなく、とてつもなく不器用な人だと思うが、時々読み返したくなる作家だ。 晩年の玄鶴山房とか蜃気楼とか歯車とか、短編を極めたなと
いう感じの作品が妙に好きだな。一方で、自伝的な作品は
その時期にそれを書かずにいられなかった運命と境遇を考え
ると悲劇だけど、そこから先へ行けばさらなる名作が生み出さ
れるかも知れないという可能性を感じるだけに残念。
>>341
ほんと不器用だという気がするね。逆に器用に生きていけるなら
多分小説は書いていなかったかもしれないな。 一番長いのは『偸盗』じゃないかと思うが、あまり自信がない 三四郎のパクリは続いてたら一番長くなったんじゃないの
あと邪宗門は若殿が勝負に応じたところで中絶だけどもう1、2回で終わってた感じ
大道寺は数倍続けるつもりって書いてるけどこれは半自伝だから純粋な小説という感じはない 芥川は思い切って映画監督、脚本家に転身すればよかったのになぁ
芥川の作風からして映画の脚本方面にかなり適してるし、大正から昭和初期ってちょうど映画が飛躍的に開拓され始めてたから資産家の支援なども集まりやすく資金は豊富にあった
撮影助手なんかでもかなりの高給を得ていたし
山中貞雄とか小津安二郎あたりと繋がって脚本提供しながら撮影技術を学べばすぐ技術は身についただろう
当時は脚本不足で監督が脚本を一から書いていたし、芥川みたいな作家が原案、脚本提供すれば向こうも大助かりだったはず
後に佐藤春夫などは小津監督と組んで脚本をいくつも書いて成功した >>346
芥川龍之介の短編としては長いけど、やっぱり短いな。
>>347
なんとなく映画を撮影しているイメージが目に浮かぶ感じが
するな。でも、芥川龍之介がチームプレイのような仕事が出来るか
どうか、微妙なところだな。 チームプレイは無理
芥川の不幸は晩年になって交友関係からじわじわ精神やられていったところ
仲人はもう金輪際やりたくないとか文芸集の印税問題で散々な目に遭ったりで人事不信に陥った
「格闘できる頭脳の持ち主」っていう逆説的に自分が認めた天才でないと興味もないし関わりたくもないって宣言してるから
さらにそういう天才に叩きのめされるかして結局のところ小説以外に道を見出したとしても精神的に壊れてたと思う
なにより小説を辞める、小説に挫折するという事は彼にとっては死と同義で自分をはじめに認めて門下に入れた漱石の名誉すら
「見込み違いだったとして傷つける」ことになるのではと恐怖してたと思う 高校の頃、全集を図書館で読んだんだけど、小学生?の頃の同級生に、
「おまんこをしようぜ」と言われて、お互いにチンコこすりつけた小説(エッセーか?)があったんだけど、タイトル忘れたわ 皆様ご存知ですか? 文庫にも入ってないよね? 今年もとうとうやってしまいましたな
墓前は昨日から休日だからか例年より花が多かった 芥川龍之介はもっと評価されるべき
日本文学に多いしょうもない男女の恋愛話や病気話よりよほど面白い 後期の芥川はなんか作品を書くために(ボードレールの一行を求めて)自分を犠牲にして、あえて不幸を追っていたような気がしないでもないんだよなぁ そこらの女性にもよくいるけど、悲観的状況に陥る自分を無意識に求めたり、自ら選択して不幸の内に入っていくタイプというか…
そういうような自虐性がなんとなく芥川にも感じる 自虐性が→自虐性を
まあでも芥川の場合はかなりお金に困っていたみたいだからなぁ
その実際的困窮がたぶん第一要因になるんだろうけど、それだけではなくて、何か意識的にか無意識にかは分からないが不幸に憧れていた感じはする
お金に困窮して自殺なんてのはちょっと芥川の自己的美学では受け入れられないだろうし、それを無意識に隠そうとしたって可能性もなくはないかも 三島とは違った意味で、悲劇を自らの美学に変えようとした作家だったのかもしれない。『歯車』など初期の作品と比較すると随分と赤裸々は心情を語ってはいるが、それでも最後まで自分の奥の奥にあるものは誰にも見せようとしなたったように思う。 てか何かの作品で、不幸な環境に生まれた人を羨ましく思うみたいなこと書いてなかったっけ
侏儒の言葉だったか何だったか、うろ覚えだが 二宮尊徳
芥川自身プロレタリアートにブルジョア作家呼ばわりされてたから
あくまで自分自身では侏儒のつもりでいたので心外に思ってた事だろう
菊池寛はそういう妬みに近い非難に対して「いちいち構うな、ほっとけ」って言ったらしいけど逆効果にしかならんな
自殺したあとも結局同時代の敵対作家から結構酷い批評食ってるし まあ芥川の場合は自身でも他作家の作品をむやみに批評したりしてたからやり返されても仕方ないね
文芸的な、余りに文芸的なとか読んでも首を傾げざるを得ないような的外れな批評が結構目につくし ただ読書量は菊池寛なんかも驚くくらいだったね
まだ翻訳すらされていなかった欧州の無名に等しい作家の本も原文で読み漁ってたみたい 偉いと思う所は金に困窮していたのに最後まで作家一本に絞って貫き通した所かな
英語、仏蘭西語などの安定した給料を得られる教師の口はいくらでもあっただろうにね
まあ陸軍海軍で少し臨時教師はしてたけど コロナの文字を見ると芥川の肺病病みのような顔が思い出される
いまだにコロナをただの風邪だと思ってる人がいることが信じられないわ
致死率が低いだけで軽症でも9割近くに後遺症が残ると言われてるのに
専門医が新型コロナは軽症でも肺が繊維化して後遺症で息苦しさがずっと続くこんな肺炎見たこと無いと言ってるのにただの風邪なわけないだろ
医学的な定義では軽症なだけで廃人なるレベルでの日常生活困難になったりするんだよ
ツイッターで後遺症を綴ってる人一杯いるから見てみたらいいよめっちゃ怖いから
見てたらはっきり言って生き地獄 いちいち最初に強引に芥川に結びつけて駄文を弄し、何がしたいんやこのスレチガイジは 河童といえば、スコットランドのmogwaiという世界的にもかなり有名なバンド(来日してよくライブもしてる)のCome On Die Youngというアルバムに
Kappaという曲があるんだけど、これは芥川の河童と河童図から着想を得て作ったみたい
親日家で有名で、芥川他、宮沢賢治などの詩をイメージした曲も作ってる
ちなみにデビューアルバムのジャケットも「富士銀行」を採用してる(何故富士銀行なのかは知らないw)
でも空気読めない富士銀行からなんか苦情が入ったらしく一時期はモザイクがかけられていたというw
面白いバンドだから興味ある人は是非
YouTubeでほぼ全曲聴けます 欧州では村上春樹の影響で日本の作家の作品を読む人が増えてきて、英訳もまともになってきたみたいね
翻訳者の感性や知識次第でまったく異なる表現になるから難しいだろうけどね
サリンジャーのライ麦は野崎孝訳が一般的だったけど、村上春樹が野崎訳に物申して
村上訳が出版されて、比較しながら読んでみたらやっぱ至る所で野崎とは全然違うニュアンスや表現を用いてるんよね
当然、作中の全体的な雰囲気もだいぶ異なってくる
なんでここまで違ってくるのが気になって原文を購入して
わからない単語をネットなどで調べながら村上訳、野崎訳、自分訳を比較しながら読んだけど面白かったわ
とりあえず自分訳は論外だったな、野崎訳も野崎訳で独特の雰囲気があるから嫌いじゃないんだけど意訳がちょっと度を過ぎてる感はある 芥川は英語以外も原書で読めるほどの語学力があったの? フランス語と英語はほぼ完璧だったんじゃないかな
ロシア文学とかもすべて英訳で読んでたし、書斎にある海外作家の書物などもほとんどが英訳で、フランス文学はすべて原書だった ちなみにフランス作家の書物はフランスに留学したり、仕事でフランスと日本を行き来してる友人や知人に頼んで買ってきてもらっていたみたい 海外組多いね
アストラカンの帽子もロシア方面の知人のツテでやっと手に入れたと書いてる フランス語の書物まで原書で読んでいたのか。いったいどこで、どうやって習得したのか? 一高時代はドイツ語選択だったようだね
フランス文学は原書も持っていたが、ほとんどは英訳で読んだようだ
ググったら芥川の語学関係を書いた論文が出てきたので、それを流し読みしただけだが 今で言うクドカンみたいな感じだろ?
ひょろがりで
奇跡の一枚でイケメン扱いされてるが 芥川の自殺を、何か呪い殺されたかのように、思うときがある。 芥川は日本史上最高の作家 この人の真の本領は物語性じゃなく「文章」にある
まるで絵画的でありながら映像的 ボードレールの暗黒の美を究極に達成した人
プルーストが生み出した「共感性」の才能の持ち主 文字から嗅覚や臭いすら感じる極限の美
これ持ってたの芥川覗いて詩人の大手拓次のみ この人は萩原なんかより全然挌上だった
大手と芥川は才能がキチガイじみてて凡愚な小説や詩を読んでる奴には到底理解出来ぬ
物語性で見てる俗物にゃあ分からぬ世界よ 物語性じゃなく文章で魅せる本物の天才だった 小説家の格 芥川→村上(春樹)→志賀→堀→水上→横光→夢野→安倍→泉→大江→夏目→三島→太宰→森→谷崎→川端→島崎→松本
詩人の格 大手→西脇→草野→高村→中原→まど・みちお→宮沢→黒田→谷川→萩原→伊藤→立原
どれだけ表現力が美しいか壮大か比喩が上手いかが上位のものだ
まどみちおはぶっちゃっけ3位ぐらいにしたいほどの実力者だ ちなみに三島の文章は全く評価していない 詩的じゃないし汗ばんだ気持ち悪い文章
色々な作家や詩人の文章を読むといかにしょぼいと分かる
夏目は革新的な文体を造ったことは凄い評価してる でも芸術的とは違うベクトルのランクずけ 村上はマジで凄い 表現力の美しさや会話のセンスが圧倒的
しかも セカイ系という概念を造り君の名はやエヴァの根源を造る
しかも多作 芥川と同じ質と量を持ったマジキチ作家
大衆には馬鹿にされ「悪魔」が主催してるノーベル賞には落とされ続けているがな
まず西脇が取れなかった時点でおかしいからな 二流の小説家を故意に選んでるノーベル賞 バカの見本
>>384
>でも芸術的とは違うベクトルのランクずけ
「ずけ」だってさw「ずけ」「ずけ」wwwww
小学校からやり直せよマヌケwwwww 深夜に書き込んでるニートかよ
夜は寝るものと相場が決まっているぞw >芥川は日本史上最高の作家 この人の真の本領は物語性じゃなく「文章」にある
嗤いどころだなwwwww ひっさびさに河童を読んだ
芥川は統合失調症になりかけていたのかな 日本霊異記とかって、酷い感じのエロゲーみたいなものなのか
芥川がそういう日本文学の流れを止めようとしたのでは >>391
女が蛇に犯されたとかいう話が入っていたな
はるか昔に読んだため内容はすっかり忘れていたけど
書名見たら、読みたくなってしまった。本棚を探してみるわ(´・ω・`) その写真は龍之介じゃないな。龍が如くプレステは東大じゃないけど。 羅生門の書き手はまあ好きだが、はぎとったのが女性だという十八禁なら。 全登場人物全書き手は認めない。その絵のやつとか。私大たかって自殺の。 太宰も漱石埴輪田もほかの東大全員兄弟も国立は慶應たかってたらしい。覗き集り押し付けて。芥川も。ほかの上位校とか。地方国立もたかられた。教育大とか、女子大まで。 東大京大地方国立の男だらけ男だけに同性愛の覗き集り維持管理しあうようにするけど。 芥川君に對する時、いつも自分はさうした不快さ――觀察されるものの不快さ――を、本能の微妙な隅に直感した。
それからして自分は、時にしばしば彼を「意地惡き皮肉の人」とも考へた。けれどもこれは、小説家について全く知らない私が、
一般の習性となつてる小説家的本能(觀察本能)を、たまたま初見の谷崎君や芥川君について邪解したものにすぎなかつたのだ。
彼等は決して、そんな意地惡き觀察をしてゐるのでない。ただ態度が、職業的に習性となつてるその小説家的態度が、
ある冷酷な――酒に醉はない――觀察本能を、我々ちがつた世界の人間に印象させるにすぎないのだ。
話が餘事にそれたが、最後に、別れる時、前言の一切を取り消すやうな反語の調子で、彼は印象強く次の言語を繰返した。
「だが自殺しない厭世論者の言ふことなんか、皆ウソにきまつてゐるよ。」
それから笑つて言つた。
「君も僕も、どうせニセモノの厭世論者さ。」 いつまで、まともな私小説や長編すら書けなかった作家を礼賛しているのか
神経質な性格のうえ、一種の自己愛も強く、自殺してしまった
つまり、若くして、自分の性格に負けてしまったわけだ
生きるということに関しても、創造力の無さを感じる
心という暗黒の領域を開拓し、制御できなかったわけだから
まあ、小説家の自殺の多くは、自分の能力への不安や疑問だよ
美化されすぎることが多い 芥川が亡くなった直後知人たちは電報を打ったがマスコミがすぐに嗅ぎ付け
田端の動坂下には70台も車がやってきた(夕刊には乗らなかったがラジオで速報が出た)
遺族が門前で謝絶してるのにかまわず邸内に乱入し好き勝手に取材を開始
さらに知人らが協議の上即日公表することに決まった例の「或る旧友へ送る手記」をマスゴミに出すといつの間にか原稿二枚が紛失
遺族や菊池らが辞して返還を申し出てるのにマスコミは誰かがポケットに入れたのを認めながらもとうとうその日は戻らず
後日無記名封書で二枚は返ってきたが龍之介の書斎の蔵書がどんどん勝手に抜き取られていくのでしまいには釘付けにしたとある 朱舜水(しゅしゅんすい)なんてほぼみんな噛むよね
なんでそんなとこにショック受けたんやろ龍ちん 漢文抜群に読めた人間が正確な発音ができないってのはちょっと気にするだろうけど
その頃の芥川は精神的に参ってきてるって自覚してるから猶更ショック
車の轍見ただけで不安になってるし 百鬼園によると
龍之介は死ぬ頃には
いつも薬でベロベロだったみたいだ 文士村記念館久々に行つた
チラシで見て知つてゐたがあの河童マスクは田端で拵えたという謹製品ではあるがただのウレタンの型にシルク印刷したとかいふことだつた。
あの例の自裁直前に甥に描いて寄越した「娑婆を逃れる河童」の絵があしらつてある。
もし自分が制作に関われるなら河童のクチバシ型にするのになとか嫌な事を考えない訳にはゆかなかつた。
近々作られる予定の記念館の敷地も見てきた。かなりこぢんまりした物になりさふだ
さぞかし龍之介もあの世から複雑な思いで見ているのに違ひない。 羅生門ってしょぼい内容だねw
なんで死人の髪の毛取ってた老婆の行為と
下人が老婆の着物を剥ぎ取る行為が同等なんだよw?
老婆は生きてるから着物なくなったら生活できないじゃん?
死人じゃないんだよ?
バカなの?w 短編や神経質な私小説は書けるが、
オリジナリティのある物語を作ったり、長編を書けない作家
精神面が弱いうえ、怖くて自己分析もできず、
自分自身に負けて自殺したんだろうな
当然、他者分析はできないはずだ >>411
それをまじめな言葉で指摘した学者はいる
つまりあんたの着眼点はいいのだが考察が甘いのだ >>411
同等なわけないだろ
下人は悪党になったからそういう目茶苦茶も言えるようになったのだよ 「羅生門」を、エゴの悪循環とかいう浅い解釈してる奴は>>411みたいな考えになる。
仮に婆みたいに「犯罪をやらないと明日にも死ぬ人間は悪事に手をそめてもよい」という法律があっても、
この下人はその法律で守られる立場にはないね。
ただ失職して腹が減ってるだけで明日にも死ぬような人間ではない。 題忘れたけど自分かわいさに処刑寸前で親見捨てて改宗する子の話の方が411にはわかりやすいと思う おぎんだね
残念だが411の感性ではあの作品を理解できるとは思えない
魔術あたりが無難なところだろう 『新潮日本文学10 芥川龍之介集』綺麗な本を古本屋で安く購入した
62編も入っていて、文庫本1冊の値段とはラッキーだった 野口冨士男の「感触的昭和文壇史」にある芥川像が一番芥川に寄り添ってると思う 谷崎潤一郎とか小島政二郎とか、探せばけっこういろんな人が悪口を言っている
なんつうか、「あったかくない」みたいな文脈? もういろんな本読みすぎで人間の行動パターンも分かり切っちゃってたような部分がある
それで相対した人間をはじめから「ああこいつは〇〇の××なタイプだな」って分別してるような
嘱託教員時代にも追悼文頼まれて「その人の人物像はどんなです」って人となりを聞いてからすぐさま論語の引用みたいな文思いついて
現場で自分が草した文を名調子で読み上げる同僚にほくそ笑んだり聞いた遺族がしくしく泣いてるのをチラ見していったん悦に入るところなんか
人によってはかなり嫌な奴だと思うだろう(ただしその満足の直後みんなを侮辱してただけだと激しく後悔し出すんだけど) 或る阿呆の一生、読むと、
芥川、論陣はられるかなんかして、
殺されたんだな、みたいに思ってしまう。 30代の若さで病気だらけになって生きるのがつらくなり、
うつ病になって衝動的に自殺したのだ 地獄変とか読んだら、あれは、昔の絵仏師良秀を変えたんだとわかるだろ。
絵仏師良秀は、火事の現場だったかな、ヤバいの見て絵の題材にしろって話だろ。
地獄変は絵描きがそういうヤバイ感じにやって、最後はその絵描きが不幸になる。
芥川はそういう和朝の呪いを変えていったから、トップの人たちに嫌がられたんだよ。絶対。 >>428
小説家になろう!に載せてる奴だろ?
知ってる 松本清張も芥川には割と批判的だったな
まあ「社会派」の人には個人主義が許せない部分もあっただろう いろんな文豪がいるなかで芥川は?だったけど、
なんだかんだ正統派の小説家としては貴重な存在だったんだなと最近思い出した 大江健三郎が芥川賞とったときの大岡昇平の選評をだいぶまえにネットで読んだ
大江の作品のような怖い感じのが、芥川龍之介の名を冠する賞にふさわしい、みたいにあって
ああいうので、芥川龍之介の印象操作みたいなのをするんだろう
近頃、芥川のデビュー作の「老年」を読んだけど、良い感じだった デビュー作じゃなかったです
処女作と書いてありました
怖い感じじゃなくて、いい感じですよ
「ひょっとこ」と対になってるのかな 老年とひょっとこはともに江戸の街並みが見えるような作品だね 芥川さんって、一部の出版社とその周辺が、
みずからの商業主義のために、
たてまつり、信奉しているフリをしているだけのことでは
芥川賞があるほとだから
そして自殺した悲劇の主人公として延々語り継ぐことができる
しかし現代に至っては、戯作ものをのぞいて、
短編や私小説しか書けなかった
神経質な作家としてのイメージしかない
小説家が神経質なのは仕方ないが、
ある意味物書きはもっと図太く生きないと
若くして自殺、というのは、人生における負け犬です むしろ死を勝ち取ったといえば勝ち組かね
俺らは死に脅え生きながらえてる負け組と 芥川の場合、勝ち取ったとかそんな感じではまったくない
苦悩や困窮や絶望の果てに死しかなくなった感じ
最後まで踠き苦しんでなんとか生きようと必死だった様子は芥川の作品を読んでもわかるし
周りの友人知人などの芥川についての話でもわかるでしょ >>441
芥川の才能がわからないなら、文学もわからないということ
読む事自体向かないから、やめたらいい 名前を未来永劫残せる人物になった時点で芥川龍之介は小説家としては大いに大勝利なんだけどね。
生活者としてなら負けってのは認めないこともない。 芥川の尊敬した志賀直哉とかは長生きして文学の神様とか言われたけど
それがかえって今では俗っぽいイメージになっている
逆にそういう意味で芥川は、清濁併せ吞むことのできない面があったというか
文学で人を傷つけたくなかったのだろうと思う 芥川とか大江とかの怖い薄気味悪い雰囲気が好きなんだけど、他にもおすすめの作家っている? 太宰は暗いより寧ろめちゃくちゃ陽気で明るい
騙されたらいかんぞ あれは陽気で明るいというよりいい歳こいてテヘペロしててクソ寒いし胸糞なだけ 太宰って世の中に対して斜めに構えた甘ったれだと前田日明が言ってた
前田がどんな人物かはさておいてもその通りだとは思う 人間はそう単純じゃないだろ
心中相手殺してるんだぜ
その時入院してた写真見たら
少なくとも彼の真面目さは信用できる あそこに令和5年、芥川龍之介記念館を建てる計画がある
うまく行くのかな あー、田端の旧宅跡に建てんだっけ。アニオタ腐女子で盛況になるだろ。 >>458
悲劇のヒロインぶってる太宰を拒否できるくらいには賢いと思うよw 太宰が何かの雑記で芭蕉凡兆去来らで行った連句を取り上げて
凡兆の「市中はもののにほいや夏の月」に対して太宰が「どこかの漁村かしら」みたいに解釈してるのを見たけど
冗談にしても本気にしても感性にだいぶ問題があるね この連句については芥川が何度か取り上げてたし太宰は最初に芥川のそれを読んでたんだろうな
芥川のそれと太宰のそれを比較してみれば太宰の似非風流っぷりがよくわかる まあ芥川は自身が俳句やってたからね
太宰はやってたかどうかしらん これぞ文学だろ
伝説ですらある
253 名前:優しい名無しさん (ワッチョイ e336-R7F1) [sage] :2021/11/18(木) 00:28:36.90 ID:qYnrQgBB0
上がりのエスカレーターの前にいたオヤジが俺にデカイ屁を6回くらい喰らわしやがった!
顔面にだ!
後ろが詰まってたんで屁を6回全て顔面に被った!
で物凄い臭いで空ゲロを吐いた!
帰宅して着てた服全てゴミ袋へ!
もちろん1時間以上シャワー!
あのオヤジを殺りたい! 訂正版
●伝説●
253 名前:優しい名無しさん 2021/11/18(木)
上がりのエスカレーターの前にいたオヤジが
俺にデカイ屁を6回くらい喰らわしやがった!
顔面にだ!
後ろが詰まってたんでどこにも逃げられず
オヤジの臭い屁を6回以上全て顔面に被った!
で物凄い臭いで空ゲロを何度も吐いた!
帰宅して着てた服全てゴミ袋へ!
もちろん1時間以上シャワー!
あのオヤジを殺りたい!
殺り倒したい! ありがとうございます
自分はエブリスタという小説投稿サイトに作品を上げてます
定期的に作品を上げてますが毎回高評価を得ています 田端の文士村記念館もヒヨってんのか近年は文豪ナントカいう気持ち悪い腐女子向けの作品とコラボとかいって
気色悪いパネル展示してんだよな
旧居跡の記念館用におさえた敷地は見たところそんなに広くない
なにより駅から近いといえば近いが狭い階段上がった高台にあるのでまた変なエレベーターこしらえたりバカな再開発しないで欲しいところ 小説はふつうに生きるためのものだ
エンタメとはちょっと違う 118 名前:名無しさん@3周年 [sage] :2021/11/26(金) 01:10:22.68 ID:pdW6QWeZ
1脚38万円か
そんな椅子を買える身分になりたいものだよ
いま借金700万円
吊りたいよ 鵠沼海岸は道路ができて『蜃気楼』の時代の面影はないんだろうな 彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也かなり烈しかつた。彼は水沫しぶきの満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
架空線は不相変あひかはらず鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄すさまじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。 純文学の文豪だとやっぱり芥川に憧れるな
三島は気持ち悪いし、太宰は女々しいし 芥川もかなり女々しい部類だよ
文ちゃんへのラブレター読んでみ
気持ち悪すぎて笑うから 鴎外が死んだ後に鴎外の句をバカにしたり、漱石の文句を書いたり
二人に世話になった分際であまりに非常識 太宰に負けないくらいナルシストだしね
室生犀星の奥さんに「越し女」とかいうこれまた気持ち悪い短歌を送ったり
なんか色々と勘違いが甚だしい 或阿呆の一生に出てくる月明かりの女はだれか、という話で二人ほど候補がいるらしいし、
少なくとも浮気相手としては六人は間違いなくいると思われる。 気がつけば芥川先生が年下だぜ?
なんだかとても奇妙だ。 月光女はふつうに歌人の秀しげ子やで
候補もクソもない 太宰治の登場前、文学少女の憧れのスター作家が芥川龍之介
太宰も芥川賞が欲しくてたまらなかった 太宰は芥川が好きだから芥川賞が欲しかったんじゃなくて単に賞金が欲しかったんだよ >>490
秀しげ子以外に二人の女が「わたしがそれ」って申し出ているんだよ そんなのはただの勘違いか売名かキチガイ
てか、申し出って(苦笑) 秀しげ子、ほんとに月の光りの中にいるような菩薩面だねぇ
芥川はん、ドンピシャな喩えだわ 30代で自殺する人は、みんな人生の負け犬ね
評価できるのは「蜜柑」くらいかな 芥川以外にも歌舞伎役者が自分の子に「同じ職業に就かせるな」って遺言してるのがあるな ある阿呆に出てきた「蝶」ってのも浮気の話なんだっけか? >>498
死後100年近く経って売れてるやつが負け犬とは面白いね君www 最初の小説の我輩は猫であるに文学の要素のほとんどが入ってるの面白いよな 厳密には吾輩〜は最初ではないよ
漱石とも交流のあった四迷の浮雲が初小説
吾輩の金縁眼鏡は四迷モデルと言われてる 失敗作だからといってつまらないとは限らないからな
『路上』とかも失敗作だろうけど俺は好きだよ 自分にはつまらなかったかな、ちゅーとーは
なんていうか、あれはアクション系ラノベのノリに近い んまぁ、芥川にとっては試作だったんだろね、だから失敗とあえて言ったんだろし 芥川が満足な出来と自賛した作品は侏儒の言葉となんだっけな、もう一つくらいあった 一人の女を兄弟で奪い合う展開なのに、
何の説明もなく突然あのラストはないだろう 芥川って意外にも正岡子規の作物を好んでたんよねぇ
師である漱石の作品にはあえて何も言及しなかったけど、正岡子規の随筆などは面白いと評してる 芥川の薄気味悪い作風好きで
最近、泉鏡花にも手をつけだした 奉教人の死のろおれんぞが男装してた理由って何なのかね? 芥川後期の作品群を ノイローゼ文学 と批評した三島 的確やん、たしかにノイローゼやわ
三島のは躁病文学
太宰は厨二病文学
みんな病気なんや 漱石は作品では尋常やけど私生活での言動が若干病的
まぁ奥さんが奥さんやから仕方ないか
芥川の奥さん、ふみちゃんは至って正常
あんな良い奥さんがいたのに不倫とかあかんわ 浮気もできない男は云々ゆーけど、芥川の場合は例外で本当に浮気しちゃダメなやつ
漱石は浮気の一つや二つしてもよかったんやけど女に対してビビりやからもう一歩が出なかった
樋口一葉とか祇園の芸者とか、もう一歩が出ずにあかんなった
吾輩は猫〜が世界に出版されてアメリカ人の女記者から日本へ行くので取材させてって手紙が来たけど漱石は何も話すことないですからって断ってしまったし あ、樋口一葉のときはまだ未婚やったか
漱石はロリコンだったのか、祇園ではいつも15歳くらいの女の子を指名してた
ちょっと事があったのは40近い芸者だったけど 『海のほとり』いいね
おっさんになってから読んでみるといろんな意味で懐かしいわ 働き盛りで死んだ事と田端という地で文士たちとも交流が盛んだった事が重なって
晩年の様子がこれだけ他の作家から語られている作家というのも芥川龍之介くらいじゃないだろうか
鵠沼で療養中からして幽鬼のようだったって書かれてるし ちくま文庫の3巻と5巻は駄作が多い
とくに5巻は一夕話とか第四の夫からとか意味不明すぎるわ 「赤い帽子の女」って本当に芥川の文なのか?
車谷の随筆に引用文が少しだけ載ってるけど車谷はこれは龍之介ではないと思うと書いてる
たしかに文体がただの三文エロ小説のそれで別に凝った表現も言い回しも出てない 弟子っていうか木曜会に何度か出席したり手紙で数回やりとりしたり程度だよ
漱石はその頃すでに病状が悪化していたから親密な交流とかは誰もできなかった
芥川は実質、作家の道を進もうと決心したのは漱石に「鼻」を褒められてからだから、芥川自身からしたら漱石が師だろうね
それは晩年ね芥川のいくつかの作品を読んでもわかる 具体的には或阿呆の一生、年末の一日、芥川が奥さんに宛てた手紙などを読んでみればわかる
芥川が「先生」と呼んでいたのは漱石だけ
鴎外とも交流があったけど鴎外のことは先生とは呼ばなかった 白鳥に「一塊の土」を称賛されて、芥川は「夏目先生に褒められて以来に嬉しく思った」と言ったけど、白鳥はアンチ漱石だったんよね
だから芥川はあえて「夏目先生に褒められて以来」という遠慮気味の優しい皮肉で感謝の意を白鳥に表した
それに何かを感じ取ったのか、白鳥はそれ以降漱石作品には触れなくなった >>526
文体が理知的に感じる部分もないではないが
要するに「詩的ではない」という程度のものだったな 作家に限らず昔はタバコが当たり前だったが
このタバコ、抗うつ剤効果があるとうつ病患者にも禁止されていなかったが
最近の研究ではかえって悪化させると言う事で禁煙が推奨されている
タバコの具体的な効果は30分の抗うつ効果のあと急激な離脱症状が起こり
うつ、焦燥感、その他精神不安定などを招く、覚醒剤よりひどいハードドラッグ
ドラッグは短いほど危険と言われている
もっともチェーンスモーキングすれば抗うつ剤効果は高いので
ドラッグの特性を知って使うべきだな
作家にもたまにしか吸わない人と一日中吸ってる人がいるが
どちらかで性格が異なる 芥川の晩年の写真で太いジョイント咥えてるのがあるけどあれは大麻だろね
あの頃はそこらの道端とかに大麻が自生してたし
んでGHQが取り締まった 馬の脚って内容がよくわからなかったんだけど酒を飲んで死んでいた人と主人公とは何か関係があるの? 「歯車」
略)
やっと彼の帰った後、僕はベッドの上に転がったまま、「暗夜行路」を読みはじめた。
主人公の精神的闘争は一々僕には痛切だった。僕はこの主人公に比べると、どのくらい僕の阿呆だったかを感じ、いつか涙を流していた。
芥川が歯車を書いたのは昭和2年だから「暗夜行路」はまだ雑誌「改造」で連載途中だよね
芥川はどのあたりまで読んでいたんだろう
精神的闘争というのは主人公である謙作が日記に書いた人類発達論あたりかな
暗夜行路はそのあと、志賀の筆がぱたりと止まってしまって昭和3年に連載を中止して、そこから10年後くらいにやっと完結したんだよね 元々、暗夜行路は「時任謙作」という題名で朝日新聞に連載予定(病状が悪化して執筆困難になっていた漱石がその代役として志賀を選んで連載を依頼した)だったんだよね
志賀はいったんはその依頼を受けて、実際に新聞に連載する前に少し書いてみたけど、どうにも上手くいかなかったみたいで後からその依頼を断った
志賀は尊敬する漱石を裏切ってしまった自分が情けなくなり、それから漱石が亡くなるまですべての執筆をやめている
芥川はその志賀の苦悩を知っていた上で暗夜行路を読んでいたのかもね
芥川も長編が書けずに苦しんでいたし 芥川龍之介「誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」 芥川龍之介 「トロッコ」
羅生門の上で下人に着物を剥ぎ取られた老婆がトボトボ歩いていると、髪を抜かれた死人の女が化けて出てきた。
老婆に髪を取られた復讐心に燃えて、トロッコに乗って老婆目掛けて一直線に向かってくる。道は狭く老婆は逃げられない。
それを見ていた下人がは、それならば俺がこうしても怨むまいと言うや、トロッコに飛び乗り、老婆もトロッコに引き上げた。
死人と下人と老婆はトロッコに乗って夜の闇夜に消えて行った。彼らの行方は誰も知らない。 >>527
牛のように長く生きなさい
決して、焦ってはいけませんよ
芥川君! 芥川龍之介:杜子春
朗読:津野まさい
https://youtu.be/rX55NNSryQU?si=T0XkAfVH5m-C1dSy
この作品は小学生か中学生の教科書に出てきて読んだけどその時は何も感じなかったのが歳取って改めて聴いたらいろいろ感じるわ
てか朗読を聴くって言うのは読むのと感じ方が違うのかな? >>64
貴方はある意味、頭が良い人だと思います。 >>551
俺も初めて聞いたわ
昔話の現実話みたいなののハシリなのかな >>552
そうか? 芥川で評価出来るのは晩年の作品のみじゃね 朗読Youtubeいろいろ聴いてて初めてこの作品知ったわ
芥川龍之介;煙草と悪魔
https://youtu.be/ol6rm3RcQmg?si=NbTdqsJ9j2HZ-x-U
知ってないといけないぐらい有名? 自分が持っている『新潮日本文学10芥川龍之介集』には
「煙草と悪魔」が入っている
他の人は文庫で芥川を読んでいるのかな? >>572
俺は確か『煙草と悪魔』は文春文庫で読んだ 「晩年の作品は歯車なんかはすごい。ああ言う作品はとても書けない。だけど体力的に息切れをしている。苦しそうな感じがしてならない」
「芥川君は学校の先生などをやりながら、合間に作家をしていた方が良かったのではないか?」
「死の直前は突然涙を落として泣き出したり、異常な感じがした」
谷崎潤一郎 トロッコってそんなに面白いんか?
女性の朗読聴くとやっぱりヤオイにしか思えんのだけど(´・ω・`)
https://youtu.be/NHq7BsagmNg?si=VfZuM_NfDMeKlM9v Youtubeで同じ作品をいろんな朗読き比べると結構違うもんだな 芋粥で五位は「芋粥を飽きる程食べたい」という夢を失ってしまったわけだが
彼は次の夢を見つけたのだろうかと気になってしまうのである >>578
自分の夢が他者(強者)によって簡単に与えられてしまう人生の虚しさ、やるせ無さ、目の当たりにした夢への幻滅等を感じて途方に暮れてしまったままじゃなかろうか?五位は自分の世界で夢想するだけで幸せに浸れていたけど、残酷な相対的な世界に放り出されてしまった。 >>576 小説で読んだけど「トロッコ」はすごい面白い。女性の朗読バージョンについては全く知らないが。
「歯車」は…中学生で初めて読んだときは意味が分からなかったけど適応障害もとい統合失調症を発症してから改めて読んだら意味が分かった
太宰治の作品にも適応障害もとい統合失調症にならないと、意味が分からない描写がある >>580
芥川
「これまでに自殺者の心境、理由をありのままに述べたモノは無い。どれも自殺に至る道程を述べているまでである」
晩年の作品は怖いぐらいに痛々しい。「点鬼簿」の母親の様に気が狂うか、自死するか、しか選択肢が無い人間の書いた作品。 『ただぼんやりとした(母親の様に気が狂うんじゃないかという)不安』から自死を選んだと昔から思っている
カロナールだっけカルモチンだっけ カルモチンは太宰かまあ同じような薬だけど
考えてみると川端も太宰も芥川も縊死や飛び降りを選ばなかったのはけっこうヘタレだったんだなと思う 人間の内面や心の深淵に向き合い過ぎると気が狂うのか、死にたくなるのか、おかしな終わり方をする芸術家も多い。明晰な頭脳を持ち人生が見え過ぎる人ほど、体力が無いと潰れてしまうのでは無いだろうか?
芥川が欲しかった野蛮な美しさ、楠木正成や羅生門の下人の様に強く生きてみたかったと思う。
しかしながら蜜柑の様な作品で時折り人間を肯定する姿が垣間見えるが、どの作品もニヒリズムが通底していて厭世的な目が透徹していた。加えて神経衰弱、統合失調、、精神面での遺伝的な問題もあったと思う。
ぼんやりした不安の元、徐々に薬を慣らして行って死んで行った。 >>584
>>芥川が欲しかった野蛮な美しさ、楠木正成や羅生門の下人の様に強く生きてみたかったと思う。
楠木や羅生門の下人らはブ男で、しかもみすぼらしい服装をしてなくてはいけないんだよ。
それは30代半ばの芥川には酷だったが、やはり、生まれながらのブ男だったなら、自殺は回避できた。
だから、芥川は菊池寛が羨ましかった。 漱石の「行人」の兄と一緒なんだよな
キチガイであることが生きていくのに一番楽なのは間違いないがそれに耐えられない
知識欲あるいは美的感覚の無い人間をハッキリ嫌悪してるし 本好きの頭脳明晰な学者肌で技巧的で神経質、理路整然と人間の苦悩を扱う作家であった芥川。その性格も大きいと思う。親交のあった谷崎は「芥川君は小説が頭の中で出来ていて結末から逆に書ける」と言っており芥川自身も「小説家は数学も出来なければならない」と。
次第に、そんな理に走ってしまう自分の作風に嫌気がさして、志賀直哉の様な筋の無い小説や無作為に見える自然な作品に惹かれて行ったけど、気質も合わず体力も続かず(起承転結が明確に無い状態で描けない)どれも頓挫していた。創作における行き詰まりも多分にあって擦り減って行った感がある。
「人生をどう生きるべきか?が描けていない」とよく批判された谷崎が宛ら職人肌で、殊更筋の面白さを追求し戯作の世界に蟠踞し、変幻自在の文体で動乱の世相に見向きもしないで、娑婆苦の中を飄々と泳いで傑作を作り続け長生きして見せたのとは対照的。
谷崎潤一郎
「芥川君の作品は初期の鼻や芋粥が好き。晩年の歯車などとても凄いけど、体力の弱さが見えて息切れしている」 とにかく古い。
今の若手作家の小説の方が遥かに面白い。 >>588
若手作家というのは具体的に誰? 確かに芥川は古いがそれでも多くのいまの作家よりは上 古いから良いんだよ。古色蒼然とした肌合いの中に何やら慧眼の輝きがある。
今の作家のどれほどが50年後100年後にも読まれているか?時代の流れに飲み込まれずに生き続ける古今東西の作品には逆に今の時代を照らしてくれたりする。 「いまの小説家」に漱石芥川太宰三島のように「命がけで」書いてるのが一体どれくらいいるのか怪しいものである
NHKFMなんか聞いてると作家インタビューといって芥川賞だの直木賞だの名だたる賞(もうとっくに地に落ちた名ばかりの賞)をもらったらしいのがいろいろ出てるけど
まあ命がけで書いてる人いないっぽいね
どいつもこいつも作家一本でやってない本業の片手間に書いてるようなのばっかりじゃん >>588
自分の好み、嗜好と作家としての質は分けて考える必要がある。因みにに芥川は個人的には好きな作家ではないが、それでも認めざるを得ない >>591
時代がある。仕方ない。
その作家達の生きた、ある意味激動の時代とは違い、今は社会的にも比較的に動きが無い、大きな価値観の対立も無いニュートラルな世界。娯楽も細分化し、彼らが活躍した時代よりも更に文学など世間から必要とされなくなった時代。このふわふわした捉えどころの無い、感覚的な、時代の空気を感じられる為か、村上春樹の様な抽象的なライトな作品が好まれる。
言わば太宰治が自死した時、後追い自殺する人がいた文学の時代とは隔世の感がある。作家は炭坑のカナリアの一面もあり、その時代の色にある程度影響される。
ロシアにソルジェニーツィンが出て来るには、あの閉塞感に満ちた全体主義の時代が必要だったとも言える。
また、鴎外や川端、三島の様な知識だけでは無く、日本的な伝統美、自負、「教養」を腹一杯詰め込まされた本当のエリートが文学をやらなくなったのもある。今の時代も賢い人は沢山いると思うが、文学の世界においては古典の言葉、太古の日本人の情緒に通じる世代が居なくなってしまった。 で、結局いまの時代に芥川を読むとはどういうことになるのか? 短編集?一冊読んだことあるけどトロッコだけ覚えてる すごくおもしろくてさ
あとは内容忘れた