芥川龍之介part16 [無断転載禁止]©2ch.net
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{/{/, / l| 彡ノヾ彡'ニ/ 人生は地獄より地獄的である
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|r`川| __,..,,,_ : : 三ニ;|リ'1
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芥川龍之介(1892.3.1-1927.7.24) 歯車は、レインコートの男が出没するシーンが好きだ。 あれちょっと話盛り過ぎだよね
実際はレインコートの男なんか最初の駅で見かけたかそれくらいだと思う あくまで作家の書いた作品なわけだからそういうつっこみは野暮 まあ歯車は結婚式出席したこととか最後の階段の音のシーンとか芥川死後に文夫人が語ったものと一致する所がいくつもあるから実際の出来事を元にしてることは確かだろうけどね
その中の局面局面でその時の精神状態から感じた心象を重ねたりして物語を作ってると思われる 芥川の後期作品は後世で研究者や評論家などに分析されることを意識して書いているから至る所にトリックを散りばめられている
或阿呆〜なども実際の女性関係を際どい所で意図的に錯誤させて藪の中に引きずり込む仕掛けが施されている
自分はそこまで芥川に興味ないからそれ以上深入りする気にはなれないけど いや、そこは"分析されること意識して"の芥川視点に掛かっているから"書いている"が正しいんだよ 芥川は→書いている
芥川の後期作品は→書かれている 分析されることを意識して"書いている"
まあ"書かれている"でも同じ意味で通るが、この場合は芥川の意思視点だから"書いている"でよい 医者も驚くほどの巨根だったそうだ。それは子孫には伝わったのだろうか?
「鼻」という作品はそういうのが下敷きになって婉曲な表現で書かれたの
かなぁ? 書いている
ならば
散りばめている
となる
違和に気づいてくれたかな? >>252
息子の芥川比呂志が徴兵検査で裸になったとき、散々巨根であることをからかわれたそうな (芥川的に)分析されることを意識して"書いている"故に、(第三者的に)トリックが散りばめられている(ように見える)
まあ少し省きすぎたかもしれないがこれくらいはふつうに察してほしいな 男は黙って歯車。会社の歯車、社会の歯車、そしておいらは天国へ。 今年の命日も文士村で企画あるね チラシ置いてあった
ヒロシとヤスシの娘さん二人呼ぶらしい kitabunka.or.jp/wp/wp-content/uploads/kappa_190426.pdf
芥川耿子(比呂志三女)X芥川麻実子(也寸志長女)による対談 夢に芥川出てきたわ
丘の上の公園のベンチで芥川と話してたらカミキリムシの大群に襲われて
いっしょに繁みに隠れたんだけど息遣いとか着物の匂いとか妙にリアルだった ちくまの文庫全集は素晴らしいのだが、小品と呼ばれる作品集が収録されてないのが残念だ。 幼い頃にアニメでみた杜子春が衝撃だった。
杜子春映画化希望 165 名前:吾輩は名無しである :2019/10/07(月) 10:21:29.93 ID:lh+7nGa2
この人は起承転結を否定してた人ですよね
某作家とその件で戦ってた記憶があります 黄粱夢が収録されてる文庫って岩波の「蜜柑・尾生の信」しかないのかな? オチが無かったらほんとにただの迷惑な田舎娘で終わった話だよな スペシャルドラマ 〜ストレンジャー上海の芥川龍之介〜 ★1 気分が鬱ぐような黒々とした雲を読者の頭上に覆い被せて、不安感や不快感や恐怖感などを煽ってから
最後にそれらすべてを爽快に一掃する手法は漱石作品にもいくつかあるが、例えば漱石の
「琴のそら音」と芥川の「蜜柑」を比較してみても芥川のは何か腰の軽い印象を受けてしまうんだよなぁ
いや、簡潔でキレもあるしもちろん蜜柑も好い作品ではあるんだけどね まあでもこれは難癖か
独立した短篇ではなく、子規の随筆の病牀六尺にある小提灯的な一片とか、漱石の随筆作品などにあるささやかな一小説みたいな感じで出していたら微塵も文句つけようないんだけどね
独立した短篇としてはちょいとささやかすぎるというかw 芥川は最後まで朝日入社する前の漱石みたいな根無し草で生け花的な仕事ばかりだったから仕方ないわな
漱石も初期はいくつかの雑誌社にささやかな短篇を掲載してお小遣い稼ぎしてただけだし
芥川は最後までそのお小遣い稼ぎ程度の仕事ばかりであまりに不遇すぎでかわいそうだった そのへんの金銭事情があり、芥川は何か菊池寛に助けを求めたそうではあったけどプライドが許さなくて言い出せなかった感じかね
菊池寛も菊池寛で芥川が困窮してることは耳にしていたがむやみに自分から手助けすることは逆に芥川に対して失礼だから放置せざるを得なかった感じか
芥川の死後に菊池は何も力になれなかったことを後悔したのか困窮にある文士に対してむやみに金をばら撒くようになったし
芥川賞を設立して懸賞金をかけて金銭での援助をしたり
芥川の死に関して菊池寛には何も罪はないんだがね >>281
いや難癖じゃなくて、その通りだと思うよ。その吹っ切りきれない「さわやかさ」が芥川の限界を表していて、
逆に「蜜柑」が好きな理由かな。 「僕は何か精神的に未熟のようで、カエルのようにぴょんぴょんと跳ねることだけしかできず、何か物事を継続して押し進めるということができない」というようなことを随筆で書いてるし自覚はあったみたいだね
故に"ボードレールの一行"に懸けた で、芥川が海軍の臨時教師してたときに確か鷗外と初対面してる 芥川は裕福でも無かっただろうが、貧しいとか生活に困っていたというイメージはなかったが
芥川は長編を書きたいという意欲は持っていたのかな いや、晩年は相当貧困だったよ
そこに姉の夫が鉄道飛び込み自殺したりで芥川がそっちも金銭的に手助けせざるを得なくなり、いよいよ困窮極まった
死んだ時の芥川名義の貯蓄は現在の価値で20万円とか
芥川の死後に残された家族を援助したのは菊池寛 17 名前:吾輩は名無しである :2019/12/31(火) 01:20:32.10 ID:uwzCvtfA
とにかく何が言いたいのか不明な作品
村上春樹に通じるからニューヨークでもいま若者に受けてる 18 名前:吾輩は名無しである :2019/12/31(火) 12:58:52.19 ID:uwzCvtfA
因みに、ニューヨークでは村上春樹に似た新人作家だと思われていた 19 名前:吾輩は名無しである :2019/12/31(火) 13:02:06.33 ID:uwzCvtfA
もちろん、知識層では芥川龍之介は認知されていたのでそんな誤りはなかった >>290
めっちゃ詳しいようだけど専門家とか研究家の方ですか? いやいや、単に暇なダケのふつうの一般人だよ
敬愛する遠藤周作さんが「読書をするなら広く浅くではなく、できるだけそのそれぞれの作家の著作物をとことん読み漁りなさい」みたいなことを言っていて、なるほどと思ったから一作家の書物を読み始めると全作品を読まざるを得なくなるw
さすがにすべての作家の著作を読破することは不可能だから漱石、子規、芥川、宮澤賢治といった自分の好きな作家のものは
作品から書簡に至るまで大抵すべて読んでる感じです >>295
芥川のどの辺が好きなのですか?
松本清張の「昭和史発掘」に書かれた芥川像についてはどう思いますか?
質問ばっかりですまん。 どのへんと言われると困るけど、強いていえばフィーリング的な?w
中高生時代に羅生門や歯車などいくつかの有名どころの作品を読んでいて、多少気にかかる作家ではあったけど以降はほぼ忘れかけて
大学を経てふつうに就職をして生活が一段落してから学生時代に読んで気になってた作家の作品を読み始めて
その経路で芥川の或阿呆の一生で謎めいた黒いものを感じ取って、すぐに全集を買って、その謎めいたものの正体を
自分なりに追跡していくうちにどっぷりハマってた感じかな
松本清張の芥川に関するものも少し読んではみたけど自分で読み自分で考え推察していくほうが楽しかったからそういった専門書などは芥川に限らずあまり読んでいない、 ただ、書簡に関するものや芥川の女関係等では松本清張の研究書から知ることは多かった 特に芥川晩年の女関係についての松本清張の推察は面白く読めたかな
芥川が自殺の際に使用した毒物(青酸カリ)の出所について、或阿呆の一生で演出されているものは
芥川が自身の死後に調査されることを予測して意図的にトリックを仕掛けて捜査の目くらましを施したなどの推理はすごく興味深く読めた 連投スマン
それとは別に芥川の弟子・・というか親友かな?の画家である小穴隆一が描いた芥川のデスマスクはちょっと衝撃的に心を揺さぶられた
ーーその枕元よね。…… 296です(294さんではありません)
ご丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。或阿呆の一生で感じた「謎めいた黒いもの」の正体は見つかりましたか。
また時間があるときにでも教えて下さい。
よいお年をお迎え下さい。 うん、ありがとう
あなたも良いお年を
謎めいたものは久米正雄くんへの冒頭もそうだし、センセイキトクの電報の"よろこびに近い苦しみ"もそうだし、前述したプラトニックスーサイドな女性もそうだし、どこというより全体的にかな
これから自分はふと思い出した芥川の「年末の一日」を再読します
これは絶望の淵でも創作意欲を失わずにあらゆる可能性に懸けた芥川のがむしゃらさが表れていて不思議に好きな作品の一つです >>302
「年末の一日」は未読だったので、早速読んでみました。小品ですが、とてもいいお話でした。
一年が終わろうとする大晦日のこの日に、いい作品を紹介していただき、ありがとうございました。 >>290
サンクス
そうだったのか
菊池寛は芥川リスペクトだよな 書簡集なんかは読んでなかったので、最晩年の鉄道自殺云々以外にも
仲人した知人が一年で離婚、その調停役みたいなことまでやるはめになって
「もう(仲人は)こりごりだ」って事もあったのを知った
あと菊池が書いてた「芥川の事ども」での文学集の印税の話とか
ただでさえ健康がすぐれないところへもってきてこういう外部の問題に苛まれやりきれなかったに違いない 新年おめでとう御座います
ついでに>>288は記憶違いだったので一応訂正しておきます
鷗外との初めての対面は漱石告別式の時でした
芥川は参列者の受付係をしていて、その時に鷗外と対面して名刺を渡されてる
それで海軍の軍艦で二度目の対面をし、鷗外との交流がはじまって以降、芥川は何度か鷗外宅を訪ねて文学の話などをしている 芥川は鷗外の立派な人格や翻訳などでの貢献に敬意を抱いていたようだけど
「余りに文芸的な」では結構手厳しく鷗外の句などを評してる
怖いもの知らずというか何というか、大胆すぎるw 芥川の場合、そういった大胆な攻撃性によって周りからの猛烈な反発や反論を招いてしまって
しかもその評論などが芥川の勘違いや誤読や見当違いな解釈だった場合も少なくなくて
島崎藤村の件のように何度か雑記などで謝罪文を書いたり自らの過ちを認めたりしてる
そういったところも晩年の芥川自身の"ぼんやりとした不安"を形成する一要因になっていたと思う
芥川は何か漱石の態度や人間性を多少疑問視していたようだけど、漱石は特定の作家の作物を
むやみに批判したり、わかったような評論を書いたりはしなかった
自分の記憶では漱石が公に苦言を呈したのはモーパッサンの作風についてくらいだと記憶してる しかし最後に芥川は自身の妻へ向けた遺書で「やっぱり僕は夏目先生が好きだから、先生と出版社を同じくしたい。
よって僕の新潮社との契約はすべて破棄し、岩波文庫から僕の全集を出すこと(もしも僕の全集が出版されるならば)」と命じている
この「やっぱり」という意味がすべてを表しているかと思う
芥川は漱石に「鼻」で見出されてから本格的に自身の文士への道を決心した故、漱石の死後に常にその責任を感じていた
その責任が以降の芥川の背中に大きくのしかかることとなったように思うが、漱石から芥川へ向けた手紙でのアドバイス的なものは
「文士を押すのでなく、人を押しなさい」というような至極曖昧な表現であった
前述した「年末の一日」での最後に書かれている箱車を押す芥川の図には、そんな漱石のアドバイスに対する皮肉的な意味も多少は混じっているような気がしないでもない
漱石のお墓が見つからなかったことなども、次第に芥川が漱石の影から逃げるように無意識に遠ざけていった心境を表しているものとの見方もできるのではないだろうか 『或阿呆の一生』の「先生」に書かれている「センセイキトク」の電報に対する"歓びに近い苦しみ“もそういった芥川の複雑な心境を表しているものかと思う そういえば、漱石と芥川の関係について宮崎駿監督が興味を示していて、いつか何か描きたいみたいなことを言ってた気がするがどうなんだろう
ポニョがそのつもりなのかな?少年の名前がたしか宗助だったよね というか、新潮社との契約破棄云々なんか妻に頼まず自分でカタをつけてから去れって話だよね
こういうところはほんと卑怯としか言いようがない >>306
ミステリー小説だけど北村薫の「六の宮の姫君」(円紫師匠と私シリーズの4作目)は読まれました?
浅学な私にはどこまでが事実でどこまでが作者の想像かよく分かりませんが、芥川と菊池の話は面白かったです。 私も「年末の一日」読んでみました。
途中まで読んで、以前にも読んだことがある事を思い出した。
20年くらい前に被差別部落に興味を持った時に、「胞衣」を処理する「○△衛生」という会社がある事を知って検索して調べているうちに出てきたのがこの小説だった。
芥川は下町の生まれですし、胞衣の処理が部落産業である事は分かっていたでしょう。
「穢い」という言葉も出てきます。
話の発端や夏目先生の墓がなかなか見つからない、という辺りは完全に忘れていました。
確かにここの辺りは夏目先生へのアンビバレンスな気持ちを感じさせるものがありますね。それだけ大きな存在だったとも言えるでしょうね。
今回感じたのは、「トロッコ」の大人バージョンではないかという事です。
精神の沼の中で、まだこれからも、という創作にかける思いを感じますね。 また今回は地図で地理を確かめながら読みました。田端の家や護国寺、雑司が谷、富士前、動坂、八幡坂など。
「雑司が谷」で「K君」、しかも漱石とくるとやはり『こころ』を想起せずにはいられないでしょう。
そう思って読むと、先生の墓がなかなか見つからないことから「K」に言われた言葉(「聞いて見る人もなし、………困りましたね」 )に彼の冷笑まで感じざるを得ず、精神の圧迫を受ける辺りに、やはり何か『こころ』と関連がある気がしてくる。
漱石の影響圏に否応なく絡め取られる感じを受けます。
さらに「八幡坂」があります。
この坂をネット上の写真で見るとかなり長い上に、途中で90度折れ曲がってその先が見えない。
この坂を「薄暗がり」の中、「胞衣」の入った手押し車を押すのを手伝う、その薄気味悪さ、物凄さを感じます。 文中に出てくる坂は田端八幡の方の坂のことかと思うけど
当時も切通しに橋が掛かってたかどうか不明(ちっちゃい橋を渡るとちょうど龍之介の宅のすぐそばに出る)
もう一方の八幡は大龍寺の隣でちなみにその寺には正岡子規の墓がある >>318
実際に歩いてみたくなりますね。作家がまだ生きていた時代の名残や痕跡に実際に触れることができるのは幸せです。
「大川の水」に描かれた情景も両国橋周辺を歩けば、感じることが出来ます。 芥川の通っていた小学校(回向院の横だったとか)の面影は今ではもう全然ないの? 自分の勘違いで回向院の横にあったのは、芥川が通った「幼稚園」だったか。
「本所両国」に描かれている表忠碑は今も両国橋の袂たもとにあるが、これは芥川が見たもののままなのかな。それとも建て替えたものなのかな。 鼠小僧の墓くらいかな
何年か前に浮世絵見に行った際に境内まわったけど
あんまり古いもの残ってなかったような気がする 確かに回向院の中となるとなにもないかもしれない。結局変わらないのは、大川の流れだけか。 その大川も木村荘八の東京繁盛記で護岸工事の影響でヘドロ浮きまくりものすごい臭さで窒息するって書いてるね
今はもう少し改善したと思うけど
もし龍之介が井伏鱒二くらい長生きしてたらさらに悲惨な未来見てたかも
田端の谷田川も暗渠になっちゃって風情ゼロ 数日前に両国橋を歩いて渡ったけど、臭いは感じなかったよ。まあ風は寒かったけど。しかし「両国」とはよく言ったもので、今でも大川を挟むと街の風景、雰囲気が全然違うね。 書物に出てくる場所とかお店などをなーんにもやることのない休日とかにぶらりと探してみるのも楽しいね
まあその場所は遠くても電車で1時間以内くらいの近場でないと厳しいけど
で、正岡子規が頻繁に出入りしていた大宮公園近くの万葉亭という料理屋にいつか漱石が呼ばれて
二人で鶉などを食べたと漱石が雑記で書いていて、現在もあるのかなと何故か変に気になって
調べてみたけどネット上には多分まったく無関係の同名の和菓子屋しか出てこず、
グーグルアースでも現在の大宮公園周辺を探してみたけどそれらしき店は見当たらず
数年前のGWに暇を見つけて大宮公園へ一人で行って自力で探してみたけど当たり前に見つからず
大宮公園参道にあった団子屋で、みたらし団子を食べながら店員の上品なおば様に聞いてみたけど知るはずもなく、
やたら大きな公園内を隈なく散歩して、これまた大きな氷川神社にも参拝して帰宅したけど、なんかすごく楽しかったな 最初から大宮の役所に電話して問い合わせたら店の有無はわかっただろうけど
なんかそれだと味気ない気がしたし、あまりに個人的な趣味で役員さんをこき使うのも申しわけなかったからやめたw 駒込に川端康成が贔屓にしてたフランス菓子屋があったけど何年か前に閉店してる
そういえば万惣フルーツパーラーでホットケーキ食べた事もあったな
龍之介は確かアキバの万世橋あたりにあったレストランが贔屓だったっけ 鷗外の「雁」に出てくる蕎麦屋がまだ不忍池の近くにあるな 都内の老舗で土地を売っぱらわずに店を続けてるのは感心するね
蕎麦屋とか料理屋なんて儲けもたかが知れてるだろうし
ちなみに漱石の「彼岸過迄」の須永の話だったか、柴又の川甚って鰻屋が出てくるけど、これもまだ営業してる
まあ作中では「甘ったるくて食えない」から、すぐに店を出てるがw
川甚は「男はつらいよ」シリーズの夕焼け小焼けでもやたら高いぼったくり店みたいな感じで出てくるが、
そのシーンが面白くて視聴者の印象に残るから今も客足が絶えないみたい
たまたまグルメ番組みてたときにこの店が出てきたけど店主は成金野郎みたいな胡散臭いやつで笑ったw 芥川の「歯車」で最後の銀貨を投げて飲んだBlack &Whiteというスコッチもやまやで今も売ってる
980円くらいで安かったから飲んでみたけどふつうに美味いw
歯車ではソーダ割りで飲んでたけどあの頃すでに所謂ハイボールがあったんだね
まあ国産ビールは明治初期にはすでにあったから驚きはしないけど >>332
芥川は食にはほとんど興味なかったみたいだから珍しいねそういうの 今回の新型コロナの買い占め騒動で芥川の蜘蛛の糸みたいだなと思ったのですが、
調べたら書かれたのもスペインかぜの最中なんですよね
もしかして似たようなことが当時もあったのかしら? >>332
いまはいろんなところで売っているが、やっぱり亀戸天神横の本店がいいね。両国からも楽に歩くことができる。