芸術とは、不幸な人間のためのものである。 [無断転載禁止]©2ch.net
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「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない。」ゲーテ ゲーテなら・・・
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いかにして人は己を知ることを得べきか。省察をもってしては決して能わざらん。
されど行為をもってしてはあるいはよくせん。汝の義務を果たさんと試みよ。
やがて汝の価値を知らん。汝の義務とは何ぞ。日の要求なり。
(森鴎外訳) 現実と接触する時に人は傷つくから芸術があるのだと思う。 文学と不幸といえばやはりこの名言は外せない。
「幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ」
レフ・トルストイ アンナ・カレーニナより。 1が正しいのは、
(不幸でない人間がいると仮定してだが)
不幸でない人間は、芸術を理解するのに
必要なだけの充分な感受性を持ち合わせな
いことが多いからだ。 >>8
>不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ
だいたい似たようなもんだよ。
情報が簡単に入らない時代は違うように見えたんだろうけど。 ボンボンは情に薄くて人間味が無いってことはよくあるイメージや。 >>9
>不幸でない人間は、芸術を理解するのに
>必要なだけの充分な感受性を持ち合わせな
>いことが多いからだ。
そんなことはないよ。
不幸だと忙しいから芸術に構っている暇はないし、逆に幸福だと芸術より娯楽に関心がいく。
つまり芸術と幸福度はほとんど関係ない。 芸術とは不幸の人のためにあるのでもなく、幸福の人のためにあるのでもない。
あえて言うなら、己自身のためのみにある。というより、己自身のためにのみ、あらざるを得ないナニモノかなのだ。 >>10
ネットで情報が簡単に手に入る時代になったって、別にトルストイのことばが
古くなったとはおもわないがね。 簡単に情報が手に入る時代だって、情報の
真偽というのが簡単に判別できるようになったわけではないのでねw
むしろ情報の過剰で本質がみえなくなるってこともあるし、感受性が弱ければ
どんな不幸の人についての情報をたくさんかき集めても、全部同じ話にしか
見えないということだってありうるわけだねw ならば逆もまた真なり。
感受性が弱ければ、幸福についてもみな同じように見えるだけの話。 論理ばかり使って現実が見えてないからそんなのとになる。 まあその混ぜっ返しなるものも現実からひきだした理論というよりは、単に
論理のみに頼ったくだらない混ぜっ返しであって、反論者の人間的くだらなさを
十分にあらわしているといえるねw そのようなくだらない人間の生は不幸であると
いえるねw トルストイが現実を知らない論理だけの作家だと?
まあしょせんロシア人だ。
が、悪口は許さんぞ! 欠席裁判だ! 偉大な作家達も大概何かしらの不遇を経験している。
裕福生い立ちで安定した何不自由無い人生をおくった作家なんかむしろ少数派だ。 トルストイ→双極性障害
H・P・ラブクラフト→双極性障害
エドガー・アラン・ポー→アル中、早死
ジャック・ケルアック→薬物・アルコール依存、早死
ヘミングウェイ→アル中、自殺
フィリップ・K・ディック→薬物依存、統合失調症
夏目漱石→統合失調症 究極に不幸な人は文学なんて書く余裕もなければ読む余裕もない
そこそこに不幸だと自分では思ってる余裕のある人のためのもの 金で救われもしなければ飯で救われもしない医者がどうにかできることでもないみたいな
要するにどうにもできない出来事から救われる(或いはそれを受けいれる)ために芸術があるといえばそうかもな
昔でいうところの神話とか呪術とかもそういうもんだしな 芸術愛好家ほど芸術に疎遠な者はいない。事実、彼の部屋の床の間には其れが飾ってある。金庫の横に。 >>1
つまり無意味というより無価値なテーゼなんだよ。つまり、なんとでも言えるし誰も肯定も否定も出来ない。 傷ついたときは本を読め。音楽を聞け。絵を見ろ。芸術は弱い人のためにある。
――「『ジューシー』ってなんですか?」山崎ナオコーラ 芸術は幸福な人間が作るもの。
また、不幸な人間が享受するもの。 神と向き合ってた昔の作家と、無宗教や無信仰を自覚することさえできない現代日本人とでは、不幸についての考え方が全然違う。 >>30
言葉を使わない宗教はないから、宗教的な不幸を言葉でサポートできたけれど、現代人の不幸は生病老死の生が細かすぎたり、死に慣れたりだから大変だ。みんながみんな作家になった方が速いんじゃないかって錯覚してしまう 日本人は無宗教でも無信仰でもないよ
キリスト教やイスラム教や仏教やヒンドゥー教のようなある程度統一された論理体系が無いだけ 無宗教、つか、デタラメだろ、日本人は。
神道だろうが、仏教だろうが、キリスト教だろうが、
都合のいい部分だけつまみぐいして、
信仰心は無いだろ。
冠婚葬祭でしか繋がってない、ビジネス宗教だし。 日本人は民度が高いからどんな宗教でも受け入れることができる。
その証拠に土人は一つの宗教に囚われる。 民度が高いから信仰心がなくても善を知っている。
たとえば盗みをしないから日本では財布を落としても戻ってくる可能性が高い。
ちゃんと不倫を許さない心をもっているし、また暴力を嫌って銃なども所持しない。
悪の象徴である入れ墨を毛嫌いし、薬物は絶対に許さない。
温和な人が多く、とくに接待業をしている人はお客を神様のように扱う。
日本にいたら気づかないが、世界を知れば知るほど、
日本人ほど優れた人種はいないように思われる。
ああ、私は支那朝鮮人に生まれなくて良かった。 ここの住人のサイトがあったら見せてもらいたいに一票!!
あまりにも酷い評価は下さないというルールで 文学は剣より強いのか??
いじめ殺しを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ! 貧人が唯一の味方は詩人なりと
げに然らん、詩人も唯一の貧人なれば
(緑雨) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています