平野啓一郎

 『伯爵夫人』は、第二次大戦を背景に、体質的とも言える文体で、

「魔羅」と「睾丸」と「おまんこ」の逸話を綴ってゆくが、ページを捲る

ほどに、生臭い大きな陰嚢に包まれてゆくような息苦しさがあった。

 「活劇」として配置された「金玉潰し」は、ペンチで爪を剥がすといった

類いと同様で、文学とは無関係に強烈な痛みの感覚を引き起こすが、

それに見合う高揚感や象徴性は欠けていた。知的な意味では、読後に

こそ始まる小説なのだろうが、主人公の祖父が射精なしで、「女を狂喜

させる」ことに徹していた理由が、「『近代』への絶望」と仄めかされる点など、

私は、つきあいきれないものを感じた。

 本作を推した委員の一人は、自分はこの小説が好きではなく、新しいとも

思わず、内容的にも無意味だが、この趣味の世界の完成度には頭を垂れ

ざるを得ないとの意見だったが、私は全く賛同出来なかった。