松本清張 [無断転載禁止]©2ch.net
純文学、推理小説、時代小説、古代史、昭和史発掘等、小説から評論、ノンフィクション、何でも来いの超人について語りましょう >>323
おそらくそんな細かいことが気になる人は読まないほうがいいよ 「北の詩人」読んだが、評しづらい作品だね、これは。
詩人林和が「日帝の手先はもっとテロに遭うべきだ」と言い放ち、清張自身が共感して書いているとは思えないが、
ひたすら周囲に流され、ただアメリカの言いなりになるだけの主人公。
つーか実際の林和はこんな豆腐メンタルの人物ではなく、転向歴がバレて自分の栄光が失墜するとおびえていたわけでもないだろう。
過去がバレての社会的転落を恐れる、というのは清張お得意の犯人像だが、
異国の実在の詩人にそれをあてはめるのはどうよと思う。 これがゼロの焦点や砂の器(ただし映画版に限る)の犯人なら共感するかもしれないが、
プロレタリアの共産主義者じゃ誰も共感しないし、
アメリカの謀略が朝鮮半島にもありました、というネタを書きたいためだけに、左翼詩人が引っ張り出されたという感もある。
これが「象の白い脚」や「白と黒の革命」ならまだ、現地レポート・観光小説としての面白さもある(それでも話の筋自体はあまり面白くない)が、
北の詩人は清張自身が現地に乗り込んでのレポートでもないからなおさら微妙感が増す。 下仁田といえば葱と蒟蒻
小千谷といえば縮と鯉
そして大連といえば阿片事件つーことだね藁
さて、これから面白くなるのかな お香のところまできて
ようやく山本三郎の正体を泰之が知るのだけれど
清張先生、いっぱい調べたことを兎に角書いちゃいたかったんだろうなあ
もうちょっと複雑に話を進めてもよさそうなものなのに
とっとことっとこ点と点を繋げてっちゃう
うーん、それはそれでよしだ藁 前半戦終了なので一点だけ確認
貞明皇后が傾倒していたのは
たしか筧克彦の神ながらの道だったはず
法華にいったというのは独自取材でそう推察したのだろうか?
まあ、これはあくまでも小説なんで
話が面白ければ別にどうでもいいんだけどね 清張には考古学者の面もあるから、それの要素では淡々と筆を進めるということになるのではないか? 非幻非眞要留心 或今或昔誰知眞
拓殖長古賀廉造 公威平岡定太郎
書記小畠貞次郎 宏済善堂里見甫
関東庁中野有光 大本矢野祐太郎
神政龍神天津教 天理研究真乃道
満洲道院紅卍字 頭山満王仁三郎
第二次不敬不可 治安維持法違反 神々の乱心もサッカー絡みで八咫烏
じゃなくて八咫鏡か藁
三種の神器のなかでも第一は鏡とする説ね
まあ、あくまでも説ね 一般に小説では、主人公の視点から見ながら主人公が様々に行うことについ
て時間追って順次描写していく。そこで、時々、場面が切り替わったり、
時間が飛んだりする。
一般に一つの場面が小説の中の時間で精々数十分間くらいである。
一つの場面が何時間も続くことは余り無い。
全般に松本清張の作品では、他の作家の小説に比べて一つの場面の話の中で
の時間が長い。例えば、主人公が出かけていってある人と会って話し合って
また帰ってくるとか、話の中での時間で何時間にも及ぶ場面を連続して描写
していたりする。
これが彼の作品の特徴である。 >>264
「波の塔」は、初出が「女性自身」連載で、元々、女性向けを意識して
書かれている。 >>333
東尋坊は昔からの自殺名所
能登半島かどっか石川県 >>337
「ゼロの焦点」の舞台となった石川県の「ヤセの断崖」のことかな 一般に人間というものは美しくないのだけれど
しばしば下着を脱ぐ
そりゃどうしてもグロくなるわな
いっそのことシャッポを脱ぐか雷にうたれてみてはどうだろうか?
というのが本作最大の謎藁
神々の乱心終了 >>338
石川県のどっかというのは聴いています
「青木ヶ原」があまりにも自殺の名所として有名に成りすぎて
こっちは清張マニアしか知らないらしい
彼が小説の舞台にするまでは別に自殺の名所では無かったようです
それだけ彼の小説は日本コクミンのある種のみなさまに影響を与えた https://www.hot-ishikawa.jp/spot/6641
ここか、たぶんこの断崖絶壁
『セロの昇天』は読んでないんで知らんかったw
ここに実際に立ったことが無いんで何とも言えないが
東尋坊は大したことは無い
あそこは「見場」はあるが、高度が低度
和歌山白浜の「三段壁」、これはわりと簡単にイケル
四国の「足摺岬」、これもきつい
長崎の「針戸瀬戸」、ここは投身自殺しても激しい潮流のため死体が上がらない
同じく長崎の日本最西端灯台「大瀬崎」断崖絶壁
番外編でー同じく長崎隠れキリシタンの島「生月島」の「大バエ灯台 (オオバエトウダイ)」
この断崖絶壁は100mある
割と有名な風光明媚な観光スポット
高さ30cmくらいのガードはある
何故か知らないがその外側に踏査跡だらけなんだよ
踏査道から外側50cmで落下確実です
下を見てたら釣り師が何人か確認できたんで大バエ灯台から100m降りてみました
釣り師たちはみなさん平戸の人でしたが~
「あの~上から落下する人って居ませんか?」
「ああ、年柄年中だよ」
「で、どーするんですか?」
「勿論、119と110番」
「で、間に合いますか」
「ここ見てよ、キツイ洗濯板だよ、100mだよ、ぺっしゃんこ」
「ですよね~、30分~1時間ほど掛かるから、それまでには波の餌食で綺麗サッパリ」
「なーるほど、わかりました、ありがとうございました・・」
ここは自殺の証拠が残りません 丁度いい撒餌になってお魚さんも集まって釣り師としてはマンゾク満足
ガード内で写真を撮るのはいいが、ガード外で一眼レフで撮りたくなる場所でした
事故落下の証拠品として回収できるのは分解された骨片と一眼レフカメラのパーツのみ
血液リンパ液な体液はすべて波と共に去りぬ 東尋坊は清張では「葦の浮船」に出てくるが自殺とは関係ない
何処かの2時間サスペンスと混同しとるんちゃうか >>335
確かに、1カットが非常に長い
徹底した描写力
これはスゲー 映像屋からしても清張さんの文章って弄り甲斐がある
さすが朝日新聞西部本部で割付苦節うん年下だけのことはある
小倉城内に先生の記念館がありまして~
https://www.seicho-mm.jp/ >>338
この小説の影響により自殺者が出たので、松本清張氏がそれを哀悼して能登金剛
の巌門近くに歌碑を建立した話は知られている。 戦後の大衆小説家と云えば、
明治生まれな「吉川英治」かと思うがこっちは戦前から流行作家
やはり大正生まれな
「司馬遼太郎」
「松本清張」
を抜かして語ることは無いけど~~~ 「波の塔]を読んだ。
その後の疑獄事件の捜査・解明は、小野木喬夫のスキャンダルにより失速し
て中途半端のまま終わってしまうのか、こういうことにめげずに石井検事たち
が頑張って徹底解明していくのかわからないな。 >>352
映画でなくて小説の場面の話なので制作費は関係無い。 >>352
カット数が多くても、撮影場所やセットが同じなら、そんなに制作費が
変わらないだろう。 >>355
撮って出しに近く、編集が非常に楽
とうぜんだが、製作費も非常に安くなる
コスパが非常に良いんだよ むかしのアナログ編集だと全然違う
いまはデジタル編集だから幾らでも誤魔化しが効くからさ 青木ヶ原がここまで自殺の名所として有名になったのは、首都圏の傍だったからです
石川県とか長崎県じゃ移動に時間が掛かってたぶん自殺志願者も自殺想念を忘れてしまう
これじゃ~さ、自殺の名所になりません 1カットが長くなると役者さんの負担も大きくなる
5分、1カット何てセリフを全部記憶せんといかん
馬鹿でできるか、身体を動かしながら自然体の言葉を自由自在に繰り出す能力
ロングカットに耐えられる俳優=優秀な役者
最近多いウザい馬鹿タレントじゃ無理筋です 前に「波の塔」の映画(1960年公開)を観た。話の筋は原作に忠実に作っている。
最近、T.V. dramaの2006年版(主演:小泉孝太郎・麻生祐未)をParaviで視た。
こちらは放送時間94分で話がかなり簡略化されている。
原作の冒頭で一人旅をする登場人物田沢輪香子は余り出てこない。
ドラマの冒頭で京都の泉涌寺で小野木喬夫と結城頼子が巡り逢っている。 清張さん、ご逝去された1992年8月から丁度30年も経過
若い人、この大作家の事なんか知る由も無い
司馬さんが1996年2月12日、このとき私は大阪でトヨタレンタリースの下請け契約社員として
主に中国・九州のレンタカー屋に乗り捨てられたハイエース、ダイナ等の商用車を本来の営業店に陸送
法円坂の国立大阪病院が見える交差点で赤信号待ちしてたら
ラジオから司馬さんが今逝去されましたと一報が入る
夜中の2時前後でしたが、この時のことは鮮明に覚えてる
清張さん、80を超えていたが、司馬さんは72才で大静脈瘤破裂で危篤、御臨終
あまりにも早かったんで驚かされた、福田定一さん 松本清張さんが一生で使った原稿用紙数がたしか12~15万枚
この数字がなんと司馬遼太郎さんとほぼ同じでした
大体、40年作家活動を2人ともしましたが、
12万枚÷40年=3000枚
3000枚÷12月=250枚
月辺り、250枚をコンスタントに執筆
2人とも他にも取材、講演会とかした中でこの数は半端じゃない
やはり大作家らしい逸話といってよかろう 400字1枚3万円と仮定して12万の原稿料が36億円
これに印税やら講演料やらが合算されるから40億円は軽く超えてたと思う
犬リーマンの20人分に近い数字か? >>355
映画って2時間
30秒1カットだと最低240カットだが
実際には編集でこれ以上ないとダメ
TVドラマの制作現場経験者だが
1カットが長い方が製作費は安く上がる
ダメな役者を使うと1カットは短くしないと映像がダレル
出来る役者さん、記憶力も半端じゃ無いけど表情とか所作を
自由自在に変化させることで長回しが可能になる
だから今の付け刃なタレント上がりは使えん
顔とスタイルが良いだけでアカンわ、何のインパクトも無い
良い意味での苦労がないから映像も蓮っ葉に成る傾向大 役者って舞台上がりが正道
いろんな意味で苦労人
良い意味でも悪い意味でも苦労の無いのはダメ
ルックスが良いだけ、スタイルが良いだけ
それだけでチヤホヤされたのは使えない、だめ >>368
暴論。舞台出身、歌舞伎出身は発声、所作がテレビドラマ向きではない。苦労の有無と演技の良し悪しは結びつかない。いい役者に必要なのは、覚悟と素養と偏執。 >>367
テレビドラマは映画と違って、もともとカットを短く繋ぐという文法で成り立ってきたんじゃないか(あとアップも、同じ場面を繰り返すのも)? >>367
どういうテレビドラマの現場にいたかは知らないがもちろん例外はある。『私立探偵 濱マイク』は一般的なテレビドラマの文法からは外れた手法で撮っている。最近ではNHKの『オリバーな犬』もそうだ。 >>372
舞台芸術が素晴らしいのは今更言うことでもないが(シェークスピアなチェーホフにあらためて言及する事は時間の無駄だ)、舞台(歌舞伎や能、狂言含める)、映画、テレビドラマは全く違うもの。順番をつけたり、一つに絞った率せずにそれぞれを楽しめばいいのではないか。 文藝も芸能界の1つだ
演者と観客が同時せんとアカン
そのタイミングをキッチリ付けるのが俺たちの世界か? いちおう、渡辺淳一さんが、400字1枚5万~10万で最高峰
でもさ、所詮、日本語やから英語を基盤にした作家にしたらションベンさ
おーい、向こうの人、400字程度、A41200字でお幾らかワカル海?
エ?
マジかよ?
あの数字を知ってしまうと日本人、辞めても良いかなって心底思う。 渡辺淳一さんって愛人は最低でも5人程度は確保
あの愛人代金が半端じゃなくて実は本人は常に金欠。
呑む
打つ
買う
3番目の買うはトコトンゼニ喰い虫
みなさんも♀に嵌るとマジ死ねますんで御気を付け下されw ここまで逝くか?
かなり気合が必要やな
ここまで行く気があれば生き残る。
それくらい気合いが必要だ。。。。 「風の息」を読んだが、「一九五二年日航機「撃墜」事件」よりずっと面白かった。
航空用語の解説が豊富で論理を追いやすいし、文章に生彩があって1000ページ以上の長さも全く苦にならず。
「日本の黒い霧」のもく星号は墜落についてアメリカ謀略説をとっていないので、穏当だが面白味は少なく、
「撃墜事件」は小原院陽子の話が中心でタイトルに偽りありと感じるが、
「風の息」はなにしろ分量が圧倒的で読み応えという意味ではピカイチ。
「風の息」はノンフィクションではなく小説なので、挙がっている諸説を自由に比較して楽しめば良いと思う。 文学者ってさ、狂人℃がどれだけありますか?
これが問われてるように思います。 われわれ凡人は世間や社会とのバランスを常に取ってます
文学者は、これが無いの。 元893曰く
北に往くやつは自殺
南に降りる奴は生きてる
彼に云わせると、フィリッピン、インドネシア、オーストラリアの奥地まで詰めたらしい。 沖縄とか南西諸島で司馬板とか言ってました。
フィリピン、インドネシアは億単位の債務者でしたw 大江健三郎が死んだ。
清張生前に実現しそうでしなかったのが、大江との顔合わせ。
松本清張×司馬遼太郎×大江健三郎によるシンポジウムが文春で企画されたものの、
92年清張の死により企画がお流れに。
もう少し長生きしていれば、清張と大江の会話を聞くことができたと思うと残念。 「黒地の絵」橋本忍が言うには、前半に比べて後半の映像化が困難とのことだが、
黒人兵がレイプ中に女陰の刺青を主人公に見せつけつつ踊るくだりは、映像では説得力が出せないというのも大きいのではないか
実際のおまんこであれば、直接見せることなく観客に想像させる演出でしのげるが、
刺青のおまんこの躍動が主人公の男に屈辱感を叩き込むシーン、これは活字でないと伝わらないのじゃないかな 清張作品に初めて出会ったのは米倉涼子主演の「黒革の手帳」
のドラマ。たしか中学だったか高校だったかの時に見てハマった。
それから原作を読んで、「けものみち」「わるいやつら」「波の塔」
「強き蟻」「風の視点」など次々と本を購入して読み漁った。
読んで一番筆力に感動したのは「波の塔」。これは映像より本が良い。
本よりドラマのほうが面白いのは「黒革の手帖」「強き蟻」「砂の器」
「危険な斜面」(長谷川京子と渡部篤朗の)
みんな昭和の設定だから携帯とかパソコンとか使わないほうがいい
っていうけど、私は思いっきり現代風にリメイクしたドラマが好き。
清張作品はむせ返るほどの陰気くさい貧乏くさい僻みっぽい暗さが
あるけど、叙情性の欠片もない鼻づまり声の米倉涼子あたりが
明るくドライに演じる現代設定のドラマはその辛気臭さを消してくれ
見やすくなる。
それに犯人のトリックに携帯やパソコンなど現代ならではの
アイテムを使ったとしても清張作品の根底にある人間の業と欲は
普遍的なもので、いつの時代も変わらない >>391
松本清張は文学板で司馬遼太郎は一般書籍板というのが二人の違いを物語っている >>392
『砂の器』を見事に脚色した橋本忍が言うのだから間違いないのだろうな。ちなみに『砂の器』については>>393と違って原作派。ドラマ版は未見 >>388
映像化し易いとおっしゃるが成功しているのは少ないのではないか? 特に映画は 砂の器の原作はもろにB級娯楽小説だよ
銭形平次捕物控の短編を50倍に水増ししたようなもん 司馬さんって死んでからTV番組にも映画にも採用されてないな~
司馬の書籍って文学コーナーじゃなくて経営コーナーだもん 銭形と比べるのは清張に失礼で、正しくは半七と言うべき
愛好した半七と比べられるなら清張も本望だろう
ちなみに銭形は乱歩も木々も評価しなかった >>395
ならば一度、中居主演のドラマ板「砂の器」を観てみると良いですよ。
私も最初はジャニーズか~スマップの中居に清張作品は無理でしょ
とナメていたんだけど、いざ観てみると、想像以上に中居の演技が重厚で
鬼気迫るものを感じました。
最後はお父さんの前で声を上げて咽び泣く中居の演技にスタッフたちも
現場でもらい泣きをしてしまったほど感動したらしい。
あの中居には犯人の狂気と精神的飢餓があってハラハラドキドキした。
また中居を犯人と勘付きながらも惚れてしまう松雪泰子の演技も絶品だった。
原作ではハンセン病らしいけどテレビではタブー?らしく
そこだけ違う設定になってますが、あの砂の器ドラマは秀逸でした。
ぜひ一度、試しに観てみると、清張作品の昇華を感じられると思います。
ちなみに現代ドラマとしては珍しく、昭和の辛気臭さが臭ってました。
たぶん音楽とか雰囲気が暗~い悲しい感じだったので。 キムタクも本人は高校の同級生たちだったりするが。間違えて視聴するな。 スマップはタノキンの構造を踏襲してる。
中居が田原俊彦でキムタクが近藤真彦で野村義男の不思議ちゃんその他趣味的キャラを稲垣、草薙、香取で分担だな。
近藤がドヤルのも納得だろwww たのきんはうんことションベンと便器に似てる部落問題な。
スマップも変わらない。年下女性の性感刺激したりマナーが悪い。 部落差別に関わるものとしてジャニーズなんかは責任者だけ目を通すように。 顔が長かったりでかかったりして変だろ。
ある意味芸能集団の偽物であり本物の芸能集団はテレビでは見れない。 そういう下等民が糞便などの肛門期じゃないけどツボを突いたりして人気を博そうとしてるみじめな姿なんだけど。 性の面で悪事を働いたものが部落にいるから永遠にその点については許さないべき。しかし部落にもエロすぎてしょうがないという本物の奴隷の部落がある。
スマップやたのきん見てそう思わないだろ。カーストのシュードラなどの問題。 まあそうだよね古豪のようにそういう部落が日本にも存在するさ。
顔小さい。胸大きい。 差別の根源は嫉妬というような。例えば権力をかさに着ても大事な部分性愛
の能力などが欠けていると支持はされない。実際の権力者はどっちだろうかというと明白だな。 尋常でないエロス。そういうのに疎い政権を俗物政権とでもいおうか。 ここらじゃ須磨の方に部落があるがあるのはビーチだという。 だから一生部落にいなくてもいいけど部落経験も上に上るなら大事だね。
尋常でなく妖艶にエロくなるだろう。特に女子。 果たして真面目にストレートに生きていてそれにかなうかという問題。 まず無理だろうな。性の愉しみそれを心の中に押し殺してとどめないことだ。 嫌がらせや汚いことしないと部落の女性守れない。
そういう意味で違う意味での部落民のスマップのマナーなんで普通だろ。 せいちょうはドラマにして有名女優やイケメン俳優が演じると面白いんだけど
いかんせん文字だけの原作だと辛気臭くて暗すぎる
恵まれない育ちの者のじっとり恨み節 それもお門違いな嫉妬とか