1950年以降の海外文学で最高傑作を選ぶなら2 [無断転載禁止]©2ch.net
そりゃその人が読んだものの範囲で言ってるんじゃね
なぜ未来のことまでわかるのかは不思議だけど 個人が普遍性をうんぬんするのってどうなの?
判断出来るのは歴史と大衆だけだと思うんだが ドストやカフカ見たいな、哲学的な主張があるかどうかじゃね
文体重視やメタファー重視は普遍性が無いとみなされやすい
ジョイス、ピンチョン、バロウズ、日本で言うと村上春樹とかかな 多くの人が共感できること=普遍性だろ。
個々よりも、より大衆的なものに訴えるもの。
文学においては更に、"時事やゴシップ性が少なく、時代に左右されずに多くの人の中にある共通意識に訴えるもの"が大事。
読み継がれるためには、歴史を突き抜けるような普遍が必要で、例えばその時代には多くの人から共感されても、
時が経つとともに"空気"は流されて行くから、読まれなくなる作品はあると思う。例えば宮沢賢治と同じ時代に書かれたプロレタリア文学を読んでる人なんて少ない。
文体や表現方法の革命も風化しやすいから普遍性は少ないよね。 普遍性ってやっぱ「物語」なんじゃ
つまりディケンズやサッカレーが至高
これからの時代はドナ・タートか 多くのひとに共感されるというのは普遍性ではなくどちらかといえば大衆性では?
すべての物事に共通する性質のことを普遍性と呼ぶわけでたとえば物理で扱う自然法則なんかは普遍性があるという
ただ時代や地域を越えてたくさんの人達が面白いとおもう物語には普遍的な”面白さ”があるとはいえるかもしれんな
物語でもその取扱う主題が普遍的とされることもあるし構造が普遍的とされることもあるから何処に普遍性を見出すかによるけど あと厳密にいえ正真正銘の普遍性なんてものはないだろうけどな
だからこそ人間には普遍性に限りなく接近したがる傾向がありとりわけ西洋圏の人達はそういう理想に憑かれていたような印象
ただ近代以降は「普遍的な何か」に対する憧れだけでなく現代的・今日的(コンテンポラリー)なものに価値を見出しはじめている ちょっと日本語間違えたな
"時代を超えて多くの人に愛される"
という(陳腐なキャッチコピーのようだ)が普遍性だと思ってる。
大衆性との違いは、あげたように例えば時事的なもののような、不安定な主題に物語が寄りかかってないかどうか。 多くのひと(大衆)の感覚は何よりも移ろいやすいもので普遍性からは最も遠いようなきもするけどな
でもあれか……だからこそ”時代を超えて多くのひとに愛されるもの”には普遍的ななにかがあるともいえるのか たいがいのものはギリシャ神話に揃ってると思う
だからメタファーにしてもプロットにしても神話の下敷きが見え透いてたら俺は萎える
逆に新鮮な読み方教えられたり全く新しいものだったりすると天才かよ!と思う
老人と海やカフカの凄さって個人的にそこだな >>96
人間を描いている以上其処には普遍性があるんじゃないの?
人間の中の普遍的じゃない部分てなんだ? 個人的には芸術作品に関しては「普遍的な何か」というのは本当はないようなきがしてる
仮にそれらしきものがあったとしてもそれが明確化された時点で乗り越えられてしまうから
それにどうしても乗り超えたくなるのが人間というものでいつもその「何か」から逸脱しようとする変人こそが作家だろう
つまり普遍性を求めつつも既知の普遍性から逃れようとするのが人間の性でありそういう気質が面白いものを作るという事
尚且つ明確化されてしまうとその時点で芸術作品としての魅力が半減するようなきもするしな、分かると退屈するし飽きるというか
だから
もし芸術作品に半永続的(普遍的と言いかえてもいい)な価値を与えるものがあるとすればその「何か」というのは「謎」だとおもう
要するに魅力的な謎であり続けることこそ芸術作品が半永続的あるいは普遍的に時代を超えて人々を惹きつける戦略……みたいな 確かに人間にしてもなんにしてもすべての物事に普遍性は内在しているはずなんだよな
ただそこから普遍的な何かひとつを取りだして提示しようとすると突然偽物のようになる
普遍的な美とか普遍的な真理とかそういうの提示されても「うそだ」と言いたくなるのよ
仮にそれが疑いようのないものだとしてもそれが周知の事実となれば今度は芸術作品としての魅力がなくなる
例えば分析されたり手法化されたり言語化されたりするとすぐに真似されてしまうし結果的には飽きられてしまう
分かりやすさというのはある意味で賞味期限の早さを意味しているようなきすらする、分からなければずっときになるから また言葉を書き直す。あくまで普遍性というのが世の中にはあるとぼくは思ってる(真理はないと思うが)。
普遍というのは、どの場合にもその理論が当てはまるということ。
そして、読み継がれる文学は、理論の普遍性を発見したもののことか?
例えばE=mc^という相対性理論の方程式も、それまでは誰も発見してなかったけど、それ以前にも在って、物質世界はその方程式の内に支配されていた。
ダーウィンが進化論を唱える前から動物は進化してたわけだし、みんな気づかなかったけど普遍文法というのがこの世には存在する。
多くの人が気づかなかった、あるいは薄々感じてたけどうまく表現できなかった精神的な、内心的なことを言葉で表すことに成功した文学が読み継がれる文学だ。 いい作品ってのは作品と読者のコミュニケーションの中にあるんだと思うよ
それは科学的な真理と別なものだと思う
でもなかなか表現しきれない精神的なものを取り出せたのがいいものなんじゃないかというのは同意 話題変えるけどヘミングウェイとフォークナーってどっちが凄いん?
影響力の観点から見て 影響力ってことならヘミングウェイじゃない?
文体とかの部分で影響を受けている作家が多そう。 短編作家が得意な作家はヘミングウェイ、長編はフォークナーって印象。 ヘミングウェイは村上春樹
フォークナーは村上龍
何かこんなイメージあるわ 影響力はフォークナーでしょ
ガルシア=マルケスをはじめとするラ米文学に影響与えてるし、そういう作風が日本でも流行ったし(中上健次とか) 中上健次ってそんなに凄いか?
マジックリアリズムなんて同年代なら大江や筒井、寺山もやってた気がするが 影響って言われてもいろいろあるからな
116も119も正しい
どっちが後世に有意義だったかを推し量るにはまだまだ時間が経ってなくてむずかしい カルチャー全般で見るならヘミングウェイ
文学に括るならフォークナー
こうじゃね ぶっちゃけディックやヴォネガットの方が文学的寿命は長いと思うんだよな>ピンチョン
SFを純文学に対抗出来るレベルにまで引き上げたのは大きい
まあそれでもフォークナーと肩を並べるレベルだと思うけどね 最高な文学は1920年代30年代までだろうな
1950年代なんてコーラとかオレンジジュースみたいなもんだろ
1930年代のはウイスキーのような酒だ、1950年代以降はたんなるジュースってこと まーた意味不明なことを
突っ込まれると逃げるくせして… 正直20年代でもプルーストやカフカは残ると思うけど
ジョイスとかあの時代にあの文体をやったから残ってるようなもんであと1世紀位したら消えてると思うわ 同意
普遍性以前にジョイスは一貫したテーマも話の面白さも無いから文学者以外誰も読まない
カフカ、プルースト、ピンチョン、フォークナーはまだ一般人でも読めるけど 普遍性云々マンと50年代以降をくさす奴(わざわざこのスレ来てw)は、大して考えないで書き込んでる感がある プルーストは岩波でダラダラ読み続けているけど正直もう惰性で読んでいるだけ
面白いか?これ
ドストエフスキーやマルケス読んでる時のような高揚感もないし
意識の流れというのならウルフの灯台への方がよほど面白かった 源氏物語、イリアス、オデュッセイア、失われた時を求めて
ここら辺は同一線上にあるイメージ 後世に残る文学って、話の面白さはまだ除外出来るにしても最低限「社会に伝えたいもの」が無きゃダメなんじゃねえの
少なくとも罪と罰とか百年の孤独はそういうテーマ性が明確だし話もそこそこ面白いから200年位は残ると思う
あとプルーストは毎朝50P〜100P読むのを日課にすれば数ヶ月で読み切れる 村上春樹も言葉を濁すピンチョン
まだ分からない、時代が追い付いてないみたいに言ってたな ジョイスのフィネガンズ・ウェイクは
やっぱり小説はここまでやっちゃいかんよな
とみんなに知らしめした記念碑として文学史に残っているわけで 優れた作品が残るのではなく
後世に文学史に書かれた優れた作品として残るだけ
作品の価値を決めるのは後世の歴史家(文学史家) そういや村上春樹はまた例の賞の最有力候補になったらしいな 1世紀そこらでジョイスが忘れ去られるほど
小説が変化するとは思えないね。 文体の面白さって結構長持ちするぞ
面白い寓話だとか感情だとかを発見したとかいうよりマニアックになるかもしれんが
テーマも普通の人の死生観に寄り添ってて王道だと思うな プルーストつまんねって言った者だけどさ
翻訳者に最大限の敬意も払い、原文厨の誹りも甘んじて受けるとしてさ…
「失われた時を求めて」ってその文体と言うことも含めフランス語原文で読まなきゃ
面白さを半分も理解できないんじゃないの? 日本におけるプルーストの不幸は、訳者がみな学者先生ってゆうこと、
語学的には正確かもしれないが、文学の馥郁たる香りはどうか…
オレはフランス語原文は読めないけれど、日本語版プルーストは
気の抜けたビールみたいなものかもしれない、中村真一郎とか吉田健一とか
しっかりした日本語の文体を持った作家が訳しておけばまた違ったものに
なっただろう、 英語圏でもアーサー・ウエリーの源氏とかモンクリフのプルーストとか
文学的にも非常に価値が高いらしい、日本でもかっては鷗外、敏、荷風とか
そうだった、プルーストは何種類も訳があり註や図録を競っているが、
本体は大同小異じゃなかろうか、 1950年代
ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(1892年 - 1973年)
クライブ・ステープルス・ルイス(1898年 - 1963年)
アンリ・ミショー(1899年 - 1984年)
ウラジーミル・ナボコフ(1899年 - 1977年)
マルグリット・ユルスナール(1903年 - 1987年)
グレアム・グリーン(1904年 - 1991年)
サミュエル・ベケット(1906年 - 1989年)
ドミニク・オーリー(ポーリーヌ・レアージュ)(1907年 - 1998年)
アルチュール・アダモフ(1908年 - 1970年)
イアン・フレミング(1908年 - 1964年)
ウジェーヌ・イヨネスコ(1909年 - 1994年)
ウィリアム・ゴールディング(1911年 - 1993年)
アルベール・カミュ(1913年 - 1960年)
クロード・シモン(1913年 - 2005年)
ロジェ・カイヨワ(1913年 - 1978年)
マルグリット・デュラス(1914年 - 1996年)
ウィリアム・シュワード・バロウズ(1914年 - 1997年)
アーサー・チャールズ・クラーク(1917年 - 2008年)
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(1919年 - 2010年)
アイリス・マードック(1919年 - 1999年)
アイザック・アシモフ(1920年 - 1992年)
レイ・ブラッドベリ(1920年 - 2012年)
ボリス・ヴィアン(1920年 - 1959年)
パトリシア・ハイスミス(1921年 - 1995年)
ジャック・ケルアック(1922年 - 1969年)
イタロ・カルヴィーノ(1923年 - 1985年)
アレン・ギンズバーグ(1926年 - 1997年)
ギュンター・グラス(1927年 - 2015年)
アラン・シリトー(1928年 - 2010年)
コリン・ウィルソン(1931年 - 2013年)
フランソワーズ・サガン(1935年 - 2004年) 小説をぶっ潰したというなら裸のランチもそうだが
城の中のイギリス人とかはメタ的に小説家を殺しに行ってる
人間の想像力の可能性...いや、エロの可能性は無限と知らしめたな ディランは好きだし、受賞も面白いけど
なんか今の文学にダメ出しされた感もあるね 詩人が受賞するんだから
シンガーソングライターも対象でしょ
俄然興味ないけど 日本からは2冊ランクイン!目利き書店員が選んだ死ぬまでに読みたい世界の本25
http://tabizine.jp/2016/10/15/95568/
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(Chimamanda Ngozi Adichie、1977年9月15日 - )
『半分のぼった黄色い太陽』2007年(ナイジェリア)
スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチ(1948年5月31日 - )
『チェルノブイリの祈り』(1997)(ベラルーシ)
ジョルジェ・アマード(Jorge Amado, 1912年8月10日 - 2001年8月6日)
『丁子と肉桂のガブリエラ』(1958年)(ブラジル)
ミハイール・アファナーシエヴィチ・ブルガーコフ(1891年5月15日(ロシア暦5月3日) - 1940年3月10日)
『巨匠とマルガリータ』 (1967)(ロシア)
イタロ・カルヴィーノ(Italo Calvino, 1923年10月15日 - 1985年9月19日)
『見えない都市』1972年(イタリア) 張 愛玲(1920年9月30日 - 1995年9月8日)
「傾城之恋」1943年(中国)
ジョン・マックスウェル・クッツェー(John Maxwell Coetzee, 1940年2月9日 - )
『マイケル・K』(1983年)(南アフリカ)
フリオ・コルタサル(Julio Cortázar、1914年8月26日 - 1984年2月12日)
『石蹴り遊び』1963(アルゼンチン)
Elena Ferrante (Napoli, 1943)
『私の素敵なお友だち(未翻訳)』(2011)(イタリア)
ボフミル・フラバル(Bohumil Hrabal,1914年3月28日 - 1997年2月3日)
『あまりにも騒がしい孤独』1976(チェコ)
エドゥアルド・ウヘス・ガレアーノ(Eduardo Hughes Galeano, 1940年9月3日 - 2015年4月13日)
『鏡(未翻訳)』2008(ウルグアイ)
Keri Hulme (born 9 March 1947)
『骨人間たち(未翻訳)』(1984)(ニュージーランド)
トーベ・マリカ・ヤンソン(Tove Marika Jansson、1914年8月9日 - 2001年6月27日)
『少女ソフィアの夏』 (1972年)(フィンランド)
ジャメイカ・キンケイド(born May 25, 1949)
『アニー・ジョン』(1985)(アンティグア)
ハルドル・キリヤン・ラクスネス(Halldór Kiljan Laxness1902年4月23日 – 1998年2月8日)
『独立の民』 (1934)(アイスランド) クラリッセ ・リスペクトール(December 10, 1920 – December 9, 1977)
『ニア・トゥー・ザ・ワイルド・ハート(未翻訳)』(1943)(ブラジル)
ハビエル・マリアス(Javier Marías, 1951年9月20日 - )
『白い心臓』(1992年)(スペイン)
Rohinton Mistry CM (born 3 July 1952)
『絶妙なバランス(未翻訳)』(1995)(インド)
Abdel Rahman Munif (May 29, 1933 – January 24, 2004)
『塩の都市(未翻訳)』1984(サウジアラビア)
ジョルジュ・ペレック(Georges Perec, 1936年3月7日 - 1982年3月3日)
『人生使用法』1978(フランス)
ジョゼ・サラマーゴ(José de Sousa Saramago, 1922年11月16日 - 2010年6月18日)
『白の闇』(1995)(ポルトガル)
ブルーノ・シュルツ(Bruno Schulz, 1892年7月12日 - 1942年11月19日)
『肉桂色の店』(1933年)(ポーランド)
W・G・ゼーバルト(W・G・Sebald、1944年5月18日 - 2001年12月14日)
『土星の環』1995(ドイツ)
芥川 龍之介(1892年3月1日 - 1927年7月24日)
「羅生門」1915年
村上 春樹(1949年1月12日 - )
『羊をめぐる冒険』1982年 春樹はともかく芥川って意外だな
三島谷崎大江川端のどれかかと思ったが 芥川の面白さがわからない俺って馬鹿なのかな
羅生門とあばばばばは面白いと思うが、他微妙じゃね
それすらも川端作品のどれにも及ばない気が
無理やり秘本の名作拾った感ある 1950
チューリング「計算する機械と知性」
リースマン『孤独な群衆』
1951
クワイン「経験主義の二つのドグマ」
1952
ストローソン『論理の基礎』
カンギレム『生命の認識』
1953
ウィトゲンシュタイン『哲学探究』
クワイン『論理的観点から』
1954
グッドマン『事実・虚構・予言』
ライル『ジレンマ』
1955
カンギレム『反射概念の形成』
メルロ=ポンティ『弁証法の冒険』
1956
ウィトゲンシュタイン『数学の基礎』
ラッセル「指示について」
1957
アンスコム『インテンション』
バシュラール『空間の詩学』
コイレ『閉じた世界から無限宇宙へ』
1958
ウィトゲンシュタイン『青色本・茶色本』
ハンソン『科学的発見のパターン』
フォン・ノイマン『電子計算機と頭脳』
1959
エアー『論理実証主義』
ストローソン『個体と主語』 意味不明すぎるんだけど
どういう意図で貼ったのかまるで分からない 文学とはなにか、という問いかけとも取れる。なぜこれらの本を文学と呼ばないのか? Sixteen books I wish I’d written more about in 2016
https://biblioklept.org/2016/12/12/sixteen-books-i-wish-id-written-more-about-in-2016/
Woodcutters (Holzfällen: Eine Erregung, 1984)Thomas Bernhard (February 9, 1931 - February 12, 1989)
White Mythology(2016)W.D. Clarke
The Dick Gibson Show (1971)Stanley Lawrence Elkin (May 11, 1930 - May 31, 1995)
The Franchiser (1976)Stanley Lawrence Elkin
Bear(1987)Marian Ruth Passmore (May 24, 1933 - February 16, 1985)
Collected Stories of William Faulkner(1950)William Cuthbert Faulkner (September 25, 1897 - July 6, 1962)
There is a Tree More Ancient than Eden (Random House, 1973)Leon Richard Forrest (January 8, 1937 - November 6, 1997)
The Weight of Things(Die Schwerkraft der Verhältnisse. Frankfurt am Main: S. Fischer 1978)Marianne Fritz (14 December 1948 - 1 October 2007)
The Inheritors (1955)Sir William Gerald Golding CBE (19 September 1911 - 19 June 1993)
The Transmigration of Bodies(2016)Yuri Herrera (Actopan, Mexico, 1970)
The Leopard(Il Gattopardo, Milano, Feltrinelli, 1958)Giuseppe Tomasi di Lampedusa (December 23, 1896 - July 26, 1957)
The Absolute Gravedigger(Absolutní hrobař – 1937)Vítězslav Nezval (26 May 1900 - 6 April 1958)
Cow Country (2015)Adrian Jones Pearson
Hilda and the Stone Forest(2016)Luke Pearson (1987)
Gravity's Rainbow(1973)Thomas Ruggles Pynchon, Jr. (May 8, 1937)
Marketa Lazarova(Markéta Lazarová1931)Vladislav Vančura(23 June 1891, Háj near Opava - 1 June 1942, Prague)
Marketa Lazarová trailer nl ot
https://www.youtube.com/watch?v=uUQLPpu5rV0 10行以上のレス
(?:.*\n){10}
50文字以上のレス
(?s).{50} 21世紀のナチスは 中国共産党
21世紀のヒトラーは 習近平
アジアの困ったちゃんを退治できるのは 東大卒のエリート首相だけですよ! 上に揚がったリストには、欧米系の作家ばかりが並んでるんだが、アジアの日本との文化的、地理的隔絶を少しでも縮めるには、翻訳時間の短縮化が最も有効だと思うんだが。
翻訳者十人で手分けして飜訳すれば、早く仕上がると思う。
文体の整合性など、軽視して構わないと思う。
原作が当地の国で話題になっている時期とより近い時期に日本語で読ませることのメリットの方が大きいと思う。 21世紀の暫定名著
出版社: 講談社 (2016/11/16)
●わたしが選ぶ21世紀の暫定名著3冊
内田樹、佐藤優、上野千鶴子、松岡正剛、小川洋子、荻上チキ、栗原康、茂木健一郎、堀江敏幸、中島岳志、白井聡、鴻巣友季子……
各界注目の識者が選ぶ名著3冊
●激闘座談会! 新しい時代の名著はこれだ!
【一般書篇】
池田清彦、松原隆一郎、大澤真幸、斎藤環、大澤信亮
【日本文芸篇】
清水良典、松浦寿輝、富岡幸一郎、佐々木敦、佐藤康智
【海外文芸篇】
沼野恭子、野崎歓、小野正嗣、藤井光、辛島デイヴィッド どうせコピペしかしないんだからたまにはそいつらが選んだリストをコピペするぐらいのいい仕事しろw ビートたけし「あああん!あべぴょん、らめえええええええ!ひぎぃ!あああ、アナルが裂けちゃううううううっ!」 ビートたけし「あああん!あべぴょん、らめえええええええ!ひぎぃ!あああ、アナルが裂けちゃううううううっ!」 とりあえずアドレスを貼るのみで、当スレからは立ち去りますが、
たとえ暇つぶしででも、
もし興味ある方は読まれて下さい。
『救済的真理の伝達・証明』
《神・転生の存在の科学的証明》
http://message21.web.fc2.com/index.htm
「私たちは道徳的に賢くなっているのか?:IQの上昇、暴力の減少、経済的リベラリズムの関係」 by マイケル・シャーマー
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2016/04/18/131223
しかし、推論能力の上昇は実際には1950年以降に起こったのだ、とフリンは言う。
「1950年以降から、IQは新しくて変わったパターンで上昇し始めたのです。
読解や算数など学校で教えられている内容に近い項目では、上昇は起こっていないか、起こっていたとしても微々たるものでした。
それぞれの問題に応じて問題を解決する能力(on-the-spot problem-solving)を重視する問題で、大きく上昇が起こっていたのです。
単語の中から共通項を見つけ出す問題・図形のパターンを分析して欠けているピースを見つけ出す問題・
ブロックからパターンを作る問題・物語が伝わるように絵の順番を並べ替える問題、などです。
産業革命によって人々は基本的な認知能力全般を向上させることを求められるようになりましたが、
その後には、抽象的な問題解決能力の必要性を真剣に捉えて向上させることが求められるようになったのです」。
これは筋が通っている。フリンによると、1900年のアメリカでは、
マネジメント・医学・法律などの高度な認知能力が求められる職業に就いている人は3%しかいなかった。
それが2000年には35%になり、現在でもその数は増え続けている。
抽象的に考える能力が上昇した理由の一つは、
科学的な思考方法…つまり理性的・合理的・経験主義的・懐疑的な思考方法が普及したことにもあるかもしれない。
科学者のように考えることは、私たちの持つ知的能力の全てを駆使して、感情的・主観的・本能的な考えを克服することを意味している。
また、科学的な思考方法は、物理や生物などに関する本質だけでなく、
社会や道徳に関する本質についてもより優れた理解を追求することができる。
政治学や経済学などの学問、人々はどのように配慮されるべきかということの抽象化などを行えるのだ。 オワコン北野武「あああん、日本会議&安倍ガイジ晋三さまあんっ、らめえええええええ!ひぎぃ!あああ、アナルサイダーが裂けちゃううううううっ!」 瀬川深@チューバはうたう・ゲノムの国の恋
承前)
セルバンテスやヴォルテールやフローベールやメルヴィルやブロンテや
ホーソーンやドストエフスキーやジョイスやベケットやセリーヌや
フォークナーやオコナーやミラーが「既存秩序を俯瞰的に見て解体」してこなかったとでも思っているのだろうか。わりと衝撃的なご見識だ。
kemofure
手柄などと一切考えておりません。価値の解体と再構築をジャンル的なものにしなかったことこそ、古典文学の優れたところで、
それを際立たせて、ジャンル的にしてしまったところにポストモダンを含む近現代文学の問題の一端があると考えているので。
言ってもないことで攻撃するのはやめて頂けませんか。
2017年4月6日
https://twitter.com/segawashin/status/850004352865628160 モダニズムとポストモダニズムも同様である。
巷間伝えられる文学史によれば、1910年前後から1960年代前半ぐらいまでが言語実験喧しいモダニズムの時代であり、
その後パスティーシュやメタフィクションに戯れるポストモダニズム文学の時代がやってくる、ということになっている
(文学の他にも美術・建築・音楽などにも同様のカテゴリーがあるが、
時代的にずれが大きく、どの分野のモダニズムなのか混乱をきたすことが多い)。
だが、先行する散文文学セルバンテス『ドン・キホーテ』(1605 / 1615)や
スターン『トリストラム・シャンディ』(1759-67)にポストモダニズムの要素を見る研究者が存在し、
21世紀文学にモダニズム文学の痕跡が点在している以上、これらを時代区分として前提するのは難しい。
文学史的整理は便宜的なものに過ぎない。自然主義にしてもリアリズムにしても感傷主義にしても事情は変わらない。
そのような文学カテゴリーを画期的な現象として標榜した歴史上の人物は存在しても、
それらの要素をある時代に特権的な現象として批評的に記述することはできない。
モダン/モダニズム/モダニティをテクスト分析の枠組みとしてそのまま使うことはできない。
これを問題設定に利用しても、既存の時代区分とテクストの分類をそのまま追認する同語反復に陥る。
http://d.hatena.ne.jp/pilate/20170416/1492325360 nibuya
・・・余談。1950年代半ばの「プレザンス」を巡る・・・と言って「ルーツ」やら「誕生」やらが問題なのではなくて・・・
ポロック、グールド、バード、フーコー、バルト、三島、渚にて、ゴジラ、ドゥルーズ、ヴォネガット、ザジ、ジュネ、et cetera・・・・
1 May 2017
三島『金閣寺』1956
ネビル・シュート『渚にて』1957
ヴォネガット『タイタンの妖女』1959
レーモン・クノー『地下鉄のザジ』1959
ジュネ『バルコン』1956
フーコー『精神疾患とパ. ーソナリティ』1954
バルト『エクリチュールの零度』1953
ドゥルーズ『経験論と主体性 ヒュームにおける人間的自然についての試論』1953
ポロック『収斂』1952
グールド『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』1955
ザ・クインテット『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』1953
本多猪四郎『ゴジラ』1954 この世界史が変化する基盤となったのは、「戦後世界」の転換、つまり一九七〇年代か
らわたしたちの目に明らかになってきた「地球社会」という世界の状況です。わたしはそ
の内容を「地球規模での多元化と一体化の同時進行」と呼んでいますが、このような事態
は、人類史上初めての現象だといえます。
世界史とヨーロッパ (講談社現代新書)
岡崎 勝世 (著)
出版社: 講談社 (2003/10/20) 1880年代中期から1890年代まで(1883年 - 1900年)に生まれた世代は、「第一次世界大戦に遭遇した世代」でもある。
日本で言えば、概ね明治10年代後半から明治20年代までの生まれ(1882年 - 1896年生まれ)が、この世代に該当する。
子供世代は概ね1910年代 - 1920年代の生まれに当たり、「世界恐慌と第二次世界大戦に遭遇した世代」である。
孫世代は概ね1940年代から1950年代の生まれであり、第二次世界大戦の最中か終結直後に生まれた世代である。
曽孫世代は概ね1970年代から1980年代の生まれであり、
1990年代の「アメリカニゼーション」と呼ばれるグローバル資本主義や世界的不況に遭遇し、
日本で「ロストジェネレーション」と呼ばれているプレカリアートが世界的にも多い世代である。 「ふたりのヌーヴェルヴァーグ」評+α
May-30-2011
それはつまり、現在というのは、「なにかひとネタ」あれば、
20世紀の偉人に関する、ある程度以上のクオリティを持ったドキュメンタリー映画
(それは、若干残念な事に、「テレビ番組」でも大した差はないのですが)を作る/観る事が、
20世紀に比べると遥かに容易な状況のことであり、とはいえこれは悪事ではなく、
20世紀の偉人を描いた誠実なドキュメンタリー映画が、数多く待機中なのである。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ ひさしぶりに来てみたけどコピペバカりでつまらないので来て損したさようなら