本や読書について [無断転載禁止]©2ch.net
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線を引く・角を折る・記録を付けるなどの初歩的なことから
遅読速読や蔵書の仕方までなんでもどうぞ 小説で特に難解とかでなければ、500頁1日で読み終わる
学術書はものによるね 何ページ読めるとか愚か物ばかり。
理解度だぜ。低脳どもめが
これだから読書が趣味ってのは大馬鹿だぜ。 理解度(笑)もスピード(笑)も所詮は自己満
人に認められる趣味が良いなら筋トレでもしてろよ >>235
立花隆は文学読み込んで卒業した人だから最初から読まない奴とは違うんだよ なんか、昔龍谷大学人のの短い短編自伝みたいなの読んだけど、面白かったよ。 >>265
代わりにくだらない自己啓発本が読まれる。 ナポレオンヒルとかカーネギーとかドラッガーとか
あのへんの自己啓発のはしりとというか経営者のハウツーの古典というか微妙なやつ
っどうなのよ?読んどくべき? >>267
零細ベンチャーの経営者だけど読んだことも興味もない。だから零細ベンチャーなのかもしれんけど(笑) 技術書も読まれてるよ
必要に迫られてね
自己啓発も必要に迫られて読んでるんでしょ >社会に出ると圧倒的に小説が読まれていない
小説は全然よまんかったな。でも英語の勉強で児童文学を読むようになってから
面白くなってきた。
ということで純文学とかレベルが高すぎないか? 読んでも面白くない。
英米文学にはジュブナイルとYaとか文学以前の本が大量にある。このあたりの
レベルから読み始めると面白い。あんまり高度なものは脳みそが付いていけない。
高校生が読んでるくらいの本が面白い。 社会人になって忙しくなって初めて純文学を読みあさった
むしろ時間はない方が挑戦できるものらしい
受験のために言葉だけ暗記した、自然主義・白樺派・浪漫派などのただの記号に意味の肉付けしたかった
大江健三郎がよく書く故郷の谷川に立ち
与謝野晶子の歌碑を訪ね
教科書に書いてあったことがどんなに味わい深かったのか知った
川端康成には思想などないのではないかという疑問も解消した
三島由紀夫の自己欺瞞にもつきあってやった
安部公房が仕掛けてほくそ笑んでいるであろう構図にも出会った
読書が耕した人生、これで良いのではないかと思う 読書が趣味ってやつでも、紋切り型の感想しか出て来ないんなら、話は合わない。
いろんな書評が出ているけれど、それを読んで、その本を読んで、同じ見解だったことがない。
鑑賞辞典なんてのがあるけど、ああいうのも読むのは好きなんだけど、あれの劣化コピーの感想を
えらそうに吐かれると、ちょっと困ってしまう。
主要な文庫や新書の目録を読むのも面白い。あれ書いてる人は結構すごいと思う。何人位で書いているんだろうか。
あと、岩波の図書みたいな業界誌や全集の月報なんかも結構いい。
高校生のころまでは、次から次へできるだけ多くの本を読みたいと熱望していたけれど、
大学生になって反芻することが多くなった。
同じ本が、出版者違いとか装丁違いとかも含め、何冊かあるな。
読書はバーチャルな体験。作家の体験がそのまま書かれるわけではない。
こんな言い方は好きじゃないけれど、作家がどう読者をだましてくれるか、そんなことも考える。
辞書も好き。あれはコスパがダントツだしな。 ドラッガーは野球やソフトボールの人だけ読めばいいよ。
クルーグマンとかの方が面白いし。 絵本の頃から文学にお世話になったから、やはり仕事は全世代
古典世界に男は届かないと。女はもはや未来へ。 買ったのに読んでない本
埴谷雄高の死霊
ネットで粗筋を確認
速読するのもしんどそうなのでBOOK・OFF行き
10円ぐらい? 割合死霊の騎士の方が人気じゃんか。デスキャラだけど。 >>272
確かに。ちくま文庫の目録とか読んでいると全部欲しくなって来る。 >>267
デール・カーネギーの本とか古本でいいから読んどくといいかも。あと、ヒルティの「幸福論」とか、ある程度説得力あると思う。 ヒルティは読んだな。あれでキリスト教の印象がかなり変わった。それとこの本が
切っ掛けになってマルクスアウレリウスとかも読んだ。 >読書が趣味ってやつでも、紋切り型の感想しか出て来ないんなら、話は合わない。
本当の感想って他人には言えない。そこを除くと紋切型の感想にならざるを得ないの
ではあるまいか。 >みなさんはどれぐらいで400ページの単行本を読みおえますか?
俺はパラレル読みなので、1回は20ページくらいだな。で放置しておいてまた続き
から読む。なかなか読み終わらんな。偶に一気読みするときもあるがそのときでも
多くて200pぐらいで辞める気がする。 >>281
そうなの?
別にエロ本でハアハアじゃないんだよ。あ、そういうのもあるけど、なんで気がねするんだろ?
まさか、会社とかでそんな話はしないよね。
でも、それだったらつまんないなー。 感想が言えるほど深く読めていないというんもあると思う。それに面白く読んだとして
も感想が言えるということは、読後に印象をもう一度言葉にして書き直しておかないと
発表できるような感想にならないと思う。
感想が言える人は多分かなり書きなれている人だと思う。
だから読後感想を書くようにした方がいいね。そうすると読みの質も上がると思う。
自分も書いてないので、「面白かった」くらいしか言えない。あとは人には言えない
ほどドキドキしたところとかだね。主人公に感情移入して読むだろ。その主人公が
女の子だったりすると、何故ドキドキするのか深く突き詰めたことはないけれども
そういう部分を引き出すというのはとても恥ずかしい気がする。
まあ友達となら感想というよりは印象に残った部分を話ながら背後にあった
ものをハッキリしたイメージとして引き出すというのも面白い。だけどそういうことが
できる条件としては同時に同じ本を読んでいないと無理だから限られてくるね。 そういや、輪講、ってのは大学ではいくつもやったな。文学、だけでなく、数学書などもやった。
まあ、社会人では無理かもしれないね。
感想文は私もいちいち書いていないかわり、本に線を引き、気づいたらなんかを書き(笑
をやっている。
知らない言葉なんかに線を引くのは、大分昔にやらなくなったけど、
感心した言い回しや、主張、面白い表現などに線を引くようになった。
読了したのを時間が経ってから読み返すと、非常に興味深い。 分かりすぎるくらい分かる
時間かけて読んでも中身ないことが大半だからだろう 買ったけど読んでない本
せきれい
庄野 潤三
ネットであらすじを確認し、やっぱ読まなくてもいいや、ブックオフ
内容も知らずに買った古本多し そうか、そういうのをパラレル読みっていうんだね
何故か最初スパイラル読みと思ってしまい、イメージできなかったw 俺は休日には一日に千ページ読んでいる
朝から晩まで読んでいる
そのかわり平日の読書が振るわない
読書の中心は金土日
ついにゲーテ全集を今日完読した
全部で52人の全集を読み終えた RPGとか漫画だと登場人物は
軽々しくどこかへ行ったり、常に旅をしてるけど
現実でそんなことできる人ほとんどいないな
まぁ仕事でしょっちゅう出張してる人とかはいるだろうけど キャラクターとか漫画とかの創造物は作者が
それ以上の続きや奥行きを作らなければ
そこで止まってしまう
所詮人が作ったものに過ぎないという事を
26ぐらいの頃に気付いてしまった
何でもそうだ。音楽でも、絵でも、技術でも
場合によっちゃ制度や仕組みでも。全て人が作ったもの
作者がいるのはもちろん知ってたけど、田舎育ちだし
現実に存在してるって実感がなかったわけだよね
あるいは自分がアマの作曲家としてクリエイターを
意識しだしたからかも それは重要だと思う
経営でも芸術でもそうだけど
創る側、仕掛ける側、企画する側に回ることはとても重要
雇われる側消費する側から脱したときはみえる風景が違うでしょな 読むことは書くことの後に来る行為である。それはより慎み深くより洗練されたより知的な行為である。 >>295
でも享受したりファンである事は簡単だけど、
「やる」のは相当大変だからね
全然土俵やフィールドが違うわけだ
音楽やってる人と聞いてる人は対等ではない
聞く側は金払ってようやく溝が埋まる
文化的なものが好きな人はたくさんいるだろうけど、
やる人じゃないよね。まぁプロになるのは
技術的にも食ってくのも大変だしね
まぁ見る人や買う人でも十分かもしれない 誰かのファンである事は簡単だけどね
その人と同じことはできないよね
まぁ俺はバンドマン程度の水準で楽器弾けるからね
俺の好きなピアニストと比べるとだいぶ劣ってるけどさ
プロ間でも能力差はある
同じ事をやってれば延長線沿いの人である。先輩だな >296
逆説的だけど含蓄あるいい言葉だな。学生時代に小説同好会に誘われて入った
ことがある。短編を一つ書いたけど小説を書くのがどんなに大変かが分かったよ。
以来、2流の小説でも面白く読めるようになった。 書くこともまた都会の行為であろうか?
文化的な行為であろうか?
俺も日記や文章を常に書いている
文化や芸術的な仕事をしてる人間はほとんどが
都会にいる。別に田舎でもどこでもできるとは
思うけどさ。特に東京でやってそれが
全国や田舎にメディアに乗って発信されてくる
別に田舎にだって文化はあっていいはずである
でもそういう事をやる人間や仕事は
都会に集中するから結局田舎には何もない事になる 楽器なんて時代遅れだよ。古典韻詩としてはいいけど。
都会も後から退屈が来るから、近くの微細な破たんとか。
都会⇔田舎の方がいいのに。 差異とエクリチュールは巡り巡ってアナトールする定めにありや?????? >300
すまん。ボルヘスって知らなかったんだが、その言葉が乗ってる本とかある? 『汚辱の世界史』序文
時おりわたしは、よき読者というものは、よき作者以上に稀有な、いわば黒い白鳥ではないかと思う。ヴァレリーが完全至上のエドモン・テスト氏の手記とした諸篇が、彼の妻や友人のそれに比べて少々劣るという意見を否定するものがあるだろうか。
読むことは、さしあたり、書くことの後に来る行為である。それは、より慎み深く、より洗練された、より知的な行為なのである。 >>310
会う人会う人、教養があるとか、知性を感じるとか
言われますよ 考えてみると
知性を感じるとかの言葉は
オミズにしか言われたことがない
どうやらその勘違いを引きずってきたようだ
上の人とは別人だけど よくそんなに読む本あるね。
自分はもうあまり読みたい本が少ない >>318
同じセリフを発した途端に興味のない作家の作品を強く薦められたことがある
その言葉はリアルでは要注意だ 谷崎潤一郎って変態なのに
谷崎賞って文学賞があるのが解せない
俺は一度変態だと公言したからもらえないと思うが >>319
興味が無いなら食わず嫌い(読まず嫌い)なのだから挑戦してみては!?
俺も興味がない作家のすすめられて読んでみて
これはないわーということを知ったけど >>323
進められたんじゃなくて「あの作家の本はおもしろいおもしろい」と言ってる人がいたので
試しに読んだらおもしろかっててのもあるな… GWはどこに行っても激混みなので家で積読を消化するんだ! 他人に勧められて面白かったのって
学生時代に筒井康隆を教えてもらったぐらいだなあ
ほとんどが
はあっ?
って本を紹介される それは付き合う相手がわるい。俺ならちゃんと君のレベルみて面白い本を進めることが
できる。料理でも皿が汚いと美味しく感じない。さらに店員の態度が悪いとますます不味く
なる。その点で品行方正な人物が面白い理由を綺麗な小皿に載せて紹介してくれてたら
中身なんてあまり関係なしに面白く読める。 >>327
三島由紀夫と大江健三郎と安部公房が好きだと言ったら森博嗣を薦められてそれはちょい読みして買わなかった
埴輪雄高の死霊を薦められて、こっちは買ってしまったが結局読まなかった
他、サスペンスを薦められたりいろいろ 三島大江安部って、アバウトすぎて好みが全く分からんから適当に勧めたんでしょ >>330
ごめん
>>331
わからないのに薦められるってことを言ったんだよ
結局は自分の嗅覚で探すんだし
その後、明治以降の日本文学史に出てくるような作家は読んで、
なかでも芥川龍之介、坂口安吾、井上靖、安岡章太郎とかは居心地良かった
共通するのは、作家と読者の距離感のような気がする
でもそれは人と共有できる感覚とは限らない
ってことだ まあ要するに読書好きに気軽にオススメなんてすんなってことだろ? 長年にわたって本が好きなやつは
まあどんな趣味でもそうだろうが自分の嗜好に確信を持ちだす
だから他者からの紹介という時点でハードルが相当に上がっている
俺の場合本や雑誌での紹介でも面白かったのは1割ぐらいだし
直接の知人からだとほぼ0と言って良い
逆に紹介した場合にも口だけでなく本当に良かったといわれたことはない
面白さを力説すればするだけ同じように感動する凡庸さが嫌になってくる 小説や読み物の「面白さ」ってのはいろんなものに支えられていると思う。
因みに日本語だと読んでも全く興味ないようなものでも英語で読むとおもしろいと
言うこともある。それとか、作家の講演を聞いた後だと、その作家の作品が面白く
読めたりすることもある。これは解読する楽しさみたいなものだな。
自分の場合は集中して本が読めないタイプなので、面白く読める方法を見つける
工夫がいる。取り掛かりは丁寧に読むとか、作家の情報を集めるとか、いろいろ
工夫はしている。 村上春樹はピンチョン原書で読んでも面白くなかったけど日本語で読んだら良さが分かったとか言ってたな 村上春樹の小説って夢想した通りに書くから
本能のままに美男となって美女とセックスするんだろうな
文学的必然性を求めても無意味で、ただ夢のままに進行する
ならば、そこに書く必然性はあるのか、それを考えて数十冊読んでみた
処女作?の風の歌を聴けに溢れる自己否定
それを救済する作品群
ま、ここで私論を書いてもあかんな ショウペンハウエルの読書のほうが、自殺連より好きだなあ。 セックスにたよって売っているとは思わんな
作者の性欲のままにセックス描写が出てくるのを
物語と称してそのまま書いている
現実のどろどろとした自分ではなく
クールでオシャレな夢の中の自分 >>344
誰か他の作家では?
セックスで売っているのは渡辺淳一かな
私にとっては村上春樹も渡辺淳一も純文学作家ではないがね 俺はどこまで読んだか記録付けてるから作品のテイストに飽きても忘れた頃にそこからまた読む
でもなんか新しい感動に出会うみたいな意欲はなくなったな
気に入った作品再読する時期かな >>346
女流作家の9割は性で売っているイメージ
というかそれ無しでは何も書けない 村上春樹が読者サイトで「国境の南 太陽の西」を自薦していたことに驚きました
この作品で主人公は女と寝てばかり、どこに中身があるのかと思っていましたから
暴投で一人っ子の生き様について強調していましたが、一人っ子の話はその後何の関係もありませんでした
つきあっていた女性を裏切り、妻を裏切り、次々と寝る
最後に思いかけず妻から自分を言い当てられた主人公の動揺が描かれますが、
それは芥川龍之介が「歯車」で、自殺しようとしていることを妻に言い当てられ動揺するシーンの二番煎じです
村上春樹がこの作品を気に入っているとしたら、私の読書に何が足りなかったのやら >>350
確かに自薦はちょっと驚きだね
ただ、一番自分に正直に書いた、みたいな自負があの作品にはあるんじゃないかな
似非私小説風だし 似非私小説風な作品は多いですが、
「トニー滝谷」のTシャツからのインスピレーション含め、
結局夢想で展開しているんでは?
あとは本能のまま、書くという性行為をする主人公はクールでおしゃれ
妻の親から投資してもらってジャズバーを経営し
「やれやれ」と言うだけでそんなに悩まない 作品に性行為が出てくることはそんなに重要なことなの? >>354
そんなことはありません
村上春樹の作品を読むのに
美男美女のセックスシーンがあきれるほど出てくるので
そこに何か意図があるのか、と意識して読んでいくと
夢のまま、願望のまま、物語を書くと本能的に出てくるのかと感想を述べたに過ぎません
彼はそういう物語を書くことにどんな価値をおいているか解りませんが
まさにセックスばかりの作品「国境の南・・」を自薦していたのが驚きだった、そう申しているのです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています