本や読書について [無断転載禁止]©2ch.net
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線を引く・角を折る・記録を付けるなどの初歩的なことから
遅読速読や蔵書の仕方までなんでもどうぞ 私がこの作品を読んだのはサラリーマンだった20代半ばの頃。
当時私は仕事の面白さから常に前傾姿勢で突っ走っていましたから、愚鈍そうな同僚を見ると嫌悪するばかりでした。
私はまだ本当の意味で仕事の仕方を分かっていなかった。
そのとき、この作品の中で「黥布」という登場人物の描写を読んだんです。
黥布は怪物のような体格で、土木工事の飯場生活をしている者でした。
−−項梁は酒肴を用意して黥布と一夕をすごした。
黥布は無口で、ただひたすらに物を食い、酒を飲み、陪食する諸将の談論をむっつりした顔で聴いていた。
項梁は、これは馬鹿かな、と不安になったが、しかし話のかんどころで、沁みとおるような笑顔をつくった。
(ばかではない)
と、項梁は安心した。
人の話のどういう場所にユーモアを感ずるかということで、その人の格調が察せられる、というのが、項梁の人間観察のやりかたの一つだった。
項梁は、黥布を大いに優遇し、項羽とともに先鋒大将のひとりに任じた−−
この黥布という男に対しても司馬遼太郎はペンで愛を降り注ぐ。
私に欠けているのはこういうところだと思いました。
私には黥布のような大将としての能力もなければ、彼を登用した項梁のような、人を見る眼もありませんでした。
そして更に司馬遼太郎のように、どんなタイプの人間にも愛情を注ぎ込み本質を描いてやるという観点を持ち合わせてもいません。
司馬遼太郎は、頭でっかちな自己中人間ですら愛して描いています。
石田三成を主人公とした『関ヶ原』や江藤新平の『歳月』など、知略が盛んで嫌われがちなアンチヒーローをも魅力的に描く作品群が、また余りにも素晴らしいです。 クライマックスの一戦だけで劉邦が勝ったとはわからないし、項羽はまだまだ人気出ていいのに。 >>422
どちらかというと項羽中心の物語です
四面楚歌という言葉も、妻の虞美人の物語もあり、項羽こそ滅びのヒーローです
司馬遼太郎だからこそ、劉邦サイドの人間達の魅力も引き出していると思います
司馬遷の「史記」までは読んでないんですけど そうなんだね。だけど主人公を追っても連戦連勝とはいかないから、
勝率より、敗北率を意識してるといずれの側も、兵失うこと少なし、
士気低下もなし。統率も成長すると思います。現代において軍訓ととるなら。 項羽は鬼神のごとく勝ち進むのだけど、それは類い稀な才能のなせる技であり美学であったのでしょう
美学は人に頼まないから、必然独走の道をたどります
鴻門の会で宿敵劉邦の首を取る決定的なチャンスを得ながら、逃してしまい、参謀に愛想をつかれ、もう誰も忠告するも者もいなくなります
自分では何もできない劉邦との違いをくっきり見せています 「四面楚歌」wwwww
あの場に誰が居合わせたというのだ?
お涙頂戴の三文小説がシナの歴史書だ!
碌に読書もしていない学術が、高校漢文の知識で語っていてまったく笑止w あの場に誰が居合わせたかですか?
珍しい反応ですね
史記も日本書紀も歴史検証の重要な資料ではありますが、内容の信憑性だけが価値ではないと思いますが
四面楚歌が漢文の知識?
楚とは項羽の国で、項羽軍が包囲されたときに敵兵の中から楚歌が聞こえてきたことから、自国の民まで敵に回ってしまっている状況を表した言葉ですが、それがやや違うニュアンスで使われ、現在のように「周囲が全て敵=自分が孤立している」という意味で教えられているのかな
とにかく学術が漢文の知識で表現しているのではなく、項羽と劉邦の物語が四面楚歌の語源であることは大丈夫ですか 「四面楚歌」の様子は司馬遷『史記』にある。
漢文で習うだろ。「項王の最後」「四面楚歌」として。
あの場には項羽と虞美人しかいないのに、
いい加減なことを書くもんだw >内容の信憑性だけが価値ではないと思いますが
四面楚歌が漢文の知識?
シナの史書は正確性を重んじた。
高校で漢文を履修しなかったのかよw 前月のカレンダーを栞にしている
いつもファミレスで読書をしている
休日には一日に千ページ読んでいる
ゴールデンウィークには一万三千ページも読んだ
今年になってから100冊以上読んでいる
これからも読書を続けていく >>63
わかるけど、僕は耳栓買って、それでもほとんど変わらなかったから、慣れるしかないなと >>63
都会人の悩みだな
糞田舎の俺は草原に行って屋根下にあるベンチで優雅に読書……と思いきや風が強くて大抵は断念するんだよなあ 小5のときジーキル博士とハイド氏を学校の図書室から借りて読んだ
完全に大人向けの訳で最初は難儀したけど、夜読んでて途中でやめようと思っても恐ろしい画が瞼の裏に浮かんで眠れない
しかもその「恐ろしい画」は誰とも共有できない俺だけのイメージ
結局深夜までかかって読了
これで読書の快感を知った 小学生の時オカルト本読んでたら左のページにこっちを見ている女の顔が描いてあって
右ページを読んでると女の顔がみるみる怖くなる感じで怖かった。
と思ったらこういう現象が起きてたのかも
https://www.youtube.com/watch?v=r0HSqocdNoA 耳栓したら神経質になっちゃっうから敢えて気にしない派
そんな神経質な俺が雑踏の中でもすっと入る文章書く作家はそれだけでもすごいと思う http://goo.gl/RQMz9Z
私はフランツ・カフカも海辺のカフカも好きなもので、このカフカと名乗る青年実業家の始めたビジネスに妙な縁を感じ、彼のビジネスパートナーとなりました。
結果、今ではいつでも好きな場所で生活できる経済力と、自由な時間を手に入れました。最初のインスピレーションを信じることって結構大事なんだな、と思いました。
文学好きの皆さん。
ハワイのビーチでピニャ コラーダを飲みながら、あるいは雪深い山奥の別荘で暖炉の火に照らされながら、思う存分読書に耽りたいと思いませんか?
このビジネスで結果を出せば、そんな生活が夢ではなくなります。 >>442
>ハワイのビーチでピニャ コラーダを飲みながら
たとえ日陰にいても照り返しで目が悪くなるよ
あそこは本を読むような環境ではない ニュースとかサイトとかメディアとかどういうの見てる?
どこ見るかってすごく重要なんだよね
思考が形作られたりするから。まぁメディア見るより現実を充実
させたほうがいいんだろうけど・・・
主には日経新聞だけどそれだけじゃなんか足りないんだよなぁ
ここの人は結構レベル高いと思うけど、どういう所見るの? 皮肉にもスレタイ検索見ると、大体世の中の
流れが分かるんだよね
ただものすごく下らない事や芸能人の発言なんか上に来てるのは完全にダメ 日経新聞
サンスポ
岩波『図書』
絶妙なバランスだと、自分で悦に入っている 最近は各新聞ネットで見られるけど、NYTIMESとか洋字新聞が便利。 やっぱテレビ見ないと世の中の空気が分かりづらい
テレビ壊れて半年くらいたつ テレビは電気お化けとか怖い話があるよ。夏は怪談文学だよね。 本にいくらくらい使うの?
まぁここの人は雑学や勉強ではなく小説か?
月5万くらいあれば5000円くらいは
書籍代に回してもいいかな?それでも新品1500円は高いよなぁ
でも金あったら飯や服に使いたいかも知れない 学術書は高いから借りたいのにそういう本に限って図書館にはないと言うね 論文なんてアクロバットリーディングで読むもんじゃないかね。 同じアパートにFランの馬鹿どもが
住んでて辛いんだわ・・・
声を発すれば頭の悪そうな喋り方をするから
禍々しいオーラを放ってる どこへ行けば誰がいるのか
土地柄場所柄。家とスーパーとラーメン屋くらいしか行かない
仕事は家でやってる
誰とも知り合わない
どこへ行けば優秀な人間がいるんだろう・・・ わかるわ
自分も似たような感じだ
人と知り合いたくて読書会に行ったけど思っていたより面白くなかったな 俺の父親退職して毎日パチンコ行ってるんだが、
家で本やネットやってるとか、何かの練習をしてるとか
より健康的なんだよなぁ・・・
外出てるし、人がいる場所に行くし。パチンカスという皮肉にも
関わらず・・・ 親が単純労働者のギャンブル中毒な家からじゃ
何をやっても成功なんざできようはずもない
本を読む人間になっただけでも、それはすごいことさ 大学教授とかだと別に金稼がなくても
勝手にかなりの額の給料が降ってくるわけかぁ
そりゃ時間を有意義に使えるね 読書する時間が欲しいなあ
未読本が100冊超えちゃってるし 本を読むことと同じくらい
「本について語ったもの」を読んだり聞いたりするの好きだわ
Amazonのレビューとかそれを読んでるだけで数時間は潰せる まぁあのレビューは立ち読みできれば
読む必要ないんだけどね
俺は田舎の人間なんだが、都会にはいろんな仕事をしてる
人間がいるだろうか? 雑談が出来る場所教えてくれ
それなりの人間が集まってる場所で 本を読んでもあんまり集中力が続かないな。1時間も読んだらつかれてしまう。
本を大量に読む人って集中力って切れないの? 人生の時期にもよるし、読む速さにもよると思うけど。 >金あったら本買いたい
嘗ては自分のなかでは本は最も価値があったけど、ブックオフにたたき売りされてるのをしってから
その感覚が薄れてしまった。 >474
マラソンの練習をしていて思うのだけど、苦しい時の壁ってのがいくつかあって、その壁を超えると
楽になる。最初は10kくらい走るのに3つくらい壁を越えていたけど、練習を重ねているとその
壁に気が付かなくなるほど壁が低くなる。読書なんかもそういうふうにして壁を低くしていくのだろ
うかなとは思う。そうすると集中力もついてくるような気がする。でもそこまで読んだことがない。 >本を読むことと同じくらい
>「本について語ったもの」を読んだり聞いたりするの好きだわ
作家の講演が面白い。講演を聴くと身近に感じることができて、そうすると全然興味がなかった作品
が面白く読める。
Amazonのオーディブルにも講演録がいくつかあって結構楽しめた。
自分はまだ文字を読むのがあまり得意ではない。よほど面白い作品でないと入っていけない。でも
朗読だとエリアが一気に広がる。朗読を聴くのは面白いね。 >>473
読むの解釈によるかも。
誰だか教授が自分は年に一冊も読めてるだろうか?とか書いてた。
理解して初めて読んだことになるし難解な本を読んでんだっけかな。 外国語文学や古文漢文の大著、作家の全集を読むとき、
単位時間あたり自分が消化できる情報量、資料を参照しながら
読み進められるのはこのくらい!って思い込みで決めて、
予めペース配分みたいなのを決めると楽しめないことが
多いような気がする……。
子供の時の数学とか英作文の問題集も、クラスや塾で
「1日1章進みましょう」「夏休みに2回解いて点数を記録しよう」
みたいに言われて解いた本は、あちこちやり残しがあったり
前半は真っ黒だけど途中で飽きて後半は答え合わもいいかげん、
みたいに半端なのが多かったように思う。
「全問解いて、○回目で大体わかった。これはおしまい!」
ってなるのは、配られたり買ってきた日から
とにかくワーって解き始めて、勢いで最後までやって、
どんどん2回目3回目って使った本だよね。
勢いでやらないと間違えたとこ忘れちゃうし。
読書もそうだと思う。
全集も、一巻からわーって一度最後まで
読まないと、日記や書簡だけいつまでも残ったりする。 芥川賞とかあるし読む人は多いだろうけど。
俺も小説は基本読まないという… 自分も文学は意味ないと思っていたが、英語で小説を読み始めてから少し変わってきた。
少なくとも英語をある程度マスターしようと思うと文学を読まないと駄目だな。語彙の
豊富さが全然違う。表現力もレベルが格段に高い。子どもの小説でも一般書に比べると
表現力が豊か過ぎて読むのが難しい。
日本語の場合は気が付きにくいが本当の意味では小説が読めない人が多いと思う。
なぜかと言うと読むように訓練されていない。
例えばコミニケーションの下手な人はやはり表現力がない。表現力がないと自己主張が
できない。表現力というのはあらゆる仕事の根幹部分で必要な気がする。自分はエンジニア
だけれども、やはり表現力がないと思考力にも限界が出てくるように思う。ロジカルな
推論ができれば表現力は関係ないように思えるが実が違うと思う。特に粒度の荒い
仕事になるとかなり関係してくると思う。 あーおれオースティンとか好きよ
社会に意味あると思うし
でも一般的な名作は置いといて自分のためのブックリスト作るのってとても大変だよね
何事も結局そうなんだけどさ すこし変かもしれないけど読みにくい小説が好き。
なぜ難解なのか自分なりの答えを出すのが楽しいからかな。 一年間の図書館利用者の延べ数は1億8千万だという
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2017/04/28/1378656_03.pdf
仮に一年で48回利用するとして375万人ということになる
もちろん図書館へ行かずに読書する人もいくらかはいるだろうが
それを加味しておよそ400万人ほどが日本の読書者人口ではないか
2014年の出版実売金額が約6000億円というから
http://www.ajpea.or.jp/statistics/
ざっと一人あたり年間15万円くらい使ってる計算か 毎月1人1万円ほどの勘定になるのかな
家は4人家族だが妻子から回ってくる小説は月平均
十冊前後。一冊千円として総額約一万円だから、
かなり節約してる計算。
まあ、子供は勉強や部活だけならともかく、
マンガと電話にやたら金がかかるからなあ。
夏休みはバカみたいに飲み食いするし電気代は使うし
どっか行くからお金ちょうだいばかりで、
赤字になる一方なんだが。
毎日図書館でおとなしくタダの本読んで、水だけ飲んで
過ごしてくれたら家計も助かって、旅行だって
遊園地だってぜいたくな外食だってできるのに…
ああイライラするぜ 子どものころに読書習慣をつけておくといいよな。読書しないと世界が広がらない。
そういう意味では読書はあまりしなかったな。でも小学校の3,4年くらいの頃親戚で貸本屋
をやってたところが店を閉じた時に、段ボール箱に詰めた本を山のようにもらったことがある。
殆ど読めない本ばかりだったけど、冒険図鑑とかがあって夢中で読んだのを覚えている。 >>484
まあかくいう自分も約半年、事情があって断・小説してるんだけどね
振り返れば、確かに無益だったと感じることもあるかな >491
気が付かないだけでは? というかあるところまで到達してマンネリ化しているのかも。
マンネリ化してしまうとTVドラマや漫画を読んでるのと大差なくなるのかもしれない。
で思うのだけど書いてみると解ることがいろいろあるような気がする。一度小説を書いたことがあるけど
とんでもなく大変だった。でもそれで少し目が開けた気がする。しかし相変わらず小説は読まなかった
けれども、ゆったりした時間が持てればかなり難解な小説でも読んで楽しめそうなそういう自信というか
理解というか共感というか、作家の作品を鑑賞する態度としてかなり注意深くなれるようになった気がする。 俺って言うのは文化人みたいな知的な雰囲気が漂ってて、
あんまりイケてる感じというのがしないんだなぁ 図書館で本を借りても読まないまま期限が来て返すことが多い。だから一度にたくさん借りないように
した。それでも読まないまま期限がくる。要するに読みたいと思った時にすぐに読んでしまうということ
が大事だと思う。だから図書館で読んでしまうことにする。ここでしか読めないと思うとそこで真剣に読む。 図書館は読むのに良いしな。自分ちはテレビやネットやゲームやといろいろあるしな 女との出会いがないけどどうしたいいんだ?
俺の田舎本屋には女はいないな
図書館にはいないことはない。中高生はいる
20代の女はほとんどいないな 娯楽の少ない田舎の住人こそ
本でも読めばいいと思うんだが、
車やパチンコやカラオケやSEXに行っちゃうんだな。
まあ、地方の人間が小説読んでも日本の小説って
東京が舞台のやつばっかで面白くないんだろう >>498
電車が出ると辛い
省略精神で路線が名前だけのやつ
内容も面白くないしまだ時刻表トリックの推理小説の方が勉強になる 田舎の馬鹿どもが本なんか読むはずない
工場労働やって土日はパーっと遊ぶのよ
馬鹿には馬鹿向けの人生が用意されて
いい世の中だなぁと思うよね。そういう人間もちゃんと生きていけるの インテリぶるところから始めてもいいと思う。本は読まなくても買って飾るだけでもいいと思う。
100冊買えばそのうち2,3冊は読む。 なにができるかじゃなくて誰と知り合いかで法人や団体に受け入れられたり
追放を恐れて黒を白にしてたら都会も田舎もどこも変わらないと思うよ
現に都議会にはヤクザの手下上がりがいたし
都民も石原慎太郎とかいう神奈川のボンボンに政治を任せていたじゃない
東京の人間関係がさっぱりして見えるのは
誰が誰とつながっているかわからなないのと
本社や本庁などがあるからで無学な田舎者成分は全くのゼロじゃない
ただ都会的な人が多くてそんな人が生きやすいのは事実だし否定はしないけど
スレに即して言うと文学的人格の敗北は特に場所を選ばないんじゃないかな >>502
都会ってさ
一見すると1人の意見や教養があんなに無力な土地なんてないはずなのになんで文筆家は自信満々なんだろって思ってたんだけど
住んでみてわかったのは感化したりカモに出来る読者の数がはるかに多いからなんだね >>506
お前みたいなのどこにでもいるなあ
単語で全て知ってる面してる無能を今までどれだけ見てきたことかw 文学に関しては皆驚くほど幼稚だと思うよ。ピアノが弾けなくても無能とは言われないが
読書に関してはというか特に文学に限っては日常的な表現力と密接に関連しているので
もしそれが欠落していると他人から悪しざまに無能といわれることがないにしろ、内心では
馬鹿にされていると思う。
文筆家が多くの点で有能だとは思わないし、寧ろ無能をさらけ出している人も多いが
彼らが自信をもっているのは、少なくとも表現力については自信を持っているからだと思う。 >>505
メディアの力っていうのもあるんじゃない
あと人前に出てくる人間は、世間の多くの人より優れてはいることが多い
年収1000万あろうが、3000万あろうが、大都会じゃ
社会に対してそれ程影響力があるわけじゃないが、
有名人なら影響を与えられる。まぁ年収3000万あっても
都会じゃただの人だが、自分の生活は結構忙しいかもしれないね 文筆家が自信あるじゃなくて自信のある人間が文筆家になってるんじゃ ラインに限った話ではないが、表現はできるだけ簡素でスピーディーに伝わるものがよしとされる時代だからね
それが一面的に幼さに見える場合もあろう 自信がないと公に向かって語り掛けるというようなことはできない。
「私は正しいし物事をよく知っている。だから教えてあげよう」というのが一般的に本を書く人の感覚だろう。
ただ書くというのは自分で思っているほど簡単ではなくて、「試しに小説でも書いてみるか」と挑戦してみる
とわが身の能力の無さを思い知ってズタズタになる。
そこからさらに書けるようになるまで書き続けるかどうかではないだろうか? 遠藤周作が小説を書き始めた
ころ小学生でも知っているような漢字が書けなくて大恥をかいたというような話を読んだことがある。大江健三郎
も学生時代に書いた小説があって少し読んだことがあるけれども、読む方が恥ずかしくなって読めないほど稚拙な
ものだった。誰でもそういうレベルから苦労して作家になっていくのだと思う。 >>512
書いている本人がまず小説の力を信じている(または騙されている)という可能性はないだろうか あ〜〜〜、もう、夏が終わっちゃう〜〜〜〜〜〜!
お山のオカルト置いとく。
ちょっと気色悪いけど・・・
★山霧の巻くとき(山岳ホラー)★
http://slib.net/71604
上松煌 作
(プロフィール) http://slib.net/a/21610/
最後のほう、グロ注意?! 自分で思うほどには読書はできない。まず第一に読見たい本が大量にある。第二には読もうとしても理解できない本が大量にある。
第三には読んでも遅々としてすすまない。第四には読んで理解しても片っ端から忘れる。
つまり読書はいつまでたっても憧れのままなのだ。
多くの観光地へ行って思うのは何故こんなつまらないところに大勢の人がくるのだろうか?ということだ。
有名な本も観光地と同じで、「行ったことがある」というだけにすぎない。その本は「読んだことがある」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています