>>523
読書は有害ではないだろうか? 読書とは多くの場合は通読を意味すると思うが、通読で吸収できるにはかなりの
背景が必要だと思う。しかし最初から通読でよしとするなら、その背景が育たない。つまり字面をたどることは
できてもいつまでも読めるようにならない。
 小説を読むような場合にはどうやってノートをとるのだろう? ノートをとると疲れるのはなぜだろうか?
小説から何を吸収しようとするかによると思うが、その根底には読書感想があるからではないだろうか?
思うに通読だけで読書感想を書くのは、かなり難しいのではあるまいか? たぶん小説の最後によくある解説などがその典型
なのかもしれないが、通読だけではとてもそういうレベルのことを書くのはできない。かりにこのレベルのものを書くとする
なら「研究をする」というような意識で臨まない限りは無理だと思う。つまり周辺の数十冊も読み込んで資料を集めて
準備する必要がある。
 読書とは完成された人が取れる手段であって、未完成な人には寧ろ有害かもしれない。あれこれと大量に読書すべき
推薦書を挙げられても、一つとして読むことができなくて焦ったり気落ちするだけだろう。