本や読書について [無断転載禁止]©2ch.net
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線を引く・角を折る・記録を付けるなどの初歩的なことから
遅読速読や蔵書の仕方までなんでもどうぞ 本なんて社会の見方のサンプルだよ。
古いサンプルは破棄されて新しいサンプルが陳列される。
それが延々繰り返されてるだけ。
たまに古いサンプルが見直されて新しい化粧されてでてくるけどね どんどんシンプルになってくるよね。残るのは作家の抱える種 良い酒はマスで飲みたいねw
ストレートでジンを杉の2合枡で飲む。
良いね! 神田外語院とかお茶の水女子大に?医者や看護がいたか?表裏。 趣味読書最強を証明するために俺は今日も読む!そして戦う!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお 僕は村上春樹や村上龍から入りました 気付いたら読書にハマってました https://www.youtube.com/watch?v=AMh5f8xRLRE
73 Questions with Iggy Azalea | Vogue
youtubeでこういうのを見るにつけ「小娘のくせにいいところに住んでしかも受け答えが堂々としてる」
と軽い嫉妬を覚える。
英米は俳優とか芸能人のレベルが高い。日本の俳優の場合は演出家の駒に過ぎないケースが
多いが英米の場合にはアーチストとしての存在感がある。
アーチストになるにせよ、技術者になるにせよ、スポーツ選手になるにせよ、研究者になるにせよ
やはり合理的な方法があるように思う。大迫がアメリカで訓練を積んで初めて日本新記録をだした
ように彼の地には優れた合理的方法論があるように思う。
その合理的方法とは何か? 小娘俳優のレベルが高いこと。それはもっぱら知的な部分だが、これに
関する限りは読書方法は必ず付いて回る。つまりバレエのバーレッスンと同じように彼女たちは毎日
読書のバーレッスンをしていると思う。(もちろん比喩だが、、) >>903
いい本だけが紙で印刷される時代こないかな 何がいい本なのかというと、自分の判断するところの良い本というのはもちろんあるのだが
特に文芸の場合は高い評価を得ているというのは知っていても本当に良い本なのだろうかと
思うことは屡々ある。つまり評価が高いにも関わらず面白くない本が多い。
「面白くないのは読み手のレベルが低いからで、あるレベルに達すれば面白くなる。
そしてそのレベルが高い本が良い本である。」
この論理には納得してしまいそうだが、少しおかしい。子供の本は子供には面白いが
大人が読んでも面白くないのが普通だ。しかし子供の本にも良い本と駄目な本がある。
その本が解る知能レベルで良い本か悪い本かを分けるのは無理がある。そうすると難解な
本ほど良い本ということになってしまう。
良い本とはその人が今尤も必要とする本ということになる。 良書もいいけど害毒に気付かせてくれる悪書もあるにはあるんだろうね。 選集みたいにつづっても毒舌や毒抜きも選別には必要かも。読書の立場も
反省してみる必要が。汚い言葉をかくす必要はない。 六甲もあるよ。六本木もいいけど、六条とか。アウディンアウラだよね。 六甲をムコと読んだ時代もあった。六甲山は登山道の勾配が丁度良いので楽に登れるが、奈良の生駒山は六甲よりかなり低いのにずっと疲れるのは勾配がきついため。
武庫川を挟んでの東の人間(尼崎)は西の人間(西宮)より、大体は何でもずっと優ってるのは何故か。 良い本とは何かを別の角度から考えてみる。例えば英語の勉強についてはどうだろうか?
「英語の勉強をしてマスターすると立派なことである。」 これは良いことである。英語を
マスターした人は自信満々である。しかし本当に良いことだろうか?
というのも実際にマスターするには膨大な時間を消費することになるからだ。仮に英会話
学校に行くとすると、大金を払ってつまらない会話練習を来る日も来る日も繰り返す。
また語彙にしても2万も3万もくだらないゴミのような語彙を憶えなくてはならない。これが
英語学習の中身である。大金と貴重な時間と引き換えにのみ得られるものだとする
と、必ずしも「良いこと」とは言えないように思う。なお且つ大半の人が厖大な時間を費やし
ながらも途中で挫折する。また辛うじてマスターした人であっても、その多くが英語馬鹿と
揶揄されるように、時間と引き換えに失ったものが大きすぎるということが屡々起こる。
英語を学習して習得するものと捉えた時には、それは寧ろ良いことというよりも悪いこと
になるのではあるまいか?
しかし一方で英語を勉強したことは殆どないが気がついたら自然に自在に読み書き
出来て喋れるようになっていたというような人もいる。この人達にとっては英語は正に
宝だ。結局何を引き換えにして得たかということが重要なのだろう。これはまた読書にも
当てはまるように思う。賢くなりたいからという理由で焦燥感に駆られて読むような本は
どんな良い本だとしても良いことにはならない。そもそも良い本などはない。受けてにその
力がなければ言葉のゴミに他ならない。 解ろうと読む勉強を使って読むじゃつまらないよ。
勉強からわかる次元じゃあなあ。反応する読書野を稼働させないと。 「いい本」とは最初からいい本なのではなくて読者によって与えられるものってことか
良き読者によって しみじみするのが「いい本」かなあ。しみじみ読めばしみじみと〜思い出だけが〜 >>920
渡辺昇一先生の「知的生活の方法」か外山滋比古先生の「思考の整理学」にニュアンスは違えど、
似たようなことが書かれてあったと記憶していますが、強く同意します。 話の流れをぶった切るようで悪いけど、新潮文庫のひもって邪魔じゃない? しおりはあった方が嬉しいけどな
邪魔な人もいるんだね 読書家は栄養の知識はあるか?本を読めばすぐに分かる事だが
俺が経済を理解したのは25歳ぐらいの頃
ある程度まともな人間はみんな経済くらい理解してる 栄養は一通り読んで今は体調良いので満足
経済を理解するにはどの本がおすすめ?
たくさんありすぎる いまの最大の問題は本を捨てることだ。本がありすぎて収集がつかない。
将棋が趣味なので「将棋世界」が50冊ぐらいあるが考えてみるとほとんど読んでいない。
しかしこれを捨てるという決断がつかない。情報が詰まっている事は分かっているので。これは一例だが。 >>920
そもそも良い本などはない?
それはさすがに極論ですよね。傑作があり、駄作がある。これは常識でしょう。 古典なんか、ことごとく傑作ばっかりだろう。たしかに受け手側に享受する能力がないだけかも。堀田善衛の「方丈記私記」はいい例だ。誰でも知っているが、本当には読めていない方丈記を、現代的に読むことに成功している。 プラトンの描いたソクラテスを読解したウラジミール・ジャンケレヴィッチの「イロニーの精神」なんかも名著だと思うな。林達夫も影響されて「反語的人間」を書いたそうだが。 >>931
「経済」なんて、漠然として対象が広大すぎるけれども、研究者でもないなら、本よりもテレビのNHK特集の方が素人には分かりやすいな。 >>933
中毒みたいなものじゃないか?
タバコなんて美味しいものじゃなないが、吸ってるうちに美味しくなる。古典はタバコだよ。
聖書なんかが分かりやすい。あの本は相当の摺り込みをしないと理解できるようにはならない。
しかししっかりと摺り込みできるラビについて学べば、聖書は輝き始める。そうやって古典は
伝統的に摺り込みを行ってきている。だから良い本なのだよ。良い銘柄のタバコと同じような
ものだと思うよ。 古典=良い本論を展開しているのは私ではないので、私に振るのはおかしい。私はごく一般的に傑作と凡作の違いがある事を言っているだけで、古典については何も言っていない。言えるほど古典を読んでいる身でもないし。 思い込みという点では同じかもしれない。その制約を誰も免れない。凡作や駄作はやはり
それなりに凡作であり駄作だと思うが、もっと広く名作についても大抵の名作は駄作かもしれない。
努力して書き上げたから名作だというのはおかしい。緻密に書かれているから名作だというのも
可笑しい。未来を予言していたから名作だというのも可笑しい。じゃあ何を基準に名作だという
のだろうか?仮にもし名作であるという基準があるとすれば、その基準に基づいて書きさえすれば
いいのだから、山のように名作が出来上がる。それこそAIでも書ける。工業製品と同じようなもの
だね。それは名作たりえるのだろうか? つまり確実に名作であることは、寧ろ名作ではないことの
証になる。そういう矛盾がありそうだ。 >普通は聖書を古典とは呼ばないと思うけどね。
古いし、ありがたがられているという点では同じことだと思う。古典としての資格がある。 >>941
なにも難しい事ではない。私が読んで感心したら私にとってその本は傑作であり名作だ。どこにも曖昧な点はない。 ここのお題は「本や読書について」だが、これについて考察し、昭和の文人に影響を与えたのは、例えばアランだろうな。 昭和の文人というとずいぶん広いからそのすべてがアランから影響を受けたとはとても法外な主張だろうな。たとえば、森有正などには当てはまるだろうが。 ちょっと検索してみると小林秀雄もアランから影響を受けているんだね。これは知らなかったな。 最近のひとではレヴィナスやジャンケレヴィッチについて深い研究を行なった合田正人氏か。
文人というカテゴリーにはいるのかは知らないが。 正直言って、僕にとってはイロニーの精神が傑作であって、Jの代表作とされる「死」や「徳について」は晦渋にすぎる。
僕の不満はJの初期哲学作品が「イロニー」と「アンリ・ベルクソン」の二つしか翻訳されていない事で、これは片手落ちとしか思えない。 あと、桑原武夫もそうか。アランの影響はかなり大きかったんだね。 ほう、谷川徹三というひともそうなのか。息子のほうが有名だな。谷川俊太郎。 こうしてみると945さんの指摘はかなり正しいようですね。勉強になりました。ただ僕自身はあまりアランの本に傑作を感じたことはないですね。 古典というのは時間の試練に耐えたものと
埋もれていたものを誰かによって発見されたようなものがあるよな
古事記は今みたいに読まれるようになったのは本居宣長が発見したから
聖書もルターが読めと言ってからみんな読み出した
だから聖書は古典です ユダヤ、キリスト教徒以外にも読まれてるしな 聖書は別格。普通古典とは言わない。これ、常識ですよ。 くだくだ説明する気にもなれない。古典と言えば古代ギリシャの文献を指すのがおおもと。聖書は古典とは言わない。 聖書はルターが読めと言い出したから読まれた。だから古典だ?なんという浅薄な理解なのだろう。びっくりするね。 お前こそwikiを100回読みなおせ。物知らずのガキが。 聖書は古典だよ
すぐれた著述や作品で、過去の長い年月にわたって多くの人々の模範となり、また愛好されてきたもの。
(日国)
classicsやclassical studiesには含まれない
それは一般にGreco-Romanが対象
終わり >>960
年取ると恥かくと辛いんだろうねえ
だからまずは調べよう! 低能で常識知らずのうえ粘着なのか?お前なんかと付き合うのは時間の無駄だ。付きまとうのは見苦しいぜ。 Is the Bible a literary classic?
II. The Bible is in the category of classic literature.
Yes: 9 No: 1 (Education)
Yes: 6 No: 0 (Literature)
Yes: 3 No: 0 (Law)
Yes: 18 No: 1 (Total)
Similarly, literary scholars employ criteria for classics that are susceptible to multiple interpretations.
For this reason it is noteworthy that all of the literary scholars in this study assessed the Bible as a classic.
Further, the legal and educational scholars were almost unanimous in assigning to the Bible literary classic status.
In summary, the data have emboldened me to make the following seven statements in response to the research question.
1. The Bible meets the criteria for a literary classic.
2. The Bible can be taught as literature, making it available for use in public education.
3. Since it is not possible to teach all literary classics in the span of elementary and secondary education, it is not imperative that the Bible be included in a public school’s curricula. Is the Bible a literary classic?
II. The Bible is in the category of classic literature.
Yes: 9 No: 1 (Education)
Yes: 6 No: 0 (Literature)
Yes: 3 No: 0 (Law)
Yes: 18 No: 1 (Total)
Similarly, literary scholars employ criteria for classics that are susceptible to multiple interpretations.
For this reason it is noteworthy that all of the literary scholars in this study assessed the Bible as a classic.
Further, the legal and educational scholars were almost unanimous in assigning to the Bible literary classic status.
In summary, the data have emboldened me to make the following seven statements in response to the research question.
1. The Bible meets the criteria for a literary classic.
2. The Bible can be taught as literature, making it available for use in public education.
3. Since it is not possible to teach all literary classics in the span of elementary and secondary education, it is not imperative that the Bible be included in a public school’s curricula. ネットをやってると一度にひとつの事しかできないのだ
本や雑誌をパラパラ捲ると情報量がすごい
ネットだと読み込みの時間分一日30分以上ロスしてると思う
本を買う金がないから色々気になるけど、実際に本を
買える状況になったら、別にネットでも十分じゃんとか思うかも知れんな
特に料理のレシピなんか。
でもできるけどやらないのと、最初から持っていないのでは
話が違ってくる。 小説を読むのは時間の無駄だ。あまりにも時間が掛かりすぎるし、
得るものもない。相当暇な人じゃないとダメだろう
しかも小説の話が通用するのは世間の極々一握り
大半の人間は本すら読まない。本を読む人間は世間の10%ぐらいだろうか? 本読まないとか知的じゃない人間とは話し合わない
見た瞬間に、なんかこいつはちょっと人種が違うな、反りが合わないな
というのが分かる
声質とか喋り方も変なんだよな。そういう人種は 相手にあわせて話題を選べないって自分の引き出しがないだけやん
自分は底の浅い人間ですってこんなとこで主張してどうしたいん なんで馬鹿にあわせて自分がレベル落としてやらなきゃ
ならんのだ?現に俺よりさらに上の人は俺に合わせてくれるかというと
そんな事はなく、上流のコミュニティに住んでいて、一般へは降りてこない
>>969
それしか言えないのか?馬鹿は死ね。ここは本の板だ
喋れない馬鹿は来るな まともな人間からすると馬鹿は存在自体が不快なのだ
見るだけでも嫌だし、接するなんぞ言語道断
合わせるとかじゃなくて、口を交わすこと自体がストレスだ そんな事を言いにきたわけではない。
紙の本読まないとどんどん馬鹿になる気がする
ネットの使い方の問題かも知れんが、本だと外から見れば
何となく内容が分かるし、たくさんストックしとけば
知識量も目に見えるし。知識を所有するわけだ
ネットあれば何でもできるなんてのは間違いで、
せいぜい齧った感じになるのがやっと。
しかも世間の人間はそれで満足してるから、知識が歯抜けな
事を気にしていない。まぁ今は必要な事をそのつど調べる的な
方向に社会全体がシフトしてるけど、昔だって本とかで調べる事は
できたはずだ。やりやすくなっただけで。 その通り。ネットは一覧性が弱いから情報力が低い
>>974は文章が読めないんだろ?w
しかしまともな人間はどこにいるんだろうなぁ
クラシックの会場から駅とか電車乗るとあまりの
人種の違いにくらくらしてくる。会場は金持ちや高学歴が多いのだ
まぁ上品ぶりたい婆も多いけど。 電車乗ると栄養状態が悪そうな人間も
結構見るけど、金掛かる場所にはそういう人は
ほとんどいないのである。みんな健康状態は良さそう よくそんなつまらない話できるね
家族に疎まれてるな >>976
まあわからんでもない
ネット中毒者って現実社会では総じて情弱という ただ時代に合わせて切り貼りスタイルの文体は小説にも増えてきているから本を読めばいいってもんでもないと思うけどな わたしはここでユダヤ教やキリスト教の宣伝をしているのではない。
聖書を知らない以上は世界を理解できないという事実を述べているだけである。
教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術にすぎない論語を読んで身につけるものではない。
論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。
何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、あらたな偏見を自分の中につくるだけに終わる。
そういう人が多すぎる。すると、さきほどの評論家のようにギリシア神話も聖書も区別がつかなくなる程度の頭になってしまうのである。
つまらない誤解がある。聖書は、ユダヤ教やキリスト教に人々を勧誘するための書物ではない。
また、聖書にはありがたい教えばかりが書かれているのでもない。聖書に描かれているのは、人間への神の関わりである。
神はたえず人間にかかわり、教えてきたのである。
法律の原型も神から教えられている。法律の原型は聖書の成立よりも古いハンムラビ法典にあるように思われているが、
他人から害を受けても復讐をせずに賠償ですませよという法律の基本も聖書で教えられている。
為政者や知識人や学者が考案したものではないのだ。世界には聖典だの経典だのというものがあまたあるのだが、
その中でも世界の形成に事実として寄与してきたのは聖書だけである。
キリスト教信者が世界で圧倒的多数を占めたために現代世界が形づくられたわけではない。
世界の土台が聖書にあるのだから、そこに何がどのように書かれているのか知っておくかどうかで世界の見方が変わるのは当然のことだ。
仏教経典をいくら読んだところで世界は少しも理解できない。しかし、聖書を読んでいれば、仏教経典に何が書かれているかさえ理解できるようになるのである。
(白取春彦「勉学術」) ギリシャのお歴々と聖書をまとめて古典と呼ぶのは日本人らしくていいけどな
明治期の西欧思想に傾注していた日本人はそんなヘマを冒さなかっただろうとはいえ 切り貼り作家の分厚い切り貼り大作は壁に投げつけたくなるわ 小説なんかどうでもいいんだけどさ、
知識を得るための本も1500円もするし、
高すぎて普通の人じゃたくさん買うことはできない
月3冊くらいでせいぜいじゃないかな
本屋行ったり、図書館行けばアホみたいな量の本があって
外れを引かない事が重要だけど。あまりにも駄本や極端なタイトルが多すぎる
本屋だったら絶対買わないであろう本も、図書館だと手にとってしまう >>986
司書さんらには審美眼を磨いてもらいたいものだ 読書家なのでなまじ色んな分野の知識を持ちすぎて、
器用貧乏になってる気がする。パンピーは一つの分野だけで
OKとか、基本をやらずいきなり応用分野を学ぶとかやってるわけだが。
テキストとノート使って勉強って言うのもおかしいんだよな
別にノートなんか取る必要なく、読めばいいだけだと思うんだが。
まぁペーパテストで点取るのが目標だと書いて覚える事も重要かも知れんが
図書館とかカフェで勉強してる女は勉強してますアピールか?w まぁ仕事としてやってる専門って言うのが俺にはないわけだ
逆に器用で物知りなので、相手の土俵で勝負できるとか
相手の立場や世界に合わせて合わせてあげると言う事ができてしまう
まぁ一応俺の専門と言うのもあるんだけど、一般人じゃついて
これないし、金儲けの世界で技術を隠す世界だから
他人と話しづらい。教える事になっちゃったりするから。 古典哲学とか自己啓発書の読書は読んで覚え込むのではなく
書いてあることを実現させるために読む そして実現する
というのが一番良いことだと思います
小説や詩集などの文芸ネタは読んで楽しむだけでなく
雑談の引き出しを増やすとか文体模写できるなど
インプットだけでなくアウトプットして他人を喜ばすことができれば良いと思います
いずれにしても日々の生活の中で活用できたらどんなに良いか 文学は役に立たん。そういう話が通用する人間が
世間にどれだけいるか。
自分の分野の本は読むとか本読んで勉強とか
そういうのはあるけど、読書家とか読書自体が趣味とか
そういう人はあんまいないな
つーか自分も多趣味なだけで自分の興味あるものしか
読まないのかも知れん。ただ本を使えばどんな分野にも
アクセスできるから興味の幅は非常に広がる >文学は役に立たん。そういう話が通用する人間が
>世間にどれだけいるか。
これは文学の話が通じる人間が世間にはあまりいないだろうって
意味ね。 同意を欲しているようなコメントばっかだなw
新スレいるのかこんなスレに >>925
あの紐を垂らして本読んでると飼い猫が飛びかかってくるときがある レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。