谷川俊太郎? 僕は、ネロとか20億光年の孤独とか、けっこう良い詩が沢山あると思う

だがこの感覚が西欧の有名な詩には当てはまらないと思うことが多いのはなぜだろ?

西欧人の詩の評価軸の中心には論理性が顕著に機能し、日本の場合はそれほど顕著ではないということか?

哲学だって同様だ、日本の場合だと「無の境地」とか「霊性」とか、なにかしら仏教的な悟りの境地を目指すことになってしまう、

なぜだろう?

西欧語に比べ論理的でないとされる日本語の言語構造が日本人の精神構造になっているということか?