文学理論 10 [無断転載禁止]©2ch.net
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文学における批評や理論について意見や情報を交換するスレッド。 記号学、テクスト論、ナラトロジー、精神分析批評、受容理論、マルクス主義批評 ニュー・クリティシズム、ヌーヴェル・クリティック、テマティック批評、新歴史主義、認知論 などなど。 前スレ 文学理論 9 http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1473726035/ 文学理論 8 http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1456876313/ 文学理論 7 http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1428940593/ 文学理論 6 http://peace.2ch.net/test/read.cgi/book/1411222847/ 文学理論 5 http://peace.2ch.net/test/read.cgi/book/1398531661/ 文学理論 4 http://peace.2ch.net/test/read.cgi/book/1306120505/ 【Literary】文学理論・文学批評V【Theory】 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1189092029/ 【Literary】文学理論2【Teory】 http://pyon.2ch.net/test/read.cgi/book/1111258919/ 文学理論 http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1034435329/ ※入門書 テリー・イーグルトン 『文学とは何か―現代批評理論への招待』 田辺保〔ほか〕編 『文芸批評を学ぶ人のために』 ジョナサン・カラー 『文学理論』 ラマーン・セルデン 『ガイドブック現代文学理論』 ピーター・バリー 『文学理論講義』 フランク・レントリッキア、トマス・マクローリン『現代批評理論―22の基本概念』 フランク・レントリッキ、トマス・マクローリン『続:現代批評理論―+6の基本概念』 フランク・レントリッキア『ニュー・クリティシズム以後の批評理論』上下 廣野由美子 『批評理論入門』 西田谷洋 『学びのエクササイズ文学理論』 >>373 プチ鹿島の教養としてのプロレスを読めばええんでないの? メタルは、バーン周辺のシンコー関連で事足りないのかな? 文系のためのヒップホップ入門みたいなノリが欲しくて聞いてるんですかね? >>374 なんだ宣伝レスか。スレ汚し、失礼しました。 イーグルトンの理論に当てはめた小説とかあるの? すごい難しそうなんだけど 大御所と言われる作家の作品にはその理論が適応されているのだろうか イーグルトンのは文学批評理論だしね。 『文学部唯野教授』筒井康隆 なら、理論にあてはめて。。。いないよな。 下敷きにはなってるけど。 誤読を歴史的存在物としてみていく視点 生産的な誤読なる概念は一旦捨てるべきである アラン・ソーカル論文の誤読は生産的である、しかし論文雑誌の方法性を欠いている クローチェは歴史論理の歴史を歴史叙述と分別した マキャベリは文学的な歴史叙述ではあるが、歴史叙述の伝統や方法において、はるかにヴィーコに劣る 文学においては方法論と実践は矛盾していてもよい、行為と当為は分かたれていてもいい 哲学、歴史学においては実践はそのまま自らの歴史認識と結合し、歴史認識なき歴史叙述はありえない それゆえに、時代を表現するには複数の歴史家、異なった視座と歴史認識を持つ歴史家の叙述が必要になる 個人的日記・役人的記録はそれゆえに、叙述ではない歴史として珍重される ドイツ式図書館とアレキサンドリア式、20世紀後半になって復活し始める図書館との違いを忘れている 現代のアレキサンドリア・プロジェクトとドイツ式図書館は指向が別であること 名前を収集する根拠とするか、内容・権威を収集する根拠とするかの亀裂 ドイツ式図書館は常に選別の思想を持つ、エーコによって燃やされる図書館はまさにドイツ式であり、断じてアレキサンドリア式ではない ボルヘスから離れ、マッハとニーチェを思い出さなくてはならない 選別の思想を成り立たせる根拠は自同律と矛盾律、そして因果律に他ならない これこそは誤読の本質 因果律に抗おうとし続けた一群の小説家たちは、誤読の機制を熟知した人々であった 断絶を滑らかにつなぐ、空白を埋めてしまう偽造の誘惑 体験を経験として連続化する抽象 あえてドイツ歴史主義ではなく、ギリシャ的直線から滑らかにつながる曲線の思想的意義を思い出さなくてはならない この曲線、ダーウィンによって滑らかにつなぎ合わされた連続の時代に抗うのが小説の誕生 ゲーテは教養小説など書いていない、「マイスター」をBildung小説としたのはディルタイというイデオロギーであり、200年にわたる文芸界の誤読なのだ、とは今年二月に初めて翻訳が出版されたヨッヘン・ヘーリッシュが大昔に述べていたことである ほかの登場人物によって誤読され続ける主人公「テレルス」なる「物語の糸」に逆らい続けるデビュー小説を書いたムージルはその後2年にわたってマッハについての博士論文研究に従事したのであった 欧米の文学には理論に当てはまる作品はあるのかもしるないけど 現代の日本の小説に文学理論なんて当てはまるのだろうか? 小説は多少読む方だけど哲学性や理論性なんて感じたことないよ 物語はまんず物語論で語れるだろう 源氏と先行者であるウツボとの相違とかね だから現代も同じ また欧米の村上春樹についての論文はたくさんあるが 既存の文学理論をなんらか援用していないものは あまりないだろうし >>384 間違ってるよ。 感想としてはそれだけ。 間違っているかなんてわからんが ダサいな センスがない 間違っていても もっとかっこいい文章書かないと そこで記号として語られているものは本当に記号なんだろうか? 宗教だったら記号ではなくてシンボルあるいは「しるし」ではないのだろうか。 歴史には血統が欠けているから、繁殖の限界があって よくない面もあると、振り返ってみることもおすすめ。 サラブレッドの血統書を日記風にメモにしてつけようかな。 言語を習得するのに暗記する単語が数千から数万個ってのがあってればいいです。 どうですか? あってるよ 英語の場合 常識的な範囲だと辞書の見出し語で 2000から2万くらいだな ま、おまえら、ちょっと気分転換しろ! ヤマのオカルト置いとく。 ちょっと気色悪いけど・・・ ★山霧の巻くとき(山岳ホラー) http://slib.net/71604 上松煌 作 (プロフィール) http://slib.net/a/21610/ 最後のほう、グロ注意?!! イーグルトンの文学理論むずかしいよ(;_;) 1日かけて50ページほどした読めなかった みんなは頭よさそうだからスラスラ読めるんだろね >>393 頭がよくても悪くても、1日50ページ読めれば十分じゃない? 言語とは一箇の独立した存在であり、人間は成長するとともにそこに参入し、そして参入することによってはじめて人間は人間になれる というわけである。言語は個々の主体が自己を展開する領野として、個々の主体に先立って存在する。そして、言語が「真理」を含むと 言えるのは・・・現実がみずからを「脱・隠蔽化」し、私たちの省察に対してみずからを開示する場が言語であるという意味からそう言 えるのだ。言語とは疑似客観的な出来事であり、また個々の人間に先立って存在する。こうした言語観を展開するハイデガーの思索は、 実に、構造主義の理論と軌を一にしている。(イーグルトン『文学とは何か』:岩波文庫版 、〈上〉P.158) (構造主義の現実観は)現実を本質的に言語の所産とみる。(それは)、ことによると、世界は人間の意識によって構成されるとした古 典的観念論の教えの最新版にすぎぬのではないか。(同、〈上〉P.256) ソシュールの関心の的は、人間が実際に何を語ったかではなく、人間が何かを語ることを可能にする構造のほうだった。(同、〈上〉P.270) 意味というのは、いうなれば、言語それ自身の関数=産物(ファンクシォン)であって、私の心的過程ではないのだ。(同、〈上〉P.268) 言語の所産とみる というのは この間読んだ『近代日本思想の肖像』を思い出す 序論で著者は怪しげなしかし良く聞く主張を 繰り返す それは 日本近代の西洋の概念の輸入消化は語彙を調べれば 失敗であって自分たち日本人の思考の道具にならなかった というもの これはイデオロギー関係なく 戦後の知識人が絶えず切り出す話題だが それらしいかっこいい主張なだけで ロクな根拠はない 言語は無か。文化は有か。歴史アーカイブは罪を祈って解きながら抜き取る。 全部失敗論と 根本的矛盾が解決されないまま論と 超越的な思考がない論は 気をつけないといけないが 飛びつきまくる秀才は後を絶たない 思考の天才はよく歩くし、矛盾の転載は室内でよく動く、成功した天才は セクハラにかなり完璧に気を付けてる。超越神は筆舌に尽くしがたい詩美会。 構造主義 − ノースロップ・フライ ー 新批評家たち 構造主義は構造が機能をはたすために従う一般法則を検証することに関心をよせる。さらにそれはまた、・・・個別現象を一般 法則の実例にすぎぬものへと還元する傾向を示す。・・・(また構造がいかなるシステム成す)その個々の構成単位は、他の構 成単位との関係のなかではじめて意味を持つ・・・。(イーグルトン『文学とは何か』文庫版〈上〉p.226) ノースロップ・フライの批評は、ゆるい意味で言えば「構造主義」と記述することができる。(同上 p.226)(彼の)主張によ れば、文学とは、みずからの外にあるものをいっさい指示しない「自律的言語構造体」であり、現実とは絶縁されて、ただ内部 のみを向いているのであり、この領域が「言語的関係システムのかたちで生と現実とを包摂する」のである。・・・文学は、・ ・・歴史に一貫して流れている集合的ユートピアの夢想であり、それは、根源的な人間の欲望、それも文明を生み出す原動力に なってきたが、文明のなかでは決して満たされることのない欲望の表現なのである。・・・この表現は、人類そのものの集合的 主体に根差しているのであって、そうであればこそ、「原型archetypes」すなわち普遍的な意義をもつ形象を具現化するに至る のである。(同上 pp.222-3) (これに対し)〈新批評〉家たちは、ある重要な意味において、文学が認識であること、そして世界に関する知を生み出すもの であることを認めていた。(同上 p.222) こういう藁人形論法と言われる論法は馬鹿しかしないが、読まずに貶めようとするバカばっかり 自分の感想を書けよ 引用と言うのは思惟的な暴力的な操作 客観からは程遠いことを知った方がいい まぁ原文で読んでいる人間に「それはつまらん」と書くだけのバカよりはいいのだけれど >>401 せっかく自分が読んで感動したところを引用してくれてるんだから、ケチをつけることではないよ。 引用してあるところが気に入らないなら、自分がそこを批判すればいい。 引用?べつに引用しているわけでないし、これを引用とは呼ばないでしょう。 まとめているだけですよ、この板で議論の進展がないかとほんのわずかな希望を抱いてね、 議論があれば自分の理解も深まるしね。 原文?専門家でもないしそれほど英語が達者でもないしね。 先ほどちょっと調べてみたがさる高名な学者はやはり原文で EagletonのLiterary Theoryを読んでいたようだ、 自著のなかで70年代以降の文学批評理論の進展の目覚ましさに触れていたので確認したまでだけど。 だがこのフランス語も極めて達者な彼がフーコーなどは翻訳で読んでいる、 つまり良い翻訳があれば原著で読むより色々な意味において極めて効率的だということ。 かってこれも高名な学者が英語で読むと隔靴掻痒の感が否めない、と書いていたことを思い出すが あなたはよほど英語が達者なんでしょうね。 Literary Theoryを読んでいた学者は英語圏の学者より英語も周辺知識も達者だったんだから、 Eagletonは英語で読んだ方がよく理解できたのだろう。 もっとも翻訳は出版されていなかったし、・・・ということもあるけどね。 記述することができる、 かー 硬いなあ 多分describe それなら 「言い表す」 ですよ >>404 ああ、引用じゃないんだね。 他人による他人の評をまとめたんだね。 僕は>>403 だけど、>>401 に謝らないといけない。 >>401 は正しかった。 His(=Plotinus') life is almost co-extensive with one of the most disastrous periods in Roman history. ..... He turned aside from the spectacle of ruin and misery in the actual world, to contemplate an eternal world of goodness and beauty. In this he was in harmony with all the most serious men of his age. To all of them, Christians and pagans alike, the world of practical affairs seemed to offer no hope, and only the Other World seemed worthy of allegiance. To the Christian, the Other World was the Kingdom of Heaven, to be enjoyed after death; to the Platonist, it was the eternal world of ideas, the real world as opposed to that of illusory appearance. (Russell, History of Western Philosophy, p.) (In) the imagination anything goes that can be imagined, and the limit of the imagination is a totally human world. Here we recapture , in full consciousness, that original lost sense of identity with our surroundings, where there is nothing outside the mind of man, or something identical with the mind of man. Religions present us with visions of eternal and infinite heavens or paradises which have the form of the cities and gardens of human civilization, like the Jerusalem and Eden of the Bible, completely separated from the state of frustration and misery that bulks so large in ordinary life. (Frye, The Educated Imagination) さあみなさん見果てぬ『夏の夜の夢』をまた楽しもうや The lunatic, the lover, and the poet Are of imagination all compact. ユートピアが制限された自由でも自由すぎる。 地獄や天国 現世でも仕事を残して、仕事をすべきだろうな。 >>407-408 ラッセルとフライを対比させたかったの? ラッセルのはただの紹介だし、フライのは言っても言わなくても大して変わらないけど、言わない方が間違えないからまだマシ、といったレベルの戯言だと思うけど? 外界が荒れ狂っている時、人は心のうちに向かう 心が安定し力が充実している時、人は外に向かう フライの時代は世界の破局を思わせるような大戦が立て続けに2度も起こった時代 彼は外の世界があてにできず心の内に永遠の世界を求めたんだよ これはイーグルトンも『文学とは何か』で述べている通り とすればプロティノスも同様でなかったろうか そう思ってラッセルを調べてみるとやはり同じことが書いてある フロイトにも同じ傾向が認められる '(A group) wants to be ruled and oppressed and to fear its masters.' 内に向かう能力のないものは権力に盲従することで心の安定を図るのだ >>412 フロイトのような巨人と並べるのは無理だろw 小物感がハンパじゃないw >>412 なんかフライを勘違いしとるな 「聖書が事実かどうかなど関係ない、それがいかに文学者の想像力に寄与したかだ」 フライ読んでないやろ 英文コピペして引用する前に文脈読んだほうがいいぞ >そう思ってラッセルを調べてみるとやはり同じことが書いてある インターネット時代にこれやると同じように○○と思ったやつがヒットするだけやぞ だれしも中二病を他人に反映したがるもんなんや 英語で引用したいならきちんと全文読破してからにすることやね >「聖書が事実かどうかなど・・・ >>408 にはそんなこと何も触れてないんじゃない >>407 ・408共に、過酷な現実から目そそらし想像の世界に目を向ける彼らの傾向を指摘してるだけじゃない? かつての「柔道」とJudoの関係のようになった日本文学研究 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1113506 大衆がフルコースで文学を味わう時代はもうとっくに終わったよ。 今や記それは憶の痕跡、 スーパーの片隅で昔懐かしの味を売る店の埃をかぶった一品。 しかもそのスーパーさえ廃業を余儀なくされている 大衆って何だったっけのこの時代、 文学はオタク族にとっての嗅ぎたばこ、あるいは毒キノコ。 ナラティヴとテイルの違いがよくわからないな 同じもの? 【脳】成人期の読字学習で脳が変容、研究 [無断転載禁止]©2ch.net ttp://egg.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1496074239/ http://goo.gl/RQMz9Z 私はフランツ・カフカも海辺のカフカも好きなもので、このカフカと名乗る青年実業家の始めたビジネスに妙な縁を感じ、彼のビジネスパートナーとなりました。 結果、今ではいつでも好きな場所で生活できる経済力と、自由な時間を手に入れました。最初のインスピレーションを信じることって結構大事なんだな、と思いました。 文学好きの皆さん。 ハワイのビーチでピニャ コラーダを飲みながら、あるいは雪深い山奥の別荘で暖炉の火に照らされながら、思う存分読書に耽りたいと思いませんか? このビジネスで結果を出せば、そんな生活が夢ではなくなります。 文学部って、詩や小説だけじゃなくて、データとか統計資料を読むっていう方向には行ってないの? 今はテクストよりも、データを読める人のほうが必要とされてると思うんだけど 先のNHKでのクソみたいな因果関係の分析は要するに人間が納得するストーリーか否かという話だろ 因果話がどのように人間に受容されるか、あるいは、風が吹けば桶屋が儲かる……的な話はなぜ胡散臭いのか 人間抜きで文学が成り立つか。 RNAやDNAは文学か。そこに(人間による)文学性をみいだせるか。 応用文学は可能なのか? 文学的対象が「書かれたもの」であるなら応用文学は可能だろうが、 文学的対象を「人間というもの、その存在」とするなら、その主体は文学(先の「文学」とは意味が違う)の向こう側にある。 後者の文学の向こう側を考えるなら、こちら側もある。第三者の側もある。4人称以上を考えるならもっとあるw 「書かれた」ということに重点を置けば、DNAもプレ文学として。。。扱えるかもしれない。 「プレ文学」こそが今世紀の文学(との各種境界分野)の主題かもしれない。などという妄想。 ビット文学と文学の違い、差異。 人工的な機械による文学と自然による文学の違い。 単なる出力・結果ではなく、「読む」ということが「文学」が「文学」である根源とするならば、 「読む」という行為は「再構築」あるいは「記録・記憶」を含む。 そこから「表出・表現」へ進めば「文学」になる。 そう考えると「プレ・プレ文学」としての「読む」ということから、「取り込む」というところまでが「プレ文学」かもしれない。 「取り込み」まではいかないけど「読む」という行為の前段階的な現象。そこからか。 うー。「が」〜「が」を排除しわすれた。「を」〜「が」だろうな。 そこは括弧でくくってから...ということは、内部表現と表出は分けるべきか。 内部表現までが「プレ文学」ということなんだろう。 イーグルトンを「プレ文学」までの段階で解体すると。。。おもしろそう。 イーグルトンには吐き気のするような本が多いし、吐き気の原因が明確になるかも 落語の口演本なんかに影響を受けつつ、明治の作家が言文一致体を完成させたっていうのは有名だけど 実際、その頃出てた口演本を見てみたら、「浮雲」なんかよりもよっぽど現代の日本語に近くて驚いた http://i.imgur.com/ZpjSpHh.png 速記法が西洋から入ってきたのが言文一致体の誕生に一番大きかったんだろなあ >>435 >>431 は、「文学」の定義がおかしいだけなんだよ。 人間抜きの文学とは、 スタニスワフ・レムの『ビット文学の歴史』からの発想だったのだ。 対象が文学作品でない場合でも、「文学として読む」という行為だけで「文学」が成立するのではないかと。 そうすると、文学作品であっても「文学ではないものとして読む」という行為が成り立つw 文学であるかどうかという判定の主導権は読み手側にある。 もはや「文学」の定義はおさまらないけど、いまのところ(わたしが)「文学」としか表現できない何かがあるのではないだろうか。 それが何と呼ばれているのか/それを何と呼ぶべきなのか。 などと超弦理論の本を読んでいる合間に「ぼんやり」と考えた。 >>437 理論を考えるときには、まず定義を決めること。 その定義だけで、大半の疑問は解消する。 機械に文学行為をさせるのが主目的であって、そのような場合の「文学とは何か」を探っているわけです。 人間の「文学」とは違っていてもいいw 明治・大正くらいには、文学研究は突き詰めれば心理学と社会学って言われてて、 そのあと、いろいろあったけど、 言語学や記号学、物語論も心理学の一分野になっちゃったから 結局、文学研究は心理学と社会学に戻っちゃったなぁ 斎藤美奈子が言うには、私小説の流れは今はタレント本が受け継いでいる 有名人・著名人の美談や実話が珍重される世の中になっている 相対的に、専業作家が書いた虚構には、価値が無くなる 社会的な知名度による書籍流通において、金銭を稼げなくなっている イベントの摂取あるいは国民の創出と言う点で、サッカー・ワールド杯を同時に経験するのと、 売れている本なり映画なりを摂取するのは、行為の中核が似ている 共同体とは同じイベントを同時に経験した人間集団だ その内部で流通する共通の「神話」によって繋ぎとめられている集団だ 昔は神話そのものがその役割を果たしていたが、現代ではTVから垂れ流されるタレントのバラエティ番組がその神話の役割を担っている むしろ、一般消費者からしてみれば、どこか遠い天上で繰り広げられている神話そのものだ その「今は」って10年とか20年とか前でしょう? 私小説的な意味なら、まずブログがあって、今はSNSがあるからさ 私小説作家も、「インスタ映え」みたいな感じで、 私小説映えを考えて、わざと無頼な生き方をしたりしてたんだろね それらは日記文学を形成する 古くは紀行 現代は消費社会における購入の度合い・消費の度合い(ポトラッチ)を競う、絵だけの絵日記 まさに神話 その画像がどんなキャプション(説明文)を持っているか、読み解く為のお約束は全世界共通 なので、それらの記号を意図してか知らずか写せば、ただの写真であっても簡単に読解出来る 図像学での事物と同じ で、画像の背後に控える文脈(キャプション)を読み解けるので、画像の再生産が起こる 今も文學界(雑誌名)とかで、作家同士の技術論的な対談とか、インタビューってやってる? ソシュールって、日本でも1928年に「一般言語学講義」の翻訳が出てるのに 作家で読んでた人、少なくとも話題にした人が全然いないのが不思議だ テレビは双方向性がない 多衆においても だから完璧なメディアじゃないよ。 一方通行だから インターラクティブなインターネットの方がいい存在だ。 テレビの人なんて策略人事で落ちていくただの人じゃないの。 テレビで信仰をつなげるかというとまだ本の方が多いし、予後を考えると危険が多い。 >>449 読んだのならわかると思うが、ソシュールの理論は、いわば文法のような言語規範が言語表現の前提としてある、というもの。 文法や言語規範に縛られつつ、文法や言語規範から抜け出そうとする作家にとっては、価値を見出すことができそうもない。 それ以前に、言語理論というものが、作家にとってなにかの指標になることがあるのだろうか? >>451 チョムスキーとごっちゃになってないか? >>454 ソシュール理論のどこを >ソシュールの理論は、いわば文法のような言語規範が言語表現の前提としてある、というもの。 って要約してるのかがよく分からない そもそも、言語規範はラング、小説の文章はパロールだから、 文法や言語規範から抜け出すも何も、ソシュールの言語学では最初っから別物として扱われてるような >>456 ソシュールはラングを前提にしてパロールがあるとしているよ? そしてパロールは言語学の対象としないとも言っている。 ラングというのは、「いわば文法のような言語規範」のことだよ? どう考えても創作には屁の役にも立たないだろうなw 文学評論や唯野先生ならともかく >>457 「言語規範」っていう言葉に誤解があるような気がする。 規範っていっても、ルールという意味ではないし、それに従う必要もない、というのはOK? >>459 ソシュールの言語規範とは、それなくしては表現が成り立たないもの。 ルールのことでもあるし、従わなければならないもの。 ルールとか従うというのを、人為的なものとしてみるのではなく、いわばアプリオリに前提するのがソシュール。 >>460 お互いに同じことを違う言い方で言ってるだけのような、すれ違ってるような…… 辞典の引用を貼っておくから、これで問題ないなら終わりにしよう 【ラング】 ソシュールの用語。彼は複雑で混質的なランガージュ (言語活動) を,ラングとパロールに識別し, ラングを本質的,等質的,社会的な言語体系として規定した。 たとえば日本人が日本語を用いて意志の伝達が可能なのは,成員すべてに等質で共通な日本語の規則が了解されているからであるとする見方である。 ソシュールのラングとパロールの区別の説明には,曖昧な点,修正を要する点はあるが, 言語現象において,繰返し現れるものと,一回的なものとの区別を指摘しようとした功績は大きい。 【パロール】 ソシュールの用語。彼は複雑で混質的なランガージュ (言語活動) を,本質的,社会的,等質的,体系的なラングと, 副次的,個人的,非等質的,遂行的なパロールに分けた。 これは言語研究上,非常に大きな意味をもつが,必ずしも明確に説かれていない部分もあり,数々の論争を引起した。 パロールについていえば, (1) 「個人的」という概念が,個人の発話とか,ラングの個人的使用といった, そのなかに社会習慣的特徴を含んだ意味での「個人的」なのか,社会に対立するばらばらな意味の「個人的」なのか, (2) これと関連して,単語はラングに属するが,文はどちらに属すると考えているのか, (3) 「遂行的」という言葉はほぼ発話にあたる面をさしているようであるが,了解活動は含まれないのか,などの問題がある。 出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 >>461 君と僕では、あきらかにラング(言語規範)の捉え方が違う。 辞書の説明なら僕の指摘どおりだが、君の考えとはずれている。 ソシュールを語るなら、ソシュールを読んでからにして欲しい。 その上で、ラングとはなにかについて議論しよう。 >>458 アマチュア作家の中には、未だに文章の役割が「伝達」だと思ってる人がいるから、 そういう人がソシュールを読めば目からウロコかもしれない。 >>465 ってことは、作者が小説を書く目的は、言いたいことを読者に伝えるためってこと? あれ作者は書きたいことを書いていないの? 遠回しなだけで具体性がないから どうしようもないな 例えば主人公がいて、そのイメージを 思い浮かべながら描写する。それは 文章で視覚的な情報を伝達するためだよ。 伝達じゃなくて何なのだ なお俺は「伝達のみ」とは述べていない。 >>467 「伝達のみ」ではないなら、あとはなに? デリダの差異とエクリチュール読んだが、みごとにしっぱいした。 南が丘文庫 http://www.minamigaoka.info/BOOKS/ Official Homepage 横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。 横浜市立南が丘中学校OB会 >>468 文学以外のものではないものである 小中学生みたいな循環論法だが、こういう考えから形式主義的な評論が書けないか試行錯誤中 ほんとに今更ながらソンタグ「反解釈」読了。面白い。 もう少し形式主義を突き詰めてくれるともっと楽しめたとも思うがそれでも感想は変わらない。 映画と演劇の違い、非視覚的体験(サイレントよりあとのものは音声を含むから)。この辺りから発想したい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる