文学理論 10 [無断転載禁止]©2ch.net
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※入門書
テリー・イーグルトン 『文学とは何か―現代批評理論への招待』
田辺保〔ほか〕編 『文芸批評を学ぶ人のために』
ジョナサン・カラー 『文学理論』
ラマーン・セルデン 『ガイドブック現代文学理論』
ピーター・バリー 『文学理論講義』
フランク・レントリッキア、トマス・マクローリン『現代批評理論―22の基本概念』
フランク・レントリッキ、トマス・マクローリン『続:現代批評理論―+6の基本概念』
フランク・レントリッキア『ニュー・クリティシズム以後の批評理論』上下
廣野由美子 『批評理論入門』
西田谷洋 『学びのエクササイズ文学理論』 >>703
テマティスムの傑作蓮實重彦『夏目漱石論』って最初期に出たもので面白いし今でも言及されてるじゃん
「テマティック」でtwitter内検索すると文学研究者や批評家が「今さら」とか「懐かしの」って言ってるんだよ
テマティック批評とテマティスムは同じものなのかはわからないが
何でまず誰もやらなくなったのか知りたい
単に流行りの問題なのか理論的な問題があるのか個人の才能によるところが大きすぎるのか 手法が蓮實風に思われるからってのも
あるだろうけど軽いマウンティングじゃないのかな
単に俺は知っているって言いたいのかも
実際批評の切り口なんて沢山はないと思う
みんな記号論とか社会分析の組み合わせで 蓮實重彦のテマティスムは「20も32も52も、4で割れます」って言ってるようなもんで、
「4」つまりテーマが見つかれば他の人にも似たようなことはできるかもしれないけど、
「20も32も52も4で割れます」は、よくよく考えるとそんなに面白くないんじゃないか?っていう問題はありそう >>717
数十年先行する話として
地質学者ライエルの自然の斉一説がある
条件が変わらなければ自然は同じことを繰り返すという考え
斉一説はヒュームからの影響も強い
1838年にライエルが出した一般向けの「地質学の基礎」が大流行した
ダーウィンの進化論は斉一説の生物学への適用
ホームズを読んだことがある人には
ライエルの斉一説の言い換えである「現在は過去を読む鍵」は
ホームズのメソッドであることは明瞭だろう
精神史も考えないとこの辺りの文学史は解りづらく単なる流行に見えてしまう >>720
だから流行りではなくなったんだろうね
今や意味がないわけではないけど >>718
単純に、その理論ではなにも解明できなかったからじゃないの?
テマティスムってなんだか知らないんだけど。 >>724
役に立たない理論を抱え込んでもしょうがないだろ? テーマやモチーフというのは、要するに「何がくり返されているのか」ということで
そうなると反復が、そして差異が気になるようになってくるよね >>726
なんか音楽みたいだね。
文学だと、テーマとかモチーフとかいう捉え方自体が、そぐわない気がするんだけどな。 最近の文学理論で流行ってるのある?流行らないと理論自体も廃れるじゃね 狭義の文学理論はね、とっくの昔に廃れているんだよ
イーグルトンがアフターセオリーとか言ったのが2003年だし
広義の文学理論はなくならないだろうけど 理論って自分で言っちゃうあたりナルシズムを感じるね>文学理論 新しい理論もいいけど、既にある理論を普及させていくことも大事かもしれない
広まれば、世の中がもっと良くなりそうな理論ってあるから
個人的に広まって欲しいのは、意味論の「意味とは何なのか」っていう理解と、あと語用論全般かな
テクスト論や解釈共同体の概念も広まって欲しい >>731
理論というのは現実にある物事を分析したものであって、広めるとか排除するとかいうものではないだろ?
適切なら採用されるし、そうでなければ消滅していく。
まして、新しいとか古いとかいうことが問題になることはない。
現状の文学理論が、分析ではなく分類にとどまっているにしても、各層の価値観でふるい分けるような性質のものでもない。 現実は古い新しいが大問題になるミーハーな人が多い分野だけどなw >>733
ミーハーでもあるんだろうが、生活の糧を得るためでもあるんじゃないのかな。
大学教員を目指したり本を出したりするには、キャッチーな雰囲気が必要だから。
文学理論みたいに未成熟というか、一人一説みたいな分野では、新しさしか求められる業績がないのかもしれないw >>732
広めるためにあるわけではないけど、
古今東西、自分が良いと信じた理論は、処刑されてでも広めたくなるのが人情みたいよ。 >>735
誰かが必死で広めてる文学理論には、どんなものがあるの? >>736
フェミニズム理論、ジェンダー論関係の人たちはパワフルだよね >>737
なるほど、社会改革につながるからね。
でも、それは文学理論じゃなくて、社会的な価値観としての思想だよね? >>738
小説内の男性・女性の描かれ方を論じる場合もあるでしょ
「男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望」っていう名著もあるし
乱暴な言い方をすれば、文芸作品の読みに使えれば何でも文学理論になるんじゃないかな
「理論とみなされる著作はもともとの分野を越えて様々な影響を与えるのである(J・カラー)」
ってことで >>739
あてはめる定規の違いで価値が上下してしまう批評は意味ないね 理論は道具だから、それはしゃあない
絶対的な読みなんてものも存在しないし >>742
理論は道具ではなくて、分析の結果だろ?
道具になることもあれば、独立した体系になることもある。
読み方だけの問題でもないし、むしろ、表現そのものの解明だろ? イーグルトンは左翼に立場を持った文学の分類。
カラーは右翼の立場に立って分類。
どちらも分けてみただけ、じゃないかな? >>743
理論は分析の結果っていうのに異論はないけど、何のために理論化するかっていうと、
十中八九はその理論を何らかの形で活用するためだろうから、まぁ道具でもいいだろう? 活用とか実用とかみみっちいな
理論が作れそうだから理論を作り出す
やりたいからやる
それだけだ
応用とか活用とか、そういうセコくてみみっちいのは美意識に反する 今、世界の文学理論や芸術理論で一番流行してる話題を俺が紹介すれば、皆が殺到してし
まうかもな。
たったそれだけで、柄谷、蓮實、浅田らの時代が完全に終わってしまう。
だが、何故それを誰もやらないのか。やろうとしてる奴はかなりいるのだが、止められてるか、黙殺されてるのか?
それが分からない。 >>747
>柄谷、蓮實、浅田らの時代が完全に終わってしまう。
もう終わっているでしょう
彼等の場合は別に方法論が時代遅れというわけではなく
作品読解をアジテーションに利用しているだけだから
まあ、蓮實の場合はそれをさらに裏返しているので
分かりにくさが高尚なものと錯覚されてしまうけど 他人の褌で世の中出てるくせに恥じらいがないよな
本当に恥ずかしい職業だと思う >>750
他人の業績を踏まえない理論は、学問にはならない。
小説などの創作でも、他人の影響を受けない作品はないだろう。
日本の私小説は題材を自分の生活から採るために、個性があるともいえるが、一方では生活など誰でもそうは変わらないという面もある。
恥ずかしくない職業とは、なんだろう? ノーベル文学賞は道徳が受賞の要件だって
話があるが、昔は芸術を語れば自然に社会を
語れたんだよね
でそのつながりが切れたあとも批評家が
両方を一元的に語ろうとするとおかしくなるんじゃ
ないかな
宮台さんの映画批評とかそういう感じ >>752
道徳というのは、時代、地域、思想によってさまざまだよね。
逆にいえば、道徳を語ることでそうした集合を語ることにもなる。
現代は社会としての道徳が多様化してるように見えるけど、文学がそうした価値観から自由であるわけではない。
宮台という人の映画批評はまったく知らない。 ノーベル賞の道徳というのは
「良い道徳に基づかないと取れない」って意味ね
社会というのは作品批評を社会分析そのもの
とみなすことね
ねんのため >>754
その「良い道徳」というのが、さまざまだといってるんだけどね。
もちろん、ノーベル賞選考委員会の良い基準も、委員の地域や思想によって、その年代によってさまざま。
逆にいえば、というのは、作品批評は社会分析につながるという意味。
こちらも、念のために補足しておく必要がありそうなので。 逆にいうと社会学は人間描く作品には無敵かも
なんでもそれらしく語れるから
単なる読み専だと勝てないな >>756
社会学というものを知らないので、レスはしない。
悪しからず。 SFでもジャンルが進展すると社会学に
なるという話があるな
まあたとえ話だが やっぱり読み専はダメだな
批評家は読み専に毛が生えただけだが
毛の分だけは確実に偉い 批評家は職業的に
嫌いなものを読む場合もあるのが強みだな
読み専は好きなものを読むからな
クソを知らない 小説家も相当小説を知らないけどな
書けるというだけで
いい選手がいいコーチになるとは限らないのと一緒 少なくとも小説書いたことない奴の小説のコーチ
は現実問題無理がある 挽馬みたいに五頭立ての奴隷で引っ張るチャリオットを考えればいいだろ
だから評論家はマルクスの構造的に作家からある種の搾取を行う上部構造だ
この社会観だと如何に効率よく作家と作品を搾取するかに評論家の腕が掛かっている
最も搾取した時に経済効率はMAXになって勝利する
作家あるいは作品から経済的価値を絞り出すための仕掛けとして評論を機能させるのが最も都合が良い
資本家―労働者の構図をそのまま当て嵌めると現代資本主義的な金銭的搾取が見えてくる 馬だけではレースに出れないからな
批評家がいなくても小説家は滅びない 小説を書かない人に小説が分かるかどうかっていうのは昔っからある古い話題で、
三島由紀夫は分からないだろうって言ってたけど、対談相手の誰だったかは関係ないだろうって言ってたな
結局は、分かることと分からないことがあるっていう、当たり前のつまらない結論になりそうだけど >>769
三島由紀夫も昔付き合ってた女に
なんでも一流じゃないと気が済まなかったが
名前だけで決めていて歌舞伎の本当の良さが分かるかどうか疑問と死んでから言われてた まぁ、小説にしろ文学理論にしろ、どれだけ詳しくなっても威張れるような種類のものではないから
そこは勘違いしないほうがいいだろうなぁ 詳しいのは危険だね
創作のライフワークを持っているとそれから
解放される 何言ってんだ
名前だけ記号だけで良品と錯覚させるのが文芸だろ
文章の中に実物なんて無いんだから
実より名を有難がらせる手法の追求が文学理論でしょう
なら名前を取るのは当たり前 >>775
理屈が言える時点で、読み専ではないだろ? そもそも理屈のスレだし
言い負けた人が酸っぱい葡萄の論理でで屁理屈と言ってるだけ 屁理屈言うことができれば読み専じゃない
っていう程度の非読み専の内実は
屁理屈言える程度の読み専でしかないよ
なんでも出版社には漱石全て読みました
みたいな読み専が殺到するらしい
無論そういう連中は全部落とされる 基準ではなくて読み専がいかに
物事に暗いかってことだな
バカみたいな設定ノートをもって
ゲーム会社の面接に行くバカがいるらしい
あれ以下だな >>782
おバカな相手と会話するとイライラするという人も多いんだろうが、僕はしない。
おバカさんの必死な姿を見るのも、なかなか面白いものだ。 薄々おのれが読み専だと気付いて
不安になるのだろうね
相手にしない宣言でコミットするのはw
昔のおいらみたい 何でそんなに「読み専」にこだわってるのかがよく分からん
「書いてる自分」に酔ってるみたいだけど、小説を書く人なんて掃いて捨てるほどいるし、
そんなことにプライドを持つのはみっともないぞ 読み専の自分を棚に上げて的はずれな文句が凄いからだろ。小説は誰にでも書けるけど労力の割に売れないし、儲からないから才能ある人材は別の業界を選ぶわな。 >>787
どんな業界だと、表現者が儲かると思うの? >>788
当たり外れがあるけど、表現をしながら稼ぐなら芸能関係かな。詳しくはないけどさ。 >>789
競争率が極めて高いから、小説を書く才能ぐらいではどうにもならないだろ。
お笑い芸人の才能で小説を書くと儲かるかも知れないが。 文学理論に最近興味が出て少し調べてみたけど、結局得られたことはいろんな解釈の方法があるねーぐらいでうーんこのって感じだった
あと、文学理論に関する書籍の中で参照されている既存の理論はどいつもこいつも年代が古いしstate-of-the-artはないのかな...そもそも研究者の数が異様に少ない? おう、だから英語で原初読まないとだめだぞ
翻訳も20年ぐらい遅れてるからな >>792
あ、そうなんだ
まあ文学部廃止されまくってるしさもありなんといった感じだ...
じゃあ、文学の理論分野で有名なカンファレンスやジャーナルってなんかある?知ってたら教えて欲しい。
自称研究者みたいな人の書いた文章はできるだけ避けたいんだ 文学理論の先端って、地球環境とか、障害とか、人種とかでしょ?
翻訳出しても売れないわな >>791
方法論は出尽くしているからね
無限に手法があるわけではない
使われる領域としてはカルスタの
比較文学が今でも一番活発だろう
語りの切り口じゃなくて体系的な理論というと
メンタルスペース理論以降俺は知らない >>795
メンタルスペース理論(認知言語学)というのは、ソシュールの心理学的な置き換えかな?
時枝とか三浦とか吉本の言語理論の方が、しっくりくる。
認知言語系は、どうしても、はじめに言葉ありき、の感覚から抜けられないように見えてしまう。 Critical Inquiry誌でも読みゃいいんじゃね
文学理論は個別に分野もう別れてるから
主要なジャーナルというより分野ごとに
著者追っかけたほうがいいけど 文学理論の先端が何かを知るのは、けっこう簡単で、
要するに、今の世の中で何についての議論が活発なのかを見れば、
そのテーマを語るのに使える理論が、
最先端とは言わないまでも、先端の文学理論になってる場合が多い
必要は発明の母だねぇ 自分はコグニティブスタディで精一杯
アニマルスタディなんて手を出せない
誰かやってくれ >>797>>798
文学理論の定義すら曖昧な現状では、体系的な研究は難しいね。 系的な研究とかそういう状況じゃないしな
ニューロサイエンスやカルスタだのスタイリスティックスだの
コグニティブスタディとの接合、分野を越境しすぎて
日本の現状じゃあ無理無理 >>796
いや合理的な分析方法の提案だよ
思弁的な大風呂敷広げてみました、ではない
>>798
それは切り口だけどなっていつも思うよ
たとえば21世紀の資本に出てくる文学分析は
今っぽいけど新しい理論じゃない >>802
>合理的な分析方法の提案
具体的には? >>801
実際には越境してないけどな
越境っていうのは複数のリテラシーを使うもの
たとえば万葉集を生成で分析という分野があるが
国文法と生成を身につけていないとできない 文学理論とは、結局は分類とそれに伴う視点でしかありえないのかな? >>803
基礎ではないが、その発想は
日本人の論文『物語論における人称の意味』
検索すれば読める
談話が進行するなかでの意味の状況を
記述するという狙いがわかる
いわゆる言語哲学の思索じゃないというのは
『想念・発話のスペース分割による小説の構造解析』
を眺めればわかる >>804
実際に越境してる、例えば
コグニティブスタイリスティックスならコグニティブリングィスティック
とスタイリスティックスとプログラミングと統計の知識がないと無理だし
ニューロサイエンスではfMRI使って読者反応批評的に源氏物語分析するとかやってるし
自閉症の研究者と共同で文学の影響を調べたりなもうこんなの文学理論家だけじゃできないんだよ >>807
それは越境と呼んでもよいな
すまんかったな
ただし、多くはあくまで実験科学の題材に文学を
選んだというので足りていると思わないでもない
たとえばシェイクスピアを読んだ人間の脳波を
調べたとして従来の文学作品研究に深刻な考察を
加えるとは思えない
衛星使って遺跡を発見しまくるみたいなものとは質が違う 読者反応批評、需要美学なんで思いっきり文学理論なんだわ
仮説と実験から読者の反応を調べるってわけだ
そのポジショニングや感情移入のあり方
どういう筋や状況が読者にどういう影響を与えるのか
それが自閉症児の教育にどう及ぼすのかとかそういう話だからな
そしてその手の理論家が文学理論を語ってるのが現状なの >ニューロサイエンスではfMRI使って読者反応批評的に源氏物語分析するとかやってるし
これたぶん勘違いしていると思うんだけどfMRIでは脳のどの部分が活性化しているかしか分からないよ
個別の作品の特性ではなくて、たとえばシェイクスピアを読ませてどの部位が反応するかとかっていう研究でしょう
で、修飾が難しかったりレトリックが多い箇所では普段と違う反応を示すってことを導くんだけど、重要なのはこれで分かるのは修辞的な文章だと脳のどこが反応するかということでしかない
逆に脳のここが反応するからこれは修辞的な文章だっていうことにはならないわけ
つまり脳を知るための研究であっても文学を知るための研究のレベルにまだ達していない
具体的にどこの論文か提示してみてくれる? >>806
ありがとう。
どちらも、言葉の意味の周辺を手探りしているように見える。
前者は、言葉の性質を「難しい言葉で」概念化しようとしてるだけともいえるし、文学がなぜ文学であるのかという問題にはかすりそうもない。
文学(理論)という目標を見失っているのではないだろうか?
後者は概要しか読めなかったので、論評するべきではないと思うが、印象としては前者と変わらない。
新しそうな概念を探しているだけとすら見えてしまう。
こういう視点が流行だとすれば、大学(院)での文学理論は、文学から遠ざかることでしか活路(生活の糧)を見いだせなくなっているのかも知れない。
読み専のなれの果てである文芸評論家の作品批評を超えるのは難しそうだが、若い研究者が研究をすればするほど、作品を読む時間がなくなるのはしかたがない。
作品読むことが大好きな文芸評論家vs作品を読まない文学理論研究者、という構図かな。 >>81
リチャード・パワーズがやってるから読めばいいんじゃね
つか作家のほうが多いよ 脳波を測ると何かがわかるって?その脳波で計測できることしかわからないよ。 それだけわかれば十分だな期待の地平や共感の程度
需要理論が解き明かされる 環境や肉体の状態、心理、知的蓄積、関心などで変化する
文学テクストはもちろんそれを読書という行為で解読する読者も定常化は不可能
もちろん全体化もできない
言語という記号を介して解読されるので傾向性や類似性があるだけで
それでも長文のテクストだと個体間、読解状況で差異が生じる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています