少しだけ真面目に

科学論文には誤読は許されない
著者の意図を誤読しようとするものは、それが科学的ではないことを忘れている
著者の意図は明確に手法に依存しており、手法を意図と切り離して引用することは科学論文という手法を裏切っていることになる
人文学においては議論の論証の手法を切り離して引用することがまかり通っている
しかし、意図と論証の方法は切り離せない
科学論文においては、先駆者の論文は敬意を持って利用され、批判される
批判もまた、そこには引用するに足るものがある、という信頼が前提
何ができ、何ができないかをきちんと織り込んだ論文だけが意味を持つ

科学論文を批判的にきちんと読む能力がない者が、「成果」として実験結果を流用する
それは研究ではないし、実験手法を把握していない論文を引用することは許されないと言う教育を受けていない

fMRIで源氏物語を分析する、そのためにどれだけのリソースが必要か想像ができない
実際に論文を目にしたわけでもなかった(ネットでも見つからない作家の発言らしいが、デマではないそうだ)
脳波検査もfMRIも実際に見たことはなくて、認知科学の実験に立ち会ったこともないのだろう

学際的な研究は、かならずどちらかの専門領域において成果を論文に出す必要がある
それはどれだけ役に立つかを評価できないからではなく、手法がどれだけの限界を有しているかを評価できないからだ
その際の査読者は本当に苦労する、なのに基礎知識のないものが「結論」だけを読んで引用する

科学的思考の基礎ができていない人間の妄想を解きほぐすには、「手法の厳密さ」を問うことから始めなくてはならない
回答として提示されたfMRIの論文は「手法」の限界をきちんと回避したもので、当該の目的には使えず、そもそも理解していないことが分かった
新たに「文学的虚構」と「大衆的読書」の比較をした論文では、どれくらいの統計学的有意性を有している論文かも理解していない
萌芽的研究と再実験を経た確証研究との違いも分かっていない
最先端科学の50%は間違いである、この重みも理解していない
世界中に、間違いだった論文の発展研究をしようとして人生を終える研究者たちがうごめいている
科学をなめるな
              といいたくなる
なんちて