こういう時には、後悔を残さないために、万が一のためのことはすべてすべきだった。

 僕は、母を招き入れるために呼びかけた。けれどもドアは、僕の期待に困惑したように、いつまでもただ、じっとしているだけだった。
 
       ◇
 
 羽田(はねだ)から小樽へと向かう飛行機の中で、僕は、今日の仕事の確認をした。

 所謂(いわゆる)“リアル・アバター”として働くようになってから、もう五年、――いや、六年近くが経(た)っている。アバターではなく、“分身さん”と呼ばれることもある。

 個人事業主としての契約で、その間、登録会社は二度変わったが、僕はこの世界では、例外的な古株だった。

 今でも人間が求められ、且(か)つ、特別な技能を必要としない職業の中では、最低限よりも、大分マシな報酬の部類だと思う。世間的には蔑(さげす)まれてもいるが、依頼者からは感謝されることが多い。

 それでも多くがすぐに辞めてしまうのは、肉体的にも、精神的にも、保(も)たないからだ。

 母は、この仕事を好まなかったが、僕がどうにか続けてこられたのは、母の存在があればこそだった。

 母が僕に、唐突に、安楽死の希望を伝え、その理由に挙げたのも、間接的には、この仕事だったが。……
 
 依頼者は、八十六歳の男性で、手配したのはその息子夫婦だった。“最後の親孝行”にと、要望書の中で説明していたが、実際に面会した折に、その言葉を文字通りに
受け止めるべきであることを察した。「よろしくお願いします。」と、丁寧に頭を下げられたが、僕に本当に任せられるのかを素早く判断しようとする目だった。

 病床に座って僕を出迎えた「若松(わかまつ)さん」という老人は、顴骨(かんこつ)ばかりがふっくらと目立つほどに痩せていたが、目の底にはまだ力があり、意思は
明瞭だった。ただ、僕の仕事については、今ひとつ?(の)み込めていないようだったので、
「簡単に言えば、この体を丸ごとお貸しする仕事です。ご自分の体のように、僕の目を通じて見て、僕の耳で聞いて、僕の足で歩いていただきます。」と説明した。

「本心」 連載第14回 第二章 告白
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