結局、真に「幸福」な一握りの人間にとっては、その他の大半の人間が、どうにか工夫し、本心を偽りながらでも、自分は幸福だ!と信じてくれた方が、ありがたいに違いない。その方が、社会は安定するのだ
から。幸福は、あなたの心の持ちよう次第です、という例のアレだ。貧乏人が、貧しさの中にも幸福を見出(みいだ)してくれれば、こんなに結構なことはない。浅はかな−−それとも悪意だろうか?−−エンジ
ニアが広めた自動修正機能で、過去のどの写真を見ても、不満一つなく、笑顔を見せている自分に、僕たちは、ほっと胸を撫で下ろして生きている。それほど、悪くもない人生だったのではないか、と。

 僕がVF(ヴァーチャル・フィギュア)に求めていたのは、この孤独のささやかな慰安だった。しかし、僕はやはり、知りたいと思っているのだろう。僕を苦しめているのは、わからないということなのだから。

 僕は、本当の母を取り戻したい。「幸福」という呪詛(じゅそ)に汚染されていない姿で。

 母は、僕と一緒にいる時の自分でこそ、死にたいと言った。その願いを叶(かな)えてやれなかった罪悪感は、恐らく一生、消えることがないだろう。

 ところで、僕は死ぬ時、一体、誰と一緒の時の自分で最期を迎えるのだろうか? どの自分であることを望むのだろう? 既に母を失ってしまった今。VFの母に看取(みと)られたいだろうか?…… 
       * 
 母のVFのβ版は、予定通りに完成した。僕はその連絡を喜んだが、納期に間に合わないと謝罪されても、やはり喜んだ気がする。凡(およ)そ、僕の中には素直な気持ちというものが見つからなかった。

 二度目にカンランシャを訪れた時、僕は午前中に一つこなした仕事のせいで疲労困憊(ひろうこんぱい)していた。

 初めての珍しい依頼で、いつもは人の指示通りに動いている僕が、この日は逆に、自宅から指示を出す役目だった。

 依頼者は、最近、緑内障で失明したという初老の男性だった。

「本心」 連載第32回 第三章 再会
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