けっきょくドゥルーズは、古代ギリシア人の文化にしても、
のちのキリスト教文化のニヒリズムとくらべれば完全さにはちょっと足りないので、
いわば、まだ「子供」なのだが、やはり、すでにニヒリズムの「段階」にはあった。
そして、悲劇がさらにそのニヒリズムを洗練させた、ということを重点に論じているのに、
江川訳では、古代ギリシアの文化はすでにニヒリズム(の子供段階)ではあったが、それでもすごく美しいのだ、
というように、あたかもドゥルーズがこの部分で、ニーチェの古代ギリシア賛美、それに重点を置いて論じているかのように
読まれてしまうのではないか、ということを言いたいわけですか。