>>566
>三島の天皇崇拝思想に向き合ったことがないのかな?

我が国の宗教文化上の天皇崇拝思想は
弥陀の人格的顕現が祭祀者たる天皇(現人神)である
つまり祭祀王という位置づけである

三島の場合はこの祭祀行為が観念的分析対象として把握される
つまり日本文化や精神の原基こそが天皇であり
その派生物として我々の精神生活が営まれるという理解であり
もっとも重要なものが三種の神器ということになる

たしかに天皇=祭祀王とした場合、
その基本的性格は祭祀習俗・血統・祭器に分解されるが
三島は祭器を最重視する
しかしこの3つは分離可能なものなのか?
また社会行為としての祭祀を観念的に分析して良いものか?
その時点で聖性に対する冒とくになっているのでは?

そもそも信仰を抱くことと
信仰の効果や分析は別物で
三島が天皇祭祀にたいして信仰を抱いていたとは思えない
彼の理解は非常に形式的なもので
文化人類学者による土人文化に観念的注釈を加えただけの物だろうね