>>798
>年号的なものを自身の人生と重ねた信仰的な思いがあったというのは周知の事柄

そうなの?
まったく知らなかった。
出典は?

>かなり馬鹿にされてる感じ

学生が三島をバカにするのは当然だが、三島自身は百も承知というか、自分で右翼三島をバカにしてたと思うよ。
知識人には左翼が多いから、自分は右翼になったと公言してたくらいだから。
これも、太宰の『パンドラの匣』の一節を思い起こさせる。

>とても和やかには見えなかった

中には本気で三島を右翼だと思って敵対する学生もいたけど、大半は三島の右翼は冗談だと受け止めていた。
三島自身は学生たちに、天皇という言葉が飛び交ったことこそが言霊の力だとか言って煙に巻いていた。
学生の主流は、そうだよね、天皇という指標さえ外してくれれば共闘できるんだよな、といった感じ。

どこをどう見ても、闘いではなく和気あいあいの慣れ合い討論。

僕は三島が愛国心で死んだとは全く思わない。
もっとずっと個人的な感覚にとらわれていたんだと思う。
その意味では、三島は最後まで、太宰の後を追ったといえるかも知れない。