>>975
三島の「美」・・・

三島は黛敏郎に自民党の政治家とは付き合うな、と言っていながら、自分は自民党の大物政治と付き合うのが好きだった。
自民党の大物というのは、すべて「醜」ではないのか?

三島は左翼が強いから自分は天皇を崇拝することに決めた、と言っている。
それは太宰の混乱した時期の作品の真似ではないのか?
真似は「醜」ではないのか?

真似が「美」をもたらすためには、自身の心の中に純粋な「美」への焦燥が必要ではないのか?
三島の作品は、「美」を意図してはいても、「美」への焦燥はない。

三島は、身につけた鎧の重さに耐えられなくなっただけではないのか?