だからヌーヴォーロマンという運動のベクトル自体、「言語実験」と称してやってる事が的外れなんだよ
フランスの文脈ではベケットがトリロジーでそもそも言葉を発せない、という水準まで辿り着いてる訳で、
仮にベケットと「小説の不可能性を追求する」事を主題とした作品とて比較するなら、言葉を発する事自体にまで懐疑が行き届いてないからヌーヴォーロマンはベケットの後退と言えるって話よ
そしてそれが蓮實が筒井を批判したのと似たロジック、リアリズムを前景化する事で逆説的に客観性を強化してるって話でもある

あと今更だが筒井とヌーヴォーロマンを比較するのってどうなん?
あれはどっちかと言えばシュルレアリスム系統の内面記述から偶々モダニズムに辿り着いた作家だろうよ