【ばふりばふり】蓮實重彦 X+2【120度】 [無断転載禁止]©2ch.net
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「ポスト抗体」に参入続々
国内外の製薬企業は、創薬標的の枯渇という大きな課題に直面しています。
急成長する抗体医薬も、標的分子の限界が見え始めており、
数少ないターゲットをめぐる開発競争は熾烈を極めます。
環状ペプチドをはじめとする中分子創薬は、低分子薬や抗体医薬が持つ
さまざまな課題を解決できる可能性があり、実用化されれば新薬創出の機会は大きく広がります。
ペプチドリームは、特殊環状ペプチド医薬品の市場が将来500億ドルを超えるとの見解を示しており、
市場としても有望。「ポスト抗体医薬」としての関心も高まっています。
欧米メガも触手
それだけにここ数年、欧米のメガファーマを中心に、中分子創薬への参入が相次いでいます。
環状ペプチドで世界をリードするペプチドリームの提携相手を見ると、
スイス・ノバルティスや仏サノフィ、英グラクソ・スミスクライン、米メルク、第一三共など、
国内外の大手製薬企業が名を連ねています。
今回、参入を表明した中外製薬は、自社の独自技術で創薬プラットフォームを確立したい考えです。
大量生産技術の確立など実用化に向けて克服すべき課題も少なくありませんが、
今後も参入する企業は相次ぐでしょう。高いポテンシャルを持つ新たなカテゴリーをめぐり、
競争が激化するのは必至です。 寺尾次郎(1955年もしくは1956年 - 2018年6月6日)
手がけた字幕翻訳は、劇場公開作だけでも200作を超え、
そのほかにも多くの映画祭で上映作品の字幕翻訳を手がけている。
デッドゾーン/ デイヴィッド・クローネンバーグ 1983年 /1987年
ラ・ピラート/ ジャック・ドワイヨン 1984年 /1989年
遠い日の家族 Partir, revenir/ クロード・ルルーシュ 1985年 /1989年 ル・シネマ開場第1作
アタラント号 L'Atalante/ ジャン・ヴィゴ 1934年 /1991年
美しき諍い女/ ジャック・リヴェット 1991年 /1992年
欲望の翼/ ウォン・カーウァイ 1990年 /1992年
ゴダールの映画史/ ジャン=リュック・ゴダール 1988年 - 1989年 /1992年
1992年5月20日 - 5月21日、『ゴダールの映画史』の邦題で1988年、1989年に先行して発表された1Aと2Aが、
『第一章 すべての歴史』、『第二章 単独の歴史』としてWOWOWで2日連続放映された。
ローラ Lola/ ジャック・ドゥミ 1960年 /1992年
新ドイツ零年/ ジャン=リュック・ゴダール 1991年 /1993年
ゴダールの決別/ ジャン=リュック・ゴダール 1993年 /1994年
映画というささやかな商売の栄華と衰退/ ジャン=リュック・ゴダール 1986年 /1994年
勝手に逃げろ/人生 ジャン=リュック・ゴダール 1981年 /1995年
モンソーのパン屋の娘 La Boulangère de Monceau/ エリック・ロメール 1963年 /1996年
万事快調/ ジャン=リュック・ゴダール 1966年 /1996年
ポネット/ ジャック・ドワイヨン 1996年 /1997年
SHOAH ショアー/ クロード・ランズマン 1985年 /1997年
美しきセルジュ Le Beau Serge/ クロード・シャブロル 1957年 /1999年
ラ・ジュテ/ クリス・マルケル 1962年 /1999年
はなればなれに/ ジャン=リュック・ゴダール 1964年 /2001年 字幕監修山田宏一
ある子供/ ダルデンヌ兄弟 2005年 /2005年
TAXi4/ ジェラール・クラヴジック 2007年 /2007年
そして、私たちは愛に帰る/ ファティ・アキン 2007年 /2008年
ロルナの祈り/ ダルデンヌ兄弟 2008年 /2009年
我が至上の愛〜アストレとセラドン〜/ エリック・ロメール 2007年 /2009年
ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女/ ニールス・アルデン・オプレウ 2009年 /2010年 Voice 7月号
「映画にとってタバコとは何か」蓮實重彦 蓮實さん茶坊主にもうちょっと人の道も教育しといたほうが良かったですね >>515
>映画批評の頂点に立つ蓮實重彦氏の「たばこと映画」をめぐるインタビューを見逃し
>てはならない。
https://www.php.co.jp/magazine/voice/
PHPのウヨ雑誌に蓮實が登場とは、これは編集者の趣味なのか?
蓮實フォロワーはこの記事だけの為にこのウヨ本を立ち読みor買うのか?
、、自分もわざわざは読まないかも、、(別にフォロワーでもねえし、、)
>>519
蓮實自身はさすがにセクハラとかする人ではないが、、
ただ「人の道を教育」、、さすがにそこまでは面倒見切れないでしょ、、
蓮實はいっけん厳めしいが周囲にフォロワーが集まってくる事には無頓着な面がある。
だから結局は「蓮實一派」みたいになってしまう。
茶坊主、、結局、渡部は永遠の文壇ワナビーなんでしょ。蓮實とか中上健次とか後藤明
生とか、自分が憧憬している相手のフォロワー・友人になる事だけで生きてきた。
筒井康隆だって実は昔はファンだったみたいなね。
そんで結局は若い女の子をコマし損ねて恥さらしか、、ブンガクネタ(サブカル教養ネタ)
で女の子をナンパ、、
やってる事がそこら辺の高校生・大学生みたいだね、、イマドキそういう若い衆がいるのかも分からんが、、 「諸君」には浅田彰も蓮實さんも出たことあるよね
蓮實さんは大学関係のインタビューだったかな 浅田はPHP発行の雑誌でテクノグループのPanasonicが改名させられたことに触れた硬骨漢 恥を知れと泣きながら渡部直己を殴り続ける蓮實重彦
絵になるね! spartacus
@accentdeverite
このマッチョ主義への共依存が「文壇」だとも言いたくなるが、問題は、テクスト論の「繊細な読解」とマッチョ主義の同居にこそある。
テクスト論者は自分が語るのが「荒唐無稽な」「フィクション」であることを忘れれば、ただちに凡庸なテクストの「真理」の代弁者(権威主義者)に堕すからだろう。 蓮實=渡部の批評に潜むマッチ主義は検証されねばなるまい 蓮實に「黙れ、この隠れマッチョ!」と批判するのは有効かどうか 渡部といえば蓮實エピゴーネンの代表
蓮實も大学総長までやったんだからなんかコメント出す責任あるんじゃないか? 申立書によると、女性は2016年、早稲田大文学学術院に入学。
渡部氏に授業の聴講を促され「俺が入学させてやった」などと言われた。その後も作家や作品の評価を巡り一方的にののしられるなどした。
昨年4月には「作品をみてやる」と大学近くの飲食店に呼び出されたが、渡部氏は作品の講評はほとんどせずに「俺の女にしてやる」と複数回迫ったという。
女性は取材に「嫌われると将来がなくなると感じ、ずっと我慢していた。本当に許せない」と訴えている。
蓮實はさすがに自身の美的趣味を絶対化しつつも学生の趣味はそれなりに尊重するよね? 堀禎一:映画に撰ばれた人 得体の知れない繊細さ この本からも漂うそのニュアンス
(「週刊読書人」2015年9月4日、第3105号、7面)
https://pbs.twimg.com/media/DFA5cVtV0AE6wdW.jpg
「知」的放蕩論序説
蓮實 重彦 (著), 渡部 直己 (著), 菅谷 憲興 (著), スガ 秀実 (著), 守中 高明 (著), 城殿 智行 (著)
出版社: 河出書房新社 (2002/10)
「バルトも知らないなんてのは、張り倒す以外にないでしょう。罵倒してもいい。……。
いじめて泣かせる以外に手はないですよ」(P.138-139) 科学的真理ならともかく個人的趣味を権力的な教育の場で学生に押し付けるって許されるんですか? 蓮實のニュース聞かないな。
渡部を罵倒ぐらいして元気をアピールしたらどうなんだ?
或いは渡部の若さを羨むのも良い。 蓮實にそこまでマッチョは感じないけど蓮實のエピゴーネンは途端に偉そうなマッチョな権威主義者みたいになるのはなんでなんかね? >>539蓮實が業界の権限を振り分けるから。その代わり振り分けられた側が実力を見誤って小粒になる。渡部しかり阿部しかり黒澤清しかり 蓮實の次の総長はいろいろ改革して評価高かったみたいだけど、蓮實総長はどうだったの? 黒沢は蓮實の力でポジションを獲得したわけではない。 蓮實は早い段階で自分の間抜けなエピゴーネンに俺の真似するなって一喝すればよかった。 一応渡部は飼い犬なんだから飼い主として一言ぐらい言う義務はあるだろうに 東京のおっさん(ガラケーおじさん)
TOHO日比谷で『万引き家族』。良作。
川の船、親父の手品、女同士のお風呂、散髪などなど前半であまりにも『泥の河』が再生され続けるので、
どう展開するのかと思っていたらちゃんと是枝節に。
泥の河ラストを意識したバスのシーンはさすがにやりすぎと感じたけど面白かった。
2018年6月20日
泥の河 (1981年)
万引き家族(2018年) 「唯野教授」や断筆宣言などを文芸時評や対談などで
否定的に論評していたのにねえ
もちろん渡部直己がかつて評価していたレベルでは評価していたんだろうけど Kentaro_SUZUKI
@suzuken2002
渡部直己の「相手が学生であることを忘れてしまう」という言い方の元は、蓮實重彦流の「映画」なり「テクスト」へのにじり寄りでしょう。
蓮實はまた、駒場寮に住む学生が「学生であることを忘れる」かのように、彼らを弾圧・追放もした。蓮實重彦問題から渡部直己問題を見ることは必要不可欠と考える。 同時に、他者への想像力と心配りも持たなければなりませんでした。
物書きとしての未熟さゆえに、関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまったことを、
改めて深くおわび申し上げます。 ずさんなテキスト読解によって、教授と学生の関係の脱構築に失敗しちゃったね 先生-生徒という固定的な身分に規定された文脈を掻き乱す、仄かな恋の予兆を繊細な注意力によりさりげない身ぶりや言動の中に嗅ぎとったとしても、
現実には何も事を起こさず、相手を実際に口説いたりもせず、「そうであったかもしれない可能性」として自分の中に大事にしまっておくこと
テクスト論者は、実生活ではこうした変態紳士であるべきだな テクスト論の背景にユダヤやイスラムのセックス至上主義があって、それが自慰で性欲を抑制することを阻んでるのではないか?
彼等の割礼は息子の自慰を防ぐためにできた習慣だ。
日本のフェミニストは童貞を馬鹿にするが、哺乳類の世界ではオスがセックスであぶれるのが普通なのだ。
だが、文明国ではポルノやストリップその他風俗があり、男性がそこで性処理を盛んに行うため、強姦犯罪が減ってるという現実を重く見るべきだろう。
イスラム人は短絡的に自慰よりもセックスを選ぶから強姦が増えるのか?
渡部直己なども年も年だし、僅かな性欲を自慰で散らすのが自然だと思うが。 蓮實も修士でヌーベルクリティック風の論文書いて仏文の先生方に叱られてソルボンヌに提出した博士論文はヌーベルクリティックと全く関係ない日和ったやつだったんでしょ。
教授連に抑圧されてやりたいこと出来ない学生の気持ちはわかると思うんだが。 東大の表象文化系は何でアニコニズムの研究者がいないのか。
まあ、俺は世界の秀才たちを追い抜いてアニコニズムの問題を解いてしまった。
だから、天才を自任してるんだがw 白江幸司
安倍体制支持を口にしたものを蛇蝎のごとく憎みそうな左派が
確信的右派である蓮實を容認してるのはマジで謎なので、
昔っからの共和党支持者であり事あるごとに民主党にdisを飛ばし、
映画に民主党っぽさを見つけたら攻撃をしてた蓮實の政治的立場を明るみに出す作業を望む。
トランプの尻馬にのってメリル・ストリープを攻撃するのって、
要は日本における「杉田はやめなくていい、蓮舫しね」の対応物っしょ。
田中秀臣と同程度の右派ってことにしとけやと言いたい。
政治的立場への怒りを「才能ある芸術家は差別的だからいいじゃん」みたいなことで済まされてもなあ。
それ、現状では表現規制反対オルトライトが通ぶるときの常套句なんだが。
蓮實は割とわかりやすく右派アピールしてるんだが、あれやっぱり気づかれてないのか…。
民主党要素のある監督(オリバーストーンなど多数)は一律拒否だし
彼の映画監督選抜って才能主義以外の文脈操作がある。
大統領交代のたびに肯定的/否定的言及はやってるし、むしろあからさまなはずなんだが…。
要は国内政治にコメントをあまりしないから気づかない読者が出てくるってことなんだろうな。
読者の教養のなさをうまく防衛に使ってる
2018年7月25日 あれ?確かにオリバー出てきたころはクソミソだったけどJFKあたりから評価してなかったっけ?
まあキャプラに対しても「ニューディール政策的な理想主義には涙一つ流れない」的なことを言ってたし(うろ覚え)
ゴリゴリの右派なのは間違いない。
ただし、民主党的左派に対する軽蔑はまぎれもないものでありながら、
小川紳介とかストローブ=ユイレとか50年代ハリウッドの左派映画人には惜しみない賛辞を送っているので
「才能主義以外の文脈操作」ってのは違うな。
ハスミンは才能を認めながら評価しなかったり、
逆に才能がないと思いながら、政治的スタンスをもって評価するということもないので。
それならセシル・デミルとかエメリッヒとか褒めてるはずだろw
もっとも柄谷行人にはそのあたり本当はどう思ってるのか聞いてみたいが まあこの程度のなまくらな攻撃では、ハスミンはかゆいとも思わないだろうね。
日大の理事長の首とるよりも難しいよ。言論でハスミンを退治するのは。 ハスミンはほっときゃ腐っていくだけw
古いものを捨てて顧みないのは世界の昔からの常。 早大、教授のセクハラを認定「俺の女にする」愛人発言など
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00000212-sph-soci
早大は27日、女子学生に対するセクハラ発言などで文芸評論家の早稲田大文学学術院の渡部直己教授(66)を解任したと発表した。処分は同日付け。
早大によると、渡辺教授は退職願いを出していたが、調査中のため受理せず解任の処分を下した。
渡辺氏は調査委に対し、セクハラなどの事実関係を認めており、一連の行為について「反省をしている」などと話したという。
調査委員会で認定した事実関係は以下の通り。
〈1〉本人や周囲の学生が気づくほど、足元を見つめる
〈2〉外見について『かわいい』と告げる
〈3〉頻繁に2人きりで食事に行き、自分が箸をつけた料理を食べさせる。食べているものを取る
〈4〉指で肩や背中を押す、頭を触るなどの接触行為
〈5〉私用の買い物を頼む
〈6〉『卒業したら女として扱ってやる』、『俺の女にしてやる』と発言
〈7〉ほかの学生がいる教室で授業中に雨でぬれた服を着替えるよう指示し、本人に『裸だったらどうしようか』と告げる
〈8〉ほかの学生に対するセクハラ行為や業務上知り得た個人情報をほかの学生の前で発言
早大は以上の事実から「本学教員としての適格性を欠き、改善は期待できない」と判断し、解任した。
また、女性は別の教授にセクハラ被害を相談したが、口止めされたと訴えている。早大は同事案についても調査する、としている。 >>560
>〈3〉頻繁に2人きりで食事に行き、自分が箸をつけた料理を食べさせる。
>食べているものを取る
そういえば鳩山邦夫が秘書に食べ残しの魚を食べさせて問題になったが
こういうのも世間的にはハラスメントと受け取られるのだろう
仲の良い友人や恋人以外はやったら駄目なんだな
まあ、渡部自身は仲良しと思っていたんだろうけど 元弟子はこういう風に書いてるけど
電車の中で、当該の記事を読んだときは、頭を抱えたくなった。「渡部先生、やってしまったか」というのが偽らざる感想だった。
渡部直己がある種のスケベ親父であることは、周囲の人間は皆知っている事実だったからだ。
もっともスケベ親父であること、つまり、飲み会の席で下品なギャグを飛ばしたり、他人の恋愛事情に興味津々であったりすることは、
嫌われたりバカにされたりは避けられないとしても、それ自体で罪ではない。
しょうもないが愛すべきおっちゃんだ、という判断はありうるだろう。実際、私にとってはそうだった。
飲んでいるときの渡部直己は、批評家や教員としての評価とは切り離して、「しょうもないが愉快なおっちゃん」だった。
プライベートの渡部がどういう人物かなんて俺はさっぱり知らんかったけど蓮實は普段はどういう感じなのか興味出たw >>556
そういえばスターリン時代に平然と映画を撮っていたことで知られている
アブラム・ロームを高く評価していた
>アブラム・ローム「帝政ロシア時代に生まれた人、大体ハワード・ホークスと同じくらいの年」
「実にうまく共産党と妥協しながらも、最後までメロドラマを撮り続ける」 それにメリル・ストリープに関してはトランプが出てくるはるか以前から
酷評していたのだから仕方がない >そして『未来への迷宮』(アブラム・ローム)だが、当時のソ連で公開禁止となったこの奇妙な傑作は、
モスフィルムのような国策(「社会主義リアリズム」)にそったスタジオではなく、
帝政ロシア時代から続いていた小さなスタジオ(ある意味、資本主義的な)で撮られている。
スターリン時代にこのようなスタジオが存在したというこの事実にまず驚かざるを得ない
(ちなみに蓮實氏はこのスタジオに関する研究書を持っており、
この講演に持ってこようと深夜まで書架を探したが見つからなかったとのこと)。
ただしこのスタジオも1935年には閉ざされることになる。
この映画の、湖畔の大邸宅に住む医学博士の妻がやおら裸体となり、
湖に泳ぎに行く冒頭のショットから見る者は驚かされるが、
その彼女に惹き付けられた若者たちがその周りでいつどのような踊りを見せるのかを
ぜひ見てもらいたい。ハリウッドを真似たとしか思えない豪華な装置なども出てくる
(水に浸された巨大なダンスフロア!)。
http://hj3s-kzu.hatenablog.com/entry/20060318 マクシム・デュ=カンまたは凡庸な芸術家の肖像では、蓮實は1850年の写真家という
職業の登場とポルノの関係に触れてないだろ?
これは俺にいわせりゃイメージの根本的な批評としては致命的な欠点なんだな。
古代より、イメージの創造は最初からポルノの生産と密接に関わって来た。
インドのヤクシ、近東のイナンナ、アシェラ、これらの女神裸像に割れ目が
表現されてるか否かはポルノかどうかの判断基準にもなるだろうが、大体は
描かれてる。
デュカンが近東の旅から多分持ち帰ったであろう売春婦やベリーダンサー達の
ヌードがフランス上流社会の男達を狂喜させたことは先ず間違いない。
それに彼が使ったカメラはダゲレオタイプじゃなくてカロタイプで、両者は
機能が全然違う。 日大の内田理事と同じで、能使だったんだよ。
事務処理に長けている、とかさ。
だいたい、いろいろめんどくさいわけよ、誰かがやっとかなきゃいけない仕事だけど、
俺が別にやらなくても、というのをやってくるから。
あいつにやらしとけ、って重宝するわけ。 >>567
マキシム・デュカンは風景写真しかとっていない(人物写真を撮る技術がない)ことを知っていますか?
20年後に振り返って、当時の写真技術について回顧していますが デュカンの写真機がカロタイプであることは本に大々的に書かれてる
物を知らないで偉そうな口を叩くのは本当に恥ずかしいな >>570
売春宿でヌードを撮ってたことを言える訳ないじゃん。
でも、彼等が売春婦やベリーダンサーと接触してたのは事実。
どんな画家でも秘画というものがあるんだよ。
全員とは言わないがw
写真発明で人間が第一に考えるのはポルノの製造なんだよ、この間抜け野郎w
デュ=カンらは多分有力者たちに土産としてポルノを配ったろう。
>>571
567の、カロタイプ以外の部分はどう見ても偉そうな口を叩く資格がある内容だ。
君は人の粗探しをするだけ。 大体が、567は知らないで書いた欠点はあるが(連載の一部分しか手元にないので推量で書いた)、良いことの面がずっと大きいはずなんだが、それは黙殺される。
5ch文学板には妬みしかないのか。 訂正
571のは、
570→569
571→570 >>577
お前みたいな阿保馬鹿低脳間抜けしかいない、蓮實のファンには。 567、571は鋭い指摘をしてると思う。
デュカンとフローベールはエジプトの同じベリーダンサーと僅かの日を
違えてセックスしてる。
デュカンという男はエジプトの古代史とハーレムの美女達以外の
事には興味なかったらしい。
欧米のポルノブームは写真の登場と同時に始まってる。 マクシムデュカンは今読んだらめちゃくちゃおもしろそう むしろマルチタレントでフローベールより芸術家として上じゃないかと思う
フローベールのほうがわかりやすい芸術家像を追っかけた「凡庸」な人だと思うww というか「凡庸」を否定的な意味で捉えているのがおかしい 蓮實にも理解できてしまう「凡庸な」フローベール
蓮實の理解を超えた人間「天才」デュカン >>32
確かに探せば、佐々木の言説レベルは簡単に見つかるか。
チーム早稲田が佐々木を推してるのかもw 「公爵夫人」って女性器を意味するスラングなの?「伯爵夫人」は? これってどういう意味ですか?
蓮實重彦bot @shigehikohasumi ·
私は、映画は「人類」の文化的な資産ではないと思っています。では誰が映画を作ったかといえば「人間」である 類としての人間ではなく、個体としての人間が作ったという意味でしょう つまり、小津という固有性のある人間が作ったのが映画であって
人間全般が作ったのではない、と言いたいんでしょ つまり溝口や小津がその他大勢の凡人には出来ない
いかにすばらしいものをつくってるかということ?
前後の文章がないと、うーんわかりにくい言い回しだな。 それ、近年の思想業界における人類学流行りへの逆張り 蓮實重彦の保守主義
執筆 茂野介里
先に触れた様に、保守主義とは近代化がある程度、完徹した状態の中でしか生まれない哲学である。
その点でナポレオン三世の登場は、フランスにとっての近代化の完徹であり、
これに対する批評(否定ではない)を書き綴ったフローベールの風俗小説には保守性があると言える。
そして、フローベールから「凡庸」という言葉を抽出した蓮實重彦にとって、
いまだに特権的で普遍的な言説を付与できるであろうと思っている人々に対する否定こそが前提にあるのだ。
蓮實重彦が小林秀雄や吉本隆明といった、
社会に対する背理として「文学」を特権的に語らしめようとする人々に対する否定をしたのは、
これが理由である。社会の外側からなにかを語る言葉がない。
言いかえれば、なにか特権的な言説はなく、全てが凡庸なのだとしたら、なにをもって語りうるのか。
全てが凡庸であるならば、凡庸な一人の人として語らねばならない。
ある種の文学。ある種の哲学のような、全体を説明することが出来る「標語」から語るのではなく、
自分の趣味判断から語らなければならない。だからこそ蓮實重彦は映画の立場から何かを語るのだ。
彼は正しいからこそ映画を肯定する身振りなどしない。
そうではなく、映画を嗜む一人の日本人として、常に映画を擁護する。
彼にとっての保守主義とは、慣れ親しんだ戦前・戦後初期の世界を前提とした映画体験を擁護し、
溝口や小津を生んだ、日本に対する愛を囁き、そして、ここから生まれる「凡庸」視点から、
なにか特権的な身振りで、なにものかを語ろうとする人々や、
すべてが合理化されデオドラント化されていく時代の流れを批評していく立場にある。 おれはフーコーから来ていると思うけどね
『言葉と物』に書かれている「人間」から >>598>>599
スタンス至上主義自体は悪くないと思ってるんだ 蓮實は内容が良ければ
どのように書かれても問題ないという姿勢を
否定していたように思うけど? >彼にとっての保守主義とは、慣れ親しんだ戦前・戦後初期の世界を前提とした映画体験を擁護し、
溝口や小津を生んだ、日本に対する愛を囁き、そして、ここから生まれる「凡庸」視点から、
なにか特権的な身振りで、なにものかを語ろうとする人々や、
すべてが合理化されデオドラント化されていく時代の流れを批評していく立場にある。
それにこういうj立場のものとも違うでしょ
溝口や小津は日本人という類に属しているのではなく、
世界の映画史に属している固有性を持った日本人という立場なんじゃないの?
同様の趣旨でかつて、パラジャーノフをアルメニアから
世界の映画史に取り返そうという趣旨の話を言っていたように思うが >慣れ親しんだ戦前・戦後初期の世界を前提とした映画体験を擁護し、
溝口や小津を生んだ、日本に対する愛を囁き、
こういう姿勢とは無縁のように思うけどねえ 言いたいことがあれば言えばいいんじゃないの?
私に聞かれても答える教養があるかどうかわかりませんから >>605
中身至上主義がスタンス至上主義に置き換わっただけじゃないか、という話。 「内容」をつづり方教室みたいな書き方で書いてもどうしようもないでしょ
大学によってはそんなレベルの授業をやっているところもあるようだけど? 群像2018年10月号(9月7日発売)
定価(税込):980円
蓮實重彦「大震災で映画と出会った男 ―プロデューサー城戸四郎―」
特別対談
筒井康隆×蓮實重彦「同時代の大江健三郎」特別対談
一九二八年のモスクワの街に、日本人が大挙して現れる。歌舞伎の初海外公演がソ連邦の首都で行われる。そのなかに松竹の名プロデューサーがいた。蓮實重彦の評論「大震災で映画と出会った男 ―プロデューサー城戸四郎―」 今見ると、○○を大したことないと思える俺スゲー、でしかないな 中村光夫も細雪ではなく、
春琴抄が谷崎の代表作あるいは最高傑作と谷崎論で書いていたけどね 1930年代の谷崎の10本程度の中短編が
世界的にも充実した作品であるのに比べて
細雪は弛緩した作品であると谷崎についての対談で蓮實は言っている 蓮實の昔の映画批評を読んでると、貶し方が煎じ詰めると「そんなんじゃ世界に通用しないよ」に帰着されるんだよね。 世界的だったかどうかははっきり覚えていないが
ジッドの中短編に対比して1930年代の谷崎の中短編を高く評価していた 浅田と柄谷は蓮實とお喋りはしても蓮實のテマティック批評は歯牙にもかけてない感じだけど内心くだらねと思ってるんだろうか? いやまず浅田は仕事量があまりに少なすぎて比較ができない
本人もそうだろう
柄谷はNAMとそこに至る道筋で何か踏み外したところがあってな
なんだかんだで映画批評で読者層が広く映画界にも弟子がいるところや東大総長を務めるから叶わないよ >>620
映画に関しては世界的かどうかを見定められるくらい世界中の映画を観ているだろうが、
文学はそこまで読んでいるだろうか? >>622
何ズレたこと言ってんだ比較とかの話じゃねーだろw
頭悪いな馬鹿 >>618
蓮實が考える「世界に通用する」とは具体的には黒沢清や青山真治や北野武になるの?
でも所詮は黒沢や青山もカンヌでは傍流の「ある視点」どまりの監督。
北野武も近作はもう相手にもされてない?
「教え子」の中田秀夫もアメリカやイギリスで映画を撮ってはみたが結局は日本に帰ってきてる。
所詮は日本の低予算制作のチマチマした業界から抜け出せなかった人。
実際に「いま世界で通用」しているのは蓮實がずっと冷淡な態度を取ってきた(よね?)
是枝裕和や河P直美なのである。ま、個人的には是枝も河瀬も「知的」ぶった装いで外国人(主にフ
ランス人)を騙しているだけのゴミだとは思うがね。
蓮實は「その国の映画を支える文化的・商業的な土壌、公的な映画政策の是非論」
「基本的なシナリオ・テーマ性の巧拙」、、こういった問題を実は何も語っていない。
前者については一応は一家言ある風でいて、やっぱり具体的には何も言及していないのと同じ。
後者についてもやっぱり何も語らない。むしろ語りたがる人をバカにしてきたよね。
でも愚直でもやっぱりそこは論じていくしかなかったんだけどね。
人に「氏ね」とかは余り言いたくないのだが、生涯を「オレはエライ」自己虚飾だけに
費やしてきたスノッブクソジジイはそろそろ冥土に逝け。 映画祭で賞を取ることが評価のすべてとかあほかw
そもそもマノエル・ド・オリヴェイラはパルムドールなどの賞は取ってませんけど
例えば是枝や河瀬はマノエル・ド・オリヴェイラより上なわけ?
映画の評価は映画祭で賞を取ることとは全く別でしょう
そもそもベネチアで賞を取った北野武のHANABIや
ホウ・シャオシェンの悲情城市は
両者の最良の作品だとは言い難いのが現実でしょう そもそも是枝や河瀬が北野武や黒沢清や青山より上だなんて
映画祭で賞を取ったからってそうだとは言えないのは当たり前だし
そんなことは過去の事例を見ただけでも明らかだが?
ホントあきれ返るわw 大島渚の「戦場のメリークリスマス」やブレッソンの「ラルジャン」を抑えて
今村昌平の「楢山節考」がパルムドールを取ったときは
地元フランスなどでも受賞をかなり批判されたらしいし
別の映画祭で蓮實がブレッソンが受賞しなかったことを批判したら
観客から拍手喝采されたというし
ベルトルッチが大島がとらなかったことを事実上批判して
大島マニアと書いたTシャツを着て別の映画祭に出席したことがあったようだが
そもそも今村昌平が大島渚やブレッソンよりはるかに格落ちの監督であるのは
それこそ国際的に承認されている事実でしょうが 淀川長治は楢山節考は小説は高く評価して映画は酷評していた 映画にしろ小説にしろ蓮實は俗な物語内容は無視するだろ。
それで散文精神なんて言えるのかね?本心では俗なもの嫌ってるんじゃないか? フランス知識人の真似をして、知ってて書かないだけ。 一流映画ライターってことでいいんじゃないの?
文学的にも思想的にも読み継がれる人じゃないでしょ ハリウッドの全盛期の巨匠が通俗極まりない物語の映画を
撮っていたことも知らないのかよ
オーソン・ウェルズの「市民ケーン」がお涙頂戴のメロドラマであることも知らないとは
日活ロマンポルノ通俗ドラマだったし
それを蓮實が評価していたのも知らないとは
そもそもヌーヴェルバーグが当時のフランス映画に対して
アメリカ映画を擁護したものであったということも知らないんじゃないのか
蓮實自身も自分はアメリカ映画で育ったという趣旨の発言もしていたのに
こんな基本的なことも知らないのではどうしようもないな まあでもメロドラマの通俗的な部分を評価するときはそれこそ↑の人みたいに涙無しには見られない、みたいな適当な言い方ですっ飛ばすよね 別にお涙頂戴のメロドラマの部分を評価してるわけじゃないだろ。蓮實があのメロドラマは泣けるとか言って評価してるわけじゃないw
通俗な物語の部分は無視じゃないか テレビの通俗ホームドラマと小津や成瀬の違いは
物語以外の部分しかない
同じ原作・脚本の代物もあるわけだからね
物語なんてしょせんいくつかのパターンに収まるわけだし >>628
温室育ちの都市型ボヘミアンのカルチャー大好き層には大切な人だったと思うけどなあ
実際に今でもそういうクズどもに必要とされてるんだからちょっと言い過ぎじゃないかな >>644
ピントズレの頓珍漢なことしか言えない人に
クズだのなんだの言われる筋合いもないだろうけどね >>628
な、こういう即反応してくれるクズに支えられてるんだよ
こいつらが路頭に迷わないようにもいてくれなきゃ困るんだわ どの内容を撮るかではなく
いかに撮るかだから俗も好尚も基本的には関係ないということでしょ >>646
お前は本当にピントがズレてるから一旦著書読んでこいよw だから本質的に俗を嫌ってるんじゃないかと。
小説や映画みたいな本質的に俗な表現から俗な部分を捨象するのは本人の勝手とは言え 詩や実験映画に対しては単にわからないだけなのに「価値がない」と言いすぎていて、しかも蓮實の尻馬に乗る奴が調子に乗ったのは害悪だった >>651
お前根拠ゼロで言ってるだろw
何をもって本質的なんだよ スガみたいに大島渚より鈴木清順のほうが68年的で
大島はそれ以前であるという見方はありうるだろうけどね 物語形式の表現なんて本質的に俗でしょ。当たり前じゃないの。何聞きたいの? 通俗の質が一つとでも思ってんのかね?
俗なもの全般を嫌うことなんてできるわけねーじゃん
当たり前だろw 蓮實さんがこないだのインタビューでブランショは散文のフィクションが持つ通俗性に耐えられなかったんじゃないかと言ってて何か違和感があった。
ブランショは確かにそうかもしれない。しかし蓮實さんの批評は散文あるいは映像によるフィクションからフィクション性や通俗性をカッコに入れて乱暴に言えば小説や映画を美術品か工芸品みたいに扱うのが肝だったわけでしょ?
確かに小説や映画を擁護してるのかもしれない。でも通俗性を擁護してるとは思えないんだよなという。 蓮實のブランショ嫌いは、たんなるユダヤ差別だと思うよ
仏文そういうやつ多い 過剰にありがたがるのは間違いで、
フローベール主義ならではの限界は知っておくべき >>657
それでいうなら真に通俗性を擁護するためにこそ記号にとどまることのない事物に目を向け続けることにしたというべきでしょ
持ち合わせた品性の「限界」を倫理的な一線として提示することで啓蒙もしつつね あの大袈裟な文章はギャグでやってるんでしょ?
蓮實の優れたところはユーモアのセンスで、エピゴーネンが駄目なのはユーモアセンスは真似できないから。 >>657
>ブランショは散文のフィクションが持つ通俗性に
>耐えられなかったんじゃないかと言ってて
それは蓮實重彦自身にも当てはまる事だと思いますが まあゴダールから通俗メロドラマまで物語内容や思想性(!)を無視する姿勢は一貫してるし内容主義的批評へのアンチテーゼではあったんでしょうが
でも唐突に68年は情念嫌いのゴダールと鈴木清順の時代だったなんてことも言いますが ttps://youtu.be/fenP1tJB9e4
これ見て思ったがこの爺の芸風はもはやコントやな >>643
丸谷、春樹みたいな定型的な物語の小説は批判したのに映画はなんで批判しないの?
定型的な物語の映画は許される理由ってなんなの? 通俗性も他者性も抹消されるのが蓮實の批評でしょう
そういえば草野進の野球批評も他者性に関わる勝ち負けという非対称性も抹消される >>671
ただ単に好みだなそれだとしかも狭いし根は映画ライターなんじゃね >>670
蓮實の長ったらしい駄文よりこのギャグの方が遥かに面白い 万国の物語批判論者よ世界中に悪しき物語を垂れ流す映画を徹底的に批判せよ! 蓮實はアドルノの文化産業批判にはどういうスタンスなの?全面的に批判的なのか映画なんて馬鹿が作ってるけど一部の監督の動物的な映像センスだけは愛でましょうよってスタンスなのか?馬鹿なプロ野球選手の動物的な運動性を擁護したように。 あと気になったのは谷崎の小説は映画化しにくいが川端の小説は映画化しやすい。川端は自堕落に時代と同調してるからみたいなこと言っててやっぱり映画なんて監督の映像センス以外は本当くだらないもんだってのが本音だろう。 丹野達弥という映画評論家をご存知だろうか?
今こそ彼は再評価されるべきである >>678
知ってるよそのくらいw言いたいことはそういうことじゃないってこともわからない馬鹿なんだろうけどさw まるで映像にエクリチュールが成り立たないみたいな言い草
映像センスなんて言われたら蓮實も立つ瀬がないだろwwww
それとしにくいとしやすいをできないとできると同一視しないほうがいいぞ 映像のエクリチュールが成り立ったら何だって言うの? 普通に考えたら馬鹿馬鹿しくも面白いインテリはちょっと躊躇しちゃうようなハリウッド映画の楽しみ方を教えてくれたのが蓮實先生 映画全く観ていない背伸びした中学生かなんかが混じってるのかな
蓮實が言ってることを曲解ばかりしてる人がいるけどなんのつもりなんだろう 蓮實の映画感想文を読む暇があるなら
もっと沢山映画を観なさい
空いた時間には家の掃除でもしなさい
人生は短い
時間は有意義な使い方をしないと >>683
いくつか知らんけどハリウッド映画の楽しみ方なんかみんな知ってただろ
蓮實に教えてもらったとか言っちゃうのはドがつくほどのカマトト
本気だとしたら、せいぜい現在20代〜30代の高偏差値無教養の典型みたいな奴しかいねーわなw >>690
言葉というのは対象ありきなんだよ
悔しいのは分かるけどその恥ずかしいフレーズを引き出した>>683の恥を忘れないようにw ゲーテも言ってるが
気取った文体で物を書く奴はアホだと >>697
だからショーペンハウアーって訂正してるじゃん >>692
「オレたちは偏差値は低いけど教養はあるんだい!」ってか?
偏差値が低いやつに文化なんか語れないって とどう読んでも頭の悪そう(頑張って偏差値65くらい?w)な人がなんか言ってます >>700
オレは東大卒だけどあなたは?
蓮實の講義も受けたことあるけど >>701
もちろん同じだよ、総長時代のね
まさか蓮實にハリウッド映画の見方を教わったとか言ってた無教養丸出しの人じゃないよね?w
そういうバカを何より軽蔑してたでしょ、あの人 おまえら、ユリイカの蓮實特集で講義の思い出寄稿してた、「頭のいいバカ」の仲間だろw >>702
うん、そんなことはオレは書いてないけどね >>704
そりゃあよかった
「普通に考えたらインテリは躊躇しちゃう」
こんな素っ頓狂なことを自分で言うようになったら終わりだもんな 勉強ばかりしていてサブカルに疎い学生向けの講義でしょう
田中優子が中年になってからカムイ伝を読んだみたいに 蓮實かぶれの映画ヲタは気持ち悪いよな。映画たくさん見てる自分は特別みたいな幼稚なナルシシズム丸出しで。
他のサブカルの漫画やアニメやロックとかのヲタ的サークルでも知識自慢の競争は繰り広げられてるんだろうけど蓮實サークルに入りたい蓮實の口真似映画ヲタは妙に偉そうで笑ってしまう。 東大出てないとクソみたいなことを言い放っているのも、ほかに取り柄がない哀れな日常があるから 蓮實の大袈裟な煽りを真に受けちゃうちょっぴり純だけど才能もなく頭もイマイチだった人じゃないの?w 浅田彰も蓮實に幻惑されるのは田舎者の馬鹿とか言ってなかったっけ?
蓮實ヲタは純朴な田舎者なんだよw 田舎者とか馬鹿とかは軽薄な批判じゃんw
田舎者の馬鹿が凄いことをやることもあるわけで。
残念ながら蓮實は世界的には凡庸な田舎者の馬鹿の可能性が高いが、
浅田だって軽薄浅知恵の都会人のような。 人が作った物にたかって糞をするのが評論家、というある映画の台詞が思い浮かぶ
蓮實は武の映画好きだが武は蓮實のことは嫌いだろう 町山智浩が影響を受けた映画評論家としては、川本三郎、石上三登志、双葉十三郎、増淵健、蓮實重彦、山田宏一、淀川長治らの名前を挙げている。
蓮實について、「1970年代に雑誌『映画芸術』でB級映画を褒めていたころは好きだったが、映画『スカーフェイス』に対する「下品だ」との評を見てはらわたが煮えくりかえった」と語っている。
ある意味健全な映画ヲタだな。蓮實ヲタは自分が好きな映画を蓮實が腐したら好きだったこと黒歴史にしちゃうんじゃない?w 町山はオイラ系なので
ビートたけしが森繁を茶化してたような感じでヤンチャな自分をイメージしてるだけ。
「蓮實=権威」という前提ありきの甘え。 蓮實も饗宴かに載ってたインタビューによるとハリウッドのB級映画的なもの好きだったけどカイエとかのフランスの動向知るまでは確信犯的にはなれなかったみたいだからな >>717
町山はキューバ移民で成り上がっていくアル・パチーノの主人公を
(在日の自分と同化して)下品と言われたと思って怒ってたけど
蓮實らは演出のことを下品と言ってるから町山の(意図的)誤解だ
自分はスカーフェイスはB級映画としてあれで良いと思うけど 町山が何が好きか誰も興味ないんだが
わざわざ寄ってくるんだよな 長い間教師をしてきた私の結論は、依怙贔屓によってしか人は伸びないということです。私ははじめから自分は依怙贔屓でゆくと公言している。
個々の学生の潜在的な素質が見えてきた段階からは、教育的な配慮を平等には振り撒かないということです。(蓮實重彦)
みんな、文学は教えられないというけど、文学の教育は可能なんです。日本では、文学教育のプロフェッショナルがいなかったというだけのことです。
文学部系のアカデミズムがあまありにも弱体だったので、教育が機能しなかったのであり、そのうち、みんががあきらめちゃった。
これは、不幸なことですよね。これが有効に機能していたら、いまの批評家の半分は批評家にならずにすんだと思う。
自分の趣味とは関係なく、文学の名において、おまえは才能がないと言う人がいなかったんです。(蓮實重彦) 蓮實に可愛がられたやつで才能皆無のやつを何人も知ってるからなあ… >>717
そう言ってたのに蓮實に褒められた途端喜んで
「本当は蓮實に影響受けてて好きだった」と手の平を返した
そこは超全としてろよと思った
>>728
どなた?
黒沢清も青山も映画は良いんだけど
あの蓮實一派みたいな感じで仲良くしてるのは嫌な感じがする >>729
自分の好きなものを貶されると激昂し、褒められるとゴロニャンとなる
町山らしいじゃん 映画秘宝
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2018年11月1日 >>728
依怙贔屓しないと伸びないとは申しましたが依怙贔屓すれば伸びるとは一言も言っておりません >>728
蓮實センセイはバカをバカにする割には意外とバカが好きなんですよ(すみませんややこしい言い方で)
はっきり言うと自分を慕ってくれるバカには甘い処がある。
amazonか何処かの書評で「蓮實センセイはたぶん実子との仲が良くない」「だから自分の
周囲に疑似息子娘を集めたがる」みたいに言われてたね。
ちなみにその実の息子さんも早く亡くなっちゃったんだよな、、
>>731
マジメな話、映画雑誌はもう全然売れない。昔からそんなに売れなかったが今はもっと
売れない。
「売れない」中で何か企画考えるべえ、ちょうどヴェーラと連動していっそ蓮實センセイ
とかどうよ?、、とか駄目元で逝ったら意外とOKだったという事でしょうかね?
案外にヴェーラから打診されての記事かもね。
蓮實センセイは昔から意外と腰が軽いので、、要するに「ボク蓮實を持ち上げてくれる」
処なら何処でもいいんだよね、この人、、
処で今の都内のシネフィル事情ってどうなってるのだろう?
私は今は都内にいない。ま、仮にいてもとっくにあの辺からは足は洗ったが。
あんなもんに通い詰める人生など誰もが続けられるわけでもなく、続けている者は大抵は
実人生は不幸である。
蓮實も息子さんは亡くなり、実の処はどうなのかね、、
渡辺武信などは本業は建築家のリア充だが、、小林信彦も人格的には決して円満な人ではないというし、、
四方田犬彦も人格面での噂が何かと多い人ですからね、、
一般日本人の映画館離れは問題とは思いますが(いま日本人の映画館利用回数=1年1回
他の先進国=2〜4回 アメ人・韓国人=4回)、そこで一足飛びにシネフィリーを
啓蒙しても真に受けた者は大抵は不幸である、、\(^o^)/ >>729
>あの蓮實一派みたいな感じで仲良くしてるのは嫌な感じ
これは篠崎とかも含めてだけど、あの辺の人たちは昔の大学映研的「身内」の馴れ合いの
中でしかもう生きれないんだよ。
実際、学生時代からずっと知り合いという場合も多いしね(黒沢・青山・篠崎とかが
どうだったかは忘れましたが)
その中でいまだにダラダラと映画マニア談義をして、互いに作品を撮ったら一応は観て、、
みたいな付き合いしか出来ない。
論より証拠、都内辺りなら何処かのシネマテークや映画祭であの辺の人たちがロビーの
隅っこで駄弁っている場面には普通に出くわす事ができると思う。
黒沢や青山が実際にいまだにその辺に顔を出すかは知らないが、まあ比喩としてね。
本人たちも好き嫌いではなくもう脱け出せないだけ。
何時までも延々と昔からの人間関係がついて回る、シネフィルなんかちっとも自由じゃないよ。
それが嫌なら「姿を消す」しかない。映画が好きだからこそ「上映」の場から遠ざかって
自分ちでDVDやBSCSやネトフリでも観てるしかない。 今はそういうやつ減ったのかも知れないけど、いかに自分の思考を蓮實のクローンのごとく仕立て上げられたかを誇る気味の悪い連中が昔はよくいたもんだった
言っちゃなんだが、低学歴なやつに多かった。なんでだろう? Twitterでもたまに見かけるが、口調つうか文体とかも蓮實調になるんだよそいつら 渡部とか阿部とか蓮實もどき文体の奴らを寵愛するからな
茶坊主好きのお山の大将気質なんやろな 阿部和重の最初の小説読んで背中ゾゾゾとした思い出w
こんな柄谷蓮實クローン恥ずかしだったなw >>736
このスレにいるやつは知らんだろうけど、河添剛という音楽ライターがいて、そいつがまさにそう 大江が渡辺に嘱望され、蓮實は渡辺一夫から期待されていなかった?
まあそれも当然かw 黒沢清の文章はうまい。
サンダンス滞在日誌なんて
平易な文体で人々を魅力的に描いている。
無名の人物すら、まるで小説の登場人物のように名前を覚えさせてしまう。 >>734>>735
もう…一言一句が正にその通り、返す言葉は全くありません。あなたの文章を読んでて眩暈がするほどです。
私は都内住みですが神保町もヴェーラも新文芸座も老人だらけ、かつてのシネフィルが歳をとった成れの果てだろうか?若い世代の参入は見当たりません。 蓮實に断罪された作家の映画の面白さを見つけて反逆する取り巻きがいなかったのが蓮實の不幸 いやはや既に言われてる通りオウム真理教そのもの。みんなグルになりたくて近づきたくて跳び跳ねてるのが蓮實一派。奴らの頭をよく見てみると脳波を受け取るヘッドギアの痕跡が透けて見えるようだ 蓮實(派)に断罪されてもなんともなくなってきたわ
明らかに「画面を見ること」において劣っているのは蓮實虫だから 蓮実の文章のことだね。
大江と古井由吉が同年代だったら誰でも劣等感の虜になるわ 劣等感の虜なのは昔柄谷がからかい気味に確か「反文学論」に書いていたが
東大の頭脳を結集すれば大江を超える作家がこの東大に必ず出るはずだという趣旨のことを
確か東大の同人誌(帝国文学?)か何かにその昔書いていた(発言していた?)
今は老人のその東大生たちのほうが嫉妬の虜でしょうw >>744
シンプルな言葉で文章書けるのは憧れるよな。 知性ってそういうもんだと思う。熟語や慣用句を沢山知ってる事が知性ではない。 難しいことを簡単に説明できる人は頭がいい
難しいことを難しく書く奴はry
気取った文体で書く奴にロクなのいない 蓮実のあの文体はユーモアだろ
大学人としての行政文書も同じ様に書いてるわけじゃない 蓮實ヲタって耳栓して字幕も見ないようにして映画見てるのけ? 今日発売日だったか
近所の本屋に寄っていくの忘れた いまだに目の仇にされる批評家ってだけで原液ピュッピュだ。 所詮シネフィルなんて幻想だよ
実体なんてありゃしやしない ロッカーと同じ事、いつかはいなくなる
今がその時だね >>763
目の仇路線でいくならナベツネの方が格上になる >>761
映画秘宝28
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/movie/1535285575/
790 名無シネマ
2018/11/24(土) 02:11:05.74 ID:YDmFTrlj
蓮見ん記事、
シネマベーラのプロモーションで糞、いや草。 > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 最近の報告によると、統合失調症患者と一般人口の死亡率の格差は拡大していることが示唆されている。
主な結果は以下のとおり。
・1984年と2014年の平均死亡年齢は、統合失調症患者では57.6歳から70.1歳に上昇し、一般人口では70.9歳から77.5歳に上昇した。
・主要な変化は、自殺のSMRで認められ、1984年の11.0から2014年の6.6に減少していた(−40%)。
・心血管およびがんのSMRに増加傾向が認められた。
「統合失調症患者の寿命は、一般人口とほぼ同様に改善が認められているが
自殺率に関しては一般人口と比較し、いまだ死亡率の格差が残存している」としている。
>
ふうむ
やはり分裂病は自殺しやすいんだなあ Film Comment
BEST FILMS OF 2002
Shigehiko Hasumi (Tokyo)
Blood Work;
Bright Future (Kiyoshi Kurosawa);
Dolls (Takeshi Kitano);
Ghosts of Mars (John Carpenter);
The Man Without a Past;
Novo (Jean-Pierre Limosin);
Russian Ark;
Unknown Pleasures;
Women in the Mirror (Kiju Yoshida);
Zanjin Zanba Ken (Daisuke Ito, 1929, recently discovered in 9.5mm print for Pathé Baby)
plus one book: La Promesa de Shanghai by Victor Erice
(scenario and dialogue of an unrealized project, Areté, 2001, Madrid) 秘宝のインタビュー物足りない
聞き手の力量不足だな 蓮實重彥氏の2014年ベスト10
1.『さらば、愛の言葉よ』(ゴダール)
2.『セインツ -約束の果て-』(デヴィッド・ロウリー)
3.『ホース・マネー』(ペドロ・コスタ)
4.『収容病棟』(ワン・ビン)
5.『グランド・ブダペスト・ホテル』(ウェス・アンダーソン)
6.『神々のたそがれ』(アレクセイ・ゲルマン)
7.『イヌミチ』(万田邦敏)
8.『ニシノユキヒコの恋と冒険』(井口奈己)
9.『Seventh Code セブンスコード』(黒沢清)
10.『やさしい人』(ギヨーム・ブラック) >>775
なんだか媚びてて必死さが見えてくるようなセレクトですな
とくに34589あたり https://edition-m.cnn.com/2018/11/26/entertainment/bernardo-bertolucci-italy-director-intl/index.html
Bernardo Bertolucci, Italian director of 'Last Tango in Paris', dies at age 77
By Hada Messia and Sheena McKenzie, CNN
Updated at 1017 GMT (1817 HKT) November 26, 2018
Rome, Italy (CNN) ― Bernardo Bertolucci, the award-winning Italian director of "Last Tango in Paris", has died aged 77 following a battle with cancer, Italian officials confirmed Monday.
Bertolucci was perhaps best known for his erotic drama "Last Tango in Paris", starring Marlon Brando and Maria Schneider. His film "The Last Emperor" also won all nine Academy Award categories it was nominated for in 1988.
The president of the Italian General Entertainment Association, Carlo Fontana, described Bertolucci as "one of the greatest authors, perhaps the last one, of the Italian Cinema." 果たして蓮實が亡くなっても同じように悔やまれるだろうか
果たして蓮實の本が100年後も読まれているだろうか 小川 和輝
アンデッド蓮實重彥の功罪 / ドラキュラ的、ゾンビ的
2017年12月18日(月)
以上を、渡邉が言及する蓮實重彥の「歴史的/メディア論」的転回に接続して、おおまかに時代区分することができる。
@1960年代末から、ロラン・バルトの記号論などに影響を受けていた蓮實は、
映画鑑賞において「画面を見ること」の重要性を訴えた。表層批評という言葉が示すのは、
作品の物質的な画面と観客との間に存在する絶対的な「現在」の体験であった。
A1985年になると、「転回」が起こる。これ以降、蓮實の映画批評的関心は、
急速に「映画史的」な文脈の前景化へと向かう。
古典的ハリウッド映画の時代から画面を彩っていた視覚効果が抑えられ、
物語の一貫性が洗練されるようになった「50年代ハリウッド」への変遷に蓮實は注目する。
蓮實が「73年の世代」と呼ぶ映像作家たちによって、
かつて彼が映画とみなしていた古典的映画の存在自体が揺らいでいるということが主張されるようになる。
渡邉によれば、ここで生じたのは「シネマ=古典的映画」から
「非シネマ」との差異が再帰的に問い直され続ける状況である。蓮實が1997年の論文において
1930年代に起こった古典的映画の成立を「映画のメディア化」と言い換えてもいるように、
1985年に起きたのは、蓮實の「歴史的/メディア論的転回」だった。
Bそして、蓮實の「歴史的/メディア論的転回」は、近年また新たな「転回」を迎えている。
2008年頃から、蓮實は「映画に歴史は存在しない」と断言したり、
自らのことを映画史家と呼ばれることに抵抗を示している。
「50年代ハリウッド」や「73年の世代」と言った問題系を相対化するように、
映画は1930年代の古典的映画の時代から「崩壊前夜」を生きていたのだという主張を繰り返すようになる。
非歴史的、ポスト歴史的とも言える彼の発言として、
「あらゆる映画はサイレント映画の一形態である」というものまで存在する。
渡辺大輔『「歴史的/メディア論的転回」の帰趨をめぐって 「ポストメディウム的状況」と蓮實重彦』、
(『ユリイカ 総特集 蓮實重彥』所収)、2017年 死児としての芸術と昔から言っていたのだから
当然、蓮實は昔から「崩壊前夜」を映画は生きていたのだという認識でしょ
それに視覚効果の禁欲による物語が優位の映画が始まったのは
ヘイズ・コードによる規制以降の1930〜1940年代の
ハリウッド全盛期の映画のはずなんだけどなあ むしろ50年代のハリウッド映画から物語の優位性が崩れ始めていった
というのが蓮實の認識だったとように思うけど? 物語の優位の時代に「市民ケーン」という視覚効果の優位の映画を撮った
オーソン・ウェルズがその時代の反時代的映画作家だったのが
テレビ放送の影響による観客の減少に伴う
視覚優位の時代に古典的ハリウッド映画のような
視覚効果を禁欲する映画を撮った
クリント・イーストウッドに反時代的映画作家の称号が移ったとも
言っていたと思うけどねえ
視覚優位の時代に視覚効果のスペクタクル映画を撮った
スタンリー・キューブリックは自堕落に時代に迎合しているとも 視覚効果から物語の優位へというのは
ヘイズコード以降のハリウッドだけではなく、
スターリン以降のソビエト時代の映画や
日本の伊藤大輔から山中貞雄へ、というのも
世界的に平行している話であるはずなんだけどなあ いい歳になってから、いまさらのようにハスミンを貶す奴って、
若い頃なんとなーくリベラルで、その後「目覚めて」ネトウヨとなり、
読んだこともないマルクスを「あれは幻想だった」とか抜かしている奴に似ていなくもない >>785
お前みたいに良い年になって蓮實から離れられないハスミンとかほざく阿保も哀れ過ぎるw
言っとくが俺はお前より絶対的に頭良いからなw もともとの蓮實の美学ならウェスアンダーソンは貶さないとダメなんじゃね? 蓮實重彦がウェス・アンダーソンを褒めているか貶しているかをそもそも知らないw どうでもいいが
ウェス・アンダーソンの映画では感動したが
蓮實の文章で感動したことは皆無 ジェームズ・フランコの『ディザスター・アーティスト』を観た。
どんな作品でも陰には作り手の苦労があるものだとよくわかったし
映画を撮ったこともない奴が好き勝手に毒舌で批評することが如何に醜いことか思い知った。 ゲンロンカフェ 20170228「日本映画と海外ドラマ、いま、どちらを見るべきなのか」レジュメ
渡邉大輔
https://genron-cafe.jp/wp/wp-content/uploads/2017/02/26e2213e9ae9e46800bb279488415dab.pdf
・日本映画の新世代…「2007 年の世代」(インディペンデント映画シーンからの若手作家の台頭)
空族、富田克也(1972年 - )、相澤虎之助(1974年3月5日 - )
山下敦弘(1976年8月29日 - )
松江哲明(1977年 - )
真利子哲也(1981年7月12日 - )
濱口竜介(1978年12月16日 - )
瀬田なつき(1979年 - )
入江悠(1979年11月25日 - )
石井裕也(1983年6月21日 - )
深田晃司(1980年 - ) >>796
ツマンナイ映画が悪く言われるは仕方ない >>796
ツマンナイ映画が悪く言われるは仕方ない >>798
映画を観ているだけに過ぎないのに
何様か知らないが鬼の首でも取ったように好き勝手言って踏ん反り返っている奴が悪く言われるのも仕方ない 教え子が何人か映画監督になってるから、観ているだけとも言えないな
俺はそんなに小津は好きじゃないし、蓮實信者でもないけど 映画の話は映画板にでもスレ立ててそっちでしてほしい… >>765
戦前戦後と「映画狂」的な層は一定はいたんだけど(存命だと戦前生の小林信彦や渡辺
武信がそういう世代)、それが「シネフィル」的なニュアンスになったのはたぶん1970年代
以降だと思う。
具体的には(東京中心の文化ではあったが)『ぴあ』『シティロード』が出てきて名画座・オフシアターなどの
上映情報が簡単に見易くなったことが大きい。それ以前は新聞の映画館情報以外は余り纏ま
った上映情報がなかった。
映画マニアが「効率よく」映画狂いが出来るようになった。
特に東京・関西では特集主義の「個性的」な名画座が増えたり、アテネフランセ・フィルムセンター
などの活動、ATG、湯布院・ヨコハマなど「市民映画祭」のブームetc、、、
この辺も書き出すとキリがない。
、、、もちろん自分もリアルタイムでは知らないのだけれど。
ググると『エピステーメー』の「映画狂い」特集が1978年らしいな。
蓮實が立教・東大で映画講義を始めたのも70年代頃だった筈。
ただ皮肉なことに70年代には日本人の映画館利用回数は既に1年=1回でしかなく
(ちなみにこの数字は現在も実はさほど変わっていない)、一般大衆が映画館離れしていた
時代に一握りの映画マニアだけは「シネフィル」化して尖鋭化する皮肉な事が起こっていた。
そして80年代以降も「レンタルビデオの普及で名画座激減」「代わりに東京中心に
バブルでミニシアター・映画祭・各種特集上映のブーム」とトレンドは変わっていく。
でもこれも何度も通い詰めるようなコアな客層は実際にはそんなに多くはなかったと思うんだよね、、
蓮實が『リュミエール』を出したのが85〜88年頃だったと思うけど、これも結局は
読者(といっても実数はどの程度いたのか?)を「シネフィリー」の狭い狭いタコツボに
閉じ込めてしまった。 これは今の町山などもそうだが、蓮實などが「啓蒙」を行うほど、皮肉な事に熱心なフ
ォロワーほど「映画至上主義」のタコツボに入り込んでいってしまう。
「映画は沢山観ている」のに妙なスノビズムばかりに感染し逆にアタマが「硬く」なるのである。
所詮はシネフィリー=スノビズムでしかなかった。
まあ映画(に限らず映像ドラマ全般)など普通の人は別にそこまで好きではない。
当たり前ですが、、
他の先進国も日本人よりは映画館に行くけど(だいたい1年=2〜4回 アメ人・韓国人=4回)、
これも所詮は集客のメインは一握りのヒット作である。
それを過剰に観過ぎてしまうのは、(もちろん学術研究のリサーチなどは別にして)
所詮はただの「映像コンテンツ依存症」に過ぎない。
ちなみに日本の映画人も本音では意外と醒めていて、古い映画人も自分の息子娘はTV局に
入れてる人ばっかなんだよw 例えば山田洋次の娘も確かTBS社員だしな(一時はドラマの
ディレクターもやってた。今はやってないみたいだけど)
当の映画人が内心では映画なんか別に信じてない。これが現実。
こんな日本で今さら「シネフィル」でもないでしょう。
アメリカも今はTV・配信系作品の仕事をする人は増えるばかりですよ、、 映画のラスト・エンペラー ベルナルド・ベルトルッチ監督を悼む (批評家 浅田彰)(朝日新聞 11/30 朝刊)
一九六八年の前衛の爆発のあと反動に堕すことなく映画を撮り続けることは可能か。
端的に言って、ゴダールやパゾリーニのあと映画は可能か。
ヌーヴェル・ヴァーグを自分なりに変奏した瑞々(みずみず)しい『革命前夜』(64年)の後で
若きベルナルド・ベルトルッチが直面したのは、そんな根源的な問いだった。
その難問との苦闘の中から、ベルクが師シェーンベルクの頭脳的実験を継承しつつ
ドラマティックにして甘美なオペラを生み出したように、ファシズムを描いた傑作『暗殺の森』(70年)や
視野を20世紀イタリア史全体に広げた巨篇『1900年』(76年)が、
また年上のフェリーニらを超えて黄金時代の映画を新たに撮り直したかのような大作群――
とくに坂本龍一の壮麗な音楽で彩られた『ラストエンペラー』(87年)や『シェルタリング・スカイ』(90年)が生まれる。
その探求は晩年にも止むことがない。他民族化したローマを揺れるキャメラで描く『シャンドライの恋』(98年)や、
病気で車椅子生活になってから若者たちの現在に迫った『孤独な天使たち』(2012年)は、
老匠の作品とは思えぬ若々しさで観客を驚かせた。
六八年五月革命を描いた『ドリーマーズ』(03年)だけは、つまらぬ原作を選んで失敗しているのだが。 六八年の50周年に訃報に接して思い出すのは、晩年の彼のその若々しさだ。
だが、「今後ベルトルッチに匹敵する映画作家が登場するだろうか」と自問したとき、
「前衛の爆発を超えて歩み続けた彼の足跡自体が答はイエスだと示している」と確信しながらも、
「ベルトルッチの死でわれわれは映画のラスト・エンペラーを失ったのではないか」という思いを禁ずることができない。
坂本龍一が病を克服して去年発表したアルバム『async』には、『シェルタリング・スカイ』で原作者ボウルズが
人生の無常を語る声とその各国語訳をフィーチャーした「fullmoon」という曲がある。
その終盤に出てくる深いメランコリーを湛えたイタリア語は実はベルトルッチの声だ。
その諦念に対し、アルセニー・タルコフスキー(映画監督アレクセイの父)が
永劫回帰のヴィジョンをうたった詩をフィーチャーする「Life, Life」が応える。
いまはこの二曲を聴き返し、ベルトルッチの映画を見返しながら、
前衛の爆発(ある意味での「映画の終わり」)から出発して
なおかくも豊かな映画の数々を残したその歩みを反芻するばかりである。 蓮實信者になるとゴダールの後に映画は可能か、ジョイスとベケットの後に小説は可能かみたいな問いはなくなるんじゃないの?
19世紀の小説でいいじゃない、50年代までのハリウッド映画でいいじゃないみたいなね ゴダールやヴァージニア・ウルフやヌーヴォー・ロマンを評価するにしても前衛性、実験性は無視でしょ?
自分で小説書くとロブ=グリエ風なのはご愛嬌だけどw 分裂も親の遺伝だろ?マジおまえらの親の顔が見て見てえな
おっーとと
ついおまえらの親のことまで悪くいっちまった
おっーとととと
親のことまで悪く言われる覚えはないわなw
おっーととと
きたもんだ(・ω・)/ 蓮實読んだのは団塊ジュニアあたりまでだろう
不幸な世代 福島亮大は81年生まれですが?
まさか全く読んでいないなんてことあり得ないし >>814
おまえは前衛と言うものが分かってないねえ(ペシペシ)
前衛は視力のないものにはできんのだよ 蓮實は文学に前衛など必要ないといっていませんでしたっけ? 蓮實)散髪台の上の男が自分の顔を鏡に映してみることなく、
きまって横から撮られてた画面しかない(……)
ヴェンダース)それは私が強度の近眼で、床屋で眼鏡をはずすと、
もう目の前の鏡に映っている顔がまったく識別不能になってしまうからです(笑)。
蓮實)ああ、偉大な映画作家は、やはりみんな近眼なのだ。
フォードも、フィリッツ・ラングも、そしてあなたも(笑)。
(蓮實重彦『光をめぐって』) >>821
というか照明で目がやられて弱視になっちゃうんでしょ。 >>819
ジョイスという前衛がいたような・・・
ああ、ジョイスは前衛というより古典主義者といったほうが正しかったか? >>817
いやもう時期的に流行ってない
東浩紀や國分功一郎や千葉雅也など氷河期世代はハスミを無視してる、というか関心を持ってない
柳下毅一郎あたりが最後、つまりバブル世代が最後
>>816
>>817 今はもう2018年も終わり
21世紀も五分の1近くが過ぎました
いつまで50年代が云々と昔話に呆けてるんでしょうか
時代は進んでるし時間は前にしか進みません
単なる懐古厨の老いぼれは時代に埋もれて忘れ去られるだけですよ 他人の粗探しばかりしてるくせに
自分は名前の漢字を間違えられたくらいで怒る
悪いエリートの典型みたいな奴 >>830
ボヘミアンくらい観とけ、蓮実
>>829
同感 本物のライブ映像で十分だろ
音楽映画とか見なくても 帝国の陰謀 (ちくま学芸文庫)
蓮實 重彦 (著)
¥ 1,080
文庫: 167ページ
解説 入江哲朗
出版社: 筑摩書房 (2018/12/11)
物語批判序説 (講談社文芸文庫)
蓮實 重彦 (著)
¥ 2,268
文庫: 352ページ
出版社: 講談社 (2018/12/12)
伯爵夫人
蓮實 重彦 (著)
¥ 497
文庫: 224ページ
出版社: 新潮社 (2018/12/22) 「帝国の陰謀」は単行本が、「物語批判序説」は中公文庫版が家にあるし
「伯爵夫人」は図書館で借りてスキャンしたから
基本的にいらんな >>836
物語批判除雪!文庫本のくせしてなんちゅう値段や
掲載誌の海2冊300円ぐらいの古本屋で買って持っとるよ 蓮實を新刊で500円で読める世の中はいいよな
今までで一番安いんじゃないかと思ったら陥没地帯は税抜427円だった 物語批判序説なんかいっとき山ほど108円で見かけたけどな
こんな値段で売る本じゃないよな 2部がバルト・プルースト・サルトルだったっけ
今なら蓮實通さずに彼らの著作を読んでおくほうがいいような 蓮實のフローベール像は昔の東大仏文のそれって感じ
サランボー、聖アントワーヌ、ブヴァールの解釈がてんでだめ
歴史、幻想、思想に偏見強すぎるから ヌーヴェルクリティック、ヌーヴォーロマン、ヌーヴェルヴァーグ、カイエドゥシネマ・・・人は世代性から逃れられないのか? どうせならミステリー「東大総長殺人事件」を書いてほしかった 「ラストエンペラー」でさえ好きです、といっていたのにねえ ベルトリッチがダニエル・シュミットの
「ヘカテ」の試写で号泣している蓮實を見て
泣き虫教授とあだ名付けていたんだっけか? 侘助
わたくしたちの世代は、
蓮實重彦氏が小川徹時代の“映画批評”だったかに連載していた時評を毎号楽しみにし、
“映画の記憶装置”や“映像の詩学”などの単行本を初版で買い、
“マリ・クレール”の淀川長治氏・山田宏一氏との鼎談も毎号読み、
“リュミエール”も“ルプレザンタシオン”も全号保存していますからね。
オクターヴ
私の世代は映画狂人シリーズを集めて、
真夜中の映画長話や群像の映画時評をリアルタイムで読み、
黒沢清、青山真治、万田邦敏、あと北野武なんかとセットで影響を受けてまして、
今は濱口竜介、三宅唱の若き黄金世代に影響を受けた層も集まっていると推測しています。
2019年1月5日 >>854
「映画芸術」でB級邦画洋画をアクロバティック擁護してた時代が一番かっこよかった。
映画評論家としてのピークは83年の小津論。
85年に「リュミエール」創刊してからスノッブに落ちて行った印象。
映画狂人とか言い出してからは読むに耐えない。 >>854
若気の至り、恥ずかしい、という感じじゃないことに唖然とする >>857
何が面白いって蓮実信者もこの娘と大して変わらないのがね学歴や実績があってもさ >>860
俺東大卒でこの子とだいたい変わらないが、そのことの何が面白いわけ? spartacusの結果
昔々ある所にマルクスと蓮實が住んでいました。
マルクスはパリへ資本主義しに、蓮實は沖縄へアルチュセールしに行きました。
蓮實が沖縄でアルチュセールをしていると、フロイトフロイトと、大きな戦後民主主義が流れてきました。
蓮實は良い土産ができたと喜び、それを拾い上げて家に持ち帰りました。
そして、マルクスと蓮實が戦後民主主義を食べようとすると、
なんと中から元気の良い学生運動が飛び出してきました。
「これはきっと、神様からの授かり物にちがいない」
学生運動のなかったマルクスと蓮實は大喜びし、
戦後民主主義から生まれた学生運動を民主主義太郎と名付けました。
民主主義太郎はスクスク育ち、やがて強い批評家になりました。 そしてある日、民主主義太郎が言いました。
「ぼく、労働者島へ行って、悪い労働者を退治してくるよ」
蓮實に安倍政権を作ってもらった彼は労働者島へ出発しました。
民主主義太郎は旅の途中で渡辺に出会いました。
「民主主義太郎さん、どちらへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供しますよ」
渡辺は安倍政権をもらい、民主主義太郎のお供になりました。
そして今度は明仁に出会いました。
「民主主義太郎さん、どこへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供しましょう」
そして今度は桑原に出会いました。
「民主主義太郎さん、どこへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供します」
こうして仲間を手に入れた民主主義太郎はついに労働者島へ到着しました。
労働者島では労働者たちが近くの村から奪ってきた宝物や御馳走を並べて「エクリチュールの宴」をしていました。
「よし、かかれ!」
渡辺は労働者に噛み付き、明仁は労働者をひっかき、桑原は労働者を突きました。
そして民主主義太郎も新左翼をふり回して大暴れしました。
すると、とうとう労働者の親分が泣きながら降参を宣言しました。
民主主義太郎と渡辺と明仁と桑原は労働者から取り上げたエクリチュールを持って家に帰りました。
そして民主主義太郎たちはエクリチュールのおかげで幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。 映画長話
「ハリウッドが長らく病んでいるのは【2時間20分の病】だと思います」
「スピルバーグに90分の映画を撮れと電報でも打ちたい(笑)」 某編集者Y氏談(故人)
淀川長治さんに「好きな女優は誰ですか?」と聞かれたので
オードリー・ヘップバーンと答えたら淀川さんはニコニコしていたが
淀川さんの傍にいた蓮實重彦と山田宏一から
明らかに軽蔑しているとしか思えない白いまなざしをマザマザと受けた 【キャサリン・ヘップバーン】
>アメリカでは人気・評価ともに壮絶に高い人で、演技派と言えばケイト、女優の中の女優という扱い。
3年前、亡くなった時に、蓮實重彦が追悼文で、
合衆国には「(キャサリン・)ヘップバーン神話」はあっても、ペック神話や
オードリー神話なんてものは存在しない。ところが、日本では、ペックさんやオードリーさんのほうが有名らしく、
無知からでたこの種のガキ人気にマスメディアまでが同調してしまうのは本当に嘆かわしい。
と書いている。オードリーさんやペックさん(ペックさんは好きだぞ、私)のファンに喧嘩を売る気はないが、
私も日本でのケイトの評価どころか知名度が低すぎるのは哀しい。
https://acoyo.exblog.jp/4523666/ どこかの国限定で受けるようなローカルヒーローが多数出るのがハリウッドの普遍性の証なんだが、
「映画」をひとつの尺度にまとめる蓮實はバカだと思った なので「無知」と言う必要はない
エセペダントリーは教養が足りてないという典型 キャサリン・ヘップバーン
大型犬みたいで日本じゃ人気でないよね キャサリンの人気はアメリカの芸能界での活躍込みなので、
そこから切り離されている日本のファンがその事情まで知る必要は特にないと思う。 オードリー・ヘップバーンはハリウッドの女優として「欠陥商品」なんです。 詩人 稲川方人氏に聞く
僕は70年代中葉あたりから詩集を出しましたけど、70年代から80年代中葉までの時間というのは、
現代詩はジャンルの問題だったんですね。文学的なジャンルの問題だった。
戦後現代詩といわれるカテゴリーのなかで、詩をどう見るか、
詩人をどう見るかというジャンルのなかの問題だったような気がするんですよ。
90年代以降になってくると、ジャンルの問題をいつまでも言ってられなくなったということがありますね。
映画だと本当にジャンルがはっきりしているので、わかりやすいんですけど、
ヌーヴェル・ヴァーグはジャンルの問題だったんですね。映画というジャンル。
世界に何が起ころうとも、人間に何が起ころうとも、映画というジャンルが確固としてある。
で、そのジャンルをどういうふうにコーディングするかという問題だったんですよ。
例えば、構造主義的な思考が60年代中葉に日本に入ってくるわけですね。
フランスの構造主義の思考パターンがね。あれって、やっぱりジャンルの問題だったと思うんですよ。
構造主義以後の思考も、例えばわかりやすいのは、
蓮實重彦さんの批評が非常に影響力が大きかったわけですけども、やっぱりジャンルの問題ですからね。
蓮實さんにとって、人間が何をしようと、世界が何をしようと、ソビエトが終ろうと、西ヨーロッパが崩壊しようと、
蓮實さんの批評言語は確固としている、極端に言うとね。ジャンルの刺激だったと思うんですよ。
ある時期、蓮實さんの映画批評も文芸批評も、何となくね、実感として刺激がなくなってきたんですよ。
映画なら映画、文学なら文学のなかに、80年代後期以降の十数年の世界が、表現に対して問うているのは、
そのジャンルで何をするのかとかそういう問題じゃないような気がしているんですよ。別のシステムでね、
はっきりもっと露呈した形というんでしょうかね、僕なら僕という人間が露呈した形で、
別の人間と向かい合ってとか、世界に向かい合ってる、そこが問われている気がするんですよ。
(2003.2.26 三鷹「心泉茶苑」にて) 明らかに「画面を見ること」において劣っていないのは誰? 蓮實が死んだ後、蓮實の文章を鵜呑みにして暗唱していただけの馬鹿信者どもがどうなるか楽しみ。
自分で考えて、自分の言葉で語る事ができないアホばっかりだから、路頭に迷うよw 渡部はもう路頭に迷ってるけど馬鹿信者もあんな感じだろ 伊藤洋司・中原昌也あたりに張り付いて十数年粘るんじゃないですかね 「影響の不安」を持つべきだといいたいのかもしれないが
「自分の言葉」なんてそもそもあるのかねえ?
自分で考えるというのは
そもそも「他人の考え・言葉」とともに考えることなんじゃねえかよ
これはよくよく考えてみれば当たり前の話 自分で考えるなんて
永遠に閉じ込められたままの
「カスパー・ハウザー」のような奴しかあり得ぬ
馬鹿話ではないか 永遠に幽閉された「カスパー・ハウザー」にのみ
他からの影響を完全に排した
真の「自立」と「自前」の思想が宿ることになるだろうw そういうそもそも論で逃げる時点で蓮實虫状態に居直っているのがわかる ついでにヘルツォークdisるムーブで効率よく蓮實大好きアピール、うざいですね >>885
そもそも論がどうこう言う以前に
個別の事例に関して具体的に批判すればいいだけでしょw
その具体的に批判に説得力がなければ相手にする必要もないというだけw >>886
そのヘルツォーク云々に関しては
具体的には全くといっていいほどほとんど知りませんがねw
それになぜこっちは勝手に蓮實虫しているのかねえ?w
私は蓮實虫になった覚えはないんだけどねえw
こっちはこちらが納得したことに関してだけ受け入れているだけの話 具体的個別事例に触れないまま「蓮實虫」などという標語で
見切ったつもりになるのはあまりにも馬鹿げているとしか言えんな 文句があるのなら例えば世界の映画史上最高の女優と蓮實が言っている
アンナ・マニャーニの評価は間違っており
イングリッド・バーグマンやオードリー・ヘップバーンのほうが優れているのだというのを
顕名でメディアなどで具体的に論じればいいんじゃないの? そういえば「映画はいかにして死ぬか」の巻末のベストワーストに
ヘルツォークの映画がワーストに挙げられていたな
「シネマの記憶装置」にヘルツォークに言及していた箇所があったと思うが
それは読んでいないので具体的には知らんなw >>855
他の作家・著述家と同じく、蓮實もフォロワーの実数は昔からごく限られたものだった
とは思いますが、、
その「限られた」フォロワーはなぜ騙されたのか?、、時代背景も書き出すとキリが
ないけど、、
70年代〜80年代半ば=『シティロード』『ぴあ』『プレイガイドジャーナル』(関西)
が主導した(首都圏・京阪神圏中心)名画座全盛時代。
「大都市部の膨大な映画情報がまとめて観られる」これは当時は本当に画期的な事だった(らしい)
それまでも「映画狂」的な層はいたが、日本で(大都市部中心)「シネフィル」的な人種
が本当に誕生したのはこの頃だったと思う。
バブル期=レンタルの登場で名画座総壊滅時代、代わりに(首都圏中心)映画祭・特集上映・
ミニシアターなどの狂乱時代、、この頃がちょうど『リュミエール』とかぶる。
、、日本で「シネフィル」的な層が(少数ながら)いたとして、たぶんコアはこの70〜80
年代の20年間ほどの現象でしょうね。
当時は(主に首都圏)地上波TVの映画放送も多かったし、バブル期にはレンタルやBS放送も
出てくるし、、湯布院・東京国際などの映画祭も多くはこの頃に始まってるんだよな、、
蓮實(1936生)が映画について大学(東大・立教)や講演で語り色んな媒体に書くようになったのも
この頃なので、、東大での講義は90年代前半頃まではやってたらしいけどな、、
「シネフィリー」は本当に終わりのない沼(時間・カネ)だけど、こんな時代にちょう
ど蓮實が居合わせて(主に首都圏の)一握りの「若者」「学生」をその泥沼に引き摺り込んだ、、
それだけの事でしょうね。
引いて見れば「そっちに行ったらだめだ、引き摺り込まれるぞ!」という程度のもんだけど、
当時の一握りの「若者」たちが見事に引き摺り込まれてしまった\(^o^)/ ついでにこれは当時の「ニューアカ」「セゾン文化」的な現象とも見事にパラレルだった、、
ブンガクから映画・マンガ・演劇まで何でも全てを語ってしまう四方田犬彦(53生)
のような人が出てきたのもこのころ(但し「師匠」の蓮實とは途中から仲が悪い)
ついでに(本人はどう思ってるか不明だが)高校大学時代に新宿ローヤル(88閉館)に通
っていたという町山(62生)もこの世代にギリギリ入る。
バブル期以降も現在まで首都圏の映画状況の狂乱は続いているけど、実際のコアな客層は
「常連」「(たまにそういう場に来る)準常連」的な層ばかりという現実はたぶん何も
変わっておらずか、、ま、バブル期以降はもはやほぼ惰性でしょうね。
その惰性の中でも今更この辺に「騙されて」入ってくる新規層はどの程度、居るのか居
ないのか、、
そういう「狂乱」からは身を引いて久しい者からすれば、結局、蓮實氏は自分の「教団」
「イエスの方舟」が欲しかったのかなとは、、いかにもアタマの悪そうなフォロワーたちに
囲まれて心穏やかな「晩年」ということか、、
こんな人、ただの「映画依存症」の教祖以外に何があるんだ?
フォロワーたちはアルコールや薬物やギャンブルから逃げられない依存症者たちと何が違うんだ?
貴方がたが信じ込んでいる例えば今の日本の一部の監督たちは本当にそこまで擁護に値する
何かなのか? ミダス王の指から出てくる黄金は本当に真物なのか? 日本のシネフィルは諸外国と比べて著しく歪んでいる
イーストウッドの満場一致支持とか色々 具体論が結局欠いているんだよな
どう歪んでいるのかが根拠も薄弱なのでは?
イーストウッドの高評価なんてヨーロッパもそうでしょう
パゾリーニの低評価やファスビンダーの無視はそうなのかもしれないが
黒澤明より溝口健二のほうを高く評価しているのはゴダールもそうだし
その辺はアンゲロプロスもトリュフォーもそう変わらないのでは? 蓮實も黒澤明が2流以下の監督であるなんて言っていないわけだし
あくまで溝口小津成瀬に比肩するような監督ではないといっているのであって
1流の監督ではあるとは認めているわけだし いつ合わせているといったのかな?アホやなw
レオス・カラックスもジュリエット・ビノシュも好きじゃない、と
かつてこのスレで言ったはずなのだがw イーストウッドの政治的危うさ完全スルーは、他の国だとありえんので クリント・イーストウッドがトランプ氏支持 「軟弱な時代だ。誰もが発言に細心の注意を払う」
https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/05/-clint-eastwood-donald-trump_n_11345598.html;
言ってる事を読むとウンコけど、結局イーストウッドはトランプを推薦しなかったんだよ。投票したけど(笑) 蓮實追随シネフィルってけっこう左翼が多いんだけど、イーストウッドの政治性は不問にしてるのがダブスタと感じる ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいというのが日本の左翼らしいw
反米左翼がタダのナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw >>903
ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいというのが
あなたのいう日本の左翼らしいw
反米左翼がタダのナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw
そもそも映画の出来と政治的姿勢は別な話のはずだが? >>904-905訂正
ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいことだとするのが
あなたのいうダブルスタンダードではない正しい左翼らしいw
反米左翼がタダの低次元なナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw
そもそも映画の出来と政治的姿勢は別な話のはずだが? 天皇制礼賛映画でもナチス礼賛映画でも監督の演出技術が優れてて映画の出来が良ければ問題ないってこと? ポルノ映画と同じでしょ。
金の出どころからの要求を満たせば、あとは作り手の自由。 時代によって変わっていくんじゃない。イーストウッドの場合は今のポリコレを適用した瞬間にアウトになってしまう作品が沢山あるから過剰反応してるところもあると思うよ。過去の作品については別に考えるべきなのかもな。そうじゃないと「國民の創生」とか観れないでしょ。 ハリウッドのアカ狩りも本当は蓮實的映画の見方なら監督がアカだろうがどうだろうが関係ないはずなんだが ラスト・タンゴ・イン・パリは撮影時に性的虐待があったと判明したのでアウト Contre Champ
2018-09-26
現代映画論
授業スケジュールを若干変えたので以下に挙げておきます。
1. ガイダンス/アンドレ・バザンと作家政策
2. ヌーヴェル・ヴァーグ
3. ネオレアリズモ以後のイタリア映画
4. ソ連・東欧映画の新潮流
5. 政治的モダニズムと第三世界の映画
6. ダイレクト・シネマ/シネマ・ヴェリテ
7. ニュー・ジャーマン・シネマ
8. ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグ
9. アメリカン・インディーズとニュー・ハリウッド
10. 台湾ニューウェイヴと中国第五世代
11. イラン・ニューシネマ
12. ソ連崩壊後のロシア映画
13. ポルトガル映画の新潮流
14. スペイン映画の新潮流 ボヴァリー夫人は中村光夫訳がベストだな
夫人論は図書館でパラパラッ Wikipediaの伊丹十三の項目に、「お葬式」で蓮實重彦をリスペクトする作品づくりをしたけど、試写で蓮見から一言「ダメです」と言われて、以後作風が変わったとあった
蓮實っていう人のことは全然知らないんだけど、その後伊丹がヒットを連発したってことは有意義なアドバイスではあったのかね ないよ
でも伊丹は蓮實を気にしなくなってヒットメーカーになれた
だがその作風が死を招いてしまったんだろうなあ
日本によくあるエクストリーム自殺が死因だしな まだ伊丹が生きてた時、東大の映画論の授業で蓮實が伊丹十三・宮本信子の名前を出してたことがあったな
その時は別に批判的なニュアンスではなく、そのような監督と女優の夫婦がいる、という話をしていた それにしても伊丹十三とは一体なんだったのか
彼を死に追いやった件のセックスビデオは流出しないのだろうか
見たくはないけど その話知らないけど、デマのにおいがプンプンするな。どこに書いてある話なのですか? 今年の春はゴダールとイーストウッドの新作見られるなんて素敵やん ドナルド・トランプ米大統領お気に入り映画ベスト5
市民ケーン
続・夕陽のガンマン
ゴッドファーザー
グッドフェローズ
ブラッドスポーツ
これを見ると単なる馬鹿とも思えないんだけど
蓮實はトランプをどう評価してるの? >>880
渡部って
渡部幻のこと?
確かに馬鹿だな 新潮2月号の「『ポスト』をめぐって」の、マネとモネの認識が逆のようにおもうんですが、どうなんでしょう? どう考えてもそういう反応を狙ってわざとやってるとしか思えなくないか? そういえば、高校時代の浅田彰からフランス語の誤訳を指摘されたことを
「表層批評宣言」のあとがきの年譜に書いていたな
>昭和五〇年(三九歳)。『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』(翻訳)を出版、
まだ無名の浅田彰より多くの誤訳を指摘された。 浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )
早生まれで75年の4月には京大に入学しているから
京大1年のころか? >>926
トランプがメリル・ストリープを過大評価された女優と酷評したことも
蓮實なら全く同意見というだろうしw 芸術で誰かを信奉してしまうのが一番の失敗の元となる
誰かの価値観を内面化して同一化して自分を捨ててはいけない
教科書的な価値観を内面化したり、蓮見のようなカリスマに自己同一化したり
後でコケるもととなる
それがわかった上で蓮實の本を面白がるのはありだと思うけど
小説、映画、音楽、美術全部最後は自分の判断をしないととは思う >>937 私も、もしかしてそうなのかと思って
みなさんの意見聞きたくて、書き込んだのです。例えば先輩のマネの方がモダンアートに与えた影響は、大きいけれど 日本では、モネの方が人気があることへの揶揄を、彼独特の婉曲な表現で、したとか… そういう揶揄ならポスト印象派がマネみたいな恥ずかしいことは言わない
端的に間違った 蓮實としてはたしかに「後続のモネよりマネの方が刺激的だ」と言いたかったのだと思うが、
なら、イギリスで生まれた批評用語としてのポスト印象派という言葉を使うなと言いたい
単に教養がない これ、映画で誰かが似たようなミスをしたら、蓮實は「こんなのミスるやつは映画を語る資格がないだけでなくそもそも教養がない」ぐらいの勢いで罵倒しているところ
つまり蓮實的な厳しさで裁くなら、
蓮實は無教養 評論家なんて自分を棚に上げてナンボだろだからクソなんだが でも蓮實だと、ここにもいるように「蓮實さんなんだから単なる間違いではないはず」と思いたいやつが現れる
権威主義 マネとモネの前後関係を素で間違うってさすがにありえないでしょ。 蓮實も82歳だぞ、間違えたっておかしくない
新潮の校閲の質が落ちたっていう話じゃないか? 前後関係だけじゃなくてマネをポスト印象派に入れてるのがやばい
堂々と大間違い
「ラシーヌはロマン主義」と言ってるようなものだぞ >>931
これ全文読まないと間違いかどうかわからないのでは >>951 是非読んでみてください。
このあとポスト・トゥルースや
フェイク・ニュースについて、現代思想や映画の話と絡めて進んでいくので、自らフェイクを忍び込ませたのかなぁとか、思ったりして…
あとこれ講演の原稿なので、実際講演聴かれた方の意見も聞きたいです。 だからなんでそんな好意的に読むわけ?
蓮實は音楽も美術も弱いだろうに 好意的というか蓮實氏のナメクジの這うような文体が苦手なんですが、たまたま手に取った新潮に、このテキストが載っていて、マネとモネのくだりで、引っ掛かってしまっただけです。
このスレには、蓮實巧者の方々がいるとおもったのでご意見を聞きたくて書き込んだだけです。 だから、この部分に蓮實の深慮とかは特になく、
単に美術の基礎教養がないだけ
でもマネは良い、ぐらいの知識を、バタイユとかフーコーのマネ論から得ているから、
「モネなんかより新しい!」とイキってしまった。
そこで言う「新しさ」は時代的なものではないのに 平川哲生
アニメ評論が目指すべき方向は(1)作品・作家の歴史的な文脈整理(2)技術史(3)表現論のみっつだろう。
批判と称した悪口はお呼びでないし、ヤマカンさんが言うような淀川・蓮實ラインは
人格によるところが大きいから育てることができず、現れるのを待つしかない。
2008年6月29日
第二次性徴期
暇なのでヤマカン先生の昔の日記を読んでいるんですが、
黒澤明とか深作欣二とかゴダールとかを見ていたのが2001年ごろになると蓮實重彦に出会い総長総長言い始め、
ミハイル・ロンムとかジャン・ヴィゴとか山中貞雄とかを見るようになるあたり、
身に覚えがあってなんだか面映ゆいものがあります
2018年11月23日 モネの後にマネってゴダールの後にヒッチコックみたいなもんだぞw もっとひどい
ゴダールの後にムルナウと言ってる感じ 蓮實さんの絵画の見方ってとにかく描かれてるものを見なさいとかテマティックだったりなのか? 野堀 俊宏
シネマテークの会員カードは月14ユーロ、UGCカードは21ユーロ
合計35ユーロでパリ中のほとんど全ての映画館で映画が見放題です。その様な環境だから、
教養として映画を観るなんてクソくらえ、俺たちは特にやることも無いから映画を観ているんだよ、
っていう感じの陽気な人々がたくさんいるよ。
2019年3月18日
1 ユーロ equals
126.34 円
Mar 19, 10:04 AM ミスター@大失敗創刊号通販開始
スガさんの批評でよく参照されるのはブランショや蓮實だが、バタイユの影響があるのではないかと。
「俗悪なもの」「フェティシズム」は直接的にヌーボーロマンの問題圏ではない。
例えば『小説的強度』でもヘーゲルとの力関係の中で小説が位置付けられている。
猫飛ニャン助
慧眼です。ハスミは、フランス留学中に(ブランショではなく)バタイユは読んできたと言っていましたね。
これは、どこかで公になっているのか、それとも個人的な会話だったのか、失念。
ただし、普遍経済学のバタイユではないとも言っていた。
2019年3月16日 【芸能】“作品に罪はあるのか” 論争に東映が示した映画メディアとしての答え 波紋はどう広がるか
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1553133259/
東映の活動屋魂に乾杯🍻 バタイユの文体を高く評価している、
あるいはそれにとても魅せられていたという趣旨の話を
「饗宴」所収の対談で言っていたような気がする ハンドルを握り、他人の曲をひたすら呟くように口ずさみ続ける八十八歳のイーストウッド!!! そんな異様な光景を、いったいどこの誰が想像しえただろうか そういう賛辞、なんか飽きたわ
画面見るとか言って実際には俳優フェチを生んだよね、蓮實信者の半数以上がそんな >>972
100歳過ぎても平然と映画を撮ってしまう監督がいたんだから
ある意味たいしたことない
まあ、マノエル・ド・オリヴェイラがいたことによって
イーストウッドが動ける限り現役でやり続けるつもりに
変わったのは間違いないだろうけど 「八十八歳のゴダールが四年がかりで世に問う新たな傑作のこの異様な美しさはどうか」 学生「なんで大学の先生の言葉遣いというのは、こんなに難しいのですか」
蓮實重彦「なぜ難しいか。それはあなたがバカだからです」 蓮實重彦「伯爵夫人という小説を書いたのでぜひ読んで下さい。」
文壇関係者「大御所が小説を書いたぞ凄い!!三島由紀夫賞受賞御目出度う御座います。」
蓮實ファン「ばふりばふりとか独特で凄い!!」
世間「今度の本屋大賞は誰が受賞?春樹の新作小説まだなの?」
蓮實重彦 「実は私は小説を書くのはあまり好きではありません。」
文壇関係者蓮實ファン「次も書いて下さい!!」 だってつまらないんだもの
今の映画論の水準からしたらからきし 2回文芸誌に書いたフォード論、信者以外で褒めてたやついる?
そもそもスレ民はあれ読んでるの? 蓮實はバタイユとかセリーヌとか志賀直哉とか大江とかキチガイがすき 蓮實自身は意識の人だから志賀直哉とか大江健三郎とか長嶋茂雄とか無意識過剰の人に惹かれるんだろうな 蓮實ヲタは愚鈍そのものになりたいのか愚鈍を愛でる凡庸になりたいのかどっち? 蓮實が何か褒めたら追随するから、
クイズのために知識集めているのと同じ 町山智浩
めんどくさい奴のめんどくさくない映画評
宇多丸くんは今、映画好きの間では、かなりの権威だ。
新作映画が公開されると、自分自身の感想が間違っていないかどうか、
宇多丸くんの批評を聴いて「答え合わせ」する、という人たちも少なくない。
筆者と彼の批評を比べて優劣つけたりしてる奴もいる。
しかし本書で宇多丸くんは「映画はクイズではない」と書いている。
大事なのはストーリーでも結末でもない。映画に答えなどない、と。
新潮社 波 2016年12月号 掲載 「とりあえずクリストファーノーランは貶しとけ」
みたいなテンプレの束が蓮實虫の実態 で、たまに御大が『ALWAYS三丁目の夕日』を褒めると「さすが!」と絶賛。
テンプレから導かれるのは酷評なので、
ここでクイズ野郎は混乱して蓮實の動きに追随する「映画キョロ充」になる
もはや映画を楽しんでない
たまにアテネフランセに行くと安心する。
いつかは山形詣でをしてみたい。 蓮實は監督の演出を観てるんであってお涙ちょうだいのベタなメロドラマだろうが安倍晋三礼讃の右翼映画だろうがスジはどうでもいいんでしょ? 映画論者はわりとそうなる傾向
なお蓮實はアメリカ民主党が嫌いだからハリウッドは右翼映画を推す このスレッドは1000を超えました。
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