六八年の50周年に訃報に接して思い出すのは、晩年の彼のその若々しさだ。
だが、「今後ベルトルッチに匹敵する映画作家が登場するだろうか」と自問したとき、
「前衛の爆発を超えて歩み続けた彼の足跡自体が答はイエスだと示している」と確信しながらも、
「ベルトルッチの死でわれわれは映画のラスト・エンペラーを失ったのではないか」という思いを禁ずることができない。

坂本龍一が病を克服して去年発表したアルバム『async』には、『シェルタリング・スカイ』で原作者ボウルズが
人生の無常を語る声とその各国語訳をフィーチャーした「fullmoon」という曲がある。
その終盤に出てくる深いメランコリーを湛えたイタリア語は実はベルトルッチの声だ。
その諦念に対し、アルセニー・タルコフスキー(映画監督アレクセイの父)が
永劫回帰のヴィジョンをうたった詩をフィーチャーする「Life, Life」が応える。
いまはこの二曲を聴き返し、ベルトルッチの映画を見返しながら、
前衛の爆発(ある意味での「映画の終わり」)から出発して
なおかくも豊かな映画の数々を残したその歩みを反芻するばかりである。