私はたった一度、太宰氏に会ったことがある。学生時代、文学青年の友人に誘われて、太宰氏が大勢の青年に囲まれて、何か広い陰惨な部屋で酒を呑んでいるところへ私は入って行った。私は太宰氏の正面に坐っていた。そして開口一番、

 「僕は太宰さんの小説がきらいなんです」

 と言った。氏ははっきり顔色を変えて、

 「何ッ」

 と言った。それからしばらくして、思い返したように、うつむいて、横をむいたまま、

 「なあに。あんなことを言ったって、好きだから来るんだ。好きでなくて、こんなところへ来るもんか」

 と言っていた。