太宰治 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
太宰治に関するスレです。
楽しく語り合いましょう。
タイトルは変えてみました。
前スレ
【生誕103年】太宰治イベント第2巻【没後64年】
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/book/1340951612/ 229 もしもし、わたし名無しよ (ワッチョイ c6be-bHOB)[sage] 2018/04/09(月) 11:04:09.50 ID:HyiIhlY+0
こんにちは、月収約8億円の男です
年収じゃないですよ、月収です
さて、久しぶりに現金風呂に入りたくなったので
1億円、現金にして来ました
現金風呂とは、風呂桶に現金を1億円入れて
そこにお湯を張るという簡単なものですが
これがまたいい、もう至福の時間を独り占めですよ
皆さんもやってみてください
ココロもカラダもスッキリしますよ
ふやけた現金1億円は水を切ってから固めて燃えるゴミに出します
乾かして使おうなんてそんなセコイことは考えてはなりません
ところでドールですが
今年、もう6億円ほど使いました
ありがとうございます >>404
日本浪漫主義というのは日本浪曼派のこと?
そうだとして、影響というと具体的にどういうところ? いまだに盗撮やって捕まる連中がいることが信じられんよな
最近だと、学校の校長とか大学病院の医者が実名報道されて捕まったしな
どうせ、スカートの下はスパッツや見せパンばっかりなのに 話としてまとめると、誰でも飲み込めそうな話なんだよね。
あの世で起きた神の相談。
エバは、イナンナだった女性でモーゼに旧約聖書の作者になってもらうことをお願いして
自分はイシュタルとして身を潜める。
イシュタルは、マリアとイエスが親子だという話を広める為に
イエスにメシアの役を務めるようお願いする。
イシュタルは、マリアや中国の妲己や天照大御神とグループを形成し、
お稲荷さんを始める。※お稲荷さんには重要な仕事があり、悟りを開く前の人間に対し、
誘惑を仕掛ける。また、人間の秘儀参入時の霊界の審査もお稲荷さん中心で開催される。
それが、稲穂を実らせる前の荷物という意味。
此処重要。重要なのに日本人は誰も字の意味を解いてない。
お稲荷さんとは悟りそうな人をそのまま進ませるかどうかを
判定してくれる存在。
現在の課題。
イエスが中心の世界だけれども、イエスはお稲荷さんに呼ばれてメシアになった人で
メシアはお稲荷さんが引き連れている地縛霊に憑依を依頼し、輪廻を終えるカルマが
無くならないように働きかけ、霊界からの支配が継続するように見張っている。← この点を言及してほしい。
王路(引き寄せの法則) おまえらの力が必要だ!
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/atopi/1512118999/ 一度は墓参りに行きたいが、(出来れば桜桃)いまだに機会を得られずにいる
そして、いつの間にか太宰より歳上になってしまった… 毎回この時期になると太宰治の墓にションベンをかける奴が出るよな
バチ当り過ぎて引くわ 桜桃忌は芋洗いになるので普通の日に静かにお参りをしよう。
先日柳川に行く機会があったので、太宰の遊び仲間である檀一雄氏の墓に
お参りをしてきた。生前「一度太宰を九州に連れて行きたかった」と語っていたとか。 東京人July 2018 no.398
特集没後70年 今こそ読みたい 太宰治 10
「トカトントン」
落語を聴き終えた直後のあの快感
文・作家、脚本家 木皿 泉 16
再録 2008年12月「東京人」増刊
「保存版 三鷹に生きた 太宰治」思い出インタビュー
男の本質は“マザー・シップ”だよ
吉本隆明 84 太宰治の死の原因を考えていって、
彼の文芸抽象的な完遂の為であると思った。 (壇一雄) 太宰治作品朗読劇「三鷹と太宰vol.2」
■作品内容「走れメロス」…ほか、現在選定中
■演出 原きよ プロフィール 元OBS大分放送アナウンサー。朗読を長谷由子に師事。「太宰治」作品朗読をライフワークとし、三鷹市を拠点に太宰治ゆかりの地で朗読ライブ開催。
■公演日 2018年7月29日(日) ※公演予備日 7月28日(土)一日2〜3公演、全3〜6公演予定
■料金 前売/当日 1枚3,500円 ※ドリンク代500円別
■会場 三鷹RIスタジオ 東京都三鷹市下連雀3-22-10 榎本ビルB1F 没後70年となる作家、太宰治(1909〜48年)をしのぶ「山梨桜桃忌」が10日、一時滞在した富士河口湖町河口の御坂峠「天下茶屋」で営まれた。
山梨桜桃忌を主宰し、昨年11月に67歳で亡くなった元甲府市職員、橘田茂樹さんを追悼した。
天下茶屋の近くに立つ文学碑には「桜桃忌」にちなんでサクランボが供えられ、
橘田さんの親族や県内外から集まった30人の参列者が石碑に酒をかけて花を手向けた。 山梨桜桃忌は78年、太宰を研究する橘田さんらが集まって発足した。
命日とされる6月19日に近い日曜日に太宰を追悼し、
研究者や作家らを講師に招いて勉強会や朗読会を続けてきた。
橘田さんは亡くなるまで「太宰治と甲州」のタイトルで研究成果を出版する意欲を示していたといい、
参加者は橘田さんの功績を振り返った。
山梨桜桃忌は天下茶屋の店主、外川満さん(74)らが引き継ぐという。
太宰は師と仰ぐ作家の井伏鱒二を頼って38年の9月〜11月半ばまで天下茶屋に滞在した。【小田切敏雄】
毎日新聞??2018年6月12日 地方版 桜桃忌2018イベント開催
第50回フォス研(太宰治作品自由研究会)
17th 2018桜桃忌ダザイベートのお知らせ
テーマ 太宰治に関する事でしたら自由です。
日時 2018年6月19日(火)桜桃忌 18時30分スタート20時終了
場所 フォスフォレッセンス店内 (当日は店内貸切になりますので通常営業は18時までです)
定員 12名
費用 500円(ドリンク付)
あらかじめ予約が必要ですので、来店時かメール・お電話などでお知らせください。
太宰作品や太宰治に興味のある方でしたらどなたでも参加できます。
定員に達しましたら申し込み受付を締め切りますので、参加希望の方はなるべくお早めにどうぞ。
没後70年の桜桃忌、太宰な1日を過ごすさまざまな催しのひとつの選択肢としてご検討下さい。
参加ご希望の方は直接、メール、電話、SNSなどでお知らせください。
質問などもお気軽にどうぞ。
TEL 0422-46-1004
メニューバーの「お問い合わせ」からか
直接メール:bookphos@kmail.plala.or.jp までお願い致します。 太宰治の墓の名前の部分にサクランボつめこんでって・・・
桜桃忌って、なんか変。 昨日は天気よかったし、人もそこそこいた。ツアーの客が多かった。
文学サロンも盛況で、斜陽などの自筆の原稿も展示あり。
三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリーでは、
「太宰治 三鷹とともに」展、開催中。
7月16日まで。 われ、山にむかいて、目を挙あぐ。
――詩篇、第百二十一。
子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。 太宰治の誕生109年祝う、青森
「斜陽」や「走れメロス」で知られる太宰治の生誕祭が19日、
生まれ故郷の青森県五所川原市(旧金木町)の芦野公園で開かれ、
親族やファンが太宰が生まれてから109年になるのを祝った。
式典で太宰の長女の津島園子さん(77)が
「太宰の名前が全国に広がっていることに文学の力を感じる。来年は皆さまに生誕110年を盛り上げてもらいたい」
とあいさつ。
地元の小中学生、高校生4人が「人間失格」など作品の感想文を朗読し、
地元合唱団が太宰の賛歌を披露し、
津島さんやファンらが銅像に献花した。
東京の玉川上水で入水自殺した太宰の遺体が見つかった6月19日は桜桃忌で知られている。
http://www.topics.or.jp/articles/-/62620 恋愛は、
チャンスではないと思う。
私はそれを意志だと思う。 生活のありのままを作文に書き、それをクラスで読み合う「生活綴方(つづりかた)」。
100年近い歴史がありながら、教師の多忙化などで廃れていたこの教育手法に、あえて全学年で取り組む公立小学校がある。
「格差」の広がりとともに厳しい生活環境を抱える子どもが増える中、
絆を深め、生きる意欲を高める授業として再評価されつつある。 私はなんにも知りません。
しかし、伸びて行く方向に
陽が当たるようです。 人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、
いや半日あったら、 それは仕合せな人間です。 人は本当に愛していればかえって愛の言葉など白々しくて言いたくなくなるものでございます。
太宰治 私は、戦争の追憶は語るのも、聞くのも、いやだ。人がたくさん死んだのに、それでも陳腐で退屈だ。 昨年は、何も無かった。一昨年は、何も無かった。その前のとしも、何も無かった。 没後70年 太宰治ゆかりの品展 東京 三鷹
2018年7月3日 4時10分 NHK
作家の太宰治が愛用していた万年筆や直筆のエッセーなどを集めた展示会が東京 三鷹市で開かれています。
三鷹市は作家の太宰治が作家活動を続けたゆかりの場所で、
展示会は太宰が亡くなってから今年で70年になったのに合わせて開かれています。
ゆかりの品々およそ300点が展示され、このうち太宰が愛用した万年筆は妻から贈られたもので、
「斜陽」や「人間失格」などの作品の執筆に取り組んだということです。 昭和15年執筆され、太宰の死後に発表された「大恩は語らず」というエッセーの直筆の原稿が、
出版社に郵送した際の封筒とともに展示されています。
展示会を開いた「三鷹市太宰治文学サロン」の吉永麻美学芸員は「太宰の没後70年という節目の年に、
多くの人に三鷹との関わりを知ってほしい」と話していました。
この展示は今月16日まで三鷹市の美術ギャラリーで開かれています。
〒181-0013
東京都三鷹市下連雀3-35-1 CORAL5F
TEL:0422-79-0033 >>450
>多くの人に三鷹との関わりを知ってほしい
自分の仕事場の宣伝がそんなに大事かねw >>451
知らないんなら書き込まなければいいのに 知らない人
太宰治
ことしの正月は、さんざんでありました。五日すぎから、腰の右方に腫物ができて、
粗末にしてゐたら次第にそれが成長し、十五日までは酒を呑んだりして不安の氣持をごまかしてゐましたが、
たうとう十六日からは、寢たつきりになつてしまひました。
惡寒疼痛、二、三日は、夜もろくに眠れませんでした。 >>455
いいレスだw
>>452のような気持ちの悪い太宰ファンよりはずっといい。 ファンなら、愛用してた万年筆や自筆の原稿を観たいと思うのは自然でしょ。 >>459
うわ〜〜 ・・・
アイドル追っかけクラスのバカだった・・・w >>459
この万年筆で「人間失格」を書いたんだと想像したら、ワクワクしますよね。 >>461
しないよ。
太宰のオッカケなんかやめて、韓流スターに握手でもしてもらえよw ダス・ゲマイネが一番好きなんだけど同じ人いない?
次点で正義と微笑、パンドラの箱 >>463
読むと、上野公園で甘酒を飲みたくなります。 太宰治は、綴方が上手かった。
「綴方は、自己を綴ることである」 太宰というのは学校時代は神童。
そのくらいじゃないと歴史に残る作家にはなれない。 太宰は人間的には嫌いだけど文章は読みやすくて好きです。 その學校は男と女の共學であつたが、それでも私は自分から女生徒に近づいたことなどなかつた。
私は欲情がはげしいから、懸命にそれをおさへ、女にもたいへん臆病になつてゐた。
私はそれまで、二人三人の女の子から思はれたが、いつでも知らない振りをして來たのだつた。 私は風景をスケツチしたり昆蟲の採集をしたりして、野原や谷川をはしり回つた。
水彩畫を五枚ゑがくのと珍らしい昆蟲の標本を十種あつめるのとが、教師に課された休暇中の宿題であつた。
私は捕蟲網を肩にかついで、弟にはピンセツトだの毒壺だののはひつた採集鞄を持たせ、もんしろ蝶やばつたを追ひながら一日を夏の野原で過した。 太宰さんはメンヘラ男だったんじゃ…異邦人の主人公に似てる。 >>470
太宰というのは、生涯、正義とはなにか優しさとはなにかを追及したんじゃないのかな。 葉蔵はボダ、ムルソーはシゾイドっぽい
メンヘラと言っても違ったタイプに見える 私はあの人を愛していない。
愛するとは、もっと別な、
母の気持も含まれた、
血のつながりを感じさせるような、
特殊の感情なのではなかろうか。
私は、あの人を愛していない。 「まっくろぐろの四足獣」っていう表現に鳥肌がたったの覚えてる。どの話だっけかな。
人間失格の吐血シーンの美しさも異常 太宰ほど抵抗感のない文章を書く人を知らない
それは語りの距離が近くて、
文体を客観的に意識しないからのように思う 太宰周辺の関係者でも最高傑作に津軽を挙げる人が多かったと思う。
佐藤春夫「これ一作だけでも太宰の名前は後世まで残るであろう」とのこと。 人間は恋と革命のために生まれてきたのだ
…最高です >>481
>太宰周辺の関係者でも最高傑作に津軽を挙げる人が多かったと思う。
長い作品がそれほどないからね
その中ではいちばん優れている >>483
技術的な面を含めて、右大臣実朝が近代文学の最高傑作かと。 時により過ぐれば民の嘆きなり・・・
この夏にこれほどふさわしい歌はないな。 >>484
>右大臣実朝が近代文学の最高傑作かと。
それは過大評価 >>488
あなたが評価する近代文学の最高傑作はなに?
「実朝」との評価の差の内容も触れてくれるとありがたい。 >>489
これを完成したら
自殺するつもりで
晩年としたんだね >>490
>「実朝」との評価の差の内容も触れてくれるとありがたい。
それはあなたが言うべきことなんじゃないの?
普通はかくかくしかじかの観点より
太宰作品中1番であり近代日本文学でも1番と言わないと
だれも納得しないよ >>492
実朝は古典を引用しながらその古典時代の物語を進めていく。
その物語の中に、現代に通じる人の心を生き生きと浮かび上がらせている。
さらに中世の付き人の視点からのナレーションを加えて時代と人となりの解説をさせる。
重層的かつ立体的な構成をもって、実朝像を構築することができたということで、近代文学の最高峰と位置付けた。 >>491
版元の関係者である浅見淵に「早く晩年出して。そしたらもう思い残すことないから」
という趣旨の督促状を再三送ったとか。
当時は心身ともに最悪だった時期だから気持ちとしては晩年だったのだろう。 普通に仕事してるだけだろ。激しいテンションの出世でもないし。 >>495
「晩年」は、私の最初の小説集なのです。
もう、これが、私の唯一の遺著になるだろうと思いましたから、
題も、「晩年」として置いたのです。 >>497
本人は謙遜のつもりでそう書いてるけど、これが文学というものだ、という並々ならぬ自負があったから、集大成という意味で「晩年」にしたんじゃないかと思ってる。
選ばれてあることの・・・ じゃないだろうか? >>498
そう言う自負はあっただろうけど
1936年6月に出版
その時すでに1年以上麻薬中毒になっていて
10月には人間失格のねたになった入院があったり
それ以前に3回自殺して3回目では女だけ殺していたり
左翼運動に挫折したりと
とても前途洋々たる処女作とは思えない
むしろ>これが、私の唯一の遺著になるだろうと思いましたから
というのが正直なところに思える >>499
あれだけの作品は、よほど落ち着いた精神状態になっていないと書けない。
自分が終わった人間だと思っているなら、恍惚も不安もないんじゃないだろうか? >>502
終わった人間と言うんじゃなくて
死ななくちゃいけない
せめて死ぬ前に1冊残したいみたいな。
それは恍惚と不安と矛盾はしなくて、
むしろ相互依存的に共存するものだと思う。
よく言われることだけど太宰文学は敗北の美学で、
破れたもの滅びるものこそが美しいという中心テーゼがあり、
それゆえ創作者の冷徹さというものも、さきのレスで書いたような
悲惨な精神状態の中でも可能なのだと思う。
というか、一般的には悲惨な状況こそが、
太宰が望む場所みたいな部分があって、
そこで冷徹に自分を見て、また自分に甘え
創作が可能だったように思える。
またこれは別の話で、もしかしたら覚醒剤的な中毒だったら、
末期になるまでは、その名の通り覚醒作用があるらしいので、
そのせいもあったのかもしれない。 99 名前:もしもし、わたし名無しよ :2018/08/12(日) 03:35:45.57 ID:VHjGvrQt
いまパリからです
突然話が進んでその日に速攻でチケットを買いその日に飛んで来ました
今回は少し滞在する予定です
また今回はたぶん17億円程使う予定です
正直もう今年になってアンティークドールだけに60億程使ってます
仕方ないですね好きなんですからw
また報告します ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています