>>511
あなたは太宰の主要作品を読んでないんじゃないかな?

信頼の疑わしさなら、晩年はもとより戦争前の作品には頻繁に出てくる。
走れメロスは転換点だとはいえるかもしれない。
そして、信頼は関係の中にしか成立しえないことを理解したというのは、津軽に代表させれば十分だろう。

戦中の作品では、太宰の安定した精神が、関係の中にしかないという信頼の在り方を達観(諦観)させているが、戦後はそのあまりの関係の強さに絶望した。
パンドラの匣にはその変化がよく見て取れる。
人間には関係抜きの信頼がありえないと思い込んだ時に、義のために飲む、という自らの破滅に進んだ。

滅びの美学とか、通俗的な、あまりに通俗的な、ネット太宰観というのがあるのだろうか?