太宰治 [無断転載禁止]©2ch.net
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太宰治に関するスレです。
楽しく語り合いましょう。
タイトルは変えてみました。
前スレ
【生誕103年】太宰治イベント第2巻【没後64年】
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/book/1340951612/ >>888
はい
すぐ見つかるかと思ったのですが
なかなか難しいですね〜 そういうノリを愛する読者を相手に商売しつつ
心底コケにする作品を書いていた人 教科書に「走れメロス」載ってんなら、天皇良くないのは、文科省の公式見解だよな 以前文学板のどこかに、太宰が日本文学で一番、みたいにあったけど
芥川の自殺に衝撃受けて、葉蔵の手記みたいな人間失格の後で
自殺して森鴎外の隣に墓って、ちょっとヤバ過ぎじゃないか、と思った 今でも一番売れてるのが太宰なんだっけ
太宰が評価されるのはいいがこれが日本の代表的な作家だと思われるとそれはそれでおかしい気がする でも芥川のほうがザ・文学って感じするね
太宰のはエッセイ臭がする 俺がこの小説家を一番理解してる(心酔ともまた違うような)って話題でよく名の出る太宰
これは何でなんだろうね
実際俺も「こいつ俺のために書いてんじゃねえの」とか思ったことあるし >>900
自分のために書かれてる、なんてことはまったく感じないが、なぜそう書かれているのか、ということはよくわかる。 >実際俺も「こいつ俺のために書いてんじゃねえの」とか思ったことあるし
作家は読者に一人でもそう思わせたら勝ちって言うね 千人の読者に一回読まれるより、一人の読者に千回読まれた方がいい。
僕は千人の読者に千回読まれたい。 むかしテレホンサービスで太宰治の声聞けたらしいんだが、You Tubeにでもあがってないかねえ 小山初代 🤥
太田静子 🙂
山崎富栄 😳
例の人 🥰 メロスの文章いいね
斜陽やヴィヨンの後に読んだから驚いた 佐藤春夫に言わせれば太宰治はセンチメンタルな通俗小説
坂口安吾こそ文学の王道だとさ >>908
ミステリーが絶品だね
太宰も書いてたけどあれはあかんわ 三島だけ知ってるよね
名前だけ知ってて読みもしないけど 太宰治スレのこの書き込みした方いますか?まだ
10年以上前だからいないかな
0260 吾輩は名無しである 2011/04/01 23:53:12
こんな
四十にだけは
なりたくなかった!
21世紀の
『人間失格』が
今、降臨。
もはや生ける伝説。最後の
無頼派作家/ミュージシャンの
魂の軌跡全告白。 >>912
坂口安吾だな。
柄谷行人は「本物の無頼派は坂口安吾だけ」と言っている。
無頼とは「頼るものが無い」ということだが、
太宰治は学生時代は共産党という組織に頼り、
芥川賞が欲しくて先輩作家に頼り、
死ぬ時までも女に頼らないと死ねなかった、
他者に頼ってばかりの人だったと一刀両断にしている。
太宰は人物の描写が妙で映画みたいに様子や心情が浮かび上がってくるけど、それ以上はないよね。シーレみたいに劇的な人生に注目されてるだけ。
谷崎文学の文質彬彬な美しい描写に、心の貧しい私は勝るものがないと思う。 斜陽の出だしからお母様が野糞をするところまでが好きで何度も読んでいる 志賀直哉が「華族があんな言葉遣いはしない」と突っ込むと、
単なる田舎地主の家柄とバレた恥ずかしさで逆ギレして志賀を攻撃した太宰w 同じように三島も華族の言葉遣いではないと笑い
数年後に夏子の冒険で斜陽に坊っちゃんを足したオープニングを書いている >>920
身内に華族がいたけど、ごく普通の言葉づかいだったな。
僕が住んでたところも、周辺には華族やその関係者がいたけど、やっぱりごく普通の話し方だった。
こちらが平民だからあわせてただけかもしれない。
時代がズレてるせいかもしれないけど、昭和だって華族が華族の世界だけで暮らしてたわけじゃないだろう。
社会の標準的な言葉に変わっていく。
例えば軍隊に入った〇〇殿下は、やっぱり軍隊言葉になるしかなかったんじゃないかな? >>922
斜陽は昭和22年の作品だぞ?
お前はその時代に華族と話したのか? >>924
一般に個人の言葉は驚くほど早く変化する。
地方から東京へでも東京から地方へでも、住居が変わればその土地の言葉に馴染んでしまう。
吉本芸人は、大阪弁(関西弁?)が売り物でもあるせいか、かたくなに大阪弁を通していくが、一般の企業に入った大阪人(関西人)は入社時から標準語だ。
戦前の華族であっても、企業との交流など一般人との交流の中に入ってることが多いだろう。
年金で華族同士で遊び暮らしていただけとも思えない。
だから、皇族でも軍隊に入れば軍隊言葉で会話してたはずだと思うし、斜陽の女性も少していねいな普通の言葉、つまり僕が体験したような言葉なんじゃないかと思ってる。
なにより、太宰は太田静子さんと愛人関係にあったんだから、それほど違和感のない会話をしてたんじゃないかと思うのが自然なみかただ。 >>923
ガーシーが「アテンド」なる言葉を教えてくれた >>920
直哉もダサいよな
斜陽が売れた悔しかったんだろうな 坂口安吾は太宰は大御所の志賀直哉に褒められたい気持ちもあったと
そもそも安吾は本質的に志賀直哉に文学の問題は無いと言い切っているが 日本の華族というのは様々な出自を持っている。
公家系列もあるが、武家の系列もあり、明治維新の論功行賞の系列もある。
さらに、一定の官職についた者に与えられた男爵も華族に含まれる。
太田静子さんの家がどの系列の華族であったのかは知らないが、事実上庶民の家と変わらない家系の華族もあった。
当然、その出自によっても言葉遣いが違うに決まっているし、もちろん周辺環境によって大きく異なるのは言うまでもない。
志賀直哉も三島由紀夫も、そういう言葉の特性が理解できていないから、くだらないケチをつけたんだろう。
斜陽は彼らには書けない名作だった。
日記をそのまま写しているようでいて、その中に決定的な創作性を閉じ込めるというのは、太宰にしかできない、いわば本歌取りの極意だと思う。 とにかく三島をsageずにはいられないのが太宰ヲタの悪い癖 >>930
華族制度がどういうものだったのかも知らないの? >>932
上げるとか下げるとか、君は文学とは無縁の人なんだねw >>929
志賀直哉や三島由紀夫の家柄で特性を理解していなかったとは到底思えない
むしろ理解していなかったのは華族とは無縁の家柄の太宰でしょ
だから指摘されて逆上したわけで >>934
あっちを上げてこっちを下げるなんて文士どもがよくやってたことだな
あいつら文学と関係ないというなら近代文学はほとんどもぬけの殻になる
それでもいいけど みんな作家と自分を同一化しすぎじゃない?作家の書いたものを読んでいるわけで、読んでるからといってその作家や作家の書いたものを支持しなきゃいけないわけじゃないんだが。 >>939
作家と同一化してる程度なら、アイドルの追っかけと同じだから大して害はない。
これが、国家と同一化してしまうと、愛国者となって、社会に大きな害悪を及ぼす。 右大臣実朝が岩波文庫に入ったのに誰も話題にしないのかね? >>941
いくらでもタダで読めるのに、いまさら? 「斜陽」に関する志賀直哉の「興醒めだ」との酷評は尤もだし(あくまで「華族のイメージ」の問題)、正直、「人間失格」以外に太宰の作品なんて卑屈で読む気もしないが、太宰本人の人生行路やトラブル、言行にはなぜか強く惹かれる。
特に堤茂久「太宰治との七年間」、山岸外史「人間太宰治」、長尾良「太宰治その人と」は繰り返し読んでる。
太宰を通して戦前・戦中・戦後にタイムスリップできるようで面白い。それぞれの証言をジグソーパズルのように嵌めていく楽しさがある。
昭和22年に「斜陽」がベストセラーになって、脂が乗り切ってる翌年、太宰と山崎富栄の心中は本当に謎(納得いかない、もどかしさが残る)。
2人の遺体の引き揚げに立ち会った新潮の編集者の野平健一や風紋の林聖子ママは「肺結核がそんなに悪くは見えなかった」「(ダウン症の長男)正樹君のために、良い作品(ベストセラー)を書く動機も気力もあったはず」と70年経った今でも納得がいかないという表情で証言している。そこでこんな風に推理してみた! >>945
太宰と富栄、玉川上水心中の真相は、美容室の開業資金がすべて太宰の飲み食いに消えた上、太宰から別れ話を切り出された富栄が逆上して、太宰の3人の子供たちに青酸カリを飲ませて自分も死ぬと脅したんじゃないか(野原一夫「回想太宰治」)。。。
当時太宰は、女性関係(妻・美知子、愛人たち・富栄と静子との軋轢)、師匠・友人関係(井伏鱒二、亀井勝一郎、山岸外史との隙間風)、金銭問題(多額の所得税滞納や治子の養育費)、仕事関係(ベストセラー「斜陽」を酷評した文壇の大家・志賀直哉への宣戦布告「如是我聞」)など、すべてに行き詰り、創作すればするほど、どんどん実家や他人を傷つけ、巡り巡って自分も家族も心苦しくなっていってしまう純文学に心底嫌気がさして「書くのが嫌になった」のではないか。。。
子供達(長女園子、長男正樹、次女祐子)に飲ませるくらいならその青酸カリを俺にくれよ、どうせ同じこと(田辺あつみ、初代、妻・美知子、富栄、太田静子、関係を持ったすべての女性を不幸に)の繰り返しなら、全財産をはたいてくれた君と一緒に死んであげる。もう十分生きたし、遺族を食わせる全集も作った。この世に思い残すこともない。書きたいことは書き切った。親父やお袋、姉貴や兄貴、礼治や逸郎、あつ美や初代、塩月赳や三田循司「(太宰先生は)大いなる(純)文学の(完結の)ために死んで下さい。自分も死にます、この戦争のために」のところへ行こう...という気分になって、いわば子供たちの身代わりに死んだような
「みんなそんなふうにしか生きられなかったのだ(野原一夫「回想太宰治」)」という一文が響く。
みんなはどんなふうに想像してるかね? 大地主の家に生まれた太宰は、なぜか他人を不幸にしてしまう自分の身勝手な行動に対する罪悪感(苦しさ)から解放されようとして死にたがり続け、
最終的に自らの命を以って山崎富栄からの借金を返し、自分の人生に「けり」を付けたように思われるんだが、みんなはどうかね? 太宰はノーマル走りで 魔飛龍の真空突き魔創で死とかじゃない。
異彩な光を追って天国解放のため走っていたんだ。 ドルビーチョフ デジタルアーキヴ。サウンドシステム。 死ぬことが本当の幸せで生きることが特に不幸であったなら。生きなおしをしてみたい。 悪魔召喚とかまあそんなネタじゃないの新体和歌運動。東大種薄い。 召喚魔法というと公開されてるが召喚人格魔術というと。 魔力魔法スキル、刑務所耐性。そんな能力売ってるよ。 意外に精神病院と刑務所恵まれてる巣鴨。そこをダンジョンで抑えると、速さ。 重要度はかなり。警察病院大学院付属精神病院精神科。 走れメロスじゃ勝てない、何のための異能な走りか。急性期援護、
刑務所全国民許可制公開。 各国首都はクーデター足す首都防衛か 巣鴨病院 臨床心理士 巣鴨プリズン 公認心理師。 華族だったり華族と付き合いがあったりする人はいる?
いたら志賀直哉や三島のだ
斜陽批判が見当違いだってことがわかると思うんだけどな? 日が陰ってきているということじゃないの意識傀儡で欠かされて。大宰府は黒人
白人女を左遷。白豚骨が大事だ。本州の。 障害者の繁殖嫌いで女性の意識や肉体を犯して触れる触れに拘わらず虐待暴力している
言語的にもというのが上流じゃなくて庶民。 そういうのが一人エッチさせられて割腹自殺などしてるが。太宰の心中や三島の死も
あやうい。 障害者じゃないのに一人エッチ行為に及んでも流産が多い。
ちゃんとした共産の管理受けるべき。 性など障害者の繁殖排泄と独りよがりの性のナルシスト手使いは根本的に違う。 >>946
太宰が行方不明になって、野川家の2階・富栄の下宿で2人の遺書を発見した野平健一と林聖子は、三鷹駅から玉川上水を万助橋の方に下って走り、一箇所、土手の竹藪が途切れて、ガラスの皿とハサミ、茶色(水)と青色(青酸カリ)の小瓶が置いてあって、下駄を引き摺って落ちた痕と思しき赤土の抉れが2筋あったと証言しています。
おそらくハサミで2人を結んだヒモを切り、太宰が自ら青酸カリを呷(あお)って「サッちゃん、逝こう!川の向こう岸で夫婦になろう!」「はい、あなた!」ドボン!ドボン!
太田治子さんが生まれて、治の字を取られたと逆上した富栄さんに「君にはまだ修治の修の字が残ってるじゃないか」と言う太宰に納得したのは、亡き夫・奥名修一の修の字でもあったからかもしれませんね。 >>964
何が見当違いなんだ?
具体的に説明してみ >>974
華族はこんな動作をしない、とか、こんな言葉づかいをしない、というところだよ? >>975
だからそれをお前が「見当違い」認定しているのは何の根拠に基づいているのかと訊かれてんだろアホ >>976
自分の実体験と、それについての考察からだよ。
>>922と>>929を参考にしてね。 >>977
実体験www
お前が親戚の華族と会話した頃と斜陽が書かれた戦後間もなくの時代が同じだとでも思ってんのか? >>979
だらだら長いだけの詭弁の言い訳に過ぎない >>980
詭弁でも言い訳でもない、歴史的な事実だよ。
華族制度を調べてごらん。 >>981
見苦しい奴だな
志賀や三島のような本物の名家が当時違和感を抱いたんだから、
田舎地主風情の太宰が間違ってんだよドアホ >>982
>志賀や三島のような本物の名家
志賀直哉の家は地方の藩士だぞ?
親族に華族に嫁いだ女性がいるというだけで、本人は華族じゃない。
三島の父方は農家だが、どこが本物の名家なんだ? >>984
少なくとも青森の地主より華族との接点はあるわw >>985
え?
津軽藩主は華族だぞ?
太宰の実家が津軽藩上層部と付き合いがないわけがない。
そもそも、太宰と深く付き合って子供まで産んだ太田静子は華族だぞ? 女性関係、友人関係、文壇関係、金銭問題の四面楚歌となった太宰は最期に(単独自殺でない、愛人との)心中事件ができる千載一遇の(二度とない)チャンスとばかりに、自分の肺結核・悲運と自分にゾッコンの富栄さんの逆上を逆手に取って利用した(妻・美知子さんの回想によると、トランプ🃏のツーテンジャック〜マイナス札を集めて勝ちを得たような人生だった)とも言えるかもしれません(「愛人との心中」事件ニュース→小説の在庫が飛ぶように売れる→増刷増刷で遺族に莫大な印税が入る)。
太宰が行方不明になって大騒ぎになり、野平健一と林聖子は、三鷹駅から玉川上水を井の頭公園・万助橋の方に下って行き、一箇所、土手の竹藪が途切れて、ガラスの皿とハサミ✂、茶色(薄め水)と青色(青酸カリの致死量0.2g☠)の小瓶がバラバラに置いてあって、上水に滑り落ちた痕と思しき赤土の抉れが2筋あったと証言しています。
おそらく雨が降りしきる昭和23年6月「13日の金曜日」深夜、✂ハサミで切った紐で2人を結び付け、太宰が自ら青酸カリを呷(あお)って「サッちゃん、逝こう!川の向こう岸で夫婦になろう!」「はい、あなた!」ドボン!ドボン! もしかしたら、当時同じ三鷹在住だったカメラマン田村茂さん撮影の一連の玉川上水の土手での写真は、いろんな箇所で撮影がてら、将来飛び込む場所を物色してたのではと思ってしまいますね >>986
津軽藩主に対面できるような名家ではない
市会議員程度の田舎地主だぞボケ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。