日本の華族というのは様々な出自を持っている。
公家系列もあるが、武家の系列もあり、明治維新の論功行賞の系列もある。
さらに、一定の官職についた者に与えられた男爵も華族に含まれる。

太田静子さんの家がどの系列の華族であったのかは知らないが、事実上庶民の家と変わらない家系の華族もあった。
当然、その出自によっても言葉遣いが違うに決まっているし、もちろん周辺環境によって大きく異なるのは言うまでもない。
志賀直哉も三島由紀夫も、そういう言葉の特性が理解できていないから、くだらないケチをつけたんだろう。

斜陽は彼らには書けない名作だった。
日記をそのまま写しているようでいて、その中に決定的な創作性を閉じ込めるというのは、太宰にしかできない、いわば本歌取りの極意だと思う。