【拭けよ風】文学板雑談スレ241【呼べよ嵐】 [無断転載禁止]©2ch.net
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【夢の終り】文学板雑談スレ241【夢の始まり】
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http://mevius.2ch.ne...cgi/book/1503806155/ アイには何度も不愉快だから俺につきまとうなと言っているのだが
たぶん聞いてくれまい
であれば、残念ながら当分俺はおいとまするよ
皆さんとのやりとりはほんと楽しいんだが、この不愉快さはちょっと耐え難い
では ははは。そう嫌うなよ。だって、作品をアップしたからには感想を言われるのは当たり前じゃないか。別にムー大陸に付きまとっている訳じゃないよ。作品を公開すればなんらかのリアクションがあるのは当然じゃないか。おかしなことを言うなよ。 作品を公開しておいて、感想を言ったら付きまとうとか、おかしなことを言うよな? もう、作者の不在から説かなきゃいけないのか? 作品は公開された時点でもう、作者の私有物とは言えないんだぜ。わかってないな。 >>343
気持ちは分かるが、せめてだね、
君は全身に蜜を塗って木に縛り付けられ、纏わりつかされる的になるべき(暴言)
捨て犬に暖かい眼差しを送ったという理不尽な理由で、人柱になるべき運命なのだよ。 作品は公開する。ただし、感想は禁止する。なんて言えないんだよ。まったく、おかしなことを言うな。 君の詩を誉めてるのに、嫌われるいわれはないな。どうも理解に苦しむよ。 いったい、どういう事だろうね。別にすなおに感想を述べただけなのに付きまとうとか言われるのは不可解だよな。 感想を言われたくないなら、まじで作品なんか公表しなければいい。 要するに作品という意識がないんだな。すべては冗談であると。そういう事か。 困ったねぇ。すべては冗談であるという考えは俺にはないんだよ。 >>352
細かいことは気にすんな
気にし過ぎだ
あと、連投はやめとけ
君にとっても毒になると思う
君が好きな嬢は、向こうも好意を持っているかもしれない
ポジティヴに楽しもうぜ >>342
おまえも自分で決めたルール守れた試しがねえじゃなえか >>358
連投、連投と言うけれども、東電さんが長文をアップするようにこれが僕のスタイルというものなんだよな。これは僕の書き込みのスタイルだよ。 地球に発生したDNAという暴走族超集団の生態に注目したムー大陸の詩はいいと思ったんで誉めたんだがどうやらまずかったらしいね。 要するに俺の誉め方にセンスがない、と言うことだろうな。 このDNA超集団の暴走と人間理性の問題は対比して考える必要があるな。 デオキシリボ核酸の渦からのスマートフォンの誕生、とかな。 いかにして暴走族のアナーキーから秩序が生成しえるのか?
秩序の構造的進化(?)はなぜ起きるのか? わかんねえなあ。
創価学会を作ったのは、後北条氏みたいだし、創価学会が朝鮮系というのはガセだね。
池田大作のハプロ知りてえなあ。 ハデウスの議論について、ウィキ「織田信長」にちょっと書いてあるな。
イエズス会の献上した地球儀・時計・地図などをよく理解したと言われる(当時はこの世界が丸い物体であることを
知る日本人はおらず、地球儀献上の際も家臣の誰もがその説明を理解できなかったが、
信長は「理にかなっている」と言い、理解した)。 安倍総理の家が、山口県の地方財閥的な位置にあるmというような書き込みがあったようだが、林文科大臣にしてもそうなわけである。
[林 平四郎(はやし へいしろう、1857年12月26日(安政4年11月11日[1]) - 1941年(昭和16年)12月11日)は、
日本の実業家、政治家。族籍は山口県平民[2]。醤油醸造業並料理旅館業[3]。
貴族院議員[3]。山口県多額納税者[3]。第55代農林水産大臣林芳正の高祖父。]
この人は、山口合同ガスや山陽電気鉄道(サンデン)などの創業者で、今も林家がオーナーである。 山口県宇部市第六、七代市長
伊藤勘助
1938年7月30日
1946年1月21日
日本国有鉄道仙台鉄道管理局長、山陽電気軌道社長
この人は、戦前の鉄道省の東北総局長(仙台管理局長)をしたのちに、
たぶん公職追放のせいだろう、その林家のサンデンの社長になり、その後、
宇部市の市長になった。 書類や文献、新聞に載らない出世もあるよ。制服も自前でもいいし。 そして、↑人の妻が、永山武四郎の末娘、武敏、武美、阿部みどり女、これらの妹の
静子という人で、それが私の義理の祖母。 永山武四郎
妻:伊集院トメ1853-1925(父:伊集院源之丞)
1871-1938 武敏
1877-1959 勝子(夫:野村弥三郎)
1879ー1944 清子(夫:山本周輔)
?-1906 藤子(夫:植木長治)
1882-1934 武光
1885-1975 武美(妻:野村勝1885-1958)
1886-1978 光子、阿部みどり女(夫:阿部卓爾)
1891- 静子(夫:伊藤勘助) 前に言ったように、そういうわけで、おたくの郁子ちゃんを、うちの義郎の嫁にどうか、という話が、親同士であったということである。 で、その旧名伊藤郁子ちゃん現在、仙台市若林区木ノ下の薬師堂から西に2百メートルほどのところに、東北大英語教師の長女らと住んでいる。
こんなことは、仙台市居住の英文学徒であると自称している新浦さんならば、すぐに調べがつくはずなわけだな。 おお、アメーバTVは使えるな。プロレスをたっぷり見せるコーナーがある。やはり、格闘技よりプロレスのほうがはるかに面白いな! 世論調査
調査日: 2017年9月8(金) 〜9月10日(日)
[ 安 倍 内 閣 支 持 率 ]
支持する 支持しない わからない
今 回 (9月) 42.1% 41.0% 17.0%
政党支持率
(1) 自由民主党 37.9 %
(2) 民進党 8.5 %
(3) 公明党 3.9 %
(4) 日本共産党 3.2 %
(5) 日本維新の会 1.3 %
(6) 社会民主党 0.7 %
(7) 自由党 0.7 %
(8) 日本のこころ 0.0 %
(9) その他 0.7 %
(10) 支持している政党はない 38.7 %
(11) わからない、答えない 4.5 %
http://www.ntv.co.jp/yoron/201709/soku-index.html
安倍内閣支持率は42%か
民進党支持率響くのはこれからかな?民進党支持率維持してる
あとは維新がズタボロ
まずは維新をぶっつぶすべき >>380
満タンだったコップの水が、もう表面膨張を破ったねw 東電やらムー大陸やらのレコード屋・ビデオ屋の店員のうんちく話みたいなのよりは、
話のタネになるだろう。
取ろうと思えば、裏も散れるわけだしな。 なにしろ、ここには、仙台市居住の英文学とと称する固定ハンドルがいるんだし。 ≫たぶん公職追放のせいだろう、
伊藤勘助が、宇部市の市長を務めていたのは、戦前からなので、
公職追放云々という推測は、まったくの誤りだった。 飯伏幸太と内藤哲也の死闘はまさに名勝負だったな……❗ プロレス健在なり。 ≫毎日毎日毎日よう
≫おんなじ8人くらいがおんなじメンツ相手に毎日おんなじことを言ってるだけなんだよ
≫とんだゴミクソな時間の使い方だな
そして、この「八人くらい」というのにしても、同一人物が複数人を装っているのが明白だから、
じつは、八人どころでなく、わずか三、四人なんだよな。
その三、四人が、かばいあいの精神でもって、
嘘八百を、ここでのみ通用する手口で、まことらしく見せかけようとして、けっこうな労力を費やしている、というわけね。 これからは、プロレスと将棋とペイントレストの時代かも。あと、映画と。活字離れが進むかも。 あ、あともちろんストリップもね。もう、純文はほとんどないわ。 だから、カンバセーション・ピースもAmazonで買ったけどたぶん読まないな。 「1886(明治19)年に樺戸(月形)と峰延(空知)間約18キロの工事がおこなわれ
た。当時もっとも困難な工事として知られ、泥炭地・湿地帯に何万石もの丸太を敷
き、砂利を盛って一直線につくられた。この年、樺戸集地監で亡くなった40人の囚人
の多くが、道路建設に携わった人たちだ。
1891(明治24)年には樺戸が北海道集地監の本監となり、網走分監が設置される。
その目的はロシアからの侵犯を防ぐための軍用道路の建設で、800人の囚人労働者が投
入された。結果としてその内200人が殉職するという日本行刑史上最悪の結果をもたら
している。その最大の原因は、当時の屯田兵本部長官、永山武四郎がロシア帝国の東
進政策に恐れをなし、その防衛を強化するため年内の完成を厳命したことによるとい
われている。](財界さっぽろオンラインというサイトの記事から)
「樺戸(月形)」じつはこれが、わたしの破滅派におけるペンネームの由来である。 『家族の肖像』(かぞくのしょうぞう、イタリア語: Gruppo di famiglia in un interno / 英語: Conversation Piece)は、1974年公開のイタリア・フランス合作映画である。監督はルキノ・ヴィスコンティ。カラー、シネスコ、121分。
孤独な老教授(最後まで名前は明かされない)と、新世代の若者たちとの交流を描いたヴィスコンティの代表作。英語題の「Conversation Piece」とは、18世紀イギリスで流行した「家族の団欒を描いた絵画」のこと。 じつはと言われても、誰も関心なかったんですけど……。💀 なんかジジイ臭いペンネームだな、と思ったぐらいで。はあ。 ああ、映画の話が唐突だなと思ったら、英語のタイトルがあれと一緒という訳なんですね。なるほど🎵 「Conversation Piece」とは、18世紀イギリスで流行した「家族の団欒を描いたこれも
これも、とうぜん知らなかったとわけね。
とにかく、ここの住民の馬鹿さ加減がよくあらわれているのは、わざわざ古っぽくしているのを、じじ臭い、とかということだろうな。
ところが、外国語なんか、まったくできないわけよね。アイというのなんか、とくにひどくて、中学英語すらできない。。
pなどという固定ハンドルは、じつにおもしろくて、
邦題「パリ・テキサス」を、「パリス・テキサス」と読みに近く表記したら、
マチガイダー、と言いつのり、そのうえ、パリス・テキサスでは、ダブルミーニングの意図が伝わらない、とか、こいつ脳みそどうなってんだ、というようなことを書いたものである。それが、ヒップホップがどうした、ストリートがなんたらかんたら、
とかとアメリカーンみたいなことを盛んに書いたりするんだよな。 なんだあ。保坂さんの小説には中程に安室奈美恵の曲が出て来るじょゃんか。しかたない読むか……。ちぇ。 語学が出来ると偉いのか?吉本隆明さんだって出来なかったぞ。英語なんか使わないから必要ないんだよ。アホか。
脳軟化症のジジイは黙ってケーブルテレビでも観てな。猫ちゃんたちと一緒にな。 [網走監獄、一望監視施設(パノプティコン)の一種だよね]
(にほこさんという方のブログから)
頭のいい人は、ちゃんとこういうことがわかるんだが、
ここには、そういう「頭のいい人」がほとんどあらわれなくなった。 吉本隆明は、英文の翻訳で生計を立てていた時期があったはずだ。 おんなじ話題を壊れたレコードみたいに繰り返すしか能のないまぬけに言われたくないわ。お前の言いぶん聞き飽きてるよ、みんな。 ≫みんな。
「みんな」なんていないだろう。
同一アドレスを使用している二、三人がいるくらいのもんで。
しかし、その二、三人は、おなじ精神病院の入院患者かなんかなのかね。 すくなくとも東電さんはお前の百倍は頭いいよな? だから、粘着してるんだろ。相手にされてないがね、当然。もう、寝るわ。おやすみ。 きまって、「東電さんはー」とくるんだよな。
この馬鹿さ加減が、すごいわけね。 まあ、東電というのも、pだのアイだのと同様に、書き込みから判断するに、
中学英語もろくにできないようだけどね。 網走監獄はベンサムのパノプティコンとは無関係ですよ
あの構造は牢獄としてよくある形に過ぎません
網走監獄の構造からは、囚人が看守の視線を感じることはありません
フーコー、あるいはベンサムが重視したのは「見られているが見ることができない」ことによる規律の非対称性でしょう
どちらかというとベンサムがパノプティコンを構想するに至ったそれ以前の監獄の思想から作られています
最近、マンガに出てきたので見た目でパノプティコンだーと勘違いする人が多いようです ≫網走監獄の構造からは、囚人が看守の視線を感じることはありません
囚人が看守の視線を感じることがのがない、パノプティコンの類する一望監視システムの肝だろう。
じっさいには視線をかんじないがゆえに、逆に、つねに視られているような気になり、
結果として、自己監視(規律の内面化)にいたる、というのが、肝心なところなんだからな。 囚人が看守の視線を感じることがのがない→囚人が看守の視線を感じることがないのが
で、“ベルギーのルーヴァン監獄をモデルにした五翼放射状平屋舎房”
やはり一望監視に近い機能をそなえたものといえるのじゃないの。 馬鹿なこと書いてケンカばかりしても愛されるコテ達と
必死で利口アピールしても嘲笑されるジジイの大きな違いは
「つまらない」「人のレスを読んでない」だと思う。
一緒にいて不快な男の特徴。
おれ結婚前は水商売だったんだけど、ジジイの書き込み
見るたびウザ客に当たった時のウンザリを思い出す。
相槌ほしけりゃお前だけ金を十倍払えよって感じ。
まして金の絡まないネットで馬鹿にされるのは当たり前。 網走の監獄は看守が廊下を通る際にしか視線は感じませんよ
重要な違いは、看守は逃げる、扉外に出た囚人を見つけやすくする、という構造であることです
パノプティコン(pan-opti-con)は逃げる囚人ではなくて、服役している囚人の姿も監視するというところに特徴があります
監視側の人的資源を節約し、脱走を阻む目的の構造です
そこには規律による矯正と言う考え方がありません ≫おれは結婚前は水商売だったんだけど、
ここの住民の二、三人(スレが全部の住民だが)も、水商売じゃないのか。
つまり、水商売同士で、かばいあい、もたれあい、そういうチーマー的カンバーセーションをやっているというわけね。 ベンサムの功利主義的な姿勢はパノプティコンにも反映され、ベンサムの考える限りにおいて、運営の経済性と収容者の福祉が最大限に両立されている。
ベンサムは「犯罪者を恒常的な監視下におけば、彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」と主張していた[1]。
パノプティコンをただの監視しやすい牢獄と捉えるならば、それこそ世界中にルーヴァン含めあるでしょう
しかし、それは設計上功利主義、「運営の経済性」の論理のみで説明がつくものです
功利主義をはみ出す「フーコーやベンサムの言う」パノプティコンとは無関係でしょう まあ一年しかやらなかったんだけどなwwww
ウザ客のウザいのは
「馬鹿にされてんのに懲りずに来る」とこ。
これもジジイと似てる。 ジジイ敬語忘れてるぞ
ほんとわかんねえジジイだなこいつは パノプティコンの英語のwikiになぜあれがパノプティコンと読んでほしくないのか書かれていますのでご笑覧下さい
No true Panopticon prisons to Bentham's designs have ever been built.
Although most prison designs have included elements of surveillance, the essential elements of Bentham's design were not only that the custodians should be able to view the prisoners at all times
(including times when they were in their cells), but also that the prisoners should be unable to see the custodians, and so could never be sure whether or not they were under surveillance.
This objective was extremely difficult to achieve within the constraints of the available technology, which explains why Bentham spent so many years reworking his plans.
Subsequent 19th-century prison designs enabled the custodians to keep the doors of cells and the outsides of buildings under observation, but not to see the prisoners in their cells.
Something close to a realization of Bentham's vision only became possible through 20th-century technological developments—notably closed-circuit television (CCTV) but these eliminated the need for a specific architectural framework. 「フランスの哲学者ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』のなかで、近代社会の管理
システムの原型として「一望監視装置(パノプティコン)」というものを考えてい
る。そのモデルは中央に監視塔があり、その周囲を独房が囲む円形の刑務所で、これ
は机上プランで実現されなかったが、「ペンシルバニア・システム」はその変形とい
うべきもの。」
こういうのは、ほぼ通説のようで、ひじょうにたくさん見かける。
で、ルーヴァン監獄もそのペンシルバニア・システムの一種ということのようだ。
通説は違う、というのはべつにいいがな。
「犯罪者を恒常的な監視下におけば、彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」
これにしたって、網走監獄は、囚人に労役を課しているんだから、
「生産的労働習慣」は求められるだろうし、一望監視型ならば、看守も小人数で済むので、監視に人数を割くのがたいへんな土地柄では、それも求められるだろう。 このto see the prisoners in their cellsが可能でない点
the prisoners should be unable to see the custodians, and so could never be sure whether or not they were under surveillance.
重要な二点で網走は満たしておりません
>囚人に労役を課しているんだから、 「生産的労働習慣」は求められる
これで終わってはただの監獄です
「パノプティコンっぽい」ならいいのですが、いわゆる「パノプティコン」にはフーコーやベンサムの手あかがついています
あえてその手あかをイメージするなら、あれをパノプティコンなんて無邪気に呼んではいけません
あれはただの監獄であって、パノプティコンのイメージ(最近のベンサム研究者が大嫌いなもの)重ねるのはよろしくない、と少し指摘しました No true Panopticon prisons to Bentham's designs have ever been built.
↓にしても、↑を踏まえているではないの。
[これは机上プランで実現されなかったが、「ペンシルバニア・システム」はその変形というべきもの。」
で、 [網走監獄、一望監視施設(パノプティコン)の一種だよね]
はなから、わたしにしても、引用元のブロガーさん方にしても、
「一種」とか「変形」ということでいっているんではないか。 飲み屋のウザ客中でもゲンナリなのがさ、
「俺はできる」アピールばっかのオヤジなんだよ
話さえ面白きゃハゲもデブもフケも口臭体臭も我慢するけど、
毎回延々お前の無条件自惚れだけ聞かされてどう反応しろっての
ジジイもそうでさ、ウザいか我慢できるかってレベルで
バカにされてんのに、当のジジイだけは、モテ度とかデキる度の
話だと思ってる。
違うんだよ。できるとか面白いって判定はジジイじゃなくて
読んだ方がすること。
これが決定的にわかってないんだジジは >>431
まぁ、フーコーと無関係にパノプティコンという言葉を使いたいならいいんです(使ってほしくないですけど)
だけどそれって、ただの監視のできる監獄でしょう
網走とフーコーのパノプティコンで見た目でなくて本質的に何が違うか分かればそれでいいですよ
便利なように監視しやすく設計された監獄なんて、別に網走に限らず、いくらでもあるんですけれどもね ここは、同一アドレス使用を含む三、四人が、
それもどうやら精神異常者が、「みんな」とか言っているだけだからね。
それが、やたらとかばいあいをやっているのだよな。 狭い意味では、パノプティコンというのは、監視カメラが発明されてはじめて、ほぼ実現した、といえるわけだろう。
ただ広い意味では、それに類する機能を持った施設というのは、あった、というのは
別におかしくはない、というよりも、常識的な見方だろう。
労役刑という考え方にしても、近代においては、昔のものとは違うだろうし。
それは近代では、労務を通じた矯正でもって勤労者市民としての道徳を身に着けさせる。というような意味では、教育刑と結びついたものになっている。
共産圏なんかでは、教育と労役というのはもっともイコールになっていたわけだ。
たとえば、北朝鮮でも、たてまえはそうなわけね。 ちなみに、監視のできない牢獄というのはベンサムの時代のイギリスの牢獄です
部屋の中を見る必要がないくらい狭い部屋に数人まとめて押し込める
とうぜん逃げ出せないから見回りもする必要がないという牢獄です
たまに見回りをするときには単に殴るため
部屋を広くしていくと頻繁に見回りをしなくてはいけなくなるから人が足りなくなる
その人を節約するためにどうしたらいいのか、殴る看守から遠ざけるためにはどうするかと言うのがベンサムの出発点です
さらに、仕事を教えるための矯正するための牢獄と言う考えもベンサムですね
罰を与えるのでなくて牢獄にあっても働かせるというのは結構特殊な考えなんです
フーコーは近代的な規律を教えるために〜とかベンサムをゆがめましたし、さらには監視しているだけの施設をパノプティコン的と形容されると・・・
内的視線における規律と言う考えも抜け落ちているし、囚人の環境改善と言う考えも抜け落ちる
それが抜け落ちた「パノプティコン」的監獄ねぇ・・・
パノプティコン言いたいだけやんって思う(言いたい言葉だから気持ちはわかるけど) おっ! レジャネ先生、生きてたか
フレッシュに孤独死しちゃったかな? と、頭の片隅に思っていたけど、ご健在かつ相変わらずのようで
そういえば、破滅派って大丈夫そうですか?
あそこもペルソナばかりで実質三、四人がワイワイやってただけの現象でしたか?
んなこたーない
レジャネ先生は自ら感性の監獄に入られていることを気付けていない
生粋の囚人なのかもね >>435
>監視カメラが発明されてはじめて、ほぼ実現した
これはさすがにフーコーからもベンサムからも全然違う
監視カメラはレンズがあるでしょう
あれは視線そのものですよ・・・
部屋の中を見ることが目的じゃないんだから、ただ24時間牢屋の前に監視人がたっていること、さすがに違いは分かりませんかね・・・ フーコーの「パノプチィコン」というのは、近代労働者道徳を内面化する各種の国家装置の比喩だもの。
労役刑=教育刑という考え方そのものが、自律的な労務者としてのふるまいを身に着けさせる、ということなんだから、
「内的視線における規律」をいうものなしには、成り立たないじゃないの。 その「監視カメラ」のたとえは、浅田が「構造と力」で用いているんだ。
なお、寄せ場送り、とかというように、教育刑=労役刑の考え方は、日本ではむかしからある、というようなこともいえるかもしれないが、それは日本では「養生所」がむかしからあるから、江戸幕府からして福祉主義の「生権力」だった、というようなもんだな。
ようするに、「極論すれば、そういえなくもない」ということだろう。 網走監獄は外的視線によって逃走を阻むものでしょう?
監視カメラも外的視線で行動を監視するもの
内的視線を養うためには「見られているかもしれないけど見ることができない」という構造が必要なわけ
網走にはその構造はなくて、単に似ているけれど違うもの
似ている。というからには何が違うかをきちんと知らなきゃいかんよ
で、フーコーの取り出したパノプティコンは明らかに違うところ、似ているのはむしろただの監獄だということ
浅田彰の監視カメラは日常生活でなかったっけ?その場合はされているかされていないか不確定性がある
監獄に監視カメラがあるかとは全く別だけれど、監獄の監視カメラで内的規律と言っているのですか? 浅田は、赤い旅団のメンバーに対する刑務所の扱いについて、
パノプティコンのたとえを用いたんだから、刑務所の話だ。
それと、この場合、監視カメラというのは、監視者が見ているか見ていないかわからない、が、つねに視ている可能性はあり、それゆえに、ついつい自ら律してしまう、という効果を狙ったものだから、
浅田のたとえは、何も問題ないのじゃないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています