訳文が文学的に良いと思う、というような意味ならば、それは好みの問題だ。
何にせよ、原文とされるものは、おおむかしの外国語だから、
どれだろうが日本語のものは、その翻訳にすぎないということではある。
べつの専門家でなくとも、のしそれなりの聖書研究的な関心を持って読むというのならば、詳しい注がたくさんついているようなものがいいのではないかと思うけれどね。