最近のと昔のを比べると
清造への愚直とも言える崇拝的なものが
なくなったことが大きいのではないか

それはこの醜い男北町貫太を聖化するとでもいった感じがしたのだが、
最近のは田中が代わりにでることが多く、
それは年代的なものにもよるのだろうけど、
彼に対しては清造に対するような自己放棄的なものはなく、
結果作品が単に醜い男の生活で終わっている気がする。