夏目漱石 八十三夜
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十四夜
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1490752239/ マルクス主義思想という抽象は
一命かけるのが難しいな
君は妻を他の全人類よりも優れていると
認定して子供を作ったの?
で生まれた国以外の国を劣っていると
知りながら愛する人は?
ガバガバだね
考える力が足りないからそれらしい引用に
パッと飛びつくから何度でも間違える
愛国を全否定しないとアイデンティティが
崩壊するのだろう
俺は文脈に応じて愛国心を批判することが
できるがただそれだけ 斜めから風刺する価値転倒の
味わいを、マルクス主義思想と
必死に重ねるのだからなあ
ナイーブというかリテラシーがないというか
浅瀬でジャブジャブというか
国は嘘つきでいつも庶民いじめだけ
とか昭和の婆さんでも言ってたよ
君の中ではそれすらマルクス主義の勝利に
するのだろうな
まったく老いるまで何をしてきたのやら でポパーとケルゼンのマルクス主義批判は
読んだか?それとも逃げ続けるだけか?
ドイツ語一切読めないまま死ぬかどうかは
今が大切だぞ
根性入れて考えろ
俺への反感で学ぶチャンスを逃すなよ >>411
せっかくだからマジレスしておけば、国というのは、法とその実体である組織のこと。
愛国というのは法やその組織を愛するという意味になる。
そんなものを愛していたら、もちろん個人の「アイデンティティ」など消えてなくなる。
漱石はそれを怖れていたから、博士号さえ断った。
人間であれば、国などという抽象概念に自分を預けずに、自分が自分であるという個人主義を確立していくのは当然だ。
国家とは、利益共同体の幻想形態、というのはきわめて正確な分析だ。 >>414
つらいなあ。語れば語るほどグチャグチャになる。
たとえばアメリカに亡命中の中国の活動家の思い描く愛国は
反共産党支配だ。共産党員の愛国はイコール共産党支持だ。
なので、愛国者だからこそ安倍政権批判という立場は当然ありうる。
なぜこの程度の次元の低いはなしに君が足下を掬われるのかというと
君がいち個人が書いた考えを、無謬の思想としてそこから演繹的に考えているから。
これはたとえば俺の知っている旧字旧かなクラスタと同じタイプの
原理主義。もう過去に真実の正しい思想が明示されていて、その実現を
阻害しているものを全て捨てれば、理想世界が出現するという妄想。
自分はそれに目覚めているので正しくて、目覚めていない人々は愚昧なわけだ。
君の場合は、それを漱石に無理にかぶせて、自分のためのヒーローに仕立てている。
そのヒーロー像に回収できない全てを否定する。「個人」を個人以外を排除した
先にしか見いだすことができない。
この言葉への弱さはまず君の語学リテラシーのなさに由来する。
これは読める能力だけではなく、リテラシーを身につける途中で
経験する洞察力を指している。だから君の立場ならば、ドイツ語を
粘り強く学びなさいと書いているのだよ。言葉は相当な大きさの言語
ならなんでもいいのだが、ドイツ語ならマルクスを読めるだろう。 だから、偶像化しちゃった漱石から自分を解放してあげて、
ってお願いだね。自分のいいたいことを彼にどうにか代弁させよう
としてもそれは無理だよ。俺は普段論語を読んでるが、自分の心地よい
読みを選ぶ。だけどそれは自分の欲望であって、孔子のそれではない。 それにしても、本の上でしか知らない文学に
そこまで執着しながら、全ての観念を愛する(とても大切にする)
ことを全否定するというのは空しいな。
その「全否定の理屈」に執心して思考を曇らせているのは
どこのだれかな?それは都合良く否定の対象にはならないのかな? >>415-417
漱石を読まずに漱石を語るなよw
日本会議なのか統一教会なのか幸福の科学なのか知らないけど、君の狂信的な反市民感情はどこから湧いてくるんだろうね? >>418
>日本会議なのか...
それは君の帰属意識の裏返しだな。君は共産党員だっけ?になると
他団体から攻撃されているとこんなところでも考えるもんなのか?
俺はそういう類いの団体には一切所属していないしシンパシーも感じていない。
俺は共産党員個人には全く悪意をもってないから、ここで認めてもらってもよい。
まあ帰属否定の君が党員ならバカバカしいが。
同時に俺は漱石の個人主義の「言説」が日本近代における個人主義の成熟した
かたちであることも認めるところだ。無論、一定の模範でしかないがな。
神聖化しても無意味だ。 語れば語るほどおかしくなるというのは
空疎な理屈にひたすら依存する原理主義者の常だ。
厄介なのは口だけ原理主義者が多いことだが、
まあ安楽椅子ほにゃららとはそういうものだ。 >狂信的な反市民感情
これも金太郎飴(飴に失礼だが)だな
愛国心という言葉をほんの少しでも許容すると
「狂信的な反市民感情」認定されるのだろう。
あるいは街を歩いていて気に入らないことがあると
反市民主義と名付けでもするのか。
自称マルクス主義者の言うことはいつもうわべだけは過激だ。 俺はたくさんの似たタイプの人間とやりとりをしてきた
経験があって、それぞれを分析をしているので、爺さんの気持ちは結構わかる。 >>419-422
なんの知識もなく、もちろん教養もないのに、ひたすら見栄を張るだけの気の毒な爺か。
僕は共産党にもマルクスにも「シンパシー」を感じているし、一般的な市民運動や弱者救済の運動にも同様だ。
君と違って、そんなことを隠す気はさらさらない。
僕は君たちがいうアカそのものだし、アカが正しいと思っている。
個人の精神と生活を守るためには、愛国も政権擁護も完全な間違いだと思っている。
その理由は何回も書いてきたし、君の、話を逸らしてばかりの狂信と見栄に付き合う気はないから、安心してくれ。
これ以上蒸し返すのは、ここがいくら過疎スレでも他の人に迷惑だから、僕は自重する。
君は愛国マンらしく、好きなだけ他の人に迷惑をかけるといい。 相変わらずアホだな
アカ自認と例の満韓を冷静に読むことは
相反しないぞ
ボクはアカだからという表明で回避できる
話ではない
それを白黒世界で語るから幼いと言っている
これはマルクス主義思想の問題以前に
君のメンタルの問題だ
政権擁護が悪とか家族以外の帰属意識は悪だとか
君のメンタルの問題だぞ まあ実際に市民とか個人主義という言葉が
こういう手合いのために磨耗していくという
意味では興味深いな
濫用で陶酔するのだろう
環境があるにもかかわらず
意地でもドイツ語を学ばないマルクス主義者
というのは正に日本の中で埋没した個人だな >>423
隠す気がないなら
君は
1今日本共産党員なの?
2あるいは以前党員だったの?
3党員経験ゼロ?
これだけ真面目に答えてくれ
三択だ
ちなみに俺は愛国を勧めているわけではないぞ
頭ごなしの愛国全否定の危険を述べているのだ
それでは愛国心をもつ他者と適切に関われないからな
宗教と同じだ >>46
で君は奴隷根性を克服した目覚めた人なの?
俺はまだ目覚めていない?
マルクス主義を信じると目覚めることができる? >>46
劣等じゃない優等民族ってどこ?具体的に
教えてくれ。民族で切るのは個人主義からすると
間違いだけど、それでもいいの?
信仰を信仰と認めずに信仰に閉じこもるのは良くないよ 爺は具体例が欠如するからいつも不毛だな
もしも自分が選んだ政党が統治することになったら
その政権を擁護するのは民主主義では当たり前じゃないか
それは間違い?
じゃあ君の思い描くマルクス主義国家では
統治を擁護できないのか?
国民はそれを擁護するなという思想を強いられるのか?
意味不明すぎる >>69をもういちど読め
勝手偶像的な漱石から独立できない精神だけが
これを必死に否定する
御本尊に無傷でいて欲しいわけだ まああり得ないけど日本に共産主義政権ができたら政権愛という意味での愛国心を押し付けられるので
その時には命をかけて抵抗するでしょうね 人間には種族愛が備わっているが
これは究極の帰属意識だろう
ちなみに俺は選挙ではいつも共産党に入れている
政権奪取不可能な議員が議員として
調査権限を行使することは
国会の機能のために有意義だからである
こういう柔軟性も爺さんとは違う >>414
マジレスしておくと国家の三要素
領土、人民、統治権
愛国心が無いというのは、領土、人民への愛も無いと告白することに等しいね
国民の多くがアカを嫌う理由 しかしその三要素がありさえすれば国家が存続するかといえば、そうではない
国家が国家として存続するにおいてはむしろ人民の言語、歴史、風土、文化等が三要素に先行し、根底を作る
愛国心とは一義的にはそれらから由来する心のあり方であって、それらへの愛着が無ければ国家は失敗するだろう
現代民主国家においては統治権としての国家が人権や文化的生活、平和をも保証している
(老婆心ながら言っておくと9条が平和を保証している訳ではない)
統治権なきところでは、人民は部族的生活に戻るしかないが、その部族的生活においては、愛国心に代わって部族への強烈な帰属意識と忠誠が必要となる
そちらの方が良いとでも言うのかねえ
そう言う訳でもないだろう
階級国家論というのは一定の真理を突いているかもしれないが、それが全てで国家をみるなら破綻は免れない
最後にいつまで経っても帰属意識を持てない朝鮮半島出身の在日は、日本において共産主義と相性がよい、という指摘までしておこう
もとがユダヤ人のアレだからね いまどき全盛期の遺物、最大のまやかし、共産主義
を論じる爺さんがいる。 ホンマホンマ。
漱石という作家がいたね、俺は嫌いだけど。 草野球のガキと頑固爺さんの戦いという
ネタが漱石初出なら確かに漱石は偉い 漱石は明治人としては教養が浅いね、見聞が狭いね、
人生経験が短いね。 しかし露伴、緑雨、鴎外、の三人のなかで
正直正太夫が話題にならないのが寂しい。
一葉の日記に出てくる正ちゃんはめっちゃ
おもろいのに。 ここ、相変わらずだねえ。
ルサンチマンもここまできたら壮観だね。
俺もそうだけど、みんな心に隙間を持って暮らしてるんだね。 >>446
隙間ないと
漱石読むのと匿名掲示板に書き込むこと両方を
満たせないよね〜 わっちが思うに、まあ、江戸の貸本屋文芸の亜流。粋がって、人生など織り込むから
ややこしくなる。為永春水の方が一枚上手でげす。 「江戸の貸本屋文芸の亜流。粋がって、人生など織り込むから
ややこしくなる」
御意。 ボチャーンは狸と赤シャツを山嵐と一緒に殴った。こりゃ、
立派な暴行罪だな。それとも、明治のあのころは暴行罪は
無かったのか、親告罪だったのか? 東京市の技手に
就職したというが、犯罪者を市が雇ったのか? 前歴を
調べずに雇う? >>452
時代によって、同じ行為でも問われる罪は異なる。
暴力が罪であるなら、軍隊は罪の発生機関であり、戦争はそれ自体で罪だ。
警察力は罪ではないのかという議論にもなる。
前者の理念は日本国憲法第9条に、後者の理念はフーコーの思想に表現されている。 お爺ちゃんは勝手読みの名人だなw
リテラシー無いって罪だわ お爺ちゃん怒りの国籍透視ww
リテラシーなければ鈍す、ですか 漱石崇拝のマルクス主義者が
気に入らない人間を非日本人認定で罵倒ですか
あなたの生きた戦後ってなんだったんだろうねえ >>456-457
君に僕と誰かを混同している部分があるとしても、僕のストーカーであることは間違いないだろうなw
付きまとうほど僕に関心を持ってるのは、僕のレスが君によほどの衝撃を与えたんだろう。
レスを書いてる甲斐があるってもんだ。
僕はまったく怒ってはいないよ。
あきれてはいるし、バカにもしているけど、怒りではないな。
こういう日本語の違いは分かるかな? 俺は君のような人間を叩くのを
ホビーにしているのだよ
叩いているうちに相手が怒りの国籍透視を
始めたりする場に立ち会うのが楽しいのだ
君は特に語学ゼロだから楽
大抵もっと手強い あれほど観念的に大上段から帰属意識を否定していた
人間が、他人を「君は外国人だから無理」だと冷笑する、
これは本音が出たねえ
しかしこれを左翼の限界を示すものとするのは
机上の空論だろう
君個人の資質なんだなあ
君が元々小狡いんだなあ >>459
楽しませてくれよ、ストーカー君。
僕は英語なら、君の日本語よりは少しできるよw >>460
帰属意識と日本語能力が関係あるのか?
僕はどこに対しても帰属意識はまったくないが、日本語の能力は君とは桁違いにある。
君はどこかの集団への帰属意識は強いらしいが日本語の能力がとても弱い。
おもしろい人だねえw しかし漱石スレでは意味深いな
漱石は個人主義を主張していたから
愛国心があらわれた書き物が存在するわけない!
↓
個人主義をあんなに絶対視していた
人間が上から目線の国籍透視
これ笑える >>462
君は語学能力じゃなくて
外国人て書いてるやんw
やらかしてしまったね
罵倒の国籍透視をどう肯定していくかなあ
理論構築始め! >>455
>>455
>>455
意見の相違に対して「あなたは外国人で
日本語ができないのだね」という皮肉の冷笑
これをこのスレで延々正当化するのはキツイなあw
さっさとゴメンナサイしとけよ
意地はって得るものは、ない >>463
国籍透視が当たっちゃった?w
君の日本語能力は、日本の普通の義務教育を受けてきた人とは違うから、僕が君の国籍を透視したんじゃなくて、シャーロック・ホームズのように推理したんだよw
日本語力だけじゃなくて、粘着質の性格とか異様に反共であるところとか反共宣伝の内容とかも、某国反共団体の特徴と一致してるw
日本語を勉強するには、漱石もなかなかいい素材だよ。 俺の良識では
マルクス主義者の漱石読みが
相手への罵倒として
「外国人の君に、日本語は無理だよw」
と言い放つのは絶望的なシーンだな
だって今まで俺は高潔な滑稽な世界市民精神
を笑い物にしてきたはずなのに、実は違うんだもんねえ
ありゃりゃって感じです >>466
苦しいなあ
工作員認定か
精神的に追い詰められているね
でも俺は工作員じゃないし
工作員か否かと君の発言の悲しさも別だけどね
>>455はマルクス主義のせいじゃなくて
君の資質だよん ちなみに俺の狙いはマルクス主義への反駁ではないよ
ある原理的な思想に浸っているバカを相手に
しながら綻びを指摘すること
なので結局、思想じゃなくてそいつ個人に
フォーカスしている
例えばネトウヨにも原理がない奴が多く
そういう人は俺の興味外
一方その独善的な原理思考と自身とを
ピッタリ重ねて合わせている人間は
フォーカスに適切に対処できないことが多い >>453
crimeとsinを区別しない粗雑な理屈だね
戦争は法的な犯罪じゃないし
国際法上合法なんですよ
もちろん日本もなんで
分かってないパヨクが多いけど >>466
これもヤバイ書き込みだなあ
今までの理想主義的書き込みは
なんだったのだろう
党派心のカタマリだった >>470
戦争が国際的に合法ではないことは、先の大戦が証明している。
敗戦国は罪を問われ、責任者は刑事罰を受け、国家は賠償責任を負う。
パヨクだろうと右翼だろうと、責任がまぬかれることはない。
もちろん、勝てば罪に問われることも賠償責任を追及されることもない。 ちなみに、犯罪とは法を犯すことであり、罪とは犯罪の基準のことだ。
その基準が先進国では法という形をとる。
国際間の基準も同じだ。
国連加盟国は国連憲章という基準を採用し、その他さまざまな国際間条約を基準とする。
国際条約などに違反して「制裁」を受ける国もあれば、受けない国もあるというのは周知の事実だ。
そうはいっても、国際的に基準を持つのはそれぞれが了承した条約だ。 正直明治初期の刑法に詳しいやつ
とかの解説あれば嬉しいね
フーコーガーとか要らないですw ああでも新書のネタくらいにはなるかも
近代文学内の犯罪と刑法つうのは
もうあるかも知れんが 刑法は四つ★で将来のことだよ。憲法改正されてもうほぼ上のほうではリスクない。 初めて古典を読んでみようかと思って読んでみたらとても面白かった >>480
どんな古典ですか? 日本もの?
小生が好きなのは、岩波文庫黄帯で膝栗毛、赤帯では西遊記です。
(西遊記はおじいさん先生の訳出が遅く、しばらくの間3巻までしか無かった
ですが、老師が亡くなってから女性の訳で一気に10巻まで!びっくりした思い出。) 西遊記は太田訳の方がいいけどな
講談的なノリが残ってる 西遊記って似たような話がダラダラと続くから途中で飽きた。
なんとなく最後まで読んだけど、読み返したいと思うことはないなあ。 英語のこころ (インターナショナル新書)
新書 2018/4/6
マーク・ピーターセン (著)
超ロングセラー『日本人の英語』の著者が教える本物の英語的発想とは?
英語と日本語の漱石の『こころ』の文体は英語の影響を受けている!?
なぜ小説のタイトル『こころ』はheartと訳せないのか? heartでもspiritでもmindでもお好きなように。
geistはどうだろうね・・・ ドイツ語学びたいんだけど
手始めの1冊ドイツ語勉強本を買うなら何がいい? 関口存男の読解入門書が無料でアップされてて
それを勧めてた人いたな
数ヶ月やってグリム童話なんかを
結構読めるようになったとか >>488
良い情報だね。
URL教えて。
スレ違いで申し訳ないけど。 >>489
調べたら『初等ドイツ語講座』だった
ただし無料配布はされていないっぽい
参考まで ヤレヤレだな。
寿司屋に行ってトロばっか食べてた親方じゃあるまいし。 >>492
ありがとう。
調べてくれただけでも感謝だ。 >>483
俺も西遊記はつまらんかった、話がゴチャゴチャしてる
ただ芥川が「比喩談として最高」とか言ってたから
自分は読み間違いをしていたのかもしれない 漢詩がいいよ
村南村北鵓鴣声
水刺新秧漫漫平
行遍天涯千万里
却従隣父学春耕 >>495
西遊記は比喩譚なのかねえ?
日本でいえば、今昔物語みたいな法話じゃないのかという印象があるけど。 漢詩というのはどれを読んでも中身は同じだね。
原語で聴くと趣もあるんだろうが、日本語の読み下しだとリズムもへんてこりん。
日本人が日本語の読み下しで漢詩を評価するのはバカげてる。
中国語に堪能ではない日本人が漢詩を作るのは、中国語の勉強なんだろうね。 >>501
詩も立派な文学=芸術だと思う。
他の芸術もそうだが自分が何も感じない場合は大人しくしていた方が良い。
感動している人が沢山いて、自分はそうで無い場合不安になるのは
分からないでも無いが、あんな者などと陳述するのは愚行。
>漢詩の読み下しで評価・・
日本語訳としての読み下しは、普通に良いと思う。
そんでもって大事なことは、漢詩の読み下しを読んでのアクションは「どう感じたか」しかない。
「評価」という言葉を芸術関連で使うのは、評価して金を稼いでる輩以外には、何の意味も無い。
我々は外国文学を味わうのに多くの場合日本語訳を通してであるが、日本語の語彙の豊富さ故に作者の
感慨に近い者を得られている思う。
日本文学は言わずもがなで、俳句や短歌の翻訳を読んで感動している外国人を観ると、感無量。
漢詩で、今日の様な爽やかな日に「水村山郭酒旗の風」・・・なんて思い出すと本当に良い気分に、私はなります。
>>499
これじゃ意味が通らないし押韻も守っていない
村の南にいても北にいてもカッコウの声が聞こえる
田の水は新しい苗(新秧)を刺して(生やして)平らかに広がる
空の果てまでも千万里も旅してきたのだけれど
今はとなりの父老に春の野良仕事を教わっている
一句目は狭い村
二句目は広がる田んぼ
三句目で過去の人生で国中をまたにかけて波乱を生きてきた生涯に転じて
四句目で現在の零落した地方の自分に納まる
たとえば同時代の朱子の迫害時の詩とか、杜甫の安史の乱以後の栄華をしのぶ流浪時代の詩に似ているなと思った
ぱらぱらと漢詩を眺めていたら杜甫のこんな詩に出会った
客至 杜甫
舍南舍北皆春水 家の南でも家の北でも春の水が流れている。
但見群鴎日日來 群れをなした鴎が毎日来るのを見るだけである。
花徑不曾縁客掃 花の咲く道はかつて客のために掃除したことはないが、
篷門今始為君開 蓬でふいた門を、今初めて貴方のために開きます。
盤飧市遠無兼味 皿に盛ったごちそうは市場が遠いので二品は無いですし、
樽酒家貧只舊醅 樽の酒は家が貧しいため古いどぶろくだけです。
肯與鄰翁相對飲 貧しい食事ですが、隣のおじいさんと一緒に飲みませんか。
隔籬呼取盡餘杯 垣根を隔てて呼び寄せて、余っている酒を飲みほしてしまいましょう。
こういう本歌取りに気づくと楽しいね >>502
なんだかかみ合わないレスだな。
>>501では、詩が文学であり、芸術であることを否定していない。
しかし、漢詩の内容が画一的だということもまた事実だ。
すべての漢詩に該当するわけではないとしても、漢詩の芸術性は「音」によっている。
「音」は中国語に堪能な人にしか理解しようもない。
だからこそ、漢詩好きの漱石は、平仄辞典を座右の書としていた。
翻訳の良否といっても、「音」による芸術性は翻訳のしようもない。
西洋詩は、内容と韻律で芸術性を担保しているから、まだ翻訳の有効性があるが、漢詩から「音」をなくしたら芸術とは言えないだろう。
日本の俳句、短歌なども、音数率によって芸術性を担保しているから、翻訳は困難だ。
もちろん、それぞれ個人がどういう詩を好きであろうが、他人がとやかくいうことはない。 たまたま陶淵明の本が今日届いたよ
漱石のこよなく愛した漢詩をじっくり
味わうことにしよう
漱石の漢文脈を理解するには最適だね 漢詩の中でも技巧に走った時代とそうでない時代があって、漱石は技巧よりもテーマに拘った詩を好きで書いているね
陶淵明も技巧的でなくて、どちらかというと心情の詩だね
はっきりいって漱石の詩って平仄とかはあんまりうまくない素人の詩(吉川幸次郎)であって、だけど思索のあとが面白い
こういう詩は英語で読んでも面白かったりして、いわゆる超絶技巧でエズラ・パウンドなんかが好きになる漢詩ではない 漱石はテマティズムで分析して見せたのが蓮實重彦だったか
テキストでなくてテマティズムの漢詩を好んだ夏目漱石という観点は重要なんだろうな
平仄や新古典の技術の時代の英文学に徹することはできないのが「文学論」や彼の英文学受容にも現れている
彼のカント美学的な美の定義もそうといっていいのかな
時代の制約といえばそれまでだけれども
ただ、このカント的な合目的的な論点先取の手法は絶えず再評価をされ続けるのも事実 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています