夏目漱石 八十三夜
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十四夜
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1490752239/ いまどき全盛期の遺物、最大のまやかし、共産主義
を論じる爺さんがいる。 ホンマホンマ。
漱石という作家がいたね、俺は嫌いだけど。 草野球のガキと頑固爺さんの戦いという
ネタが漱石初出なら確かに漱石は偉い 漱石は明治人としては教養が浅いね、見聞が狭いね、
人生経験が短いね。 しかし露伴、緑雨、鴎外、の三人のなかで
正直正太夫が話題にならないのが寂しい。
一葉の日記に出てくる正ちゃんはめっちゃ
おもろいのに。 ここ、相変わらずだねえ。
ルサンチマンもここまできたら壮観だね。
俺もそうだけど、みんな心に隙間を持って暮らしてるんだね。 >>446
隙間ないと
漱石読むのと匿名掲示板に書き込むこと両方を
満たせないよね〜 わっちが思うに、まあ、江戸の貸本屋文芸の亜流。粋がって、人生など織り込むから
ややこしくなる。為永春水の方が一枚上手でげす。 「江戸の貸本屋文芸の亜流。粋がって、人生など織り込むから
ややこしくなる」
御意。 ボチャーンは狸と赤シャツを山嵐と一緒に殴った。こりゃ、
立派な暴行罪だな。それとも、明治のあのころは暴行罪は
無かったのか、親告罪だったのか? 東京市の技手に
就職したというが、犯罪者を市が雇ったのか? 前歴を
調べずに雇う? >>452
時代によって、同じ行為でも問われる罪は異なる。
暴力が罪であるなら、軍隊は罪の発生機関であり、戦争はそれ自体で罪だ。
警察力は罪ではないのかという議論にもなる。
前者の理念は日本国憲法第9条に、後者の理念はフーコーの思想に表現されている。 お爺ちゃんは勝手読みの名人だなw
リテラシー無いって罪だわ お爺ちゃん怒りの国籍透視ww
リテラシーなければ鈍す、ですか 漱石崇拝のマルクス主義者が
気に入らない人間を非日本人認定で罵倒ですか
あなたの生きた戦後ってなんだったんだろうねえ >>456-457
君に僕と誰かを混同している部分があるとしても、僕のストーカーであることは間違いないだろうなw
付きまとうほど僕に関心を持ってるのは、僕のレスが君によほどの衝撃を与えたんだろう。
レスを書いてる甲斐があるってもんだ。
僕はまったく怒ってはいないよ。
あきれてはいるし、バカにもしているけど、怒りではないな。
こういう日本語の違いは分かるかな? 俺は君のような人間を叩くのを
ホビーにしているのだよ
叩いているうちに相手が怒りの国籍透視を
始めたりする場に立ち会うのが楽しいのだ
君は特に語学ゼロだから楽
大抵もっと手強い あれほど観念的に大上段から帰属意識を否定していた
人間が、他人を「君は外国人だから無理」だと冷笑する、
これは本音が出たねえ
しかしこれを左翼の限界を示すものとするのは
机上の空論だろう
君個人の資質なんだなあ
君が元々小狡いんだなあ >>459
楽しませてくれよ、ストーカー君。
僕は英語なら、君の日本語よりは少しできるよw >>460
帰属意識と日本語能力が関係あるのか?
僕はどこに対しても帰属意識はまったくないが、日本語の能力は君とは桁違いにある。
君はどこかの集団への帰属意識は強いらしいが日本語の能力がとても弱い。
おもしろい人だねえw しかし漱石スレでは意味深いな
漱石は個人主義を主張していたから
愛国心があらわれた書き物が存在するわけない!
↓
個人主義をあんなに絶対視していた
人間が上から目線の国籍透視
これ笑える >>462
君は語学能力じゃなくて
外国人て書いてるやんw
やらかしてしまったね
罵倒の国籍透視をどう肯定していくかなあ
理論構築始め! >>455
>>455
>>455
意見の相違に対して「あなたは外国人で
日本語ができないのだね」という皮肉の冷笑
これをこのスレで延々正当化するのはキツイなあw
さっさとゴメンナサイしとけよ
意地はって得るものは、ない >>463
国籍透視が当たっちゃった?w
君の日本語能力は、日本の普通の義務教育を受けてきた人とは違うから、僕が君の国籍を透視したんじゃなくて、シャーロック・ホームズのように推理したんだよw
日本語力だけじゃなくて、粘着質の性格とか異様に反共であるところとか反共宣伝の内容とかも、某国反共団体の特徴と一致してるw
日本語を勉強するには、漱石もなかなかいい素材だよ。 俺の良識では
マルクス主義者の漱石読みが
相手への罵倒として
「外国人の君に、日本語は無理だよw」
と言い放つのは絶望的なシーンだな
だって今まで俺は高潔な滑稽な世界市民精神
を笑い物にしてきたはずなのに、実は違うんだもんねえ
ありゃりゃって感じです >>466
苦しいなあ
工作員認定か
精神的に追い詰められているね
でも俺は工作員じゃないし
工作員か否かと君の発言の悲しさも別だけどね
>>455はマルクス主義のせいじゃなくて
君の資質だよん ちなみに俺の狙いはマルクス主義への反駁ではないよ
ある原理的な思想に浸っているバカを相手に
しながら綻びを指摘すること
なので結局、思想じゃなくてそいつ個人に
フォーカスしている
例えばネトウヨにも原理がない奴が多く
そういう人は俺の興味外
一方その独善的な原理思考と自身とを
ピッタリ重ねて合わせている人間は
フォーカスに適切に対処できないことが多い >>453
crimeとsinを区別しない粗雑な理屈だね
戦争は法的な犯罪じゃないし
国際法上合法なんですよ
もちろん日本もなんで
分かってないパヨクが多いけど >>466
これもヤバイ書き込みだなあ
今までの理想主義的書き込みは
なんだったのだろう
党派心のカタマリだった >>470
戦争が国際的に合法ではないことは、先の大戦が証明している。
敗戦国は罪を問われ、責任者は刑事罰を受け、国家は賠償責任を負う。
パヨクだろうと右翼だろうと、責任がまぬかれることはない。
もちろん、勝てば罪に問われることも賠償責任を追及されることもない。 ちなみに、犯罪とは法を犯すことであり、罪とは犯罪の基準のことだ。
その基準が先進国では法という形をとる。
国際間の基準も同じだ。
国連加盟国は国連憲章という基準を採用し、その他さまざまな国際間条約を基準とする。
国際条約などに違反して「制裁」を受ける国もあれば、受けない国もあるというのは周知の事実だ。
そうはいっても、国際的に基準を持つのはそれぞれが了承した条約だ。 正直明治初期の刑法に詳しいやつ
とかの解説あれば嬉しいね
フーコーガーとか要らないですw ああでも新書のネタくらいにはなるかも
近代文学内の犯罪と刑法つうのは
もうあるかも知れんが 刑法は四つ★で将来のことだよ。憲法改正されてもうほぼ上のほうではリスクない。 初めて古典を読んでみようかと思って読んでみたらとても面白かった >>480
どんな古典ですか? 日本もの?
小生が好きなのは、岩波文庫黄帯で膝栗毛、赤帯では西遊記です。
(西遊記はおじいさん先生の訳出が遅く、しばらくの間3巻までしか無かった
ですが、老師が亡くなってから女性の訳で一気に10巻まで!びっくりした思い出。) 西遊記は太田訳の方がいいけどな
講談的なノリが残ってる 西遊記って似たような話がダラダラと続くから途中で飽きた。
なんとなく最後まで読んだけど、読み返したいと思うことはないなあ。 英語のこころ (インターナショナル新書)
新書 2018/4/6
マーク・ピーターセン (著)
超ロングセラー『日本人の英語』の著者が教える本物の英語的発想とは?
英語と日本語の漱石の『こころ』の文体は英語の影響を受けている!?
なぜ小説のタイトル『こころ』はheartと訳せないのか? heartでもspiritでもmindでもお好きなように。
geistはどうだろうね・・・ ドイツ語学びたいんだけど
手始めの1冊ドイツ語勉強本を買うなら何がいい? 関口存男の読解入門書が無料でアップされてて
それを勧めてた人いたな
数ヶ月やってグリム童話なんかを
結構読めるようになったとか >>488
良い情報だね。
URL教えて。
スレ違いで申し訳ないけど。 >>489
調べたら『初等ドイツ語講座』だった
ただし無料配布はされていないっぽい
参考まで ヤレヤレだな。
寿司屋に行ってトロばっか食べてた親方じゃあるまいし。 >>492
ありがとう。
調べてくれただけでも感謝だ。 >>483
俺も西遊記はつまらんかった、話がゴチャゴチャしてる
ただ芥川が「比喩談として最高」とか言ってたから
自分は読み間違いをしていたのかもしれない 漢詩がいいよ
村南村北鵓鴣声
水刺新秧漫漫平
行遍天涯千万里
却従隣父学春耕 >>495
西遊記は比喩譚なのかねえ?
日本でいえば、今昔物語みたいな法話じゃないのかという印象があるけど。 漢詩というのはどれを読んでも中身は同じだね。
原語で聴くと趣もあるんだろうが、日本語の読み下しだとリズムもへんてこりん。
日本人が日本語の読み下しで漢詩を評価するのはバカげてる。
中国語に堪能ではない日本人が漢詩を作るのは、中国語の勉強なんだろうね。 >>501
詩も立派な文学=芸術だと思う。
他の芸術もそうだが自分が何も感じない場合は大人しくしていた方が良い。
感動している人が沢山いて、自分はそうで無い場合不安になるのは
分からないでも無いが、あんな者などと陳述するのは愚行。
>漢詩の読み下しで評価・・
日本語訳としての読み下しは、普通に良いと思う。
そんでもって大事なことは、漢詩の読み下しを読んでのアクションは「どう感じたか」しかない。
「評価」という言葉を芸術関連で使うのは、評価して金を稼いでる輩以外には、何の意味も無い。
我々は外国文学を味わうのに多くの場合日本語訳を通してであるが、日本語の語彙の豊富さ故に作者の
感慨に近い者を得られている思う。
日本文学は言わずもがなで、俳句や短歌の翻訳を読んで感動している外国人を観ると、感無量。
漢詩で、今日の様な爽やかな日に「水村山郭酒旗の風」・・・なんて思い出すと本当に良い気分に、私はなります。
>>499
これじゃ意味が通らないし押韻も守っていない
村の南にいても北にいてもカッコウの声が聞こえる
田の水は新しい苗(新秧)を刺して(生やして)平らかに広がる
空の果てまでも千万里も旅してきたのだけれど
今はとなりの父老に春の野良仕事を教わっている
一句目は狭い村
二句目は広がる田んぼ
三句目で過去の人生で国中をまたにかけて波乱を生きてきた生涯に転じて
四句目で現在の零落した地方の自分に納まる
たとえば同時代の朱子の迫害時の詩とか、杜甫の安史の乱以後の栄華をしのぶ流浪時代の詩に似ているなと思った
ぱらぱらと漢詩を眺めていたら杜甫のこんな詩に出会った
客至 杜甫
舍南舍北皆春水 家の南でも家の北でも春の水が流れている。
但見群鴎日日來 群れをなした鴎が毎日来るのを見るだけである。
花徑不曾縁客掃 花の咲く道はかつて客のために掃除したことはないが、
篷門今始為君開 蓬でふいた門を、今初めて貴方のために開きます。
盤飧市遠無兼味 皿に盛ったごちそうは市場が遠いので二品は無いですし、
樽酒家貧只舊醅 樽の酒は家が貧しいため古いどぶろくだけです。
肯與鄰翁相對飲 貧しい食事ですが、隣のおじいさんと一緒に飲みませんか。
隔籬呼取盡餘杯 垣根を隔てて呼び寄せて、余っている酒を飲みほしてしまいましょう。
こういう本歌取りに気づくと楽しいね >>502
なんだかかみ合わないレスだな。
>>501では、詩が文学であり、芸術であることを否定していない。
しかし、漢詩の内容が画一的だということもまた事実だ。
すべての漢詩に該当するわけではないとしても、漢詩の芸術性は「音」によっている。
「音」は中国語に堪能な人にしか理解しようもない。
だからこそ、漢詩好きの漱石は、平仄辞典を座右の書としていた。
翻訳の良否といっても、「音」による芸術性は翻訳のしようもない。
西洋詩は、内容と韻律で芸術性を担保しているから、まだ翻訳の有効性があるが、漢詩から「音」をなくしたら芸術とは言えないだろう。
日本の俳句、短歌なども、音数率によって芸術性を担保しているから、翻訳は困難だ。
もちろん、それぞれ個人がどういう詩を好きであろうが、他人がとやかくいうことはない。 たまたま陶淵明の本が今日届いたよ
漱石のこよなく愛した漢詩をじっくり
味わうことにしよう
漱石の漢文脈を理解するには最適だね 漢詩の中でも技巧に走った時代とそうでない時代があって、漱石は技巧よりもテーマに拘った詩を好きで書いているね
陶淵明も技巧的でなくて、どちらかというと心情の詩だね
はっきりいって漱石の詩って平仄とかはあんまりうまくない素人の詩(吉川幸次郎)であって、だけど思索のあとが面白い
こういう詩は英語で読んでも面白かったりして、いわゆる超絶技巧でエズラ・パウンドなんかが好きになる漢詩ではない 漱石はテマティズムで分析して見せたのが蓮實重彦だったか
テキストでなくてテマティズムの漢詩を好んだ夏目漱石という観点は重要なんだろうな
平仄や新古典の技術の時代の英文学に徹することはできないのが「文学論」や彼の英文学受容にも現れている
彼のカント美学的な美の定義もそうといっていいのかな
時代の制約といえばそれまでだけれども
ただ、このカント的な合目的的な論点先取の手法は絶えず再評価をされ続けるのも事実 漢詩におけることばへのフェティシズム
これは荻生徂徠や新井白石、光明皇后や孝徳天皇、大正皇后節子の漢詩なんか読んでいると面白い
次期皇后の雅子殿下の漢詩はくるおしさ表現してて、よい 日本人の作る漢詩は、中国の詩ではなく日本の漢文で作った詩、ということにしかならないだろう。
詩としての独特の位置がある、といえばいえるだろうが、評価の基準は見出せそうもない。
漱石の漢詩の巧拙を議論しても無意味だが、ターナーの絵ような静かな雰囲気が好きだった、という一面を持っていたとはいえる。
それは子供のころの養家のイメージによくあらわれている。
その一方で、ウォーターハウスの絵ような性欲的な願望を強く持ってもいた。
日本人が漢詩で心を表すのは、とても難しそうだ。 第一期:洋行以前 (明治十年代〜三十三年、七五首)
第二期:修善寺大患時代 (明治四十三年七月〜十月、十七首)
第三期:南画趣味時代 (明治四十五年五月〜大正五年春、四一首)
第四期:明暗時代 (『明暗』執筆中、大正五年八月十四日〜十一月二十日、七五首)
どの時代も趣が違う
この時代で言えば大正天皇が1000を超える漢詩を作っている
大正天皇の言葉ってのはあんまり残されていないから、漢詩を読むと心情が伝わったりする
漱石の漢詩では同じ言葉を続けて使ってみたり、対句に拘ったりしていて押韻や平仄にはこだわりの少ない印象を受ける
正規の漢文教育は受けていなくて、熊本で漢詩の専門家に教えてもらったりしていたんだったか
送鳥天無尽 鳥を送りて 天尽くる無く
看雲道不窮 雲を看て 道窮まらず
たとえば漱石のこういう対句はルールにのっとっているからこそきれいに作れていたりする
大正天皇の漢詩の師匠の三島中洲なんかは降りに触れて心情を歌い上げる教育をしている
昭和天皇は、かなり漢詩の伝統から離れてしまっているさまを伺えたりする
漢詩は丁寧に読むと普通に楽しい NHKの広瀬修子アナウンサーの朗読に聞きほれた。
俳優が読むと劇的になりすぎて気持ち悪い。
石川忠久先生の中国語朗読は愛嬌がある。
漢詩文は『白氏文集』が好きです。 >>512
漱石は、二松学舎で正規の(w)漢文教育を受けてるよ。 二松学舎は数ヶ月で中退していて、その時期に漢籍を全て売り払って英語の勉強に移っている
この二松学舎を作ったのが三島中洲なんだけど、できてまだ数年、「むかしの寺子屋をそのまま、学校らしい処などはちっともなかった」と漱石は振り返っている
ここで漢文学で身を立てる時代ではないから漢文は独学でいいやと決心する
で、熊本赴任時代に漢文の専門家に師事して学びなおす 大正天皇の漢詩、和歌、それから墨絵
ほんと良いんだよね
心が本当に優しい >>515
漱石は、二松学舎には満14歳から15歳にかけて1年ほどいたようだ。
それ以前にも、漢学塾に通って漢学に親しんでいたという。
もともと漢学の素養があるから二松学舎に行き、兄の勧めで英語に変えた。
もう少し調べてから書き込んで欲しい。 >>518
三島中洲はこの時代に、洋学中心になっていくのを留めようとして漢学中心の塾を開いた
そんで、中学の認可を受けて生徒を集めた
で、漱石が明治14年4月に入学するんだけど、その年の7月には中学の認可が取り消されている
ここで漢学・儒学続けていても大学に入れないことがわかって進路変更している
二松学舎に11月まではいたことは二学期分の講義修了の書類が残っているが、いつまで通っていたか、漢籍を売り払ったのがいつかははっきりしていない
一年いたって主張するのは講義も取らずに2年後の成立学舎入学までのいつかまで通っていたという主張ね
否定もできないけど根拠もないんじゃないの
三島中洲の始めた二松学舎が300人くらいに膨れ上がったところで中学の資格を取り消された時期で、結構大変な時期なのよ
先生が漢詩の素人をもってみずから任じたことは、やはり「思い出す事など」に、言葉がある。
「余は年来俳句に疎くなりまさった者である。漢詩に至っては、殆んど当初からの門外漢といっても可い」。
吉川 幸次郎 漱石詩注 (岩波文庫)
調べて書き込むっていってもネットにはいろんな矛盾した情報があるから注意してね もちろん、↑に書いたことも漱石が後に振り返って書いたことをもとにしているので、別の動機が書かれていることもある
兄の薦めもあったかもしれないし、そもそも漢文学者になりたくて、進学が目的でなかったという書き方もある
中学認可取り消しの影響も、振り返ればってところだし、漢籍を売り払ったというのも本当かはわからん
自分はそこまでくわしくしらんし、重箱つっつくような興味もあんまりない
むしろ三島中洲が大正天皇にどのような漢学の講義をしていたか、とかのほうが興味がある
これもあんまり資料が残されていないんだったか >>520
あまり漱石の本も漱石の研究書も読んでないようだけど、漱石に興味がないなら漱石のことは書かないほうがいいよ。
荒正人の漱石研究年表は、いまでも漱石研究のスタンダード。
すべて事実や証言から組み立てている、大変な労作だ。
単行本のほか、集英社漱石全集の別巻にもなってるから、興味があれば読んでみてくれ。 >>522
では、二松学舎にいつからいつまでいたか、その本から引用して教えておくれ
いろんな説があることまでしか知らないから、どのような情報をもとにしているのか
漱石は「落第」でも二松学舎についてはあんまり書いていない
中学認可取り消しのあと、どのような反応をしたのかもその本には出ているのかい >>523
小学校時代からの幼な友達である画家島崎柳塢の父親が浅草の烏越に寺小屋風な漢学塾を開いていたので、そこに学んだこともある(赤木桁平)。
漢学塾は他にもあったが、そのなかでは大きいものの一つであったらしい。
(46頁)
(1881年)
四月(推定)、漢学塾二松学舎に転じ、漢文学を学ぶ。
第三級第一課に入学したものと思われる。
(47頁)
(1882年)
十一月、二松学舎第二級第三課を修了。
(48頁)
(1882年)春頃まで二松学舎に在学し、友人と漢詩の贈酬をしたと伝えられる(松岡譲)。
夏頃までには退学したらしいが、正確には分らない。
(49頁)
『集英社漱石全集別巻』
大サービスだ。
自分がこれほど善人とは思わなかったw >>525
ありがとう
結局明治14年の7月と11月に講義を終了している
その後は講義をおそらく選択せず、翌年の夏ごろに正式に中退したらしい、ということでいいんでしょう
なんで、二級二課まで進まなかったかが問題で、明治14年の7月に二松学舎が中学扱いを取り消されたからなわけ
すると、別に単位を取る必要もないから、行かなくなったということだと思うね
短く見れば7ヶ月、籍を置いて授業に出ていないかもしれない時期を含めれば1年ちょっとってことでしょう >>525
だから1年ぐらいと始めから言ってる。
二松学舎以前から漢文には親しんでいた。
こんどは、君のほうで二松学舎が「中学の認可を受け」たとか、明治14年の「7月には中学の認可が取り消されている」というソースを出してくれ。
僕がきちんと引用したのは、それを知りたいケチな考えもあったんだw 俳句も芭蕉で終わりという感じがする
実作も俳論も凄い
道のべの木槿は馬に食はれけり ヤフオクで全集を安く買って、とりあえず
主要作品を読んでみた。読後感が良かったのは
『門』。 感心したのは『坑夫』。頭が痛くなったのは
『明暗』。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています