夏目漱石 八十三夜
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十四夜
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1490752239/ 漢詩がいいよ
村南村北鵓鴣声
水刺新秧漫漫平
行遍天涯千万里
却従隣父学春耕 >>495
西遊記は比喩譚なのかねえ?
日本でいえば、今昔物語みたいな法話じゃないのかという印象があるけど。 漢詩というのはどれを読んでも中身は同じだね。
原語で聴くと趣もあるんだろうが、日本語の読み下しだとリズムもへんてこりん。
日本人が日本語の読み下しで漢詩を評価するのはバカげてる。
中国語に堪能ではない日本人が漢詩を作るのは、中国語の勉強なんだろうね。 >>501
詩も立派な文学=芸術だと思う。
他の芸術もそうだが自分が何も感じない場合は大人しくしていた方が良い。
感動している人が沢山いて、自分はそうで無い場合不安になるのは
分からないでも無いが、あんな者などと陳述するのは愚行。
>漢詩の読み下しで評価・・
日本語訳としての読み下しは、普通に良いと思う。
そんでもって大事なことは、漢詩の読み下しを読んでのアクションは「どう感じたか」しかない。
「評価」という言葉を芸術関連で使うのは、評価して金を稼いでる輩以外には、何の意味も無い。
我々は外国文学を味わうのに多くの場合日本語訳を通してであるが、日本語の語彙の豊富さ故に作者の
感慨に近い者を得られている思う。
日本文学は言わずもがなで、俳句や短歌の翻訳を読んで感動している外国人を観ると、感無量。
漢詩で、今日の様な爽やかな日に「水村山郭酒旗の風」・・・なんて思い出すと本当に良い気分に、私はなります。
>>499
これじゃ意味が通らないし押韻も守っていない
村の南にいても北にいてもカッコウの声が聞こえる
田の水は新しい苗(新秧)を刺して(生やして)平らかに広がる
空の果てまでも千万里も旅してきたのだけれど
今はとなりの父老に春の野良仕事を教わっている
一句目は狭い村
二句目は広がる田んぼ
三句目で過去の人生で国中をまたにかけて波乱を生きてきた生涯に転じて
四句目で現在の零落した地方の自分に納まる
たとえば同時代の朱子の迫害時の詩とか、杜甫の安史の乱以後の栄華をしのぶ流浪時代の詩に似ているなと思った
ぱらぱらと漢詩を眺めていたら杜甫のこんな詩に出会った
客至 杜甫
舍南舍北皆春水 家の南でも家の北でも春の水が流れている。
但見群鴎日日來 群れをなした鴎が毎日来るのを見るだけである。
花徑不曾縁客掃 花の咲く道はかつて客のために掃除したことはないが、
篷門今始為君開 蓬でふいた門を、今初めて貴方のために開きます。
盤飧市遠無兼味 皿に盛ったごちそうは市場が遠いので二品は無いですし、
樽酒家貧只舊醅 樽の酒は家が貧しいため古いどぶろくだけです。
肯與鄰翁相對飲 貧しい食事ですが、隣のおじいさんと一緒に飲みませんか。
隔籬呼取盡餘杯 垣根を隔てて呼び寄せて、余っている酒を飲みほしてしまいましょう。
こういう本歌取りに気づくと楽しいね >>502
なんだかかみ合わないレスだな。
>>501では、詩が文学であり、芸術であることを否定していない。
しかし、漢詩の内容が画一的だということもまた事実だ。
すべての漢詩に該当するわけではないとしても、漢詩の芸術性は「音」によっている。
「音」は中国語に堪能な人にしか理解しようもない。
だからこそ、漢詩好きの漱石は、平仄辞典を座右の書としていた。
翻訳の良否といっても、「音」による芸術性は翻訳のしようもない。
西洋詩は、内容と韻律で芸術性を担保しているから、まだ翻訳の有効性があるが、漢詩から「音」をなくしたら芸術とは言えないだろう。
日本の俳句、短歌なども、音数率によって芸術性を担保しているから、翻訳は困難だ。
もちろん、それぞれ個人がどういう詩を好きであろうが、他人がとやかくいうことはない。 たまたま陶淵明の本が今日届いたよ
漱石のこよなく愛した漢詩をじっくり
味わうことにしよう
漱石の漢文脈を理解するには最適だね 漢詩の中でも技巧に走った時代とそうでない時代があって、漱石は技巧よりもテーマに拘った詩を好きで書いているね
陶淵明も技巧的でなくて、どちらかというと心情の詩だね
はっきりいって漱石の詩って平仄とかはあんまりうまくない素人の詩(吉川幸次郎)であって、だけど思索のあとが面白い
こういう詩は英語で読んでも面白かったりして、いわゆる超絶技巧でエズラ・パウンドなんかが好きになる漢詩ではない 漱石はテマティズムで分析して見せたのが蓮實重彦だったか
テキストでなくてテマティズムの漢詩を好んだ夏目漱石という観点は重要なんだろうな
平仄や新古典の技術の時代の英文学に徹することはできないのが「文学論」や彼の英文学受容にも現れている
彼のカント美学的な美の定義もそうといっていいのかな
時代の制約といえばそれまでだけれども
ただ、このカント的な合目的的な論点先取の手法は絶えず再評価をされ続けるのも事実 漢詩におけることばへのフェティシズム
これは荻生徂徠や新井白石、光明皇后や孝徳天皇、大正皇后節子の漢詩なんか読んでいると面白い
次期皇后の雅子殿下の漢詩はくるおしさ表現してて、よい 日本人の作る漢詩は、中国の詩ではなく日本の漢文で作った詩、ということにしかならないだろう。
詩としての独特の位置がある、といえばいえるだろうが、評価の基準は見出せそうもない。
漱石の漢詩の巧拙を議論しても無意味だが、ターナーの絵ような静かな雰囲気が好きだった、という一面を持っていたとはいえる。
それは子供のころの養家のイメージによくあらわれている。
その一方で、ウォーターハウスの絵ような性欲的な願望を強く持ってもいた。
日本人が漢詩で心を表すのは、とても難しそうだ。 第一期:洋行以前 (明治十年代〜三十三年、七五首)
第二期:修善寺大患時代 (明治四十三年七月〜十月、十七首)
第三期:南画趣味時代 (明治四十五年五月〜大正五年春、四一首)
第四期:明暗時代 (『明暗』執筆中、大正五年八月十四日〜十一月二十日、七五首)
どの時代も趣が違う
この時代で言えば大正天皇が1000を超える漢詩を作っている
大正天皇の言葉ってのはあんまり残されていないから、漢詩を読むと心情が伝わったりする
漱石の漢詩では同じ言葉を続けて使ってみたり、対句に拘ったりしていて押韻や平仄にはこだわりの少ない印象を受ける
正規の漢文教育は受けていなくて、熊本で漢詩の専門家に教えてもらったりしていたんだったか
送鳥天無尽 鳥を送りて 天尽くる無く
看雲道不窮 雲を看て 道窮まらず
たとえば漱石のこういう対句はルールにのっとっているからこそきれいに作れていたりする
大正天皇の漢詩の師匠の三島中洲なんかは降りに触れて心情を歌い上げる教育をしている
昭和天皇は、かなり漢詩の伝統から離れてしまっているさまを伺えたりする
漢詩は丁寧に読むと普通に楽しい NHKの広瀬修子アナウンサーの朗読に聞きほれた。
俳優が読むと劇的になりすぎて気持ち悪い。
石川忠久先生の中国語朗読は愛嬌がある。
漢詩文は『白氏文集』が好きです。 >>512
漱石は、二松学舎で正規の(w)漢文教育を受けてるよ。 二松学舎は数ヶ月で中退していて、その時期に漢籍を全て売り払って英語の勉強に移っている
この二松学舎を作ったのが三島中洲なんだけど、できてまだ数年、「むかしの寺子屋をそのまま、学校らしい処などはちっともなかった」と漱石は振り返っている
ここで漢文学で身を立てる時代ではないから漢文は独学でいいやと決心する
で、熊本赴任時代に漢文の専門家に師事して学びなおす 大正天皇の漢詩、和歌、それから墨絵
ほんと良いんだよね
心が本当に優しい >>515
漱石は、二松学舎には満14歳から15歳にかけて1年ほどいたようだ。
それ以前にも、漢学塾に通って漢学に親しんでいたという。
もともと漢学の素養があるから二松学舎に行き、兄の勧めで英語に変えた。
もう少し調べてから書き込んで欲しい。 >>518
三島中洲はこの時代に、洋学中心になっていくのを留めようとして漢学中心の塾を開いた
そんで、中学の認可を受けて生徒を集めた
で、漱石が明治14年4月に入学するんだけど、その年の7月には中学の認可が取り消されている
ここで漢学・儒学続けていても大学に入れないことがわかって進路変更している
二松学舎に11月まではいたことは二学期分の講義修了の書類が残っているが、いつまで通っていたか、漢籍を売り払ったのがいつかははっきりしていない
一年いたって主張するのは講義も取らずに2年後の成立学舎入学までのいつかまで通っていたという主張ね
否定もできないけど根拠もないんじゃないの
三島中洲の始めた二松学舎が300人くらいに膨れ上がったところで中学の資格を取り消された時期で、結構大変な時期なのよ
先生が漢詩の素人をもってみずから任じたことは、やはり「思い出す事など」に、言葉がある。
「余は年来俳句に疎くなりまさった者である。漢詩に至っては、殆んど当初からの門外漢といっても可い」。
吉川 幸次郎 漱石詩注 (岩波文庫)
調べて書き込むっていってもネットにはいろんな矛盾した情報があるから注意してね もちろん、↑に書いたことも漱石が後に振り返って書いたことをもとにしているので、別の動機が書かれていることもある
兄の薦めもあったかもしれないし、そもそも漢文学者になりたくて、進学が目的でなかったという書き方もある
中学認可取り消しの影響も、振り返ればってところだし、漢籍を売り払ったというのも本当かはわからん
自分はそこまでくわしくしらんし、重箱つっつくような興味もあんまりない
むしろ三島中洲が大正天皇にどのような漢学の講義をしていたか、とかのほうが興味がある
これもあんまり資料が残されていないんだったか >>520
あまり漱石の本も漱石の研究書も読んでないようだけど、漱石に興味がないなら漱石のことは書かないほうがいいよ。
荒正人の漱石研究年表は、いまでも漱石研究のスタンダード。
すべて事実や証言から組み立てている、大変な労作だ。
単行本のほか、集英社漱石全集の別巻にもなってるから、興味があれば読んでみてくれ。 >>522
では、二松学舎にいつからいつまでいたか、その本から引用して教えておくれ
いろんな説があることまでしか知らないから、どのような情報をもとにしているのか
漱石は「落第」でも二松学舎についてはあんまり書いていない
中学認可取り消しのあと、どのような反応をしたのかもその本には出ているのかい >>523
小学校時代からの幼な友達である画家島崎柳塢の父親が浅草の烏越に寺小屋風な漢学塾を開いていたので、そこに学んだこともある(赤木桁平)。
漢学塾は他にもあったが、そのなかでは大きいものの一つであったらしい。
(46頁)
(1881年)
四月(推定)、漢学塾二松学舎に転じ、漢文学を学ぶ。
第三級第一課に入学したものと思われる。
(47頁)
(1882年)
十一月、二松学舎第二級第三課を修了。
(48頁)
(1882年)春頃まで二松学舎に在学し、友人と漢詩の贈酬をしたと伝えられる(松岡譲)。
夏頃までには退学したらしいが、正確には分らない。
(49頁)
『集英社漱石全集別巻』
大サービスだ。
自分がこれほど善人とは思わなかったw >>525
ありがとう
結局明治14年の7月と11月に講義を終了している
その後は講義をおそらく選択せず、翌年の夏ごろに正式に中退したらしい、ということでいいんでしょう
なんで、二級二課まで進まなかったかが問題で、明治14年の7月に二松学舎が中学扱いを取り消されたからなわけ
すると、別に単位を取る必要もないから、行かなくなったということだと思うね
短く見れば7ヶ月、籍を置いて授業に出ていないかもしれない時期を含めれば1年ちょっとってことでしょう >>525
だから1年ぐらいと始めから言ってる。
二松学舎以前から漢文には親しんでいた。
こんどは、君のほうで二松学舎が「中学の認可を受け」たとか、明治14年の「7月には中学の認可が取り消されている」というソースを出してくれ。
僕がきちんと引用したのは、それを知りたいケチな考えもあったんだw 俳句も芭蕉で終わりという感じがする
実作も俳論も凄い
道のべの木槿は馬に食はれけり ヤフオクで全集を安く買って、とりあえず
主要作品を読んでみた。読後感が良かったのは
『門』。 感心したのは『坑夫』。頭が痛くなったのは
『明暗』。 全集は無理でも不思議とテキストが開いたり呼ばれたら運命だ。 どや?
道のべのすみれは山羊に食はれけり
しかしなあ、桑原せんせいの俳句第二芸術論は
おもろかったなあ それにつけても金の欲しさよ
短歌第三芸術論でやんすw 赤火しんぶんと赤浪しょてんのおかげで国民的
大家になった三文文士がいた。
よくよく読んでみればなんのこたーないとばれた。
しかし教科書にのってもちゃげられているから
一定の読者はいる。 批判的によめば
どーーてこたあない 以前の勢いはどこへやら。
ネタも尽きたようですなww 本を読む行為というのはあくまで受動的でないとならないのだろう。
あとのことは人生の暇つぶしだよな。 >>534
吾輩も「明暗」は退屈であくびが何度も出て途中で挫折 明暗は小津映画を見続けるのと
同じ苦しさがある
スマホを弄りたくなるわ 初心者です。
三四郎を読み終わったのですが、それからは高等遊民、ニートが主役と聞きました
今就活中のニートなのですが病みそうな内容だったりしますか? >>542
するどい観察ですね。
戦後間もない頃までの日本人の心情は、漱石の「明暗」あたりからの
それなのかもしれませんね。
対して「坊ちゃん」は今でもドラマ化されるんだから、
やはりすごい作品だよなーー。 人は汽車に乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車程個性を軽蔑したものはない。
満員電車に乗るといつもこの文を思い浮かべる >>534 >>541
同意。
「明暗」が日本文学の最高傑作とか冗談も
休み休みに言って欲しい。 >>550
「 明暗」、もう何回くらい読みましたか? 結局、明暗は技術のある浮雲なんだよなあ
こころほどダラダラしてないけど
創作が行き詰まってたのがよく分かるよ >>410
> 昭和の婆さん
NHK眞相はかうだ事件や反日バカサヨ工作を総意にするなよ?
戦前から反日バカサヨ工作があったのだから(´・ω・`) >>414
日本国憲法が日本を作ったのではないしそれより前から日本はあるって知ってようぜ
それと反日サヨクが愛国利用しまくったからな
今でもいるだろ
「ネトウヨは反日!中韓と仲良く!日本死ね!」
みたいなバレバレのキチガイが(´・ω・`) 逝く数年前の話か
朝鮮人中国人テロリスト祭りに呆れたのかな
【文化】夏目漱石「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、善かつたと思つた」 全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが国会図書館で★5
http://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1357700814/ >>559
10年前からいても3秒前からいても邪魔だから消えな >>559
中国というのは日本文化の源流であり、教師でもあるからねえ・・・
日本的精神というのは、孔子だったり杜甫・李白だったり三国志演義だったりする。 >>566
日本の文化の源流は中国だということを指摘するのが反日なら、反日こそが真実を述べているということになるなw >>567
> 日本の文化の源流は
どうした妄想か?
当時存在しない中国を作り上げたのか?
区別は付いてるか?反日バカサヨ丸出しか
【縄文文化食べもの系(一例、他色々ある】
・ウナギや高級魚も食べてた系・煮炊き・縄文団子・真菰・栗栽培系・7500年前の丸木舟(千葉)
真菰、豆ツルマメ
・編みカゴ740点、六つ目編み・ござ目編み・網代編み、骨格製品アクセ(ブレスレット・ペンダント・ネックレス等や幾何学文様)8000年〜前の東名遺跡から
・竹細工(四ッ目編み、網代編みの弁天池低湿地遺跡等
・藍胎漆器、木胎漆器、樋あり漆塗りの飾り弓?、漆塗り結歯式竪櫛、かんざし、腕輪(中屋サワ遺跡、是川遺跡
・縄文編布(古代和服。今の和服のような細かな編み)・縄文組紐
・スモーク燻製や蒸し料理(集石遺構、連穴土坑の遺構16基の上野原遺跡、煙道付炉穴)、赤野井湾遺跡
・石川県真脇遺跡(板敷き土壙墓・貼床住居址・環状木柱列、軸組工法・日本最古級ランプ・彫刻柱・滑石の人形ペンダント。
食文化等はクリ、カシ、トチノキ、イルカ、サメ、フグ、ベラ、サバ、カツオ等。平地式住居・凝灰岩質粘土床の湿気取り・6つの石囲炉)
・山葡萄やキイチゴ等の果実酒?(井戸尻遺跡や池内遺跡等 >>568
>当時存在しない中国
国名をいうなら、日本国も存在してないよw
どこの国の領土の広さも時代によってさまざまだ。
中国が文化の源流であることを否定するなら、漢字も仮名も使わずに、音読みを排した声だけのレスにでもしておけよw >>569
国名?
国名だけじゃなくて中身もなw
文化の源流()一部な上に古代やがなw
バカサヨはどうしても我慢ならないなら反日問題の賠償代わりその1ということにするかwww
ああそれと日本から出て行けよwww >>569
9e2は相手にしない方が良いよ。
せっかくの週末の夜だからね。 マルクスかぶれは極端な事、あるいは一が全てであるように言って
「俺カックイー」と悦に入るバカ
>>567
>日本の文化の源流は中国だ
「源流の一つ」と言わないと正確でない
正確でないのみならず、明白な誤謬ですよ
こいつ国家とは「法と国家権力」とか言ってたバカでしょ
今どき国家の三要素を否定するバカはマルクスかぶれだけでしょ
国家をそれだけでみるから、コイツラが国家権力を握ると国家権力を愛する事を強要するバカ国家が生まれる
中共のようにな ちなみにマルクスご本人もこの手のしょーもない結論ありきの、一側面だけを取り上げた断言で切り抜けているアホ論理が目立つ
これにかぶれるバカ、真似るバカが量産される
而して共産主義なるエセ宗教が生まれる
デカルトの方法序説から勉強しなおしなさい >>570
中身が違うということなら、日本もずいぶん違ってきてるよね?
日本だけは2600年前から変わってないんだ、って言い張るのも、なかなかみっともなくて面白いけど。
日本文化の源流としての中国からの影響が、古代だけだと思うのは、少し知識不足じゃないんだろうか?
江戸時代でも、学問といえば中国の古典の勉強だったんだよ?
漱石も漢籍の勉強が好きだったけど、漢籍というのは中国の古典のことだよ?
日本のことも漱石のことも知らないのに、なんで日本にいて漱石スレに来るの?w >>572
中国が日本の文化の源流の一つ、だとすると、他の源流はどこ?
朝鮮?
国家権力を愛する事を強要するバカ国家というと、日本を思い起こすね。
美しい日本、とか、クールジャパンとかさw >>571
まったくその通りだけど、このスレも過疎ってるからね。
無知で中韓を貶めることだけが自分の存在意義、という特殊な人を相手にするのも、枯れ木も山の賑わいだねw >>575
小中華であることを誇る=朝鮮
お前は小中華を誇ってたらいいんだよ
ご立派ご立派
アレって、マルクス主義が適合するんだよな 別に強要されてないよ
あんたが大好きな特亜のどっかに帰化して政権批判今と同じだけやんなよ >>577
あなたは中韓を貶すことだけが生きがい、なんだね・・・
人には、自分が考える存在意義や生きがいがあるものだけど、あなたの生きがいは、酷く惨めだね。 >>578
あなたは安倍政権が大好きなの?
どんないいことがあったの? >>579
いや事実の指摘だよ
小中華知らないの?
事実を指摘されて火病?
おれは嫌いだが 別に本人たちが小中華を誇ってる分にはいいんじゃないの?
おたくのように >>580
別に大好きでもないが、支持はしている
批判しか能がない側には付かない >>584
小中華ググれば?
事実なんだけど
おたくも小中華誇ってるし >>585
量的緩和、新安保法制、九条改憲、2度にわたる増税延期あたりが主だね >>586
あなたが大好きな、美しい日本、クールジャパン、日本最高の思想こそが、小中華ではないの? >>588
違うよ
もう一度いうわ
小中華でググれ >>587
量的緩和で国民は貧しくなってるけど?
9条改憲も新安保法制も、戦争をするための法制化だよね?
増税延期がいいなら、初めから増税しないほうがいいよね?
どの政策も国民を犠牲にするから、僕は絶対反対なんだが、あなたはそれに賛成してるわけだ。
あなたは、後世代につけを回す量的緩和でなにかの利益を得たのかな?
戦争がしたくてたまらない戦争大好き人間なのかな?
戦争大好きな人ほど、実際に戦争がはじまると他人に指図したがるだけで、自分は安全なところに逃げたがるもんだけどね。 >>589
なんだ、小中華を小日本と混同してるのか。
小中華というのは、小さいけれど自分も中華に対抗するということだよ。 >>591
>小中華というのは、小さいけれど自分も中華に対抗するということだよ。
全然違うよw
小中華の弁護をし始めるとか、まさに朝鮮人だな
別にそれを誇ってたらいいけどね 欧州も米国も量的緩和をしてきた中で、日本だけせずに円高が素晴らしいと説いていたバカ
紫おばさんとか有名だけど、サヨクってバカでしょ 日本の独自性を否定しつつ
日本の文化の源流は中華だ、と定言的に断言する
小中華以外の何者でもないな
で、オマケにマルクスかぶれ
いやいや誹謗でも何でもない
事実の指摘
大いに誇ってくれて構わない
ただ絶対的に俺は与しない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています