西洋に置き換えれば、日本における漢文はラテン語、梵語はギリシア語に当たる。

つまり、江戸時代まで学問として漢学に重きが置かれていたが、
これは西洋でいえばラテン語の学習に当たる。

古代の四書五経を中心とし、唐代の漢詩、宋代までの名文を学問として学んだ。
ただし、思想的には日本独自の思想に換骨奪胎して受け取っていった。
それは「公」と「私」の対立と解決の仕方に表れている。
それが「忠臣蔵」ですよね。

同時に和魂として和歌の教養が重んじられた。
小中華の朝鮮には朝鮮語の文学などほとんど皆無に等しい。

「中国が日本文化の源流」という言を西洋に置き換えれば
「イタリアが欧州文化の源流」と言うのと同じ事になる。

ローマ帝国はイタリアではないですよね。
同様に古代のシナの帝国は中国ではない。
西洋がラテン語を学んだのは、イタリアについて学んでいたのではない。
江戸時代に漢学を学んだのは、清国について学んでいたのではない。
東アジアの共通語としての漢語

「中共様」が「シナというのはケシカラン、中国と言え」というので
「まあそういうならそうしましょうか」と従っているまでだ。

日本において中国とは律令国家成立以来、中国地方の事である。