三島由紀夫Part55
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三島事件後の三島の遺体の検視で身長163センチって判明してる 理想と現実はかなり差があって当たり前。
古代ギリシャの画家は赤ん坊さえも八頭身に描いていたw 三島の身長は年代としては平均的か少し高い程度。
ヒトラーもナポレオンも、当時としては平均的な身長。 >>225
中上は横にでかいだけで身長は172cm くびなし胴体が163センチということは、あのうまづらを付け足せば190センチはゆうに超えるわけですね、ホームズ君。 中上は横にデカいだけと言っても、骨格の大きさから言えば、確かに大男なんだよ。
そこらのひょろっとした180超えの男よりもずっとデカイ。
多分、中学生ぐらいから?休みの日など実家の土建業を手伝ってたからかも。
肉体労働の経験のない、浅田、四方田、渡部、蓮實、柄谷らには死んでも分からんよw
俺は肉体労働+ずばずば抜けた頭脳だから敵なしw >>226
それはそうだが、そういう話をしてるんじゃないよ。 >>221
そもそもボディビルと言うのはスポーツではない。(筋力ではなく)見せるための筋肉を身につける特殊な趣味。
そのために非常に高価なプロテインを飲んだり鶏の笹身ばっかり食ってたりする。
だから見た目と違って大して力もないし体力もなくてしょっちゅう風邪引いてたりする。
うっかりすると死んだりもする。 石原慎太郎が初めて会った時「三島さんがこんんなに小柄とは知りませんでした」と思わず言ってしまったほどの短躯。
そんな人間がボディビルで身につけた無駄な筋力見せびらかしてもしょうがあるまい。
言ってることとやってることが一致しているようで逆だ。
ただの道楽ならともかく「尚武の心」「文武両道」「若きサムライ」とか言いつつボディビルじゃなあw
剣道はまだしも。 >>246
そういう話だろ?
三島自身は平均的な身長だったが、天皇も華族も、背が高いから威厳があったというわけではない
むしろ時代として背が低い方かもしれない
そもそもギリシア彫刻のモデルが貴族であるかどうかもわからない >>248
163cmは年代として平均か少し上。
慎太郎がそう言ったのが事実なら、慎太郎がよほど三島を大きいと思っていたのかな?
たしかに、慎太郎と三島は仲が悪いし、慎太郎からは三島が知の巨人に見えたことは確かだろう。 石原慎太郎 三島に劣等感を刺激され続けてたってマジですか >>250
石原は自分の尊敬する先輩は背が高いという先入観があったらしく「もっと大男かと思った」と言ったら三島が大笑いして返したらしい。
「三島さんはあの時傷ついたんだろうな」と石原は述懐していた。 >>238
溜飲を下げるとか大げさなことじゃなく
単に笑えてくるというだけ
だって155センチで筋肉つけて切腹って
>>239
検死に身長は記載しないとあったが、
それがガセにしてもどうやって測る?
>>245
それ違うよ
東京に来て空港で肉体労働してたし
家が土建屋で作品もそう言うのが多いから
そう思い込みやすいけど、
かなり裕福な家で健次が仕事の手伝いをするなんてことは一切なかった
坊っちゃんとして大切に育てられたとのこと
ちなみに蓮實重彦は190センチもあるんだな
チェーホフは2m超?
>>247
それは違うよ
筋肉つければ当たり前に運動能力は上がる
ただマッスル北村氏のように脂肪を極端に取りすぎて
筋肉がすごいのに餓死したという話があったり
あと薬物が原因か
>>250
これは確かにそうみたいだな
とするとやっぱり155のほうが正しいのではないか
もし163だったら平均より高いのだから
そもそも小柄だという話自体出てこなかったはずだろう 笑えてくるんじゃなくて
嘲笑し、見下さないと自分を保てないほど三島に劣等感を抱いてるんじゃない? >>254
バッカだなあ
少なくとも自分より遥かに優秀で
作品も残した歴史に残っている人に
劣等感もなにもないだろ
ただ笑えるというのは別のことだろ 三島氏の右翼的と分類される政治思想が
かなり質が高い と評価する人
あまりにもお粗末 と評価する人
評価に関して極端な勢いで枝分かれしてる気がしますけど
実際の所 どうなのでしょうか 文学の才能あっても背が低いことにコンプレックスあったのかな 先天性、つまり変えようのないコンプレッレクスが有ったからこそ文才がより輝いた気がします 背の工程より呑んでる酒の瓶と可で体の厚みやたけ幅が違うから、
センスも大事だろうね。 >>248
>ただの道楽ならともかく「尚武の心」「文武両道」「若きサムライ」とか言いつつ
>ボディビルじゃなあw
>剣道はまだしも。
いちおう空手と剣道の練習は地道にやっていて(ボクシングからは早々に撤退)
剣道はひいき目に見て初段程度の腕前だったらしい(石原慎太郎談)
つまり「型」にはまった武道なら三島でも何とかなるわけです
実戦で役に立つかどうかともかく
これが柔道やボクシングだと反射神経が必要だから難しいだろうね 身長ネタはもしすぐ目の前にいたらどんなんだろっつーイメージ描きやすいからイイね >>251
劣等感を抱けるほどの差ではないだろ。
>>252
石原って誰を尊敬してたの?
>>253
三島を小柄だと言ったのは誰? >>265
三島の剣道は打ち込み剣道だよ
だから小手すら出来ない(手首のスナップが利かない)
師範がしかめっ面をしていた
面か胴に打ち込むだけのパフォーマンス剣道
空手だと演武専門 運動音痴の三島ですら何とかなるのが空手や剣道(しかもパフォーマンス限定)
また下半身の鍛錬がぜんぜん出来ていないので
自衛隊に体験入隊した際は網のぼりすら出来なかった
つまりそこら辺の小学生よりも運動神経がない >>266
誰に聞いたのか、どこで読んだのか。
打ち込み稽古はとても難しいんだよ・・・ >>264
それ、お前の好きな奴をでっかく言ってるだけじゃんw
レスラーの体格の情報なんて、まったく差があり過ぎるし。
実際に会って見ないと分からないし、実際に見たところでシークレットシューズもあるし。
キムタクやガクトの身長なんて身内しか知らないだろw 三島雪子
二月末の寒い朝に生まれたのであった。
【終】 >>268
>誰に聞いたのか、どこで読んだのか。
石原慎太郎が師範にじかに訊いた話なんだけどね
たしか「三島由紀夫の日蝕」で書いていた筈
>打ち込み稽古はとても難しいんだよ・・・
そういう難しさと
三島がキチンと剣道をできるかは別の話で
普通に考えて小手も出来ない人間がする剣道などたかが知れている
というか小手ができないのに剣道と聞いてびっくりするけどね
それもスナップが利かないからとか 背の高さと言えば、三島が鷗外を「私の神」などと異様に持ち上げるのもそのせいという気がするな。
鷗外は当時としては背が高く、士族出身、端正な顔立ちで語学も得意で独逸人に劣等感も持たず、だった。
留学してすぐ現地妻作っちゃうしw
いずれも三島にはない or 出来そうもないことばかり。 演武空手や打込剣道は年取ってから効いてくるんだよ。
もう誰も決着とか勝負とか期待しない年齢になって、
一人輝いている爺さんはそういう人だ。
三島は輝く前に自ら閉じてしまったけど。
あと、競泳じゃない水泳。
早くなくていいから美しく泳ぐことだけを心掛ける。
これも老いて輝く。
これは、ひ弱なまま30超えた文弱さんにもお勧め。 ただし、開高健が書いていたけど、水泳で体も心も健康に
なると小説書けないらしいよ(笑)
もっとも、開高は何につけてもすぐ小説書けなくなる人だった
から、生涯寡作に終わったけどね。 開高は奥さんとうまく行ってなくて家にいると鬱になってしまって何も書けなかった。
だからヘミングウェイ気取りでヴェトナム行って『輝ける闇』書いた。
そのうち小説も書けなくなったけど、猛獣狩りするわけにもいかず世界釣り旅行して『オーパ!』書いたり。 三島「僕は結末までストーリーを細かく決めてからでないと小説が書けないんだ」
開高「それは芝居の書き方ではないですか」
三島「そう、それが僕のコンプレックスなんだ…」
三島の小説が奇妙に人工的な感じがするのは同性愛者だからだけではない気がするな。
『サド侯爵夫人』はフランスでは人気の定着した演目らしいし。 >ヴェトナム行って『輝ける闇』
そこでまた揚げ足取りの慎太郎が、
「ありゃあ、ベトナム行かなくても書ける」
っつったんだっけ?(笑) >>279
>演武空手や打込剣道は年取ってから効いてくるんだよ。
三島はそういう修養や自己鍛錬としてではなく
武力としての武道を目指していたんだけどね
民間防衛組織「楯の会」とセットなんだよ
それと三島は学習院なのに水泳ができない そういえば自動車運転免許は取得したが
納車日の路上運転でいきなり脱輪してそれっきりとか >>283
>そこでまた揚げ足取りの慎太郎が、
>「ありゃあ、ベトナム行かなくても書ける」
>っつったんだっけ?(笑)
三島由紀夫も言ってるけど?
わざわざベトナムまで行って書斎に閉じこもってもかけるものを書いた
だったかな?
ただ密林でベトコンに襲撃された体験は貴重で
それを小説にした場合はあんなものだった、というだけ
これは作家としての限界だから仕方ない
それで鬱になったから後年の病んだ作品が生まれたわけで >>277
石原慎太郎がなにをどう聞いたのかすら不透明だよ?
三島を教えていた師範が他人に自分の弟子を悪し様にいうとも思えない。
剣道の師範なら、そのくらいの矜持はあるだろう。
あなたが剣道の素人だということはわかるが、悪意も善意も捨てるところからしか、剣道は存在しないということぐらいは理解してほしいものだ。 三島のベトナムはロートレックのムーランルージュくらいにはなったんじゃないかねぇ 三島が空手の稽古してる映像見たことあるけどひどかったな。
これで空手をやってるといって良いのかと思うレベルだった。
自転車にさえ乗れなかったのは本当だと思った。
あまりに能力がないと自分に能力がないことにさえ気づけず、
それでいて周囲はおだてるばかりだろうし。
石原が三島のやってることを馬鹿にしてたのは
自分が高校時代サッカーを真剣にやってて
(江藤淳によると常にボールを蹴ってたらしい)
才能の限界を知ったということがあったので、
三島のやってることなど論外で
腹立たしくさえあったのだと思う。 >>287
>三島を教えていた師範が他人に自分の弟子を悪し様にいうとも思えない。
悪し様には言っていないの
「実際の腕前はどのくらいでしょうか?」
という石原の質問に
「一級程度は…」
と苦し気にこたえていたので
「さすがに初段くらいはあるでしょう」
と石原が助けの声を出したところ、ホッとした表情で
「でも三島君はボディビルをやっていたせいもあって
手首のスナップが利かないのか小手が出来ないんですよ」
と不肖の弟子である三島の下手糞さを弁護していた人格者です
それなのに調子に乗って
年少の石原に対して真剣で脅し半分で切り付けて見たり
(鴨居に切っ先が引っかかって惨事には至らなかった)
市ヶ谷駐屯地の総監室を占拠した際には
突入した警官に切りかかってけがを負わせたりと
まさに気違いに刃物です
こういう人間に剣道を指南した師範も困った事でしょうね
まさに顔に泥を塗られたようなものです >>287
>あなたが剣道の素人だということはわかるが、悪意も善意も捨てるところからしか、
>剣道は存在しないということぐらいは理解してほしいものだ。
気違いを擁護することが剣道なんですかね しかし文学とは全く関係の無い
剣道・空手(しかも小学生の初心者レベル)やボディビルといった
パフォーマンスの部分で評価する人が多いのはどうかな?
石原はそういう部分と文学は関係ないとして
パフォーマンスの部分は批判するが
三島文学自体は高く評価している
しかし川端作品(みづうみ)の評価をめぐっては対立しているので
このあたりは作家としての資質の問題だから本質的な対立ではあるのだが
この部分での批判はそれほどでもない
ようするに文学に世間受けを意識したパフォーマンスを導入する
安易な姿勢が批判されているだけであって
このあたりの批判は妥当というしかない 対立したったって石原は三島に面と向かって徹底的に反論するようなタマじゃないしなー。
いつか同性愛者差別発言していたんだから三島にも「お前気持ち悪い」って言えば見直してもいいのにw
"言うだけ番長" というのの見本みたいな石原に本質からずれた「パフォーマンス」なんて三島も言われたくはあるまいし。 他人のトレーニングの一端を見て、絶対的にその人を否定するってのは、スポーツ関係の人間の悪癖なんだよなw
スポーツではどこの世界でも起きてることw
三島のトレーニングもその例に漏れないが、三島は自分の身体で身体の鍛錬を実行し、彼独特の身体論を?作り上げたところは他者の迫りえないところではないか?
俺なら進んで三島の骨を拾いたいが。 自分が理解できない言動を気違いとして一括りにすることで、自分の正当性を確保したいという欲求が強い人は多い。
三島は高い水準の作品群を残しているために気違い呼ばわりされることは少ないが、麻原などは多くの人に精神異常とみなされているようだ。
さて、ふたりの間にはどのような違いがあるのだろう? ('・c_,・` )関ノ孫六
('・c_,・` )この本によると三島の剣道の実力は確かなもので
('・c_,・` )情けで段位を取得したわけではないそうだ >>294
言ってる意味が分からんが
そんな上等な話じゃなくて
例えば空手だとパンチはボクシングや少林寺のように肩を入れない
肩は対象に対して平行になったところで鋭く止めて
その力を拳を回転させてえぐりこむように伝えて打つ
https://vmugiv.exblog.jp/20758930/
この画像にある三島の肩を見ると回転してしまっていて
とても空手の突きとは言えない
まあ白帯なので仕方がないが
これでは入隊訓練と同じで2,3日体験したと言うに過ぎない
これで空手をやったとは言わない
剣道とかは知らないけど似たようなものではなかったか
要するに三島にあったのはボディービルで作った筋肉だけで
その肉体も当時一般的に思い込まれていたように
相当な苦行の末に身につくというようなものではなくて
現在では割に簡単に誰もが身につけることのできるものだ
結果本当に三島にあったのは
金と暇さえあれば誰もが身につけることのできる筋肉を身つけただけなのに
それを自分はスゲェ人間になったぞと思い込んでしまったのではないか >>298
空手というのは、実は歴史が浅く、流派の成立は戦後だともいえる。
あの大山倍達もボディビルで体を作り、実戦で工夫を重ねた。
大山空手の源は、ボディビルとボクシングだ。 >>299
だから何?という感じだけど
空手の流派は沖縄の頃から入れれば相当長い
大山も剛柔流だっけ、もともとそこらへんから
と、これもだから何って話だけど ミシマ なのに勿体ないねえ。男の家系が壊滅でもしてみりゃ目が覚めるか?
女性はいうことなしだな。 >>300
大山空手の体の作り方はボディビル、技としての基盤はボクシング。
沖縄空手は参考にした程度。
三島の体と技の作り方は理にかなっているということ。 戒律、律法、法に触れるより精神的な戦いのきらびやかな方が。 三島の政治思想の話からあらぬ方向へ行ってしまった。
確かに三島の切腹死というのは吉本隆明の言っていたように「一瞬ですべてをコケにしてみせる」ようなものではあった。
だがそのことは別に三島の主張に説得力を持たせる効用があったわけではない。
三島は自死の衝撃とともに日本人の恥部をえぐったのだ。
「欧米白人相手だとすぐ卑屈な態度しやがって、堂々と渡り合える日本人はいないのか?」
「 車やラジオ売りつけて儲けてりゃいいのか? お前らは日本文化に誇りが持てるのか?」と云った問だ。 三島の「文化防衛」という議論の前提として抜けていることがある。
「どこの国の人間だってたいていは大した人間ではない」ということ。
それより重要なことは「お金のないところには文化はない」という当たり前の事実である。
そして人間はどうしても広い意味で「強い」人間や「お金持ち」な人間をカッコいいと思ってしまう、というのも。 >>303
あほだなあ
なんにも知らないんだなあ
空手は沖縄が発祥で
まあいいか
アホはなに言っても理解しない >>309
三島を貶すのは自由だが、シッタカはやめようね。
剣道のこともそうだったけど。 >307の続き
三島とてしかし、アメリカ人とフランクにつき合えるようなタイプであったなら、そこまで思いつめる事もなかったろう。
残念なことに三島は友達のいないタイプであったからそれが出来なかった。
それがわざわいしたに違いない。
英語習っても「お前の英語は踊れるが歩けない」と早稲田大学のR.ダウディ教授に言われてしまうような塩梅だったのも。
20代の頃の三島がカジュアルということが分からず、真っ白いズボンに黒いシャツなんて奇天烈な格好していたのも。 さて「強い」ということで言えば、三島は軍備についてどう考えていたのかは詳らかではない。
「徴兵制には反対だ」と何度も書いていたのだから、再軍備しなくてはならぬとは思っていたのだろう。
そうでなければ筋が通らない。防衛力も攻撃力もない/軍隊のない国など舐められるに決まっている。
それは竹島問題など見ればわかることだ。国際仲裁裁判所などに訴えても強制力がなければ無意味である。
核兵器を持つべきだと言わないと筋が通らない気もするが。 個人的にも(このスレによれば)剣道や空手はずっと続けていたというのだから、一応筋は通ってはいる気はする。
ひろゆきも言っているように「筋肉つけとくと頼れる人間に見えるというのは本当だかどうだかは知らない。
ひろゆきも筋肉はなくともキックボクシングやってたそうだから実感が籠っているのかも知れない。
少なくとも背が高い相手だからって気おされているようでは対等に渡り合うことなどできまい。
「文化防衛」につながるかと言えばそれは疑問であるが。 高杉伸作が四国連合艦隊旗艦に乗り込み古事記を暗証して日本を守ったけど、文化防衛ってそういうことじゃない? 浅田次郎のエッセイを読んでいたら、自衛隊時代は文学の話などしても顰蹙を買うだけだから言えなかったとか。
うっかりすると袋叩きになりまねなかったらしい。
つまりあの時代の自衛隊には三島を文学者として尊敬する人間などいなかったのだ。
それくらい三島はズレていたという事である。
僕も一時パン工場でアルバイトしていた時休憩時間には本を読んでいたが、まるで珍獣を見るような目で見られた。
『少年ジャンプ』読む人間すら滅多にいないんだから当然ではあるが。 まあ『少年ジャンプ』読む人間すら滅多にいなくてみんなスマホかTV見るだなんだから当然ではある。
即ち本を読む人間、とりわけ純文学なぞ読む人間などは世の中のごく少数派なのだ。
「文化振興」ならまだしも文化防衛もへったくれもあるかい。
どうも三島は自分だけの勝手な夢を見ていたところが多分にあると思われる。
吉田健一言わく――
「三島君はいい子だった。彼の間違いは、日本に上流階級が存在すると思い込んでいたことだ」
日本文化の強力な担い手など存在しないのである。 >>318
吉田健一って上手いこと言うんだね。
でも、正確には日本の上流階級に文化の担い手はいない、というべきところだな。 うん、そういう意味での上流階級ですね。
今上陛下が国際言語学会で開会のスピーチをするのを聴いていたイギリス人学者が呟いた。
「ああ、わが王室にもせめてこれくらいのことが言える者がいたらなぁ…」
・・・という話もありますが。チャールズ皇太子はまだしも、王子たちはスーツ姿もあんまり美しくなくてつまらない。 若いころの作品、花盛りの森?を読むと、人を殺してみたい願望があったように思う。
一方でこの人は超がつくほど生真面目な人だった。お父さんには生涯頭が上がらなかった。
頭の良いこの人は二つの傾向を同時に満たす方法を考えたと思う。 三島が憧れていたスパルタの青年育成過程で奴隷をトレーニングの過程で殺すことは課題ですらあった。 改めて思うけど 割腹自殺して生涯を閉じたって凄いよね
他人を刺す世界線もあったのかもしれない >>324
世界線?
切腹のとき
何人か切ってるね >>325
失礼 そうなのですね
驚くばかりですね 意に反するとは言っても食っていくための手段だから仕方ないね。多くの人は働きたくて働いてるわけじゃないし。 今豊饒の海全巻読了。何から書こうか。
そうそう、>>5みたいにまずは文学なんて人間の屑のやるものと、一旦突き放すべき。 >>326
奥さんが後で
被害者の人たち一人一人に
「三島の妻です。この度は誠に申し訳ありません」
と謝って回ったというのが、
なんか一般的な生活という感じで
夫の行動との対比で面白い 『文化防衛論』は僕は読んでいないので、ネット上で紹介されたものをみてたりする。
三島の天皇論は「文化概念としての天皇」という考え方を骨格に据えている。
日本文化の特質を「再帰生」「全体性」「主体性」という言葉で定義し、そのうちの「全体性」を重視する。
みやびな文化や繊細な芸術だけでなく、行動・行動様式を含んだ人間の全体的な生の様式を文化としてとらえるのだ。
やれやれめまいがするほど具体性のない話であるな。
政治にかかわる問題なのに具体性がないんじゃ何も言ってないのと同じである。 『文化防衛論』は僕は読んでいないので、ネット上で紹介されたものをみてたりする。
三島の天皇論は「文化概念としての天皇」という考え方を骨格に据えている。
日本文化の特質を「再帰生」「全体性」「主体性」という言葉で定義し、そのうちの「全体性」を重視する。
みやびな文化や繊細な芸術だけでなく、行動・行動様式を含んだ人間の全体的な生の様式を文化としてとらえるのだ。
やれやれめまいがするほど具体性のない話であるな。
政治にかかわる問題なのに具体性がないんじゃ何も言ってないのと同じである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています