なので日本語や日本文化を原理的に
理屈立てていくと普遍的な日本の精髄がなくなったよ、
という見方も当然あり得るし全くおかしくない
だって日本という観念が人為的なものなんだから

一方で歴史的に見ると変化のとても小さな
同一性の高い日本文化というものがあるのも事実
基礎語彙とか五十音、靴を脱ぐとかね
こういうのを実際的観点で日本文化のコアと
受け取るのもまた妥当であって正当