尊い血筋のかたを弑し奉るとか、上官上職に楯突くとか、親兄弟を殺して
生き残るとか、親方さまを裏切るとかってのは、マンガや劇映画の感覚だと
時間の制約があるせいか、すごく単純化されてますよね。
「悪りい野郎だから斬りました!」「順を以て逆を倒しました♪」みたいに
なんだかダメダメなバカ旦那が先祖の譽れでのさばり返ってるその悪弊を
絶ちました♪みたいなオハナシになっちゃう。
物語なんかでも、むかしは、敵役でも人物のえらい奴、見識の奴、強い奴、
てのには、どんなどん百姓でも敬意を払うってのが、共感できる人物の
最低限のニンゲンらしさであったわけですが、善悪正邪、敵味方、仇朋輩の
単純化、わかりやすさと面白さの公式化が進むにつれて、
「アイツは嫌だ、気に入らねえ、いやさ悪だ、許せん、捨て置けねえ…斬る!」
て調子で、やな奴にはなに言ってもかまわない、無礼をはたらくほうが
むしろカッコいいんだみたいな、学生運動とか矢吹ジョーみたいな下品な
態度やふざけた服装こそがレジスタンスの証みたいな気配になっているのは
なんだか味気ないような気がします。
マンガでも、優しいおじさん実は人でなしの鬼みたいな人が、クライマックスでは
口を歪ん曲げて三白眼でヨダレ垂らしながら高笑いして「ちねちね〜!」
とか言うでしょ。派手だけどあればっかしだと興醒めすることもある。
怖いやつってのは、やっぱり、ニコッと笑ってスカッと斬る、ニコスカな
ひとだと思うんですよ。現実の嫌なやつ悪いやつってそうじゃないですか。
悪ければ悪いほど、顔曲げて下品に笑ったり、凄んだ声で話したりしない。
お暑うござんすと丁寧に腰を折ってお辞儀をしながら、あたり一帯十か村が
揃って首くくりみたいな決定をサラリとやってのけて汗ひとつかかない。
そういうお洒落でスマートでクレバーで一分の隙もないような仇ってのが、
どうしたわけですかウケが悪くて出番を減らされてるような気配があります。
討つほうも討たれるほうもカッコよくてお行儀のよい殺試合てのを、
もっと観たいような気がします。
最高にカッコイイ蘇我氏だの高師直だの清盛公てのが、現代わがこくの
作りばなしには少なすぎると思うのです。悪い妖怪やオバケも汚ならしすぎる。