ドゥルーズ・ガタリ→浅田の、コード化、超コード化、脱コード化、の三段階論のほうが、「世界史の構造」よりは、いまだにだいぶよい。
超コード化段階というのは、マルクス・エンゲルスのいうアジア的段階から絶対主義の前資本主義的段階まで含まれてしまいそうだが、わたしとしては、それは別に一緒くたにしてもよいと思うものだ。
「国民国家」というのは、「帝国」と異質なものではなく、
むしろ、「帝国」の統治装置の精密化という面が大きいであろう。